モモ将軍の頭は、作業台から落ちかけるたびに「いざ、開店!」と叫んだ。 誰も触っていないときにも一度叫んだ。 春木佐保は曲がり針を持ったまま、桃色の巨大な頭を見た。紺色の眉は勇ましく、口は横四センチの黒いメッシュで、そこだけ見ると、ひどく疑い深い貯金箱だった。 「開店したいのはわかるけど、うちは八時半から開いてる」 「衝撃センサーじゃないですか」 床で尾羽を測っていた国富直哉が言った。 「触ってない」 「工場の前を路面電車が通りました」 「電車で決意を固めるタイプか」 岡山市北区、旭川から二本西の裏通りに、マエジマ着装サービスはある。店舗ではない。着ぐるみの洗浄、修繕、保管、現場搬入を請け負う工場だ。表のシャッターには社名しか書いていないのに、近所の子どもはここを「どうぶつ病院」と呼ぶ。 たしかに朝いちばんの工場には、首だけのペンギン、逆さ吊りの牛、腹を開かれた緑色の何かがいた。治療というより押収品の陳列に近い。 春木はこの工場で十一年、主任になって三年目だった。縫い目を見れば前回の修理者がわかる。発泡ウレタンの匂いで接着剤の乾き具合もわかる。わからないのは、発注者が修理票に書く日本語だ。 モモ将軍の修理票、症状欄にはこうあった。 背中がさびしい。時々しゃべらない。勇ましさ不足。 「三つ目は修理ですか」 国富が巻き尺を伸ばした。入社して六週間。二十七歳。以前は自転車店で組み立てと修理をしていたため、工具の扱いは速い。ただし部品箱に貼るラベルがいちいち長い。 昨日、春木は棚に〈小ネジ・短〉と書いた。今朝には、その下へ国富が〈短いが重要性は長さによらない〉と足していた。 「勇ましさは見積もりの対象外」 「眉毛、片方が下がってます」 「じゃあ対象内。右だけ住宅ローンに落ちた顔してる」 モモ将軍は、架空の戦国武将を桃で包んだ地域キャラクターである。岡南まんぷく市場という食品販売施設が、土曜の改装オープンに合わせて作った。桃型の頭に陣羽織、腹には小さな籠、背中にはキジを意識したらしい大きな尾羽がつく。 資料には「郷土の恵みを未来へ運ぶ、剛胆かつジューシーな大将」とあった。 剛胆とジューシーが同じ人物評に並ぶと、急に果物売り場の床が滑りそうになる。 「尾羽、幅百三十八です」 国富が言った。 「納品図面は百二十」 春木は頭部の内側へ潜った。汗取りパッドを外し、顎ベルトを指で引く。縫い糸が白く毛羽立っている。これでは中の演者が振り向くたび、桃だけが一拍遅れてついてくる。 小型ファンの吸気口には、緑の毛がびっしり貼りついていた。 「国富くん、掃除機。あと記録。顎ベルト交換、ファン清掃、右眉接着。尾羽芯材は曲がり確認」 「声は?」 「しゃべってる」 その瞬間、春木の後頭部に桃の内壁が当たった。 「よくぞ来た!」 「時々、言うことを聞かずにしゃべる、ですね」 シャッターが三回、遠慮なく叩かれた。 国富が開けると、パンツスーツの女性が、オレンジ色のファイルを抱えて立っていた。岡南まんぷく市場の販促担当、難波である。昨日、モモ将軍を軽バンで運び込んだ人だ。今日は前髪にカーラーを一本つけたままだった。 「すみません。急ぎで追加が」 「カーラー」 春木が言うと、難波は額へ手をやった。 難波はカーラーをむしり取り、ファイルに挟んだ。書類の一部として処理するらしい。 「昨日、会場の最終確認をしたんですけど。モモ将軍、搬入口から控室まで、まっすぐ入っていただきたくて」 「通常はまっすぐ入ります」 「後ろ向きは困るんです。オープンの日なので」 「誰か、後ろ向きに入れました?」 「前回の試着で、尾羽が曲がり角につかえて。演者さんが三分くらいバックして」 「三分も?」 「ゆっくりなんです。視界が狭いので。途中で台車に謝ってました」 春木は床の尾羽を見た。七枚の羽が扇状に広がり、金属パイプの芯で固定されている。豪華だ。豪華さとはだいたい、狭い通路で罰を受けるためにある。 「会場の通路幅は」 「九十二センチです。曲がり角に消火器の収納があって、そこだけ八十六」 「尾羽、百三十八」 「そこを、こう、勇ましく」 難波はファイルを胸に当てたまま、上半身を斜めにした。 「勇ましさで幅は減りません」 春木が言うと、難波は姿勢を戻した。 「土曜の九時四十分に出陣です」 「出演、じゃなくて?」 「社長が出陣で統一しろと」 国富が記録用紙へ真顔で書き込んだ。春木は横から覗いた。 「そこ、全部書かなくていい」 難波はモモ将軍の頭へ近づき、下がった眉をそっと撫でた。 「あと、もう少し笑顔にできます?」 「剛胆な設定では」 「社内で、怖いという意見が」 「この眉を承認したのは」 「社内です」 結局、追加要望は五つになった。尾羽を狭い通路へ対応させる。眉を勇ましいまま、やや親しみやすくする。音声装置の誤作動を止める。内ポケットを追加する。左手で名刺を配れるようにする。 「名刺は何枚ですか」 「二百枚」 「左手、上がるの十センチですよ」 「スタッフが補充します」 「一回に何枚持たせます?」 「二百枚」 「補充スタッフの仕事が消えました」 難波が帰ったあと、工場が少し広くなった。 春木は追加票を壁へ留めた。国富は尾羽の根元を裏返し、六角レンチを当てている。 「ワンタッチで外せるようにしませんか」 「外から金具が見える。監修資料で不可」 「内側へ逃がせば」 「演者が自分で触れない」 「曲がり角の前でスタッフが外して、通過後につける」 「出陣はまっすぐ、一体のまま。先方の希望」 「希望と通路幅がケンカしたら、通路幅が勝ちますよ」 「知ってる」 言い方が強かった。国富は返事をせず、六角レンチを元の場所へ戻した。 春木は作業台の縁に貼られた黄色いテープを見た。国富が貼った〈桃の顔を下に置かない。地域の尊厳以前に眉が折れる〉という注意書きが、やはり長い。 六週間、彼は春木の指示をよく聞いた。聞きすぎるくらいだった。訊かれたことには案を出すが、一度退けられると二度と言わない。その潔さが、春木には少し不便だった。 前島社長は奥の事務室から顔だけ出した。 「終わりそう?」 「土曜までなら」 「今日、木曜よ」 「知ってます」 「わし、土曜の朝は釣りなんよ」 「なんかあったら電話して」 「出ます?」 「海の上じゃったら、気持ちだけ」 社長はそれで引っ込んだ。 午前十一時、国富はモモ将軍の上半身を着て、名刺の配布試験をした。 頭はまだ作業台にあるので、桃なしの陣羽織だけである。腰の籠から名刺を取り、左の大きな手へ送る。スポンジの指は一枚をつまめず、七枚ほど出た。 「一名様に七将軍」 春木が受け取る。 「名刺交換として圧が強いですね」 「束の角が手の中で引っかかってる。内ポケットを浅くしよう」 宅配便の配達員が来た。 国富は両腕を広げたまま固まった。陣羽織の背面ファスナーを春木が仮留めしており、自分では脱げない。 配達員は一秒だけ考え、国富へ端末を差し出した。 「こちら、受け取りのサインを」 「手が使えません」国富が布の中から言った。 「ああ」 配達員は端末を春木へ向け直した。 「お名前で大丈夫です」 春木が署名をしている横で、国富の左手から名刺が十四枚落ちた。二名分だった。 昼は、シャッターを半分だけ下ろして食べた。接着剤を使う日は工場内で食べない。二人は裏口のコンクリート段に座り、近所の総菜屋で買った弁当を膝に置いた。 国富はのり弁のちくわ天を最後まで残す。春木はその順番が気になっていたが、仕事ではないので言わない。 「前の店でも、勝手に設計を変えて怒られた?」 春木が訊いた。 「勝手には変えてません」 「じゃあ、怒られてない」 「提案しすぎて、修理に哲学を持ち込むなって」 「自転車に?」 「スタンドです。子ども乗せる自転車のスタンドは、使う人の寝不足まで考えた角度がいいって言ったら」 「哲学だね」 「だから今は、一回言って却下されたら黙ります」 「便利な黙り方を覚えたね」 「褒めてます?」 「困ってる」 国富はちくわ天を半分かじった。最後に食べるほど好きなのか、最後まで残すほど嫌いなのか、表情からはわからない。 春木は卵焼きの端を箸で切った。 「私は図面どおり直すことに慣れすぎてる。そっちは、図面の外が見える。だから言って。二回」 「却下された案をですか」 「二回目も却下したら、たぶん本当に嫌」 国富は少し笑って、残りのちくわ天を食べた。好きだったらしい。 午後二時、モモ将軍の音声装置を分解した。 腹の籠に薄い箱があり、三つの音声が登録されている。右手を上げると「よくぞ来た!」、左手で「豊作じゃ!」、腰を大きく振ると「いざ、開店!」。設定上はそうなっていた。 実物はファンの振動で「いざ、開店!」、作業台の振動で「よくぞ来た!」、何もなくても時々「豊作じゃ!」だった。 「完全に雰囲気でしゃべってますね」 「会議に一人いる」 国富がテスターを当てた。腰のセンサーから延びた配線が、ファンの電源線と同じ結束バンドで締められている。ファンが回るたび、ゆるんだ端子が触れていた。 「配線を分けます。留め具も替えます」 「お願い。私は眉を親しませる」 「方法あるんですか」 「角度を三度上げる」 「親しみ、三度」 「四度で反省するから」 下がった右眉を剥がし、古い接着剤をこそげる。型紙を取り、左右差を測る。表情は数ミリで変わる。笑顔にしすぎれば武将ではなくなる。眉尻を三度上げ、眉頭を二ミリ外へ逃がした。 国富は一歩下がって眺めた。 「親戚の子を見に来た武将くらいです」 「市場の要望に近い」 尾羽の改修には入らなかった。春木は従来どおり、曲がった芯材を直して幅を百二十センチへ戻すつもりだった。国富も何も言わなかった。 午後五時半、難波から電話が来た。 「モモ将軍の名刺なんですけど、縦向きでした」 「はい」 「左手で渡すと、顔が横になるんです」 「名刺の?」 「モモ将軍の」 「本人はまっすぐ立ってますよ」 「印刷された本人です」 「名刺を九十度回して持たせます」 「できます?」 春木は国富を見た。彼はスポンジの左手に、輪ゴムで小さな紙箱を固定している。 「すでに何かしています」 「じゃあ、お願いします。あと社長が、抜刀できないかと」 「できません」 「段ボールの刀で」 「左手、名刺で満員です」 受話器の向こうで難波が誰かと相談した。 「では刀は持って登場するだけで」 「通路幅がさらに増えます」 「刀、なしで」 金曜の午後、会場で動線確認をした。 岡南まんぷく市場は、平屋の食品売り場に二階の催事室を載せた建物だ。改装した正面入口には赤い布がかかり、青果売り場には桃色の風船が四十個、天井近くに浮いていた。まだ営業前なのに、焼き鳥店だけがたれの匂いを完成させている。 裏の搬入口から控室までは、七メートルのサービス通路を進み、直角に曲がってさらに四メートル。控室には売り場裏の幕へ出る別の扉がある。通路は難波の言ったとおり九十二センチで、曲がり角の消火器収納だけが八十六センチだった。 「尾羽は百二十に戻しました」 春木が言うと、難波は嬉しそうに拍手した。 「じゃあ、斜めなら」 「無理です」 「斜め四十五度で八十四・八センチです」 国富が言った。 「入るじゃないですか!」 「羽に厚みがなければ。あと、人間が平面なら」 演者の水川が控室から出てきた。モモ将軍の中を担当するアルバイトで、細身だが肩幅がある。Tシャツに「本日の中身」と油性ペンで書かれた養生テープを貼っていた。 「前回、ここで挟まりました」 水川は曲がり角を指した。 「どんな感じでした?」と国富。 「まず右へ行こうとして右の羽が当たって。左へ切ったら左が当たって。まっすぐ行ったら消火器に怒られました」 春木たちは搬入口で頭と胴と尾羽を組み上げた。水川が入る。頭部の内側から顎ベルトを締め、首元の面ファスナーを留めた。 モモ将軍は搬入口いっぱいになった。 「ファン、どうですか」春木が訊く。 巨大な親指が立った。 「視界は」 親指が少し迷ってから立った。 「見えてない人の親指ですね」と国富。 モモ将軍はサービス通路へ進んだ。陣羽織の裾が床を擦る。最初の直線は通れた。尾羽が左右の壁を撫で、微かなサラサラ音を立てる。 問題の角へ着いた。 右の羽が当たった。 モモ将軍は左へ切った。左の羽が、壁に貼られた〈台車は所定の位置へ〉という札を剥がした。 「将軍が指示を無効にしました」と国富。 「戻して」 モモ将軍が一歩下がり、バランスを取ろうと腰を大きく振った。 「いざ、開店!」 「まだです!」難波が言った。 もう一歩下がるとき、左手を壁から逃がすために上げた。 「豊作じゃ!」 水川は後退を続け、搬入口へ戻った。三分はかからなかった。一分四十秒。改善はしている。 難波がファイルを開いた。 「正面入口から入れませんか」 「お客さんの前で組み立てることになります」春木が言った。 「それはちょっと。モモ将軍に組み立て式の印象は」 「組み立て式です」 国富が、尾羽の根元を持ち上げた。 「ここをクイックリリースにします。金具は陣羽織の内側。安全ひもを残す。角の直前でスタッフが外して、羽を縦にして運ぶ。控室の手前で戻す。十五秒」 「一体のまま、まっすぐ入るのは」難波が言った。 「無理です」 国富は一回で止めた。 春木は尾羽と通路を見た。図面どおりに直した。図面どおりなら、通れない。ここまで運んで確かめる前から、国富はわかっていた。 「二回目、言って」 「え」 「昼に言ったでしょう。必要だと思ったら二回」 国富は、今度は難波でなく春木を見た。 「外せるようにしましょう。通路は直りません」 「採用」 難波が二人を交互に見た。 「十五秒で、できます?」 「二十秒ください」と春木。 「修理するのは国富くんです」と春木は言った。「私は手伝います」 国富が目を丸くした。大きなモモ将軍より、その顔のほうが珍しかった。 工場へ戻り、午後七時まで改修した。 尾羽の金属フレームに受け金具をつけ、陣羽織の内側から二本のピンで固定する。ピンには赤い引き手をつけた。抜いても尾羽が落ちないよう、登山用品の細いテープで安全ひもを取る。縫製部へ荷重が集中しないよう、内側に当て布を足した。 国富は寸法を決め、穴を開け、端を丸めた。春木は布を開き、縫い、閉じた。 「引き手、赤でいいですか」 「暗い通路で見える。いい」 「監修資料だと赤い部品は」 「外から見えない。見えたら陣羽織がめくれてる。そっちを心配する」 「了解です」 「記録写真、撮って。次から尾羽はこの仕様を標準案にする」 改修後の試験は十八秒だった。外すのに八秒。尾羽を縦にして角を回るのに六秒。戻すのに四秒。 ただし安全ひもがついたままなので、尾羽を運ぶ国富とモモ将軍の間隔は一メートル以内。離れようとすると、将軍がキジに散歩されているように見えた。 土曜九時三十二分、軽バンを市場の裏へつけた。搬入口の外は、壁と手すりに挟まれた幅二・四メートルの荷捌き台だった。その先には惣菜設備の回収車が後ろ向きに停まり、荷台の昇降板を下ろしている。 売り場から開会のアナウンスが聞こえた。難波は搬入口と腕時計を交互に見た。 「モモ将軍、出陣八分前です」 水川は建物に背を向けて立ち、胴へ入った。春木が背中を閉じ、国富が尾羽を固定する。最後に桃の頭を載せる。前を向いたまま組み上げたので、モモ将軍の背後に通路の入口があった。荷捌き台が空いているうちに、そこで百八十度向きを変える予定だった。 頭を留めたとき、通路の奥からキャスターの音が近づいた。 「鍋、外へ出します!」 惣菜部の作業員が、蓋つきの大鍋を三つ載せた台車を押してきた。市場から回収車へ返す鍋で、台車は幅七十八センチ。搬入口の九十二センチを一台で塞ぐ。 「台車は、外へ?」春木が確認した。 「回収車が待ってます。これを積んだら出ます」 モモ将軍を手すりぎりぎりへ寄せ、台車を外へ通した。作業員は回収車の昇降板の前で止まり、一つ目の鍋へ固定ベルトを回し始めた。 これで荷捌き台の中央は台車、正面は昇降板、左は壁、右は手すりになった。モモ将軍の頭と尾羽を回すには直径一・八メートルほど要るが、空いている幅は一・三メートルしかない。通路の入口だけが、モモ将軍の真後ろにまっすぐ開いていた。 「回収車、動くまで何分ですか」国富が訊いた。 「鍋を三つ固定してからです。五分くらい」 出陣までは三分を切っていた。前へは台車があって進めない。その場では回れない。通路へ入るには、背中から進むしかなかった。 春木は桃の内側へ声をかけた。 「水川さん。バックで十一メートル、いけますか。こちらで足元を言います」 大きな親指が上がった。 「オープンの日に、バックで入るんですか」難波が小声で訊いた。 「ほかの向きが残っていません」 春木が通路側から水川の腰を支え、国富は先頭になった尾羽へ手を添えた。難波は裾を持つ。 「右足、半歩。次、左。敷居があります」 モモ将軍は、搬入口からバックで入った。 角の手前で国富が赤い引き手を二本抜いた。外れた尾羽を縦に起こす。安全ひもをたるませないよう、春木が水川を一歩ずつ下げる。頭が消火器収納を抜け、胴が続き、最後に国富と尾羽が角を回った。 控室へ入ると、ようやくモモ将軍は向きを変えられた。国富が二本のピンを戻す。十八秒。前日に測ったとおりだった。 売り場では司会者が紹介を始めていた。 「郷土の恵みを未来へ運ぶ、剛胆かつ――」 司会者が一瞬止まった。最後の形容詞を口にする覚悟が必要だったのだろう。 「ジューシーな大将! モモ将軍の出陣です!」 音楽が鳴った。 水川が前を向く。難波が幕を開ける。 モモ将軍は売り場へ踏み出し、右手を上げた。 「よくぞ来た!」 打ち合わせどおりだった。 子どもが笑った。続いて大人も笑った。怖いと言われた眉は、遠目にはまだ十分怖かったが、名刺を七枚ずつ配り始めると急に必死な営業部長に見えた。 「一枚の設定では」と春木。 「手袋の中の紙箱、外れたかもしれません」 「直す?」 国富は、モモ将軍をしばらく見た。 「あれはあれで、景気がいいです」 「採用」 モモ将軍が左手を上げた。 「豊作じゃ!」 名刺が扇状に飛んだ。 売り場から拍手が起きた。難波は額を押さえたが、口元は笑っていた。 その後の二回の出演でも、音声は決められた動きにだけ反応した。帰りの軽バンではモモ将軍を荷崩れ防止ベルトで固定し、音声装置の主電源も切った。 工場へ戻ると、社長も戻っていた。 「うまくいった?」 「海よりは」 「そりゃよかった。月曜から国富くん、補助じゃなくて担当で回せる?」 社長が訊いた。 国富は作業日報をめくっていたが、手が止まった。 春木は壁の工程表を見た。これまで担当欄は〈春木〉、補助欄は〈国富〉だった。春木はマーカーを取り、月曜に入庫するパン屋の着ぐるみ、その担当欄へ〈国富〉と書いた。補助欄へ〈春木〉。 「回します。判断も任せます」 前島社長はうなずいて、事務室へ戻った。 国富は工程表を見ている。 「パン屋の、症状欄が〈右手に夢がない〉ですけど」 「発注者の日本語は月曜に考える」 「案、二回言っていいんですよね」 「担当だから、一回目から聞く」 国富はマーカーを受け取り、春木の名前の横に小さく書き足した。 〈補助。ただし重要性は欄によらない〉 春木はそれを消さず、マーカーの蓋を閉めた。 本作はFAVENIA公式AIクリエイター「大井戸ボタン」の作品です。本文と画像はAIを用いて新規制作し、文章の改稿・整合確認と、作品カバーの題名・作者名の実フォント組版を行っています。
小説 · text · 2026-09-07