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小説 · text · 2026-09-07

惜しまないでいられるか

しゅう1
惜しまないでいられるかのカバー

第一章 しもべは聞いております 理科準備室の流しは排水が悪く、試験管を十六本まとめて洗うと、最後の四本にかかるころには水が一センチ半ほど溜まる。室生亨はそれを知っていて、それでも十六本まとめて洗った。木曜の放課後で、廊下の向こうでは吹奏楽部が同じ四小節を繰り返し、二回に一回、同じ場所で金管が落ちた。翌週の二年二組で使うヨウ素液は去年の瓶が三分の一ほど残っていたが、栓のまわりが白く粉をふいていて、新しい瓶の発注票を書きかけ、消耗品費の残りを思い出して机の端に伏せた。非常勤の講師が備品を頼むときは、先に学年主任に口で言い、それから紙を書く。順序を逆にすると紙のほうが戻ってくる。それを覚えるのに一年半かかった。週に十四コマで、担任は持たない。四月に刷り直された職員名簿には、亨の欄にだけ内線番号が入っていない。 十六本目をラックに伏せて、蛇口を締めた。 五月十九日午前七時十四分、間辺市桜台三丁目の踏切に立ち、黄色い自転車の子どもを止めよ、という文が、そのとき亨の中にあった。 聞こえたのではなかった。音として通り過ぎたものは一つも無く、耳のほうは吹奏楽部の四小節を拾いつづけていた。準備室には誰もいない。廊下側の窓は閉めてあり、外の音は入らない。天井の放送用のスピーカーは、その週の点検で配線を外したまま吊ってある。文は、たった今できたというより、前からそこにあって今ちょうど参照されたという形をしていた。自分の家の郵便番号を思い出すときの感じに近い。思い出すという動作をした覚えが無いのに、もう手元にある。日本語で、助詞まで全部そろっていた。誰の声でもないというより、声という要素が最初から含まれていない。 手を拭いた。時計は四時二十八分だった。 刷りすぎたプリントの裏に、その文をボールペンで写した。写しながら、自分が語を足していないかを疑って、二度読み直した。字数を数えると四十二字あった。数えることに意味は無かったが、数えられるものが一つでもあるほうがよかった。桜台という地名をどこかで見なかったかも調べた。四月に回ってきた地区の回覧に一度出ていたが、そちらは二丁目の公民館の工事の話で、踏切は出てこない。自分の字は昔から右へ傾く。妹は書道をやっていて、左利きなのに筆だけ右で持った。名前を舞といって、二〇二四年の七月に二十二で死んだ。 その晩、アパートに戻ってから心療内科を調べた。間辺市には四軒あり、三軒は初診の受付についてサイトに何も書いていない。翌朝いちばん、残りの一軒へ電話をすると、いちばん早くて六月十日の午前十時四十分になると言われ、そこで取った。名前と生年月日を言い終えたところで、受付が続けた。 「症状のところ、なんて書いておきましょうか。眠れないとか、気分が落ちるとか、ざっくりで大丈夫ですよ」 はっきりしない、と言った。 「はっきりしない。……はい。当日は保険証だけお持ちください」 幻聴の定義を調べた。音として知覚されること、とある。自分に起きたものは音ではない。だから該当しない、と結論を書きかけて、該当しないから正常だということにはならない、とその下に書き足した。前の晩の睡眠は五時間半で、その日のコーヒーは四杯だった。薬は飲んでいない。酒は先々週から飲んでいない。母の付き添いのついでに一度だけ撮った脳の画像は異常なしと言われ、画像そのものは見ていない。プリントの裏の余白がそれで埋まった。初診料と検査で、三割でも六千円台では済まないだろうと見当をつけた。条件をそろえずに結果だけ見ても何も言えないと、毎年おなじことを生徒に言っている。 土曜と日曜のあいだに、文が変わるかどうかを試した。頭の中で語を入れ替える。二十日にしてみる。青い自転車にしてみる。入れ替えたものは入れ替えたものとして残り、もとの文はもとのまま、少し離れた場所にそのままあった。書き換えられるものなら病気のほうに寄せて考えられたのに、書き換えられない。忘れようともしてみたが、忘れるという作業がどういう手続きなのか分からなかった。一度おぼえた目盛りの読み方を忘れようとするのに似ている。日曜の午後は、部屋の窓を全部開けて、換気扇のフィルターを取り替えた。 行かない理由のほうが多かった。 十九日は月曜で、一限は空いているが、七時十四分に桜台にいるためには六時半すぎには部屋を出ることになり、その分の睡眠が削れる。桜台三丁目はアパートから二・八キロで、勤め先とは逆の方向にあたる。三十三の男が朝の通学路で小学生の自転車をつかむところを、誰かが見て、誰かが撮る。撮られたものが第二中に届けば、非常勤の契約は次の年度で終わる。それらは全部、行かないほうを支持していた。行った場合の利益にあたるものを、亨は一つも書き出せなかった。それでも、行かなかったという事実のほうが手元に残ることになる、と考えて、そこで考えるのをやめた。 日曜の夜に父へ電話した。鵜ノ瀬のスタンドは日曜も開いていて、父は六時に上がる。軽の車検が七月に切れることと、見積もりが十一万を超えたことを話した。 「そうか」 受話器の向こうでテレビの音がしていた。 「タイヤ、あれ、まだ替えてないんだろう」 「替えてないです」 「そっちが先だ」 間が空いた。 「灯油、ポリタンクが二つ、こっちに置いたままになってる。取りに来るなら日曜は昼で終いだから」 取りに行くとも行かないとも決めないまま切った。文の話はしなかった。 十九日の朝は曇っていて、六時の気温は十四度だった。 五時四十分に目が覚めて、二度寝はしなかった。六時三十五分に部屋を出て、六十分二百二十円のコインパーキングに軽を入れ、そこから歩いた。桜台の踏切は単線で、遮断機と警報機がある。道幅は軽の対向がぎりぎりできない程度で、車が来ると自転車は端に寄る。柱の下のほうに保線用の札が付いていて、番号が読める。線路の継ぎ目には油が黒く溜まり、枕木のあいだの砕石は角が丸くなっていた。六時五十一分に着いた。着いてから、何時何分にどこに立てとまでは指定されているのに、どう立てとは指定されていないことに気づいて、遮断機の内側ではなく外側の、道の左端に立った。立って四分ほどで、こういう場所に用も無く立っている大人はどこかを見ていなければならないと分かり、携帯を出して画面を見る形にした。 二十三分立っていた。通勤の車が三十七台通り、そのうち二台が亨の横で速度を落とした。犬を連れた老人が同じ道を二度通り、二度目には目を合わせてこなかった。中学生が四人、ばらばらに来て、そのうちの一人が「先生」と言った。おはよう、と返した。第二中の生徒だとは分かったが、名前は出てこなかった。 七時九分に黄色い自転車が来て、乗っていたのは中学生くらいの女子で、亨は手を出さなかった。通り過ぎてから、子どもの範囲を自分の都合で勝手に決めたことに気づいた。黄色のほうも同じで、その自転車は山吹に近く、では山吹は黄色に入るのかどうかを、踏切の前で二分ほど考えた。指定されているように見えて、実際に受け取ったのは、判断の要る言葉の並びでしかなかった。誰かが自分に何かをさせたいのなら、間違えようのない書き方はいくらでもある。車体番号を書けばいい。学校名と学年を書けばいい。四十二字も使っておいて、いちばん要るところが空いている。 七時十三分に、子どもが来た。 小学生で、三年か四年に見えた。ランドセルに青いカバーがかかっている。自転車は黄色で、後ろの泥よけに白い線が二本入っていた。警報機は鳴っていない。遮断機は上がっている。線路は右にも左にも見通せて、電車の影は無かった。亨は一歩前に出て、ハンドルの左のグリップを握った。 「止まって」 子どもは止まった。足を地面につけて、亨の顔を見た。 「なに」 「危ないから」 何が危ないのかは言えなかった。子どもは線路のほうを見て、それからまた亨を見た。 「電車、来てないけど」 「そうだね」 「じゃあなんで。おじさん、誰」 子どもはハンドルを二度、軽く前へ押した。押し返す力がグリップから手のひらに伝わってきて、それでも離さなかった。腕の力ではなく、体重を後ろに置いて支える形になっていた。 「学校、遅れる。八時十五分までに入んないと、名前書かれるんだけど」 「うん」 「うんって。離してよ」 「もう少し」 「もう少しって、どんくらい」 「二分」 子どもは、二分、と繰り返して、いち、に、と声に出して数えはじめ、十七まで数えてやめた。サドルの上で座り直し、亨の靴のあたりを見た。ベルを一度だけ鳴らした。七時十四分になり、それから十五分になった。何も起こらなかった。電車も車も来ず、警報機も鳴らず、風で桜の葉が動いて、道の反対側で自動販売機の中身が落ちる音がした。 手を離した。子どもはハンドルを切って横をすり抜け、線路を渡っていった。渡りきったところで一度だけ振り返った。 「変な人」 そう言って、左へ曲がって見えなくなった。警報機が鳴りはじめたのは七時十六分で、二両編成が右から来て、通り過ぎた。 右の手のひらに、グリップの網目が赤く残っていた。開いたり閉じたりしているうちに消えた。四十秒か、その程度だった。 八時十二分に学校へ着いた。 二限が二年二組だった。だ液とデンプンの実験で、試験管を四本使う。二本にはだ液を入れ、二本には同じ量の水を入れる。そのうえで、それぞれ片方を四十度の湯に浸ける。班の一つで、水のほうを受け持った生徒が手を挙げた。 「先生、うちの、だ液入れないんですけど」 「入れない」 「じゃあ意味なくないですか」 「なんで」 「だって、なんもしてないのと一緒じゃないですか。四本あるのに二本ぜんぶ水って」 同じ班の生徒が、無駄じゃないし、と言い、どう無駄でないのかは言わずにヨウ素液の瓶を引き寄せた。だ液を入れない試験管があるから、入れたほうに意味が出る、と説明した。変えるのは一つだけで、あとは全部そろえる。そうしないと、変わったものが何のせいで変わったのか、誰にも言えなくなる。 「じゃあ、水のほうも青くならなかったら?」 「どこかで間違えてる」 生徒は、ふうん、と言ってヨウ素液を落とした。落とす量が多すぎたが、そのままにさせた。青紫が濃く出すぎて何も読めなくなるところを、一度見せておいたほうが早い。 言いながら、自分には対照が無いと思った。十九日の七時十四分に桜台の踏切へ行かなかった室生亨は、どこにも存在しない。行った側の結果だけが手元にあって、行かなかった側の結果は永久に手に入らない。実験として成立していないのだから、記録に残す意味も無い。それでも昼休みに、プリントの裏をもう一度出して、七時十三分から十六分までのことを、覚えている順に書き足した。自転車の泥よけの線が二本だったか三本だったかで少し迷い、二本と書いてから、迷ったことのほうを括弧に入れて残した。一週間もたてば、二本だったと信じるようになる。 放課後、学年主任にヨウ素液の話をした。 「ヨウ素液な。あれ去年も年度末に言われたんだよ。三月に出されると困るって、事務から何回も」 「はい」 主任は引き出しから紙を出し、二枚めくって、めくった分をそのまま戻した。 「栓が固まってるだけなら湯で温めれば回るよ。……回らないか。粉ふいてるって言ったもんな。じゃあ来月な。二年生の分だけ」 「はい」 「あと、俺、金曜は四時半に出るから。母親が先週から入っててさ。面会が五時までなんだよ。四人部屋で、隣がずっとテレビつけてて、音は消してるのに字幕は出るんだ。うちの母親、それをずっと読んでる。俺が行っても読んでる」 主任は湯呑みを流しに置き、蛇口をひねって、すぐ締めた。ヨウ素液をどうすればいいのか、はっきりしないまま話が終わった。発注票は出さずに帰った。 廊下で、二年の女子が四人、携帯を一つ囲んでいた。 「これ絶対嘘じゃん。撮ってる時点で分かってるってことでしょ」 聞こえる人、という言葉が一度だけ耳に入った。職員玄関のほうへ曲がった。 二十二日の木曜、隣の席の講師が、湯を注いでいる亨の背中に話しかけた。 「桜台の踏切、昨日の夜、人身事故だったらしいですよ」 注ぎ終えてから聞き返した。 「何時ごろですか」 「七時半とか、そのへんじゃないですかね。うちの奥さんがちょうど乗ってて、途中で降ろされて、駅からバスが二十分待ちで、帰ってきたのが九時過ぎで、それで晩飯が」 講師は割り箸を割り、斜めに裂けたほうを見てから持ち替えた。 「一時間四十分止まったって。あそこ、前もありませんでした?」 「知りません」 亡くなったのは七十代の男性だった。地元紙の記事は四行で、線路内に立ち入った、としか書いていない。名前は出ている。年齢も出ている。住所は町名までしか出ていない。それ以上のことは何も書かれていなかった。 黄色い自転車の子どもとは関係が無い。時刻が違う。曜日も違う。丸二日空いている。それでも昼休みに理科準備室で四行を読み、帰りの車の中で信号待ちのたびに読み、寝る前にもう一度読んだ。十九日に子どもを止めたことに何かの意味があったとして、二十一日の夜に起きたことは、止められなかった別の何かなのか、止める対象ではなかった何かなのか、それとも二つのあいだには初めから線が一本も無いのか。どれも同じくらいありそうで、どれかを選ぶ根拠がどこにも無かった。あの踏切を一日に何百という人が渡り、そのうちの誰かが何年に一度死ぬのかは、亨が計算しなくても、どこかの誰かがとっくに計算している。数のほうから見れば、二十一日の夜には何も特別なことは起きていない。同じ数のほうから見れば、十九日の朝にも何も起きていない。四十二字は、起きなかったことについては何も言っていない。起きなかったことを数える方法を、亨は知らなかったし、知っている人間の名前も思いつかなかった。 実験ノートの新しいページを開いて、定規で縦に三本、線を引いた。左から順に、日付、行為、結果と見出しをつけた。一行目に、五月十九日七時十四分、黄色い自転車の子どもを止めた、と書き、結果の欄は空けておいた。二行目に、五月二十一日十九時三十分ごろ、桜台三丁目の踏切、七十代の男性、と書いて、行為の欄を空けた。二点あれば直線は引ける。二点しかないとき、その直線が正しいかどうかを確かめる方法は無い。三本目の線の下には、まだ何も無い。 六月十日の予約は取り消さなかった。 第二章 適合者 電話は三度に分けてかかった。最初は五月二十五日の夜十時過ぎで、時間外の音声が流れて切れた。翌朝八時十分にかけ直すと呼び出し音が二十回鳴っただけで、九時二分にもう一度かけて、ようやく人が出た。相手は名乗らないまま、こちらの用件を最後まで聞いた。 「少しお待ちください」 保留の音楽は流れなかった。受話器の向こうで椅子の脚が床をこする音と、遠くの咳とが続いていた。 「二十七日の火曜でしたら、午後二時にお時間が取れます」 「伺います」 「お名前を」 名前を聞かれたのは、通話のいちばん最後だった。 火曜は二年の授業が二コマあって、水溶液の単元の三時間目に当たっていた。教務の女性に振り替えを頼むと、時間割の紙を二枚めくってから、いいですよ、と言われた。非常勤の給与は日額で出る。休んだ日の分は入らない。前の晩に理科室へ寄り、ビーカーを二十四個並べ、BTB溶液の瓶を薬品庫の手前に出しておいた。誰が代わりに入るのかは聞かなかった。六月十日の午前十時に心療内科の初診を取ってあって、そちらは取り消していない。順番が逆ではないかとは思った。予約票と面談の予定は、同じ手帳の同じ見開きに書いた。 車は十二万八千キロ走った軽で、エアコンを入れると坂で速度が落ちる。市を出る前にレギュラーを二十リットル入れた。一リットル百九十四円だった。父の勤めるスタンドは鵜ノ瀬の県道沿いにあり、そちらを通れば十分ほど早く着くが、川を渡ってから山へ入る道のほうを選んだ。山道は片側一車線で、切り通しの壁に地層の縞が斜めに走り、下から数えると色の変わり目が七つあった。路肩の温度計は十九度だった。看板は思っていたより小さく、鵜ノ瀬地下研究センターという十一文字が、褪せた青の下地に白く抜かれていた。 駐車場には車が九台停まっていて、うち二台は白い公用車だった。建物は二階建てで、右側にプレハブの増築がつながっている。玄関に来客用のスリッパが六足あり、五足はえんじ色で、一足だけ青かった。 「青いのは所長のなので、履かないでください」 受付の女性は来訪者カードに到着時刻を書き入れながら言った。ボールペンのインクが出ず、二本目を出してくるあいだ、カウンターの端の段ボールに剥がしかけの養生テープが貼られているのを見ていた。渡された名札はホルダーの角が割れていて、番号の欄が空のままだった。 名札の発注が先月から通らないのだと女性は言った。 「用件の欄は、何と書けば」 「面談で結構です」 氏名の欄に室生亨と書いた。坑道の入口は別棟にあるらしく、玄関からは見えなかった。 通されたのは一階の突き当たりの部屋で、長机が二つと、折りたたみのパイプ椅子が六脚あった。蛍光灯は二本のうち一本が切れかけていて、五秒か六秒に一度、部屋全体の明るさが落ちて戻る。ホワイトボードに前の会議の消し残りがあり、数式の右端に六月三日までと赤で書かれていた。壁の掲示は一枚きり。一般公開日の案内の日付は二年前のものだった。自販機の缶コーヒーは百六十円。飲む気にならず、両手を膝の上で組んで待った。 柏原冬子と梶谷亮が入ってきて、名刺を出した。所長のほうは白衣を着ておらず、灰色のカーディガンの袖口に小さな焦げ跡があった。梶谷は肩から下げた布の鞄を椅子の背に掛け、A4の複写式の用紙を三枚、机の上に滑らせた。 「記入をお願いします。五項目だけです」 受け取った日時、そのときいた場所、文の全文、従ったかどうか、従ったあとに自分が観測したこと。日時の欄には推定で構いませんと但し書きがあった。ボールペンを借りて、五月十九日午前七時十四分、間辺市桜台三丁目の踏切に立ち、黄色い自転車の子どもを止めよ、と書き写した。複写式の紙は下敷きが要るほど薄い。力を入れると二枚目に文字の縁が滲む。板書のときと同じで、字は後半になるほど右へ流れた。踏切、という字の門構えのところで一度ペンを浮かせた。書きながら、これを覚え違えていないという確信がどこから来るのかを考えていた。思い出しているのではない。単語を順に辿らなくても、末尾まで一度に在る。順序が無い。紙に写しても頭のほうは一字も減らないし、書いた紙を裏返しても、位置が変わったという感じもしない。声で聞いたのなら、聞き違いという可能性が残る。その可能性が最初から無いことのほうが、内容よりも扱いにくかった。 梶谷は亨の字をペン先で追った。 「四十二文字ですね。平均は二十七文字です」 「数えてあります」 「二度?」 プリントの裏で一度、その晩に家でもう一度数えた。 「長さに、意味があるんですか」 「統計は取っています。何とも結びついていません」 五つ目の欄で手が止まった。五月二十一日の夜七時半ごろ、同じ踏切で人身事故があって電車が一時間半止まったと、翌日に隣の席の講師から聞いた。七十代の男性だったという記事は四行しかなかった。止めた子どもは怪訝な顔をして自転車を押していった。そのふたつを一つの欄に並べて書くと嘘になる気がして、事故のことだけを書き、関係は不明と付け足した。 「その欄は、ほとんどの方が空欄です」 梶谷は複写の二枚目をめくり、下の紙に文字が写っているかを指の腹で確かめた。 「防いだんでしょうか」 「分かりません」 「差は出ているんですか」 「出ています」 従った群では、そのあとに何かが起きる確率が対照群より有意に高い。危険側の水準は千分の一に取ってある。ただし何が防がれたのかは当人に知らされないし、こちらにも特定できない。梶谷はそこまでを一定の速度で言い、途中で息継ぎの位置を変えなかった。柏原が机の端を指で二回押さえた。 「お伝えできません」 「調べても、ですか」 何が起きたのか、何が起きなかったのかは、こちらから言えない決まりになっている。 「多くの方は、一生知らないままです」 二十一日の夜の事故と、止めた子どもと、そのあいだに線を引く材料が一つでも残っていないのかと聞いた。梶谷は複写の三枚目を封筒に入れる手を止めなかった。 「ありません」 踏切の記録も、時刻表も、目撃も、全部こちらで当たっている。当たった結果として残るのは、あなたが立っていたという事実と、事故があったという事実の二つだと梶谷は言った。そのあいだには何も無い。 「これは、慣れる種類の話ではありません」 柏原の説明は事務的で、途中で一度も相槌を求めなかった。最初の報告は一九九六年、地下素粒子観測施設の坑道を掘っている最中に、作業員の一人が言い出した。発生源とされる位置は坑道最深部の地下千二百四十メートル。掘っても岩しか出てこない。そこを中心に半径四・二キロメートルの内側に一定時間いた人間のうち、およそ〇・〇三パーセントに文が生じる。確認された適合者は累計で四百十二人、この五月の時点で存命は八十九人になる。職員は三十四名で、年間の予算は十一億八千万円ある。 三十年のあいだに検出された物理的な信号は、電磁波も音波も振動も磁場もニュートリノも重力波も、対照との有意差がない。柏原はそこで一度言葉を切った。 「つまり」 「ゼロです」 掛かった金と出なかった結果を並べているのに、詫びる調子も居直る調子もなかった。 「装置が足りない、ということは」 柏原は答える前に、机の上の封筒の向きを直した。検出器は三十年で四回入れ替えている。感度は千倍以上になった。較正は年に二回、別の機関に来てもらってやらせている。目が良くなったぶんだけ、何も無いことがはっきりしていった。装置が悪いという説明は、替えるたびに一つずつ潰れてきた。残っているのは、物理的な何かは起きていないという説明と、こちらの測り方の外で起きているという説明の二つで、後者は検証のしようがないので学問としては扱えない。扱えないものを三十年扱ってきたと批判されている。反論する材料は無い。 届け出のことを聞いた。文を受けたら二十四時間以内に知らせるという協定がある。 「義務ではありません」 「過ぎています」 「構いません」 受け取ったのは五月十五日の午後四時二十八分で、二十四時間はとうに過ぎている。梶谷は遅延の欄に十一日と書き、それだけだった。遅れた理由は聞かれなかった。 従うべきかどうかを、ここで教えてもらえるのかと聞いた。 「我々は記録するだけです。指示はしません」 柏原は机の上で指を組んだ。 「建前ですけどね」 梶谷が低く言い、柏原は聞こえなかったように用紙の端を揃えた。 「従わなかったら」 「何も起きません」 答えたのは梶谷のほうだった。ただしそのあと二度と文は来ない。四百十二例のうち、途中でやめた人が百八十七人いて、そのうち再開した例は一人もいない。 「例外は」 「一件もありません」 数字を言うあいだ、梶谷は用紙から目を上げなかった。 「なぜ自分だったんでしょうか」 すぐには返事がなかった。切れかけの蛍光灯が二度落ちて、戻った。 「分かりません」 柏原はそう言ってから、三十年でそこだけが一ミリも動いていません、と続けた。適合者に共通する条件を一つも見つけられていない。年齢も職業も既往歴も居住年数も、坑道への立ち入り時間も、血液の検査値も、家族構成も、何一つ揃わない。前提を三十通り立てて、三十通り潰した。近くに住んでいる人ほど受け取りやすいという傾向すら出ていない、と梶谷が横から補った。内側にいたかどうかで切れるだけで、内側では距離とも滞在時間とも相関しない。四・二キロという線も後から確率で引いたもので、そこに壁があるわけではない。 「あなたがたが読めるものを、こちらは三十年かけて一文字も読めていません」 「観測できないものは無いのと同じだと、生徒には教えています」 理科の授業でそう教える。再現できないもの、他人が同じ手順で確かめられないものは、科学の外に置く。そう言ったとき、自分の声が思ったより平らだった。柏原は用紙を封筒に入れた。 「私もそう教わりました」 それ以上は言わなかった。面談は五十分で終わった。 玄関を出たところで柏原が一本吸うと言った。喫煙所は建物の東側で、玄関から回り込んで五十歩ほど歩く。屋根だけが架けてあり、風はそのまま抜ける。スタンド型の灰皿が一つあるきりで、椅子は無い。 屋内で吸える場所は十年前に無くなったのだと、聞いてもいないのに説明した。火を点けるのに二度失敗した。三度目で点いた。来週の頭に本省でヒアリングがあって、去年より四十分短くされたのだと言った。 「四十分で」 「三十年を説明する方法は、まだ考えていません」 灰を落とす手つきは、指先だけを小さく動かすやり方だった。届け出に来る人は半分もいません、と柏原は言った。来ないことを責める気はない。名前と住所が出回った人が去年も三人いて、そのうち一人は職場を替えた。晒される確率を入れれば、来ないほうが合理的な場面が多い。記録が残らないと困るのはこちらの都合であって、あなたの都合ではない。 自分から言わないほうがいいということかと聞いた。柏原は風上へ半歩ずれた。 「判断はご自分でしてください」 こちらから言えるのは、書き込みは消せないという一点だけです、と付け足して、あとは煙のほうを見ていた。灰は風に持っていかれて、灰皿の縁に落ちなかった。 「所長は、これを何だと思っているんですか」 煙を吐くまでに一拍あった。 「答えられたら、この建物はもっと大きいです」 それきり、灰皿の縁で吸い殻をひねり潰し、携帯灰皿に入れて建物へ戻っていった。 梶谷が駐車場まで一緒に歩いた。鞄の口が開いていて、黒い装丁の本の背が見えた。 「聖書ですか」 「そうです。勧めませんよ」 さっきの、読める読めないという話ですが、と言いかけると、梶谷は足を止めて、少し考えてから話し出した。王が大勢で酒を飲んでいる最中に、壁に人の指が現れて字を書く場面があるという。字は残っているのに、その場の誰にも読めない。王は国じゅうの学者を集め、褒美も出すと言ったが、読めなかった。最後によそから男を一人連れてきて、その男だけが読んだ。読めた中身は、数えられ、量られ、分けられた、という意味だった。王はその晩のうちに死んだ。 「良い知らせではありません。読めたからといって、助かる話でもない」 字が壁に出ていたのなら、写しは取れたはずだと言った。 「取れたでしょうね」 写しを何枚取っても、読める人間が一人来るまでは一文字も進まない。 「そこが厄介なところです」 梶谷は鞄の口を閉めた。 「解釈はしないんですか」 「仕事は解析なので」 聞かれたから話しました、と付け加えた。それから、今月の面会が出張と重なって三時間しか会えない、と関係のないことを言った。子どもとは月に一度会うことになっているらしかった。 車のドアに手をかけたところで、控えの紙を渡された。右上の欄に、412と青いインクで書き入れてある。 「登録順の通し番号です」 「名乗るときに使うんですか」 「使う人はほとんどいません」 あなたで四百十二人目になります、と梶谷は言った。常盤さんという方は番号のほうで呼ばれています、とだけ続けて、理由は言わなかった。 紙を二つに折って財布のカードの後ろに入れ、代講の礼を送ろうと携帯を出したが、電波は一本も立っていなかった。電波が戻ったのは川を渡ったあとで、送信を押してから、明日の一時間目に使うBTB溶液をまだ薄めていないことを思い出した。 第三章 名前が一つ 二つ目は、理科準備室で試験管を洗っているときに在った。来た、という言い方は正しくない。水道の栓を締め、水切りかごの向きを直し、それから、前からそこに置いてあったものを思い出したように、文が在った。六月二日午後四時四十分から十分間、間辺市栄町二丁目のクリーニング店の前に立て。 数えると三十四文字あった。センターで渡された用紙は複写式で、右上に自分の番号が印字してあり、受け取った時刻と、そのとき何をしていたかと、文の全文を書く欄が縦に並んでいる。指定された側の時刻は分単位で分かるのに、自分がそれを認めた時刻の方は分からない。腕時計を見たのは認めてからしばらく経ってからで、そのしばらくが五秒なのか三分なのかを確かめる手段がなかった。四時十二分と書き、横に括弧をして概算と書き足した。全文の欄は行が足りず、最後の三文字が枠から出た。試験管は十二本のうち四本を洗い終えたところで、残りの八本は水を張ったバットに沈めたままにして、鍵をかけて出た。 駐車場から梶谷に電話をすると、三度目の呼び出しで出た。 「室生です。二つ目が来ました」 「そのまま読み上げてもらえますか」 読んだ。梶谷は途中で止めず、最後まで聞いてから、もう一度お願いします、と言った。二度目を読んでいるあいだ、向こうでキーボードを打つ音がしていた。 「書き取ってから読みましたか。それとも、頭にあるまま読みましたか」 「書いてから読みました」 「では、書く前と、いま読み上げた文言に食い違いがないか、あとで確かめておいてください。食い違った例が二十いくつかあります」 「従った方がいいんでしょうか」 「それは申し上げません」 「記録するだけ、ですか」 「記録するだけです」 栄町二丁目のクリーニング店は、やまぎしという名で、間口が三間ほどあり、受付の横に丸椅子が二つ置いてあった。四時三十一分に着いた。九分早い。中に入るなという指定ではないので入ってもよかったが、立てと書いてある以上は立っていることにして、シャッターの脇の、日の当たらない側に寄った。ガラス戸に貼った札には、朝八時から夜七時まで、水曜定休とあった。自販機が一台あり、缶コーヒーが百三十円だった。奥のプレス機が蒸気を吐くたびに、糊と、熱で焼けた綿の匂いが歩道まで出てきた。四時四十分ちょうどに携帯のタイマーを十分でかけた。何かが起きるのを待っているつもりはなかった。ただ、待つ時間というのは、何もしないでいると長さの見当がつかなくなる。三分ほどで足の裏が痛くなり、体重を左右に移し替えた。一度シャッターの波板に背をもたせかけて、立てと書いてあったことを思い出し、体を起こした。もたれているのは立っているうちに入るのかどうかを、二十秒ほど考えた。入らないと決めた根拠は何も無い。ランドセルを背負った子どもが三人、車道側を走っていった。誰も自分を見ていなかった。見られていたとしても、店の前で人を待っている男に見えたはずだった。 十分のうちの七分目に、女がひとり、隣の整骨院から出てきた。 四十代くらいで、事務服の上にカーディガンを羽織っていた。自転車の前かごにかばんを置き、中から定期入れを出そうとして、いっしょに鍵束を引き出した。鍵が二本と、青いプラスチックの札のついたものが、歩道のタイルに落ちた。音は思ったより小さかった。女は気づかないままサドルにまたがり、ペダルを二度踏んで、角を曲がっていった。声は出したが、届く距離ではなかった。拾いに行くと、札に手書きで数字が書いてあり、擦れて三桁のうち一桁が読めない。走れば追いつけたかもしれない。ただ、タイマーはまだ四分残っていて、文には十分立てと書いてあった。鍵を握ったまま元の位置に戻り、残りの四分をそこで立った。 タイマーが鳴ってから、交番まで歩いた。七百メートルほどある。 当番の警察官は若く、書類を書くあいだじゅう、朱肉の判が乾かないことを気にしていた。拾得物件の用紙には、拾った日時と場所と、拾ったときの状況を書く欄がある。栄町二丁目のクリーニング屋の前です、と言うと、歩道上、と書かれた。落とした人の特徴を聞かれたので、四十代くらいの女の人で、事務服の上にカーディガンを着ていて、自転車でした、と答えた。自転車の色を聞かれて、答えられなかった。不明、と書かれた。権利は放棄されますか、と聞かれた。三か月経って持ち主が現れなかった場合に自分のものにする権利と、持ち主から報労金を受け取る権利のことだと説明された。両方いりませんと答えると、それでも住所と氏名と電話番号は要りますと言われ、書いた。勤務先を書く欄もあったので、間辺市立第二中学校、と書いた。そのときは何も詰まらなかった。青い札の数字が読めれば持ち主に行き着くかと聞くと、届け出が出ていればすぐです、出ていなければ三か月です、と言われた。書いているあいだに電話が鳴り、警察官はそちらを取り、待たされた。 家に帰り、冷凍のうどんを茹でて食べた。何も起きなかった。何かが起きなかったことを、起きなかったと確かめる方法はない。 翌朝、目が覚めたのは六時二十分で、目覚ましより四分早かった。食パンを焼きながら、その日の時間割を頭のなかに並べた。一限が一年二組の理科、二限が空き、三限と四限が二年三組、午後は実験の片づけをして、来週の小テストを印刷する。順番はすべて出た。教室の場所も、薬品庫の暗証番号も、二年三組の名簿を頭から言えば三十一人ぶん出た。出てこないのは、その建物の名前だけだった。 探し方が悪いだけだと考えた。 道順を辿れば出るかと思って、アパートの駐車場から順に思い浮かべた。県道を北へ、二つ目の信号を右、コンビニの手前を左、坂を上がりきったところに桜の古い木のある門がある。門から昇降口までは六十歩ぐらいある。昇降口の右手のガラス戸を開けると職員室で、いちばん奥の窓際が自分の席で、机の上に理科の教科書と、返し忘れた小テストの束が置いてある。全部見えた。建物の輪郭も、廊下の匂いも、二階の女子トイレの前だけ床がへこんでいることも出てくるのに、その全体を指す言葉のところだけが空いていた。無いのではなく、空いている。皿に何も載せていない電子天秤が、いつまでも〇・〇〇と表示し続けているのに近かった。 出がけに携帯の受信箱を開いて、自分が出したメールを一つ探した。署名に勤務先が入れてある。その七文字は画面の上にちゃんとあり、自分の指で打ったものだと分かるのに、読んでも何も動かなかった。読み上げても同じだった。声に出したものが耳から戻ってきて、そこで止まる。 七時五十分に門の前で車を停め、表札を見た。御影石に彫った字は読めた。一字ずつ声に出して読んでみて、それから続けて読んでみた。読めるのに、それが自分の行く場所だということに繋がらない。他人の家の門にかかっている表札を読んだときと同じで、字は分かるが、その先が無い。桜の幹には去年の台風で裂けた跡があって、樹脂の詰め物が灰色に変わっている。それは自分の職場の桜だと分かる。携帯を出して表札の写真を撮った。撮ってから、なぜ撮ったのかを少し考えた。 職員室の電話は、いちばん近い者が取ることになっている。 一限が空いている日で、たまたま自分がいちばん近かった。受話器を上げ、はい、間辺市立──、と言って止まった。相手は理科の消耗品を入れている業者で、アルコールランプの芯の納品が一日ずれるという用件だった。名乗り直さないまま用件だけ聞き、承知しましたと言って切った。切ってから、机の上の出勤簿の表紙を見た。表紙には学校名が印刷してある。声に出して読み、もう一度受話器を上げて、置いた。非常勤の勤務時間報告書にも、月の初めに学校名を書く欄がある。携帯の写真を開き、拡大して、一字ずつ写した。写しているあいだ、隣の席の英語の講師が、母親の入院先の駐車場が三十分二百円で、面会は一時間しか許可されていないのに毎日千円近く払っている、という話をしていた。相槌を打ったが、同じところで二度打った。 二限のあとの一年の授業は密度で、電子天秤を〇・〇一グラムまで読ませた。 生徒のひとりが、先生これ何グラムですか、と手を挙げて聞いてきたので、自分で読みなさい、と言った。読めるものは自分で読ませることにしている。目盛りの最後の一桁は目分量で読む、そこまでが測定だ、と一年生には毎年同じ言い方で教える。読めても分からないことがある、というのは、まだ教える段階ではなかった。板書に学校名を書く用は一度も無かった。四十五分のあいだ、その言葉は要らなかった。 放課後、県道を北へ三十八分走って鵜ノ瀬に入った。センターの駐車場は職員用と来訪者用の区別が消えかけていて、白線をまたいで軽自動車が二台停まっていた。梶谷の部屋は二階の突き当たりで、机にモニタが二台、その手前に紙のファイルが積んである。上から三冊目と四冊目のあいだに、輪ゴムで留めた古い本が挟まっていたが、何も聞かなかった。 「名前が一つ、無くなりました」 「どの名前ですか」 「勤めている中学校の名前です」 「字は読めますか」 「読めます。読めますが、自分の職場だと結びつきません」 梶谷は椅子を回してモニタに向かい、表を開いた。行が四百十二あり、色の付いた行と付いていない行が混じっている。喪失は文を受け取っただけでは起きず、従ったときにだけ起きる、と説明された。一つ従えば一つ。二つ従えば二つ。人名でも地名でも、商品名でも、本や映画の題でもよく、そこに区別はない。 「順番に法則はありますか」 無い、と言われた。使う頻度、覚えた年齢、音の長さ、本人との近さ、直近にいつ使ったか、思いつく限りの変数と突き合わせてあるが、いちばん高い相関係数で〇・〇七だという。表を下までスクロールして見せられた。数字が並んでいるだけで、そこには何も書いていない。三十年やって、順序について言えることは、順序が無いということだけだと梶谷は言った。そう言うときも、声の調子は変わらなかった。 「どれが消えるか、選べた人はいますか」 「いません。選べたと言った人は四人います。四人とも、あとの記録と合いませんでした」 「よりによって、と思われますか」 「思います」 「みなさんそう言われます。そう言われたということ自体は、こちらの記録に載ります」 周りが気づくかどうかを聞いた。ほとんど気づかれません、と言われた。日常の会話で固有名詞を言わずに済ませる方法はいくらでもあり、そちら、あの人、うちの学校、で通ってしまう。困るのは書類だという。銀行、役所、病院の問診票、保険の更新。名前を書かせる欄が、この国には想像より多い。 戻る例があるかを聞いた。四百十二人ぶんの記録に、戻った例は一つも無い。止める方法があるかを聞いた。ある、と言われた。従わなければ喪失は起きない。ただし、一度従わなかった人には二度と文が来ない。離脱した人が百八十七人いて、そのうち再開した人は零人だと言われた。例外は無い、という言い方をした。 「零というのは、まだ見つかっていない、という意味ですか」 「三十年ぶんの記録で零です。それ以上でも以下でもありません」 失うのは名前だけです、と梶谷は言った。その人がいたことも、何をした人かも残る。妹さんが書道をやっていた、左利きだった、そういうことは残ります、と言いかけて途中で切り、失礼しました、と言った。登録のときの用紙を読んだのだと分かった。梶谷は表を閉じ、開いていない方のモニタの電源を落とした。 長く続けた人はどうなるかを聞いた。自分の名前を失います、と言われた。それ以上は聞かなかった。 梶谷は壁の時計を見て、五時半で失礼します、今日は子どもと会う日なので、と言った。月に一度で、場所と時間が決まっていて、遅れると次が面倒になるらしい。上着を椅子の背から取りながら、用紙は次のときでいいです、と言い、それから、いま無くなった名前は、あとで人に聞いて教わっても戻りません、教わったという記憶が増えるだけです、と付け足した。それが慰めのつもりだったのかどうかは分からなかった。 帰りに建物の裏の喫煙所を通ると、柏原が灰皿の前に立って、火をつけていない煙草を指に挟んでいた。用紙は出しましたかと聞かれた。出しましたと答えると、鍵のことは書きましたか、と聞かれた。書いていません、指定は立つことだけでしたので、と答えた。柏原は煙草をくわえて火をつけ、一度吸ってから、関係があるかどうかをそちらで決めないでください、全部書いてください、と言った。うちは三十四人で、記録を取ることしかできない機関ですから、とも言った。灰皿の水は雨のあとのまま濁っていて、吸い殻が二本浮いていた。 間辺市に入ったあたりの信号で止まったとき、名前を順に言ってみた。父の名前は出た。室生孝造、と声に出した。母の名前も出た。妹の名前も出た。舞、と言った。三文字とも詰まらなかった。そのあとで勤め先の名前を言おうとして、また空いているところに行き当たった。 うしろの軽トラックが短く鳴らした。青になっていた。 ハザードを出して路肩に寄せ、上着の内側から、交番でもらった預り書の控えを出した。裏は白かった。携帯の写真を見ながら、間辺市立第二中学校、と書いた。書いた字は自分の字だった。四つに折って定期入れに入れ、入れてから、折り目をもう一度指の腹で押した。 第四章 07 長く続けている人に会いたい、と亨が言ったのは、校門の表札の字は読めるのにそれが自分の勤め先だと結びつかなくなってから四日後の午後だった。梶谷は電話してみますとだけ答え、その日はそれで終わった。返事は六日たってから来た。センターの二階の資料室に通されると、机の上に、綴じ紐をほどいたファイルと記録票が一枚だけ出してあった。 「三十分だけ、と息子さんから条件が付いています。それ以上は延ばさないでください」 梶谷は椅子を引かずに立ったまま、票の左上を指で押さえた。登録は千九百九十七年、適合歴は三十四年、年齢は七十六。受け取った文が二百十一で、従った回数が二百三。亨がその二つの数の差をそのまま声に出すと、梶谷はページを一枚めくって、拒否と未達は別の欄に数えているのだと言った。罫線は青で、数字は年ごとにペンの色が違い、九十年代の途中で筆跡が変わっていた。書き込む職員が何度か替わったのだろうと分かる程度には、変わり方が正直だった。 「断ったら終わりです。そこだけは例外がありません。常盤さんの八回は、間に合わなかった、着いたら終わっていた、そういう八回です」 「従っていないことに変わりはないと思いますが」 「記録の上では変わります。実際に何が違うのかは、こちらでは説明できません」 票には欄が十七あり、そのうち十二までが二百十一という数の内訳のための欄だった。受領件数、実行件数、未達件数、最終受領日、直近三年の平均間隔。適合者は文を受けたら二十四時間以内に届け出るという協定があるが、法的な義務ではないと、亨は最初に来た日にこの建物で説明されている。守らなくてもいいものを三十四年守り続けた人間の記録が、守らせる側の制度の記録よりも整っているという事実が、票の上では何の説明もなしにただそこにあった。年に二回、確認票というものが郵送されるのだと梶谷は言った。半年のあいだに受け取った文の数を書き、従ったかどうかに丸をつけ、返信用の封筒で送り返す。返さない人もいます、と言った。返さない人の欄は空けたままにしておくだけで、催促の電話をかける決まりはない。 「今までに、07さんに会いたいと言った人は」 「あなたで四人目です。前の三人のうち二人は、会ったあとに離脱しました」 「それは、会ったからですか」 「分かりません。うちは因果を出せないので」 梶谷は同行しないと言った。職員が一緒に行けば訪問記録になり、記録になったものは年度末に数えられ、数えられたものはいつか誰かに解釈される。だから個人として行ってくださいと、缶コーヒーの蓋を開けながら、備品の発注を頼むのと同じ調子で言った。存命の適合者は八十九人で、そのうちで一番長いのが常盤さんです、とも言った。それから腕時計を見て、日曜に子どもと会う約束があるから土曜のうちに車を出しておきたい、と誰にともなく言い、ファイルの綴じ紐を結び直した。 間辺市から鵜ノ瀬へは、川が削った底を通る県道が一本あるきりで、四十分ほどかかる。トンネルを二つ抜けた先の右側に父の勤めるスタンドがあり、亨は左に寄せてレギュラーを満タンにした。父は給油ノズルを差したまま、窓を拭くかと聞いた。頼むと答えると、バケツの水を固く絞って、フロントガラスの右下に乾いてこびりついた泥だけを時間をかけて落とした。休みか、と聞かれたので、午前で授業は終わりだと答えた。行き先は言わなかったし、聞かれもしなかった。釣り銭と一緒に、缶の茶を一本、助手席の窓から放るように寄越された。 スタンドを出て一つ目のトンネルを抜けたところに待避所があり、亨はそこへ車を寄せて鞄から出勤簿の写しを出した。三日前から持ち歩いている。用紙の右上に印刷された学校の名前は、一字ずつなら全部読める。声に出しても、音は正しく出てくる。ただ、その音が、毎朝七時五十分に自転車を降りて押していく鉄の門や、二階の準備室の流しに伏せたままの蒸発皿や、三年二組の後ろから二番目でいつも寝ている生徒と、どうしてもつながらない。つながらないだけで、授業には今のところ何も起きていない。教室へは体のほうが先に行く。職員室では誰にも言っていないし、言う予定もない。非常勤の講師が病気らしい届けを一枚出せば、来年度の話がその一枚の分だけ変わる。 紙を畳んで鞄に戻し、缶の茶を開けて半分飲んだ。ぬるかった。 坂を上がりきった集落の三軒目が常盤の家で、板塀の下半分だけが新しかった。木の表札には名前が三つ縦に並んでいて、真ん中が常盤千鶴だった。呼び鈴を押すと四十くらいの女が前掛けで手を拭きながら出てきて、話は聞いています、と言って先に土間へ引っ込んだ。長靴が四足あり、そのうち一足は子ども用の赤で、底の土が乾いて縁の形のまま固まっていた。 一時四十分だった。 常盤千鶴は台所の続きの板の間に新聞紙を広げて、らっきょうの根を切っていた。ボウルが二つ、片方には泥のついたまま、もう片方に切り終えたものが白く溜まっている。根を落とし、頭を落とし、皮の外側を一枚だけ剥ぐ。長さの揃い方が、目盛りを刻む手つきに近かった。顔を上げないまま、そこ、と座布団のほうを顎で示された。 「番号は」 名乗ったあとにそう聞かれたので、亨は手帳に挟んだ紙を出して、三桁の数字を読み上げた。常盤は包丁を止めなかった。名前は覚えられないから番号のほうが早い、それだけのことだ、と言った。センターからの郵便は常盤千鶴様で届く。封を切るのは嫁で、中の紙を読み上げてもらって、内容が自分のことだと分かる。字は読める。読めるが、それが誰なのかが結びつかない。 「私は自分のが無い。それだけ」 嫁が茶を運んできて、湯呑みを二つ置き、常盤の膝の前の新聞紙を少しだけ引いてから出ていった。今年は五キロ漬ける、去年は三キロで足りなかった、孫が一人で一瓶食べるから、と常盤は言った。塩の量と、下漬けの日数と、途中で一度水を替えることを、聞いてもいないのに順に並べた。亨がボウルのほうへ手を伸ばすと、包丁を柄のほうから渡された。切ってみると根が長く残り、二つ目は逆に頭を落としすぎて、三つ目でようやく形になった。四つ目に取りかかったところで、常盤は黙って包丁を取り返し、亨の切った三つを傷ものの側の新聞紙へ寄せた。手が塩を吸って乾いていくのが、指の腹で分かった。 奥の茶箪笥の上から角封筒を取ってきて、これを読んで、と亨の前に置いた。センターの封筒で、宛名だけが印字ではなく手書きだった。亨は表書きを声に出して読んだ。常盤千鶴様、と読んだ。読み終えると、常盤は湯呑みを持ち上げて茶をひと口飲み、その字は上手だ、と言った。誰のことかは分からない。分からないが、上手いか下手かは分かる。封は切ってあり、中身は嫁が読み上げてくれるのだと言った。 一度立って奥へ行き、大学ノートを二冊持って戻ってきた。表紙に年が書いてある。繰ると、日付と時刻と、そのあとに一行だけが並んでいた。全部が同じ手で書かれているのに、インクの色は数年ごとに変わり、途中の数ページだけ鉛筆になっている。ボールペンが出なくなった年があったのだと言った。亨が一冊目を開いたまま返せずにいると、読んでいい、どうせ他人には何も分からないから、と言われた。実際、日付と時刻のあとの一行は、どれも二十七文字前後の、短い、命令の形をした文章で、意味は取れるのに、どこの何を指しているのかは読み手には決して分からなかった。二百十一というのは、一年に六つか七つという勘定になる。ページの余白のほうがはるかに広く、一冊で十年分が収まっていた。 「二冊しかないんですか」 「押し入れに段ボールが一つある。持ってくるのが重い」 「十月九日午後三時十分、」 常盤はそこまで読んで止まった。次の三文字は読める、と言った。読めるが、それがどこなのか分からない。行ったのは自分で、雨が降っていたことも、下りの電車が二本通ったことも覚えている。地名だけが抜けている。 八回のうちの一回の話を、聞いてもいないのにした。日付を書き写したあとで場所が分からなくなり、地図を出して嫁に読んでもらい、車を出してもらい、着いたときには指定の時刻を四十分過ぎていた。橋の上に人が立っていた。何でもない顔をして立っていた。それだけだった。 「何をしそこなったのかは、教えてもらえない。あそこは何も教えない」 橋の話には続きがあった。その日のうちに電話で届け出て、未達と記録され、それからしばらくは、次が来るかどうかだけを考えて暮らしたという。断ったわけではないのだから来るはずだと自分に言い聞かせていたが、断ったかどうかを決めるのは自分ではない。次が来たのは四か月あとだった。そのあいだに漬けものを二度続けて失敗した、塩を量り違えたのだと言った。四か月ぶりに来た文の中身は覚えていない。ノートを見れば書いてある。 あそこ、というのがセンターのことだと分かるまでに、一拍かかった。亨は湯呑みを持ち上げて、口をつけずに置いた。三十四年になりますね、と言うと、数えているのはあっちで、私は数えていない、と返ってきた。包丁の音は途切れない。ボウルの白いほうが少しずつ増えていく。 「二百三回のうちで、従ったあとに何が起きたか、知らされたことはありますか」 「一度も無い」 「一度も、ですか」 「新聞に出るようなことがあると、あとから結びつけたくなる。それをやりだすときりがないから、やめた」 何をやめたのかを聞き返そうとして、やめておいた。常盤は根を落としたものをボウルの縁で二度打って泥を払い、白いほうへ移した。 「あの、どうすればいいか、教えてもらえませんか」 聞いてから、自分がずいぶん子どもじみたことを言ったと思った。常盤は手を止めずに、根の落ちたらっきょうを一つ指でつまんで転がし、傷のあるものだけを新聞紙の端へ寄せた。 「教えない。あなたの分は、あなたのものだから」 それから、何を失くした、と聞かれた。勤め先の名前です、と亨は答えた。中学校で理科を教えている、校門の表札は毎日見ている、字も読める、ただ自分の勤め先だと結びつかない、と説明した。常盤は勤め先、と一度だけ繰り返して、それは軽い、と言った。慰めているのでも突き放しているのでもなく、荷物の重さを手で量って言ったような言い方だった。 孫がメダカを飼っている、と続けた。学校で分けてもらってきたもので、はじめ七匹いて、三匹は夏を越さずに死んだ。水を替えるのが自分の役になっている。水道の水をそのまま入れると死ぬのだそうで、バケツに汲んで北側の軒下に一晩置いておく、それを孫に教わった。亨は塩素と、日に当てるのと当てないのとで抜け方が変わることを説明しかけて、途中でやめた。理科の教師の口調になっているのに気づいたからで、最後まで聞かれたところでこの人の何の役にも立たない。孫が一匹ずつに名前をつけているという話になり、常盤はその名前を言おうとして、言わずに次のらっきょうを取った。忘れたのか、言う必要がないと判断しただけなのか、亨の側からは分からなかった。 包丁の音がまた始まった。 三十分ほどのあいだに、常盤は孫のことを六回話した。一度も名前を言わなかった。息子のことも嫁のことも、この町のことも同じで、孫、息子、嫁、ここ、で全部足りていた。足りていることのほうが、名前が無いことよりも亨には落ち着かなかった。 二時十二分に嫁が入り口に立った。 玄関で靴を履いていると、レジ袋にそら豆を入れたものを持たされた。もらいものが多くて食べきらないので、と言われた。断る言い方を探しているあいだに袋を手に押し込まれ、両手が塞がったので、礼だけ言って外に出た。 「また来てもらってもいいですけど、あの人は同じことしか言いませんよ」 嫁は板の間のほうを見ずにそう言い、それから、義母は昔から気が短いので気を悪くしないでください、と付け足した。亨は、気を悪くしていませんと答えた。答えながら、板の間で包丁の音が続いているのを聞いていた。会っているあいだ、一度も止まらなかった音だった。 帰りは下りで、対向車は二台しかなかった。トンネルの手前でスタンドの前を通ったが、父は洗車機のほうを向いていて、こちらを見なかった。二つ目のトンネルの中で、常盤の言った一文をもう一度声に出してみた。あなたの分は、あなたのものだから。語順が合っている自信がなく、言い直してみると、二度目のほうがはっきり違った。信号で止まっているあいだに書き留めようとして鞄を探ったが、ボールペンが見つからない。スタンドで釣り銭を財布に入れたときに落としたのだろうと見当をつけて、それきりにした。 アパートの駐車場に入れて、そら豆の袋を助手席から取った。 湯を沸かし、鞘から出して塩を入れて茹でた。塩を入れすぎ、そのうえ茹ですぎて、皮が割れて中身が出た。三つ食べて、残りは鍋のまま冷蔵庫に入れた。ノートはまだ買っていなかった。 第五章 分けられている 六月十四日の午後一時から、鵜ノ瀬地下研究センターの三階で情報交換会があった。年に二回、六月と十二月に開いている。案内は五月の末に封書で届き、往復はがきが折り込んであって、出席か欠席のどちらかを丸で囲んで投函するようになっていた。メールでもかまわないと注記があったのに、はがきのほうが返ってくる率が高いのだと、あとで梶谷が言った。 間辺の駅前から鵜ノ瀬行きのバスは一日に六本しか出ていない。午前十一時二十分の次が午後二時十五分になるので、昼をとらずに乗った。乗客は七人で、そのうち三人が終点まで乗った。四十分のうちの後半は山に入り、片側がずっと谷になる。窓の下に川が見えて、水の色は上流へ行くほど白かった。センターの来客用駐車場は、この日は軽自動車と、後部にリフトのついた福祉車両で埋まっていた。玄関の自動ドアの脇にA4の紙が透明テープで貼ってあり、情報交換会、三階、第一会議室、と印字してある。矢印だけが手で書き足されていた。 受付は事務室の前に長机を一つ出しただけのものだった。番号を言うと職員が名簿を指でたどって、名札を渡す。プラスチックのケースに紙を差し込む型で、紙には数字しか印字されていない。亨のは412だった。首から下げる紐が短く、札は胸ではなく喉のあたりに来た。前に並んでいた男が同じ紐の長さで手間取っていて、職員が、そのままでお願いします、と言った。名簿には氏名の欄もあるが、そこは職員しか見ない。番号を言えないまま来る人が年に何人かいる。番号を忘れるのではなく、番号が自分のものだと結びつかなくなる。そういうときは生年月日で照合する。生年月日は数字なので、固有名詞ではない。 第一会議室は長机をロの字に組んであった。パイプ椅子は三十六脚あり、座っていたのは二十六人だった。存命の適合者は八十九人いる。二十六人のうち十九人が六十を過ぎているように見えた。杖が二本、壁に立てかけてある。ペットボトルの茶が一人に一本ずつ配られていて、銘柄は廊下の自販機に入っているものと同じだった。番号で呼び合うのが慣例だと届け出のときに聞かされていたが、実際には呼びかけそのものがほとんど起きなかった。二十六人が二十六通りの黙り方をしていた。斜め向かいの老人は補聴器を外して電池の蓋を開け、爪の先で電池を回して入れ直し、また耳につけた。その動作を、開会までに三度やった。 07は来ていなかった。 一時五分に梶谷が入ってきた。パソコンは持っていない。紙の資料を二十六部、右端から回した。表紙に第六十九回情報交換会資料とあり、年に二回で六十九回目になるから、この会は三十四年半つづいていることになる。梶谷は最初に、ここは記録の場であって、指示や勧奨をする場ではないと言った。毎回読み上げているらしく、資料の一行目にも同じ文言が印刷されていた。十二月から五月までの半年で、届け出のあった文は百四十一件。従ったという報告が百七件、従わなかったという報告が九件、残りは日時が来ていないか、報告そのものが無い。新規の登録が二人。離脱が四人。離脱の累計は百八十七人になり、そのうち再び文を受け取った例は今回も無かった。梶谷はこの数字を読み上げるあいだ、声の高さを一度も変えなかった。 一番奥の男が手を挙げた。 「その四人の番号は」 「お答えできません」 「知り合いかもしれないんです。番号だけでも」 梶谷は同じ言い方でもう一度断った。男はそれ以上食い下がらず、資料の隅を折った。隣の女がペットボトルの蓋を開けて、飲まずにまた閉めた。 会の前半は、この半年に起きたことの報告だった。名札の番号で発言する決まりになっているのに、二人ほど、自分の姓を名乗ってから話しはじめる者がいた。職員は訂正しなかった。訂正しないことが取り決めなのだろうと思われた。一人は八十近い女で、去年から週に二回、間辺市のほうの病院へ通っている話をした。 「あの、坂の上の……名前が、出てこないんですけど」 「場所が分かればけっこうです」と職員が言った。 「バスなら二つ目です」 「二つ目って、桜台のですか」と斜向かいから声がした。 「桜台じゃないほうです」 それが代償なのか、年齢によるものなのかは、聞いている側には分からない。分からないまま、誰も確かめなかった。 センターまでの交通費は自分で出す決まりになっている。間辺市の駅前からなら往復で千二百八十円で済むが、この日は県外から来ている者が二人いて、片方は前の晩に間辺のビジネスホテルに泊まったと言った。宿の名前は出さなかった。出せなかったのか、出す必要が無かったのかは、聞いている側には区別がつかない。二十六人のうち、半分より多くが鵜ノ瀬か間辺市の中に住んでいる。近くに住んでいる人ほど文を受け取りやすいという傾向は統計として出ていないと、届け出のときに梶谷から聞かされていた。ただ、この部屋に来られるのは近くに住んでいる人だった。 亨のほうは、一つ目の代償がまだ分かっていない。二つ目のときに勤務先の中学校の名前を失ったのは、翌朝すぐに分かった。一つ目のときに何が抜けたのかは、二か月経っても出てこない。抜けたものは、抜けたと分かるまで抜けたことにならない。梶谷にそう言うと、そういう届け出が全体の四割ほどあると教えられた。 二時十分から、文の回覧があった。 希望者が自分の受け取った文を紙に書いて出す。センターが用意した用紙はB6ほどの大きさで、罫線が一本も引かれていない。書けない人のためには職員が代筆する。二十六人のうち十四人が出した。紙は一枚ずつクリアファイルに入れられ、ロの字の左から右へ、順に回っていった。前の人が読み終わるまで手元が空くので、手持ちぶさたにペットボトルのラベルを剥がす者がいた。剥がした人は二人いて、二人とも同じように、剥がした帯を細く巻いて机に置いた。 亨のところへは三枚目から来た。 六月二日午前十一時五分、間辺駅北口の三番乗り場に立て。 六月二十一日、玄関の鍵を二度確かめよ。 五月三十日午後四時四十分、緑の傘を持って局の前を通れ。 どれも読めた。日本語だった。日時があり、場所があり、動詞が命令の形をとっている。短いもので十九字、長いもので三十四字あった。平均は二十七字だと届け出のときに説明されていて、その場で四枚ぶんを数えてみると、たしかにそのあたりに落ちた。意味も分かった。分かるのに、それだけだった。自分の文は、読まなくても在る。朝、目が覚めた時点で既にそこにあって、思い出すという手続きを踏まなくても取り出せる。他人の文は、読んでいるあいだだけ手元にあって、目を離すと無くなった。二枚前をもう一度見返したときには、さっき何が書いてあったかを一度忘れていて、はじめから読み直すことになった。 読めるのに、受け取れない。 隣の席の男が、回ってきた紙を声に出して読んだ。読み終えてから顔を上げ、向かいの女に、いまのをもう一度言えるかと聞いた。 「聞いてましたよ」 「じゃあ、どうぞ」 「……乗り場に、立て」 「北口の三番です」 「そこが出てこないんです。さっき聞いたのに」 女は自分の紙を裏返し、その上を指でなぞった。書かなかった。 緑の傘の紙は、日付がすでに過ぎていた。五月三十日は二週間前になる。出したのは通路側に座っていた五十くらいの男で、紙が一周して手元へ戻ったとき、自分から言った。 「これは、行きませんでした」 「傘は」と誰かが聞いた。 「持って出ましたよ。局の前の横断歩道まで行って、渡らずに帰りました」 「なんでですか」 「さあ」 男はそれきり黙った。誰も重ねて聞かなかった。梶谷が別の用紙を出して、日付と番号を書き込んだ。ペン先が紙をこする音のほうが、話の中身より長く続いた。この半年で従わなかったという報告は九件あり、そのうちの一件がこの紙になる。男は閉会まで座っていた。回覧の紙は最後にまとめて職員が回収し、番号順に揃えてから箱に入れた。 回覧が一周したあと、四十代くらいの女が手を挙げた。 「これ、代わってもらうことはできますか」 「代わる、というのは」 「今度のが仕事と重なっていて。誰かに同じ時間に同じ場所へ行ってもらったら、それは従ったことになりますか」 梶谷は資料の後ろを開くように言った。付録に一九九八年の検証の記録が載っている。当時のセンターが二十四例で試していた。適合者Aの受け取った文を、適合者Bが同じ時刻に同じ場所で実行する。二十四例のすべてで、Bの側には何も起きなかった。そしてAのうち、自分では行かなかった十一人は、その後二度と文を受け取っていない。 「代われるかどうかではなくて、代わっても計算に入らない、ということです」と梶谷は言った。「それから、同じ文が二人に生じた例も、今のところ一件もありません。四百十二人で、四百十二通りです」 「私のは、私のところにしか来ないんですね」 「そうなります」 女は、そうですか、と言った。手帳に何かを短く書き、書き終えてからペンをしまわずに机の上に置いた。会が終わるまでそのままだった。 三時に十分の休憩が入った。廊下の突き当たりに自販機が二台あって、片方は釣り銭切れのランプが点いていた。百四十円の缶のコーヒーを買い、窓のところで立って飲んでいると、隣に来た者がいた。名札は410。 「新しい人ですよね」 先月です、と答えた。私は三月でした、と返ってきた。朝比奈更と名乗った。二十四だと言った。看護の学校に行っていたが途中でやめたという話を、こちらが聞く前にした。昼はどこかで働いているらしかったが、そこは言わなかった。缶も水筒も持たず、手には何も持っていない。上着の袖口が片方だけ折ってあって、話しているあいだに一度伸ばし、また同じ幅に折り直した。爪はどちらの手も短く切ってある。 「あの車、床のほうが下りるんですね」 窓の下の駐車場で、職員が福祉車両の後部のリフトを降ろしているところだった。 「番号で呼ばれるのは、平気ですか」 「名前より短いので」 回覧に出したのかと聞くと、出していないと言った。理由を聞いた。 「読めるだけでしょう」 亨は、怖くないのかと聞いた。日時と場所を指定されて、そこへ行けと言われて、何のためかは知らされない。従えば名前が一つ減る。従わなければ二度と来ない。どちらを選んでも説明が無い。そういうものに、怖さは無いのかと。 更は窓の外を見たまま少し黙った。考えているというより、質問の意味を確かめている顔をしていた。 「理由が要りますか」 亨は缶を持ち直した。 「要ると思います」 「私は聞かないことにしています。聞いたら、たぶん行けなくなるので」 「行けなくなるのが怖いんですか」 「そうじゃなくて、行かない自分のほうが、後から説明しやすいから」 自販機の前に四人ほど並んでいた。更はそちらを見て、行きますね、と言って会議室のほうへ戻っていった。歩き方に急ぐところが無かった。亨は缶の中身を三口ぶんほど残したまま、飲み口を上にして窓枠に置いた。あとで持って帰るつもりでいたのに、会が終わって廊下を通ったときには無くなっていた。誰かが片づけたのだろう。会議室に戻ってからの四十分ほど、梶谷が何を話していたか、ほとんど覚えていない。資料の余白に410と書き、線を引いて消した。ボールペンだったので、数字の上に線が二重に残っただけだった。その紙を折って鞄に入れ、帰りのバスの中で開いて、また折った。 四時二十分に終わった。バスまで五十分あったので、外へ出た。建物の東側に屋根つきの喫煙所があり、スタンド型の灰皿が一つ置いてある。柏原冬子がそこにいた。所長だが会には出ていない。出ると話がややこしくなるのだと、梶谷から聞いていた。柏原は挨拶の代わりに聞いた。 「何人来ましたか」 「二十六人です」 「十五年前は五十四人でした」 母数が減ったわけではない。存命は八十九人で、二十年前と大きくは変わらない。来なくなっただけだ、と。理由をセンターが調べたことは一度も無いのだと柏原は言った。調べれば勧奨になる。記録するだけで指示はしないというのが最初に決めた線で、その線を越えると、翌年の予算の説明ができなくなる。年に十一億八千万円を使って、三十四名で、記録だけを取っている。書き方によっては、それは何もしていないと同じ意味になる。 「あなたはまた来ますか」 「分かりません」 「そう書いておきます」 柏原は灰皿の縁で先を潰し、それから山の斜面のほうを指した。木の切れたところに、横に走る縞が出ている。水の底に積もったものが固まり、傾いて、削られた跡である。あの一本の線がだいたい一万年ぶんになる。地下千二百四十メートルまで掘って、いちばん下に出てきたのも同じ種類の岩だった。三十年、電磁波も音波も振動も磁場も、有意な差は一度も出ていない。柏原はそれを、この時期に山側は霧が出やすいという話をするのと同じ調子で言った。二本目には火をつけずに、箱に戻した。 玄関で梶谷に会った。片づけの途中で、パイプ椅子を六脚ずつ台車に載せていた。手伝おうとすると、載せる順番が決まっているからと断られた。 回覧のことを聞いた。四百十二人で四百十二通りだというのは、なぜそうなっているのか。分けられている理由が、どこかに書いてあるのか。梶谷は台車の把手から手を離さないまま、昔の書き物にそういう話があると言った。 「むかしは人がみな同じ言葉を使っていた。それが分けられて、互いに通じなくなって、散らばった」 「それが書いてあるんですか」 「『全地は同じ言葉であった』という一行から始まる箇所です」 それ以上は説明しなかった。台車の車輪が段差に引っかかって、椅子の脚が鳴った。 「それは罰ですか」 「そう読む人が多いです」 「梶谷さんは」 「私は、まだ決めていません」 受付の長机には、名札を返す箱が出してあった。ケースから紙を抜いて番号順に並べ直すのは職員の仕事らしく、抜かずにそのまま入れていく人が何人もいて、職員はあとから一つずつ抜いていた。412の紙を抜き、ケースを箱に入れ、紐を巻いて紙の上に置いた。壁に貼られた紙に、次回は十二月十三日の土曜日、案内は十一月中旬に発送、とあった。 第六章 七月十一日 七月十一日の朝、五時四十分に目が覚めて、二日前から郵便受けに入れたままにしてあった封筒を台所の机に出した。白い長形四号で、宛名はボールペンだった。一字ずつ間を空けて、罫の無い紙に定規を当てたみたいに真っ直ぐ並んでいる。裏を返すと間辺市の住所と、蓼科慎司、とあった。消印は七月八日で、百十円の切手が一枚と、その下に不足分らしい小さいのがもう一枚貼ってある。二枚目だけが少し斜めになっていたので指で押さえてみたが、糊はとうに乾いていて直らなかった。窓を開けると外はもう明るくて、下の駐車場で誰かがエンジンをかけたまま車を離れていた。 封は開けなかった。 押し入れの下の段から菓子の缶を出す。蓋の絵が擦れて、林檎だったか桃だったか分からなくなっている缶で、中には同じ大きさの封筒が六通、届いた順に重ねてある。一通目は判決の出た年のもので、宛名の字が今より小さく、行の終わりが下がっている。事故のあった年には来ていない。二通目からは真っ直ぐになった。三通目の年だけ命日を二日過ぎて届いて、その年は消印の局が違っていた。引っ越したか、配達の都合か、そのどちらかだろうと思っただけで、それ以上は調べていない。七通目を上に置いて蓋をした。缶を戻すときに重さを確かめたが、去年と違うという感じはしなかった。紙は軽い。 送るのをやめてくれと言うには、こちらから一通書かなければならない。 判決は二〇二五年三月に出た。禁錮一年六月、執行猶予三年。会社のほうは書類送検で、罰金だけで終わっている。亨は法廷に二度入って、二度目には被害者参加の制度の説明を検察官から受けたが、意見を述べる手続きは使わなかった。使わなかった理由を書く欄は書類に無かった。蓼科は紺の上着を着ていて、名前を呼ばれて立ち上がるときに椅子の脚が床を鳴らした。背は亨より低い。頭を下げている時間が長く、下げているあいだ、後ろの席から見えるのは襟の内側の折れた部分だけだった。主文を読むあいだ、蓼科の手は前で組まれていて、指の関節のところが白くなっていた。そこだけを見ていた。損害賠償は保険会社から来た書類に父が署名して片がついた。示談という言葉が書面に何度も出てきて、そのたびに、話し合いというのはこういう形式のことなのかと考えた。今も覚えている数字は三つあって、一つは事故の前の月の蓼科の時間外労働が九十七時間だったこと、二つ目はその月に蓼科が休んだ日が二日だったこと、三つ目は舞が撥ねられた地点から車が停まるまでの距離だった。理科では速さと制動距離の関係を二年の秋に扱う。式に調書の数字を入れれば当日の速度はおおよそ出るし、実際に一度だけ出した。去年はその単元を別の単元と入れ替えて、担当を代わってもらった。理由は聞かれなかったし、言わなかった。 七時に部屋を出た。十三年落ちの軽自動車で、走行距離は十一万を超えている。エアコンが効きはじめるまでに十分かかるので、しばらく窓を開けて走った。国道を北へ三十二キロ行くと鵜ノ瀬に入る。峠の手前の対向車線に軽トラックが停まっていて、荷台に立った男が路肩の草を刈っていた。刈った草の匂いが窓の隙間から入ってきて、集落に下りるまで消えなかった。町の入口の橋を渡ったところで、研究センターへの案内標識が右を向いている。坑道の最深部はそこから山をひとつ挟んだ下にあって、地下千二百四十メートル。そこを中心にした半径四・二キロの円の中に、この町はまるごと入っている。父は三十年以上その円の中で働いていて、何も受け取っていない。曝露した人間のうち文が生じるのは〇・〇三パーセントだと聞かされたときに、亨が最初に考えたのは自分のことではなく、その割合の分母のほうだった。 父は家の前に立っていた。 バケツと、新聞紙で巻いた花と、線香の箱を提げている。六十三になって背が縮んだのが、助手席のヘッドレストの高さで分かる。乗り込むときにドアの上の縁へ手をついて、そのまましばらく体を支えていた。 「花、どこで」 「スタンドの先の店だ」 シートベルトの金具を三度差し直してから、父は膝の上の新聞紙を巻き直した。値段は言わなかった。この人が値段を言わないのは高かったときだと、いつからか分かるようになっている。 「後ろの空気圧、見たか」 「見てない」 「減ってる。帰りに寄れ」 寺は集落の上の段にある。参道の途中まで車で入れるので、山門の脇の平らなところに停めた。柱に木の札が下がっていて、寺の名が彫ってある。字は読める。読めるが、その字がいま自分の停めた場所と結びつかない。六月の終わりに三つ目の文に従った翌朝から、そうなっていた。センターに電話をして梶谷に伝えたら、記録します、とだけ言われて、それから、順序に法則は見つかっていません、と前と同じ説明をもう一度した。失うのは名前だけで、その場所にまつわることは残る、とも言われた。実際に、子どもの頃にこの石段で膝を擦りむいたことも、本堂の裏に大きな銀杏があることも覚えている。六月に入ってすぐ、二つ目のときに勤め先の学校の名前が抜けた。あのときは通勤鞄の内側にテープを貼って書いておいた。寺の名は書いていない。年に二度しか来ないので、必要だと思わなかった。届け出は義務ではないし、従うかどうかも自由だと最初に聞かされている。父にはこの話をしていない。 墓は上から三列目の、右の端から二つ目にある。水場の桶は三つしか無くて、先に来ていた家族連れが二つ使っていたので、一つに二人分汲んで交代で運んだ。柄杓の柄が割れていて、持つと手のひらに引っかかる。父が先に草を抜きはじめたので、亨は石の面を拭いた。前に来たときからの半年で、彫った溝に泥が入っている。歯ブラシを持ってくればよかったと毎回思って、毎回忘れる。 「管理料、八月に来る」 「振込は俺がやる」 父は抜いた草を握ったまま、根の土を落としてからバケツの縁に置いた。 「去年、石屋に払った」 「いくら」 「財布に入っとる」 側面には二人分の名前と日付が入っている。母のほうは二〇一九年で、そちらの溝には泥が入っていない。位置が風下だからだと父が前に言っていた。室生舞、と彫ってある三文字を、指で溝をなぞりながら読んだ。読めた。声には出さなかった。線香は湿気っていて、二本目でようやく火がついた。父のライターは石が減っていて、点けるのに三回かかった。隣の区画の墓に真新しい花が挿してあって、包装のビニールがまだ被せたままになっているのを、父が黙って直していた。 「石屋が、字が浅くなってきてると言っとった」 「彫り直すのか」 「金がかかる」 線香の煙が横へ流れて、父はそれを目で追った。 「あと十年はもつと」 十年もつという言い方をされて、その十年のあいだに何がどうなっていれば彫り直すことになるのかを聞かなかった。父も説明しなかった。水をかけると、乾いた面と濡れた面の境目がゆっくり下がっていった。 「舞は左だったのに、筆だけ右だったな」 「そう」 「あれは、どういうことだったのかね」 「一度、聞いた」 「なんと」 「こっちのほうがよく見えるから、と」 「何がよく見えるんだ」 「聞き直さなかった」 父は桶の水を残らずかけてから、空の桶を石の横に伏せて置いた。 「月謝、三千円だったな」 「公民館の教室だ。教えてたのは近所の年寄り」 「まだ生きとるかな」 「知らない」 小学三年のとき、担任に箸と鉛筆を右に直せと言われて、舞は最後まで直さなかった。鋏も定規も左で使った。中学に上がってからは、家の押し入れの前に新聞紙を敷いて、永の字ばかり何十枚も書いていた時期がある。上手いのか下手なのか、亨には今も分からない。ただ、書いている最中は右手の甲に筋が浮くほど力が入っていて、左手は紙の端を押さえるためだけに置かれていた。書き終えると必ず左手のほうを先に見ていた。使っていない手のほうが墨で汚れている。そのことを聞いたことはない。左手で書いた字は年賀状に残っている。ボールペンの、右へ行くほど下がる細い字で、筆の字とは同じ人間のものに見えない。二〇一四年の半紙と、大学に入った年の年賀状を並べて見たことが一度だけある。並べても、何も分からなかった。分からないまま箱に戻した。 墓を出たのが十時前で、そのまま父の家に寄った。 台所に上がると給湯器の話になった。 「風呂が、途中でぬるくなる」 「いつから」 「去年から」 父は流しの下の扉を開けて、また閉めた。 「部品がもう出んそうだ」 「直せないのか」 「本体ごとで十八万」 「出す」 「まだ夏だから」 冬までにどうにかするという意味なのか、冬までは考えないという意味なのか、分からなかった。麦茶を出されて、氷が二つしか入っていなかった。製氷皿を見に行こうとしたら、いいから座っていろと言われた。 「学校は、来年も同じところか」 「分からない」 「毎年その返事だな」 非常勤の契約は年度ごとで、次の年度の話が出るのは早くて一月の終わりになる。それを説明したことは前にもあるが、父は毎年同じ聞き方をする。答えを聞いても表情は動かない。亨はコップの底の輪を布巾で拭いてから、麦茶を飲み干した。氷はどちらのコップでも同じ速さで小さくなっていった。 押し入れから段ボールが二箱出てきた。上の箱に舞の書道の道具が入っている。硯を出すと海のところに乾いた墨が薄く残っていて、そこだけ色が違った。川原の石を割った断面に似た艶がある。文鎮は二本とも角が欠けている。筆巻きの中の筆は毛先が固まっていて、指で開こうとしたら折れそうだったので途中でやめた。下の箱は半紙の束で、いちばん下の一枚の隅に鉛筆で日付が書いてあり、二〇一四年の秋のものだった。 「置いていくか、持っていくか、決めてくれ」 「片づけるのか」 「そのうち、誰かがやる」 亨は三枚だけ抜いて、残りは箱に戻して蓋をした。 「三枚でいいのか」 「置き場所がない」 「そうか。押し入れは空いとる」 そういう問題ではないと言いかけてやめた。父の家の押し入れが空いているのは本当で、母のものは二〇一九年のうちに大方処分してある。舞の箱だけが二つ残っているのは、誰も決めなかったからで、決めないという決め方を七年続けてきた結果だった。 「手紙、今年も来たか」 「来た」 「読んだのか」 「読んでない」 父は湯呑みを持ち上げて、口をつけずに置いた。 「そうか」 それだけで父は話を変えた。 「洗車機が、先月から動かん」 「直らないのか」 「社長が迷っとる。新しいのを入れると四百万だ」 「入れなかったら」 「隣の市へ行く」 どちらがいいとも父は言わなかった。帰り際に、ガソリンを入れていけ、うちで入れれば給料から引いてもらえる、と言うので断って、途中のスタンドで自分で入れた。空気圧は見てもらった。 「後ろ、だいぶ抜けてました。二・二まで入れときます」 「お願いします」 「これ、溝はまだあるんですけど、横にひびが出てます。来年の車検は通らないと思います」 前に空気を入れたのがいつだったか思い出せず、返事をしないままカードを出した。窓を拭いてもらっている間、フロントガラス越しに、店員の腕が左右へ往復するのを見ていた。ワイパーの通る弧の外側だけが白く曇っていて、そこは拭いても取れなかった。 町を出る橋を渡り返した。地図の上では、円のふちはこの橋より二百メートルほど手前にあるので、渡り終えたときにはもう外に出ている。半径四・二キロというのは境目のはっきりした数字で、線が引ける。線をまたいでも、シートの背に当たっている汗の感じは変わらなかった。峠を越えるまで対向車が一台も来なかった。 間辺市に戻ったのが四時過ぎで、それから何もしていない。半紙は三枚とも折らずに、理科年表の間に挟んだ。 夜になってから菓子の缶をもう一度出して、台所の秤に載せた。二百六十四グラムあった。去年の数字を記録していないので比べようがない。一度だけ、去年の冬に缶ごと燃やすことを考えたが、集合住宅の敷地で火を使うわけにいかず、燃えるごみに出せば収集車の中で他人の生活ごみと混ざるだけで、それも違うと思ってやめた。缶を戻して、ノートを開いた。七月十一日、と書いて、その横に、無し、と書く。文が来た日と、従ったかどうかと、その翌朝に何が結びつかなくなったかを書きつけているノートで、五月十九日から数えて三行しか埋まっていない。二日続くこともあれば十一か月空くこともあると聞かされているので、この三行が多いのか少ないのかは分からない。番号を振られたときに、四百番台の数字を渡された。先月の集まりの席では、二桁の人が番号だけで呼ばれていて、呼ばれた側がそれで返事をしていた。文を受け取ったら二十四時間以内に届け出るという協定があるが、罰は無い。守らなくても誰も来ない。守っても誰も何も言わない。届け出をした翌週に来た確認の葉書には、受理した旨と、担当者の名前と、内線番号だけが印刷してあった。 ノートを閉じて、月曜に配る小テストを数えた。五十六枚あった。左上に学校の名前が刷ってある。読める。輪ゴムをかけて、鞄に入れた。 第七章 蓼科慎司 八月七日の午後、鵜ノ瀬の県道沿いのスタンドで給油していた。父の勤め先である。間辺から四十分かけてわざわざここで入れるのは、月に二度ばかり顔を見せておけば電話をかけずに済むからで、それを父に説明したことはないし、父も聞かない。盆前の平日で客はおらず、洗車機は故障中の札を貼ったまま止まっていて、コースの案内板だけが日に灼けて端から反り返っていた。父はゴム手袋をはめたまま出てきて、窓を拭くかと聞き、要らないと答えると事務所の日陰に戻った。手の甲に去年より濃い染みがあった。給油機の表示は二十七・六リットル、四千二百七十八円で止まった。命日から二十七日が経っていた。 ノズルを戻し、レシートを抜こうとしたところで、四つ目が来た。 来た、という言い方は正確ではない。センターの書式には受信日時と印刷されているが、梶谷はその語を使うたびに一度だけ言い直す。音は無い。耳はいっさい関係していない。給油機の数字を読んだのとまったく同じ手つきで次の一行を読んだ、というだけのことで、ただしその一行はどこにも印刷されていなかった。前からそこにあったものを、今まで見ていなかっただけだ、という感じにいちばん近い。一つ目のときは病気を疑い、二つ目のときは病院の予約をとる直前まで行った。三つ目からは疑うのをやめた。疑うのをやめたというより、疑うのに使う時間がもったいなくなった、という言い方のほうが実態に合っている。日本語で、母語で、こちらの語彙の範囲で、文はきちんと立っている。 九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ。 プリンタが遅れて動き、レシートが半分出たところで止まった。指で引き抜いた。父が事務所の窓を開けて何か言い、聞き取れなかったので、聞き取れなかったという顔をした。父はもう一度言った。盆に来るのか、と聞いていた。まだ決めていないと答えた。エンジンをかけ、県道を二キロほど下って、資材置き場の跡らしい空き地に車を入れた。ダッシュボードのボールペンでレシートの裏に書き写した。インクがかすれて、九の縦棒が二度に分かれた。書いてから数えた。読点を入れて二十二文字だった。五月の一つ目は四十二文字あった。センターの資料に載っている平均は二十七文字である。四百十二人ぶんの記録から出した数字で、標準偏差は資料に書いていない。数えたあと、レシートの表を見て、給油の時刻が十四時三十八分と印字されているのを確かめ、それも裏に書き足した。届け出るつもりで書いたわけではない。生徒に測定値を記録させるとき、単位と時刻を落とすなと毎回言っている。 平均の意味は分かる。分布の形は分からない。 蓼科慎司という四文字を、判決のあとに声に出したことは一度もなかった。裁判所の廊下でも、父の前でも、毎年届く封筒の差出人の欄を見たときも、その字は目に入るだけで喉を通ったことがない。車の中で試しに言ってみた。たてしなしんじ。舌は普通に動き、四文字はまだそこにあった。三つ目に従ったあと、十年以上飲んでいたインスタントコーヒーの銘柄が抜けたときも、こういう確かめ方をした。棚から瓶を出し、ラベルを見て、字は問題なく読めるのに、それが自分の飲んでいるものだと繋がらなかった。中身の味は覚えていた。買っていた店の棚の位置も、値段が三百九十八円から四百二十八円に上がった時期も覚えていた。名前のところだけが抜き取られていた。ついでに、もう一つ声に出した。舞。三文字はまだあって、字と、その字が指しているものが、これまでどおり繋がった。繋がることをこうして時々確かめる癖がついたのは三つ目のあとで、確かめるという行為そのものが何かを早めているような気がするので、月に一度までと決めている。決めても守れていない。 名前は地層のように上から順に薄くなるのではなく、どこからでも抜ける。梶谷はそう説明した。四百十二例あって、順序に法則は見つかっていない、と。 従えば一つ減る。どれが減るかは選べない。 蓼科慎司が減るのなら安いのではないか、と考えた。考えてから車を降りた。 空き地の隅に鉄板が積んであり、下からヒメジョオンが伸びていた。しゃがんで、靴の先で乾いた土を崩した。崩れた土は粉になって、風もないのに靴の縫い目に入った。まだ日は高く、どこかでアスファルトを焼く匂いがしていた。十分ほどそうしていた。それから車に戻り、レシートを尻ポケットに入れて、間辺市まで四十分かけて帰った。 アパートに戻って、机の上のノートに清書した。ノートは一つ目のときにセンターの受付でもらったもので、罫線の左端に受信日時を書く欄が刷ってある。日付を書き、時刻を書き、本文を書いた。それから破った。四つに、それから八つに、十六まで折り返して破れなくなったところで流しに落とし、水を出した。紙は膨れ、青いインクがほどけて排水口のほうへ流れた。三角コーナーの網に貼りついた紙片を指で剥がし、可燃ごみの袋に入れて口を縛った。手を洗い、タオルで拭き、ノートの次の頁を開いて、もう一度書いた。九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ。読点の位置まで同じだった。二十二文字。 消えると思ってやったわけではない。確かめる手順があるなら踏むというだけだ。 届け出は二十四時間以内という協定になっている。法的な義務ではない。二つ目のとき、柏原は灰皿の前でそう言い、我々は記録するだけです、指示も勧奨もしません、と続けた。記録するだけの相手に対して、記録させないことを選べるのかどうかは、そのとき聞かなかった。センターの受付は二十四時間つながる。番号は登録した日に紙で渡され、財布のカードの後ろに折って入れてある。一度出して、番号を画面に打ち込むところまでやり、発信は押さずに端末を伏せて置いた。伏せてから、伏せる必要のある相手ではないと思った。誰も出てこないし、誰も来ない。四つの欄に書き写されて、クリップで綴じられるだけだ。 その晩は電気を消さなかった。床に座り、背中を壁につけ、右足の裏を机の脚に押しつけて、エアコンの吹き出し口が三十分ごとに鳴るのを聞いていた。十一時台に、名前を検索した。同姓同名がいくつか出て、四番目に軽貨物の個人事業の登録があり、間辺市の事業所として届けが出ていた。屋号は本人の姓をそのまま使っている。地図に切り替える手前で画面を閉じた。閉じたのは見たくなかったからではなく、見れば覚えるからで、覚えたものは自分では消せない。消せるのは向こうだけだ。二時をまわったころ、九月三日が水曜日で二学期が始まっていることに気づき、非常勤の時間割を思い出そうとして、その週の水曜に授業が入っていないことを確かめた。都合が悪ければ断る理由になったが、都合はよかった。三時から四時のあいだ、五月十九日の踏切のことを何度か考えた。黄色い自転車の子どもは、止められたとき、明らかに迷惑そうな顔をして、それから何も言わずに脇を通って行った。三日後に同じ場所で人身事故があったことは、翌週の地方紙の四行の記事で知った。あの子だったのか、別の誰かだったのか、そもそも二つの出来事に関係があるのか、八十日経っても分かっていないし、これからも分からない。四時ごろ、今度の文には場所が書かれていないと気づいた。五月のものには市名と町名と丁目と踏切という語まで入っていた。今度は病院へ運べとしか書かれていない。どこから運ぶのかが指定されていない以上、その時刻にあの男がどこにいるかを、こちらが調べておくほかない。指定が足りないのではなく、調べることまで含めて指定されているのだと考えて、そこで考えるのをやめた。窓の外が白くなってから立ち上がると、左の腰から膝の外側にかけて痺れがあって、流し台に手をついた。痺れはその日のうちに取れなかった。九月に入ってからも、階段を降りるときにだけ残っていた。 届け出はしなかった。二十四時間は八月八日の午後二時三十八分に過ぎた。その時刻には夏季補習の当番で学校にいて、二学期のはじめに使うプリントを刷っていた。印刷室のトナーが切れかけていたので、五十部のうち後半の二十部ほどが薄くなった。刷り直すか、そのまま配るかを迷い、そのまま配ることにした。薄いほうを自分の手元に取り、濃いほうを上にして重ねた。二時三十八分に何かが変わった感じはなかった。時計を見ていたのは事実で、見ていたことを、あとから意味のある行為に読み替えないようにしている。 八月十二日、梶谷から電話があった。三か月ごとの面談の日程で、こちらの都合を先に聞いてくる。午後にセンターへ行った。 面談室は解析室の隣で、エアコンが効きすぎていた。梶谷は紙の書式を出してきた。受信日時、文の全文、従ったか、失った固有名詞。四つの欄が縦に並び、下に空白がある。上のほうに氏名と番号と勤務先の欄があって、勤務先は毎回、給与明細を出して写す。字は読める。読めるのに、それが自分の行っている建物だと繋がらないので、暗記していても書けない。梶谷はそれを知っているから、明細を出すあいだ黙っていて、写し終わるとペンをこちらへ押した。 「この三か月は」 「ありません」 「体調のほうは」 「変わりません」 「この暑さで、学校のほうは大変でしょう」 「トナーが切れかけていて、薄いのが二十部くらい出ました」 梶谷は湯呑みを持ち上げかけた手を止め、そうですか、と言った。それ以上は聞かず、書式の下の空白を指で示した。備考の欄で、ここは何も書かなくていいことになっている。 四つの欄になしと書いた。三つ目の欄だけ、なしでは意味が通らない気がして斜線を引き、引いてから、それが正直に見えるのか不自然に見えるのか判断がつかなくなって、線の上になしと書き足した。字が薄かったので二文字をなぞった。梶谷は用紙を受け取り、番号と日付を確認し、クリップで綴じて薄い方の箱に入れた。三十年何も観測できていない機関の書類仕事は速い。届け出のあった月だけ厚い箱に移る。 「一つ、聞いていいですか」 「どうぞ」 「失う名前を、選んだ人はいますか」 梶谷はペンの尻で机を二度叩いてから、四百十二例に記録は無いと答えた。選ぼうとした人はいたはずですが、選べたという報告は上がっていない、順序は本当にランダムです、と言った。祈って選ぼうとした人がいたかどうかは聞かなかったし、梶谷も言わなかった。そのあと梶谷は、解析室の空調が二年前から冷えすぎるという話をした。修理の見積もりは取ってあるが予算の項目が違うので今年度は動かせない、十一億八千万あってそれが動かせないというのは説明しにくい、と言って、湯呑みを両手で持った。なぜそんなことを聞いたのかは聞かれなかった。 駐車場に出ると、柏原が屋外の灰皿の前にいた。県道の舗装をやり直すので夜間通行止めが二週間続く、と言った。バスの最終が繰り上がるので職員の何人かが困っている、という話をして、それだけ言って、半分ほど吸った煙草を灰皿の縁で消した。屋外の灰皿の前でしか話さない人で、建物の中にいるときは廊下ですれ違っても目礼だけをする。こちらから言うなら、たぶんそこだった。二十二文字を口に出せば、記録は今日のうちに厚い箱へ移る。 「灰皿、遠くないですか」 「近いと、みんな来る」 言わなかった。柏原は建物のほうへ歩いていき、自動ドアの前で振り返って、盆に休むかどうかを聞き、返事を待たずに入った。 部屋に戻り、押入れの奥から菓子の缶を出した。もらいものの煎餅が入っていた缶で、蓋がきつい。中に封筒が七通ある。差出人の欄の字は七年ぶん同じ人のもので、蓼科の科の右の払いが毎年少しずつ下へ流れていく。舞なら、この字について何か言っただろうと思う。中学の途中から半紙を持ち帰らなくなり、書いたものを見せなくなって、左利きなのに筆だけ右で持っていたことを、こちらは長いあいだ知らずにいた。消印はどれも七月の十日か十一日か十二日で、一通だけ、二〇二七年のものが厚い。厚いということしか分からない。開けたことがないので、中身が便箋なのか、それ以外の何かが入っているのかも分からない。封の糊が七通とも同じ位置で、同じ幅で押さえてある。缶に戻し、蓋を押して、押入れの奥に返した。 蓋が閉まる音がして、そのまましばらく押入れの前に立っていた。 文を受け取った八月七日から九月三日まで二十七日ある。命日から八月七日までも二十七日だった。文の平均も二十七文字である。三つ並べてしまってから、これは数を並べた者が作った関係で、数の側にあるものではないと考え直した。生徒に最初に教えるのはそこだ。データが並ぶと人は線を引きたくなる。引いた線のほとんどは、そこに無い。 夜、父から電話があった。洗車機を直したと言った。本社がブラシの交換に十六万かかると言ってきて、店長がそれなら止めたままでいいと答え、それでも直ったのだという。話の筋が通っていなかったので、直ったのか止めたままなのかと聞き返した。 「直った」 「そうか」 「十六万」 父はもう一度十六万と言い、それから、盆はどうすると聞いた。しばらく間辺を離れるかもしれないと答えた。どこへ、とは聞かれなかった。 第八章 逃げる 坑道の最深部の真上にあたる地点を地形図の上で探すのに、半日かかった。センターの公開資料は発生源とされる位置を坑道最深部の地下千二百四十メートルとだけ書いていて、地上の座標は載っているが、その真上は山の斜面で、道は通っていない。二万五千分の一の図では四・二キロが十六・八センチになる。文房具屋で三百八十円の製図用のコンパスを買ったが、目いっぱい開いても十二センチまでしか届かなかったので、画鋲に木綿糸を結び、糸の先を鉛筆に巻きつけて円を引いた。糸は引くと伸びるから、円は真円にならない。線は台所のテーブルからはみ出して、椅子の背に垂れた。鵜ノ瀬の集落は一軒残らず内側に入り、間辺市は北の三分の一だけが入った。亨の住んでいるアパートは、線の内側に四百メートルほど入ったところにあった。 四百メートルなら、歩いて五分とかからない。 もっとも、資料に書いてあるのは半径およそ四・二キロで、その「およそ」がどれだけの幅を持つのかはどこにも書いていない。理科の授業では、およそという語は誤差の申告だと教える。有効数字を二桁に丸めた線を紙の上に引いて、その内と外を分けたつもりになるのは、生徒がやったら赤を入れる種類の作業だった。それでも円は引いた。引いてしまうと、内側と外側があるように見える。 引っ越しの見積もりを一社だけ取った。同じ市内で七万八千円と言われて、それは敷金と礼金を別にした額だと念を押されて、電話を切ってから通帳を出した。非常勤講師は夏休みのあいだ授業がないので、七月と八月の振込は普段の四割ほどになる。給与明細の右上に印刷されている勤め先の名前は、字としては読めるのに、四月から毎日その門をくぐっている場所だとは結びつかない。字面は、実験器具の型番のように見えた。 円の外に二週間出ることにした。夏休みは十九日残っていた。 七月の終わりに五通目が来た。来た、という言い方は正確ではない。目を覚ましたときにはもう頭の中にあって、前の晩からそこにあったような顔をしていた。七月二十四日午前十時四十分、鵜ノ瀬郵便局の前で靴紐を直せ。その日は九時半に家を出て、局の前の縁石に片膝をついた。縁石はもう熱くて、膝が触れているところだけ布が張りついた。左の靴紐は先の樹脂が割れて、房になりかけていた。両方ともほどいて、結び直した。四十秒ほどで済んだ。自動ドアが二度開いて、二度閉まった。局から出てきた男が脇を通り、駐車場の白い軽自動車に乗って出ていった。六通目は八月一日で、間辺市立図書館の返却口に三分間立てという内容だった。三分は携帯のタイマーで計った。返却口の高さは腰より少し上で、冷房の吹き出しがちょうど首筋に当たる位置だった。立っているあいだに後ろへ二人並んだので、二人とも先に通した。職員が一度だけこちらを見て、それから伝票の束に戻った。届け出は二通ともした。四通目のことは言わなかった。 どちらの日も、家に帰ってから夕方まで何も起こらなかった。次の日も、その次の日も、新聞にも市の防災メールにも、靴紐や返却口に関わりのありそうなことは何も出なかった。従った結果として何が起きたのか、あるいは何が起きなかったのかは、当人には知らされない。それは最初の届け出のときに柏原から聞いていて、聞いたときには手続きの説明の一部だと思っていた。二度やってみると、手続きというより、こちらの側が受け取るものが最初から用意されていない構造だと分かる。靴紐を結び直した四十秒が何かを動かしたのかどうかを、たしかめる窓口はどこにもない。 五通目の翌朝、台所の洗剤の商品名が出てこなくなった。青い詰め替え用の袋を持って、印刷された字を見て、それがその洗剤を指しているとは分かるのに、口に出す手前で何も浮かばない。六通目の翌朝は、中学の修学旅行で行った町の名前だった。海があって、路面電車が走っていて、朝に魚の匂いがしたことは覚えている。旅館の階段が急だったことも、班の一人が二日目に財布を落として、宿の人が交番まで付き添ってくれたことも覚えている。携帯の検索窓に、海と路面電車と修学旅行と打ち込んでみた。候補が七つ出てきて、七つとも読めて、七つとも何も起こらない。三つ目を開いて写真を見ると、坂の途中の踏切に電車が停まっていて、それは確かに見たことのある景色だったが、そこに添えられた三文字が自分の記憶のどこにも掛からなかった。名前だけが無い。 失われる順序に法則は見つかっていない、と梶谷は前に言った。よりによって、という言い方を梶谷はしなかった。 高速バスを二回乗り継いで、直線で三百八十キロほど離れた海のある町へ行った。駅から歩いて二十分の、二階建ての宿に十三泊した。一泊三千二百円の素泊まりで、部屋は二階のいちばん奥だった。宿の女は六十代の後半に見えて、風呂の追い焚きが壊れているから夜の九時までに入ってくれと、着いた日に二度言った。二度目のときは、前に言ったことを忘れているらしかった。玄関の土間に老犬がいて、後ろ足が立たないので、朝と晩に女が抱えて外に出す。三日目の朝、階段を下りたところで鉢合わせたので、腰のあたりを持った。 「重いでしょう」 「十四キロあるの。前は十七あった」 女は犬の前足のほうを抱えて、土間の段を後ろ向きに下りた。段の高さは二十センチほどあって、下りきったところで一度息を継いだ。 「風呂は、業者が盆明けだって言うのよ。部品が今どこも入らないって」 「そうですか」 「あんた、何しに来たの」 言われて、休みだからと答えた。女はそれで済ませて、犬の首の下に手を入れて向きを変えた。畳の縁は擦り切れていて、窓を開けると隣家の室外機の音がした。 十三日のあいだにしたことは多くない。駅前の食堂で冷やし中華を四回食べた。四回とも入り口から二つ目の席で、四回とも壁の上のテレビで高校野球をやっていた。三回目のとき、丼を置いた主人がテレビを見上げたまま動かなくなった。 「これ、どっちが勝つと思う」 「分かりません」 「おれも分からん。分からんから見とる」 主人は厨房に戻って、それきり何も言わなかった。コインランドリーで洗濯を三回した。河口まで歩いて、係留されている船の数を数え、それから引き返した。二十二隻あった。町の名前を覚えるだけの用が、結局のところ一つもなかった。 静かなだけだった。 五日目に、自分が毎日午後六時二十分に時計を見ていることに気づいた。九月三日はまだ一か月近く先で、その日その時刻に何をしているかも決めていない。それでも六時二十分の一分か二分前になると、右の手首を返している。気づいた晩、宿の便箋にあの文を書き写した。九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ。読点を入れて二十二文字ある。センターの資料には文の平均は二十七文字と書いてあったから、平均より五文字短い。名前が四文字入っているぶんを差し引けば、命令の部分はもっと短い。書き写した紙は、今度は破らずに四つに折って財布に入れた。二週間のあいだ、その二十二文字は一度も薄れなかった。名前は次々に抜けていくのに、これだけが残っている。 宿を中心に半径四・二キロの円を、駅で買った市街図の上に描いた。円周は二十六キロあまりになる。実際の道は円にならないので、行き止まりと迂回を足して三十一キロ歩いた。七時間半かかって、歩数計は四万を少し超えた。途中の停留所のベンチで生温くなった麦茶を飲んでいると、先に座っていた老人が時刻表を指した。 「次のは四十分後だよ」 「歩きます」 「そう」 老人はそれ以上何も聞かなかった。左の足の裏に豆ができて、帰りにコンビニでばんそうこうを買った。 何も来なかった。 七日目の朝、七時十四分に町の外れの踏切に立った。警報機の音は間辺市のものより高くて、周期が少し速い。遮断機が下りて、二両編成の電車が通り、また上がった。運転席の男がこちらを見た気がしたが、電車はそのまま行った。赤い自転車の子どもが向こう側から来て、前を通って行った。籠にプールバッグが入っていて、車輪の音がレールの継ぎ目で二度跳ねた。止めなかった。止める理由がない。五月の踏切では、黄色い自転車の子どもの前に出て、両手を横に開いて立った。あのとき何を言ったかは覚えているが、声の大きさは思い出せない。子どもは怪訝な顔をして、遠回りして行った。三分ほど立ってから宿に戻り、自動販売機で缶コーヒーを買って、部屋の窓辺に置いたまま冷めるにまかせた。 円の外に出たのは、来ないようにするためだった。来ていない。それで足りるはずだった。五通目と六通目のあいだは八日しか空いていないが、資料によれば十一か月空いた例もあるという。だから七つ目が来ないことは、円の外にいるせいだという証拠にはならないし、もう来ないという証拠にもならない。証拠にならないものを、十三日のあいだ毎晩数えている。夜中に目が覚めて枕元の携帯を見ると一時四十分で、頭の中を確かめる癖がついていた。何もない。何もないことを確かめてから、もう一度確かめた。財布を出して、折った紙を画面の明かりで開いてみると、折り目のところが柔らかくなりかけていた。字は自分の字で、四通目を受け取った日に書いたものより、線がまっすぐになっていた。舞なら筆の入りがどうとか言うところだが、そういうことを教わった覚えはない。畳の目を見ているうちに窓の外が明るくなった。 梶谷から電話が来たのは九日目の昼だった。 「今どちらですか」 「遠くです」 「圏外ですか」と梶谷は言い、それからすぐに言い直した。「電波の話ではなくて、四・二キロの外という意味です」 「そうです」 「記録に残していいですか」 「どうぞ」 「七月の二件は入力しました」 受話器の向こうで紙の束を揃える音がした。 「今月は子どもと会えませんでした。来月にまとめて会います」 なぜそれを言うのか分からなかったので、返事をしなかった。外にいるあいだに文を受け取った例はあるのか、と亨は聞いた。 「記録には無いです」と梶谷は言い、少し置いた。「ただ、外にいた人が受け取らなかったことを、こちらで確かめる方法が無いんです。申告が無いというだけで、無かったのと同じにはならない。うちにあるのは申告の束だけなので」 「他には何かありましたか」 「ありません」 それから、離脱したかどうかはいつ決まるのか、と亨は聞いた。 「決めません」と梶谷は言った。「うちは判定をしないので。次が来なければ、来ていないと書くだけです。何年か経って、この人にはもう来ないんだろうと後から思うだけで、いつからそうだったかは誰も書けません」 「線が引かれるわけではないんですね」 「引きたいんですけどね」と梶谷は言い、少し笑うような息をして、それは私の趣味の話です、と付け足した。 コインランドリーの乾燥機が回っているあいだに、携帯でセンターの公開資料を開いた。職員は三十四名、年間予算は十一億八千万円、最初の報告があったのは千九百九十六年だと最初の頁に書いてある。累計で確認された適合者は四百十二人、五月の時点での存命は八十九人、離脱した者が百八十七人で、そのうち再開した例は無い。曝露者に対する発生率は〇・〇三パーセントと記されている。数字は前に見たときから一つも動いていない。それでも二度数えた。八十九から百八十七を眺めて、また八十九に戻った。自分はまだ百八十七に入っていない。九月三日の午後六時二十分を過ぎるまでは、どちらの列にも数えられないし、過ぎたあとで誰かが数え直すわけでもない。乾燥機が止まって、ブザーが四回鳴った。取り出したシャツはまだ袖口が湿っていて、百円を足してもう十分回した。 父からは十一日目の夜にかかってきた。 「盆は帰るのか」 「今年は行かない」 「そうか」 それから孝造は、スタンドの洗車機の話をした。ブラシの新しいのが入って、前のより静かになった、水の量も減ったらしい、という。 「二十四時間をやめてから、盆だけ人が足りん。社員が二人で回すから、こっちは昼だけだ」 孝造がこれだけ喋るのは珍しい。三分ほど話して、最後に、 「墓の水は替えておいた」 と言って切れた。今どこにいるのかは聞かれなかった。携帯を畳に置いてから、市外局番が違うことに向こうが気づいたかどうかを考えたが、こちらから言うことは何もなかった。 十二日目の夜、九時十分に風呂へ行こうとして呼び止められた。 「九時までって言ったでしょう」 「すみません」 「まあ、今日はまだ温いから」 女は洗面器を出してきて、廊下の電気を点けた。湯は温いというより冷めていて、肩まで浸かっていられたのは五分もなかった。上がってから脱衣所の体重計に乗ると、三月に測ったときより四キロ減っていた。目盛りの針は動きを止めるまでに長くかかって、そのあいだ、下の廊下で犬が爪を立てて歩く音がしていた。 宿賃は十三泊で四万一千六百円だった。領収書の宛名を書いてもらう段になって、勤め先の名前がどうしても出てこない。個人名でいいと言うと、女は帳面の上に鉛筆をいったん置いてから、ゆっくり三文字を書いた。帰りのバスは六時四十分発で、乗り換えが二回あり、着くのは午後三時を過ぎる。切符は前の晩に買ってあった。 第九章 理由が要りますか 最後の一本は高速を降りてから国道を六・二キロ走る。線を跨ぐのは中古車の展示場のあたりだろうと、行きのバスの中で見当をつけてあった。糸で引いた円は台所の紙の上に置いてきたので、手元にあるのは記憶のほうの円で、そちらは鉛筆の幅のぶんだけ太い。二万五千分の一の図で〇・五ミリの線は、実際には十二メートル半になる。展示場には幟が七本立っていて、うち二本が根元から折れて地面に伏せていた。三角旗の列が切れるあたりで運転手が減速し、右折の合図を出した。時刻は三時六分だった。跨いだ感じはしなかったし、十二メートル半の幅の内側では、跨いだかどうかも決められない。 駅前で降りてから部屋まで十七分歩いた。 郵便受けには電気の検針票と市の広報と、宅配の不在票が一枚と、同じ店のちらしが四枚入っていた。四枚は全部同じ内容で、四回ぶん配られたことだけが分かる。階段の踊り場に自転車が新しく一台増えていて、通るのに肩を斜めにした。ドアを開けると空気が動かず、壁に掛けてある温湿度計は三十四度を指していた。窓を二つ開け、冷蔵庫を開けた。卵の賞味期限は八月十九日で、七日過ぎている。麦茶のボトルは三分の一残っていて、口をつけずに流した。台所のテーブルには二万五千分の一の図が広げたままになっていて、画鋲が刺さり、木綿糸が垂れ、糸の先の鉛筆が椅子の座面に落ちていた。円は出て行ったときのまま閉じている。紙の上では、間辺市の北の三分の一と鵜ノ瀬の全部が内側にあり、このアパートは線から三百六十メートル入ったところにある。 二日、何も来なかった。 朝、目が覚めた時点で頭の中を確かめるのは、円の外にいるあいだについた癖で、戻ってからも取れていない。確かめる手つきそのものは、生徒に測定値を読ませるときと変わらない。無いことを確かめ、それから、九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ、が残っていることを確かめる。二十二文字はどちらの朝も欠けていなかった。ついでに三文字を声に出した。舞。字と、その字が指しているものは、まだ繋がった。二十七日に、七月の給与の明細を出してきて八月分の振込を照らし合わせた。授業の無い月で、振り込まれていたのは七万一千円だった。家賃は四万八千円で、これは動かない。同じ日の午前に洗濯をした。宿で洗って乾かないまま鞄に押し込んできたシャツが一枚あって、二週間ぶんのうちそれだけ匂いが違っていた。コインランドリーの乾燥機に百円を三枚入れ、戻って畳んだ。二学期の準備で三十一日に学校へ出ることになっている。時間割は八月の頭に配られた紙のままで、水曜の午後に授業は入っていない。明細の右上に印刷されている勤め先の名前は相変わらず字として読めて、相変わらず、四月から毎日その門をくぐっている建物とは結びつかない。 引っ越しの見積もりを取った会社に、二十七日の午後に電話をした。同じ市内で七万八千円と言われたところである。断る旨を伝えると、担当が替わったらしく、経緯を一から説明することになった。相手はこちらの姓と見積番号を二度聞き返し、それから、キャンセル料はかからないこと、見積書は九十日保管されること、再度の依頼のときは番号を言えば早いことを、順に読み上げた。読み上げが終わるまで受話器を耳に当てていた。切ったあと、見積書を折って引き出しに入れた。 梶谷から電話があったのは二十七日の夜だった。二週間の記録をどう残すかで、書式が決まらないのだと言った。 翌日の午後、鵜ノ瀬へ行った。間辺の駅前から片道六百四十円で、五十二分のうち後半は山に入る。窓の下の川は、六月に見たときより水が細くなっていた。センターの来客用駐車場には軽自動車が二台しか停まっておらず、玄関の自動ドアの脇に貼ってあった情報交換会の紙は剥がされて、テープの跡だけが四箇所残っていた。面談室の空調は前と同じだけ効きすぎていた。 梶谷はA4の用紙を三枚持ってきた。一枚目はいつもの書式で、受信日時、文の全文、従ったか、失った固有名詞の四つの欄がある。二枚目と三枚目は罫線だけの紙だった。 「外に出ていた期間のための欄が、うちの書式には無いんです」 「作らないんですか」 「作ると、外に出ることを想定していることになります」 想定していないわけではない、と梶谷は続けた。離脱した百八十七人の中には、円の外へ引っ越した人が何人もいる。ただ、その人たちは離脱した後に出ていったので、記録は離脱のほうに寄せてある。従うか従わないかを決める前に、外に出て、そして戻ってきた人の欄が無い。三十四年半ぶんの箱をひととおり見たが、備考に書き込まれているものが四件あっただけだった、と梶谷は言った。四件のうち三件は日数が書いていない。残る一件は千九百九十九年のもので、登録して三年目の男が北の地方へ移った記録だった。百二日いて何も来ず、戻って百三十四日目に来た。それが外に出ていたせいなのか、もともと間隔が空いていただけなのかは、その一件からは言えない。頻度は不規則で、二日続くこともあれば十一か月空くこともある、というのがセンターの公式の書き方で、間隔の分布はいまも発表されていない。 「外へ出てもらう試験は、しないんですか」 「できません」 設計した時点で、出てくださいと頼むことになる、と梶谷は言った。記録するだけで指示も勧奨もしないという線を最初に引いたのは所長で、三十年そこを守ってきた。線を越えれば来年度の説明ができなくなる。もっとも、と梶谷は付け加えた。守っているぶん、三十年ぶんの記録は、誰も何も試さなかった記録になっている。 日付と滞在日数と、円からのおおよその距離と、その間に文が無かったことを、二枚目に書いた。直線で三百五十八キロ、十三泊、と書いた。町の名前は書かなかった。書かないことにしたのではなく、書こうとして出てこなかった。駅で買った市街図の表題に入っていたはずで、十三泊のあいだ、停留所の行き先にも宿の領収書にも刷ってあった。それでも出てこない。もっとも、覚えるだけの用が一つも無かったのも本当で、抜けたのか、はじめから入らなかったのかは、こちらでは分けられない。宿の女の顔と、後ろ足の立たない犬と、体重が十四キロで前は十七あったという話は残っている。梶谷は用紙を裏返して、こちらの手が止まったところに斜線を引き、その横に、地名の想起不能、と書き足した。 「これは代償ですか」 「分かりません。宿に十三泊しただけでは、ふつう、名前は抜けません」 梶谷は用紙を三枚まとめてクリップで綴じ、薄いほうの箱に入れかけて、途中で手を止め、厚いほうに入れた。それから、今月は子どもに二日会いました、と言った。二日目の朝に熱を出して、結局その日は病院の待合にいた、二時間四十分待って、診察は四分だった、と。返事を考えているあいだに梶谷は湯呑みを持ち上げ、中身が無いことに気づいて置いた。 廊下に出ると、受付の長机の前に朝比奈更が立っていた。 届け出に来たのだと言った。二十四時間以内という協定になっていて、更のは十九時間ほど経っていた。職員が用紙に書き込むのを、机の横に立ったまま見ていた。書き終わると番号を確認して、それで終わりだった。壁の時計で三分だった。センターは記録するだけで、行けとも行くなとも言わない。 バスは五時十分の次が七時四十五分になる。二人とも五時十分に乗るしかなかった。停留所は駐車場を出て県道を電柱二本ぶん戻ったところにあり、屋根はあるがベンチが一つしかない。更が先に座り、それから半分ほど詰めたので、亨も座った。時刻表の板は日に灼けて、上りの数字が三本ぶん読めなくなっていた。自販機は一台きりで、釣り銭切れのランプが点いている。六月にセンターの廊下で見たのと同じ症状だが、こちらは別の会社の機械だった。更は膝の上に布の鞄を置き、口の紐を締めたり緩めたりしていた。爪はどちらの手も短く切ってある。斜面のほうで蟬が鳴きやみ、しばらくして少し離れたところで鳴きはじめた。 「あの犬、まだいるんですか」 「犬」 「前に、坂の上の病院の人が犬を連れてきたって」 六月の会でそんな話が出たかどうか、思い当たらなかった。覚えがないと答えると、更は、じゃあ違う人ですね、と言って、それきりその話をしなかった。 いつのですか、と聞いた。昨日の夜です、と更は答えた。それ以上は言わなかったし、こちらも聞かなかった。 「二週間、円の外にいました」 「どうでした」 「静かでした」 「戻ってきたんですね」 更は道の向かいの斜面を見ていた。木が切れたところに横の縞が出ている。六月に柏原が指して、あの一本で一万三千年ぶんだと言った層である。 理由を聞かないでいられるのはなぜか、と亨は聞いた。五月から数えて六つ受け取り、五つに従い、その五つが何のためだったのかは一つも分かっていない。何が防がれたのかも、防がれたものがあったのかも知らされない。それでも行くのは、行く理由をどこかで自分に説明しているからではないのか。 「私は理由を聞きません」と更は言った。「聞いたら、従えなくなるので」 「それは、考えないことにしている、という意味でしょう」 「同じですか」 「あなたは考えていないだけだ」 言ってから、そのまま座っていた。バスが上りの坂を来る音がして、思っていたより手前で止まり、扉が開いた。整理券の番号は十二だった。乗客は先に一人いて、いちばん前の席に座っていた。更は二つうしろの窓側に座り、亨は通路を挟んで同じ列に座った。走り出して七、八分は、誰も何も言わなかった。谷に入ると窓の外が暗くなり、ガラスに車内の照明が映って、外の斜面と重なった。 「二度目です」と更が言った。 「何がですか」 「考えていない、と言われたのが。一度目は学校です」 実習の記録に根拠を書く欄があった、と更は言った。何をしたかの下に、なぜそうしたかを書く。空いていると点が引かれる。埋めると引かれない。書けた日と書けなかった日で、受け持った人に起きたことは同じだった。書けた日のほうが評価はよかった。二年目の秋にそれが分からなくなって、辞めた。奨学金は中退だと免除の条件を満たさないので、月に一万三千円ずつ返している。あと八十六回ある、と更は言った。 「書き方の問題ではないんですか」 「そう言われました」 「辞めたのは、後悔していますか」 「その聞き方だと、どっちでも答えられます」 バスが対向車を待つために路肩へ寄って、しばらく止まった。運転手が窓を開けて手を上げ、向こうの運転手も上げた。 「室生さんは、考えているあいだ、何もしないでいられるでしょう」 「そういうつもりでは」 「私は、考えているあいだも同じだけ時間が減るので、できないんです」 それから、更はガラスのほうを向いたまま続けた。困っていないのが気に入らないんだと思います、と言った。六月にも怖くないのかと聞かれました、怖いと答えていれば、たぶん話は通じたんでしょう、怖がっている人のほうがまともに見えるので、と。声は上げなかった。前の席の乗客は寝ていた。 亨は整理券を親指と人差し指で挟んで、角を四回折った。 言いかけたものが二つあって、二つとも途中でやめた。どちらも更の言ったことへの返事ではなく、こちらの事情の説明になっていた。九月三日のことを言えば、話は通る。通るが、それは自分が困っているという申告で、更がいま言ったのは、困っている側に立てば話は通じる、ということだった。窓のガラスに顔が映り、その向こうを斜面が流れていく。対向車を待った場所から先はずっと下りで、途中で耳が詰まった。飲み込んでも戻らなかった。 更は終点の二つ手前で降りた。国道沿いの、駐輪場と自動販売機しか無い停留所である。降り際に五百八十円を運賃箱に落とし、こちらを見ずに、お先に、と言った。窓から見ていると、駐輪場の前でしゃがんで、自転車の後輪のあたりを両手で扱っていた。チェーンが外れているらしく、指を掛けては持ち替えている。バスが出たので、その先は見ていない。 部屋に戻ってから、鞄の底に入れたままだった六月の資料を出した。余白に410と書いて二重線で消した跡があり、ボールペンなので数字は線の下にそのまま残っている。番号は分かる。連絡の方法は無い。センターの受付は二十四時間つながると聞かされていて、番号は財布のカードの後ろに折って入れてある。一度出して、画面に打ち込むところまでやり、発信は押さずに端末を伏せた。伏せてから、七月にも同じことをしたと思い出した。あのときは押さないほうを選んだつもりでいたが、今度は選んだという感じがしない。 その晩、テーブルの図から画鋲を抜いた。糸を鉛筆から解いて巻き取り、紙は四つに折って引き出しの見積書の上に置いた。折り目は円を二か所で切った。 翌朝、九時過ぎに梶谷にかけた。 「410に、伝言はできますか」 「できません。適合者どうしの取り次ぎはしないことになっています」 「電話があったことも、ですか」 「それは伝えられます」 受話器の向こうで椅子が鳴った。少し置いてから、伝えますか、と梶谷が聞いた。いえ、と答えた。分かりました、と梶谷は言い、それから、来月の面談は九月三日を外して組みましょうか、と続けた。その日は空いています、と答えた。 第十章 怒るのは正しいか 八月二十五日に、亨は登録票の書き換えのために鵜ノ瀬地下研究センターへ行った。勤務先の欄が空いたままだと年度の更新ができないと電話で言われ、その電話を受けているあいだも、自分が週に何時間どこで何を教えているかは分かっているのに、その建物の名前だけが出てこなかった。給与明細の右上に印字された九文字を鉛筆で薄く下書きして、その上をボールペンでなぞった。字は読める。読めるのに、それが自分の職場を指しているという感じはどこにも起こらず、二学期の消耗品を自腹で買ったときのレシート、アルコールランプの替え芯とスポイトで三千七百八十円、そのレシートに印字された同じ九文字も、同じように意味のない図形として並んでいた。 エレベーターは去年の点検から止まったままで、階段の踊り場には修繕の予定日を知らせる紙が貼ってあり、日付は二度、上から白いテープで直されていた。 解析室の扉は開いていた。 梶谷は机の下から扇風機を出して、自分の膝ではなく積み上げた紙の束の方へ向けていた。湿ると給紙のところで噛むのだと言い、それから亨に椅子を勧め、登録票を受け取って、勤務先の欄をしばらく見てから、日付の欄が空いていることだけを指摘した。書き足すためにボールペンを借りると、そのボールペンにはどこかの薬局の名前が入っていて、それは読めたし、薬局のことも分かった。 キャビネットから出てきた亨のファイルには、受理印の押された紙が綴じてあった。梶谷は端を親指で繰って、五枚目でとめた。 「記録は五通ですね。五通目が七月の二十六日」 窓の外の砂利敷きの駐車場に軽トラックが入ってきて、切り返しを二度してから、白線のない場所に斜めに停まった。亨は膝の上で指を組み、組み直した。訂正するなら、その切り返しのあいだだった。 「そうですね」 梶谷は紙を戻し、キャビネットを閉め、鍵をかけて、鍵を引き出しの手前に置いた。それから扇風機の首を少しだけ亨の方へ回した。 「従わなかった人は、そのあとどうなりますか」と亨は聞いた。四百十二例のうち百八十七人が離れて、再開した例が一つも無いという数字は、登録した日に一度説明を受けている。それでももう一度聞いたのは数字でないところが知りたかったからで、何を知りたいのかを言葉にできないまま口に出したので、質問は復唱になった。梶谷は答えるのに少し時間をかけ、その時間の使い方は、探しているというよりは、言い方を選んでいるように見えた。 「記録の上では、何も起きません。本当に何も。事故が増えるわけでも、体を壊すわけでもない。その人は普通に生活します」 「それだけですか」 「それだけです。ただ、二度と来ません。百八十七人で例外は無いです」 梶谷は解析の担当なので、この種のことを話すときは数字の方から入る。従った群とそうでない群で、そのあとに起きた事象の差は有意に出る、有意に出るということしか出ない、何が防がれたのかは当人にも我々にも分からない、と、以前と同じ順序で同じことを言い、言い終わってから、これを説明と呼んでいいのか自分でも決めかねているという意味のことを付け足した。離れた人の中には、そのあとで手帳を買うのをやめたと言う人もいるらしい、とも言った。らしい、というところに梶谷は少し重みを置いた。亨は内ポケットの上を指で二度押さえた。 亨は窓の桟に溜まった砂を見ていた。ここは山を削った上に建っているので、風の日には細かい砂が入る。先月の十一日に蓼科慎司から七通目の手紙が来て、封を切らないまま、六通目までを束ねてある輪ゴムの中に足して、引き出しに戻した。差出人の欄の字は年ごとに小さくなっている。そのことと今の話がどう繋がるのかは説明できないまま、亨は桟の砂を指で寄せて、隅に一列にした。 これまでに来たのは六つで、そのうち五つを書き写して持ってきた。従ったのも五回で、そのたびに名前が一つずつ無くなっている。無くなったことに自分で気づけたのは三つだけだった。勤務先の建物の名前と、母が最後の四か月をいた病院の名前と、鵜ノ瀬から間辺市へ下っていく川の名前。病院は場所も、廊下の突き当たりの自販機の位置も、面会の時間も覚えている。川は毎日渡っている。残りの二つがどこにあるのかは、まだ見つかっていない。見つからないまま終わる分の方が多いはずですと、梶谷は前に言った。数え上げられるものしか数えられないので、と。 「腹は立ちませんか」 聞いてから、質問の主語が誰なのか自分でも決めていなかったことに気づいた。梶谷は扇風機を止め、椅子を回して、足元の鞄を膝に載せた。ファスナーを開けるのに少し手間取り、中から出したのは、市販の布のブックカバーがかかった、厚みのわりに小さい本だった。カバーの角は擦れて、内側の芯が出ていた。 「これに、腹を立てた人の話が入っています」 「聖書ですか」 「旧約の方です。ヨナ書というところ。四章しかありません。頁で言うと三頁です」 梶谷は付箋を貼らなかった。目次のところを開いて、指で場所を示しただけで、あとは亨の手に渡してしまった。読み方の説明も、なぜそれを渡すのかの説明も無かった。亨がそれを鞄に入れると、梶谷はもう別の話をしていて、来月の除湿機の入れ替えがまた見送りになったこと、この建物は坑道の入口を守るために建てたので居室のことは後回しなのだということを、扇風機のスイッチを入れ直しながら言った。 アパートに帰って、台所の卓で読んだ。麦茶を作り忘れていたので、水道の水をコップに入れて横に置いた。本は思っていたより薄い紙で、頁の裏の字が透けて、二段組の右の段を読むあいだ、左の段の行が下から重なって見えた。目次だけで両手の指を折るほど書名が並んでいて、そのうちの一つに指を差し込むと、そこは全体の後ろから四分の一ほどの位置だった。前の持ち主の鉛筆の線が、まったく別の場所に一本だけ引いてあった。梶谷が何歳のときに引いたのかも、なぜそこなのかも、聞かなかった。 物語は短かった。男が、ある大きな町へ行って滅びを告げろと言われる。男はそれをせずに、反対の方角へ出る船に乗る。海が荒れ、船の連中がくじを引き、男は自分のせいだと言って海へ投げられる。大きな魚に飲まれて三昼夜、吐き出される。もう一度同じことを言われ、今度は行って、四十日で滅びると町の中を歩いて言う。町の人間がそれを信じる。王まで座を降りて粗い布を着る。家畜にまで食い物と水を断たせる。それで、滅びは来ない。 男は怒る。町の東に出て小屋を作り、そこに座って、町がどうなるかを見ている。木が生えて日陰ができ、男はそれを喜ぶ。次の日の夜明けに虫が来て木を食い、木は枯れる。東からの風と日射しで男は参って、死んだ方がましだと言う。そこで問いが来る。木のことで怒るのは正しいことか。男は正しいと答える。男は一晩で生えて一晩で枯れた木を惜しんだ。それなら、右と左の区別もつかない人間が十二万を超えて住み、家畜まで数に入るあの町を、惜しまないでいられるか。そう問い返して、そこで終わっていた。 答えは書かれていない。 亨は最後の頁を二度めくって、続きの章が無いことを確かめた。索引で確かめ、目次でも確かめた。四章、それで終わりだった。理科の答案なら、問いで終わっている解答は点にならない。実験の報告書で、考察の欄に問いだけを書いて出してきた生徒には、去年、書き直しをさせた。亨は本を伏せ、机の縁に両手を置いて、しばらくそのままでいた。それから携帯で町の名前を調べた。その町が落ちたのは紀元前六一二年で、話に出てくる王の代から数えると百四十年ほど後になる。跡だけが残っている。滅びなかったのではなく、そのときは滅びなかったというだけだった。亨は携帯を伏せて卓に置いた。 ノートを出して、登場するものを左に並べ、それぞれが何をしたかを右に書いた。男、船の連中、王、家畜、虫、木、風。滅ぼすと言った側の欄には、言ったこと、しなかったこと、と二行書いた。読み返して気づいたのは、男が間違っていると書かれている箇所が一つも無いことだった。逃げたことも、怒ったことも、死んだ方がましだと言ったことも、責められてはいない。ただ最後に、正しいかと聞かれている。聞かれて、正しいと答えて、それに対する返事が無い。最後に町の欄を作って、そこに「町=」とだけ書き、その先を書かずにペンを置いた。 冷蔵庫の音がして、止まった。 壁のカレンダーは七月のままだった。めくって八月にして、そのまま指を送って九月三日で止めた。水曜だった。その日にどこで何をしているかは決めていない。決めていないというより、決めるという手続きをまだ一度も踏んでいない。頭の中の一行は、書き写して破った紙とは関係なく残っていて、時刻の部分だけがときどき先に浮かぶ。午後六時二十分という並びが、授業の準備をしている最中にも出てくる。亨はカレンダーを八月に戻し、それから九月に戻して、そのまま鴨居の釘に掛け直した。 八月二十九日に、亨は本を返しにセンターへ行った。返さなくていいと言われるだろうと思っていたし、実際そう言われた。それでも持っていった。玄関脇の喫煙所で柏原が立っていた。屋根だけの吹きさらしで、灰皿の中の水には吸い殻が七つか八つ浮いていて、そのうちの二つは口紅がついていなかった。柏原は灰皿の縁で灰を落としながら、概算要求のことを話しかけてきた。除湿機は今年で四回目の見送りになる、機器の更新は通るのに人のいる部屋のものは通らない、通らない理由の説明はいつも同じで、こちらの説明はいつも違う、と、そこまでを一息で言った。それから亨の顔を見て、痩せましたかと聞いた。亨が首を振ると、そうですかと言い、それきり別のことを考えている様子で煙を吐いて、吸い終わるまで何も言わなかった。 梶谷は駐車場の端で車のトランクを開けていて、段ボールを一つ出したところだった。 「読みました」 「そうですか」 「あれは、どういう話ですか」 梶谷は段ボールを一度地面に置いた。 「敵の町が赦されたことに怒った預言者の話です」 「それだけですか」 「私にはそれ以上のことは言えません。牧師ではないので、解釈を配って歩く立場ではないですし、配れるものも持っていません」 「あの町は、そのあとどうなったんですか」 「百五十年くらいあとに落ちています」 「調べました。紀元前六一二年です」 「私も最初にそれを調べました」と梶谷は言った。「調べれば何か済むと思ったんでしょうね。済まなかったですけど。そのあと落ちたなら、あのとき助けたのは何だったんだという話になるだけで、順番が入れ替わるだけです」 亨は本を差し出したが、梶谷は受け取らずに、両手が塞がっているという仕草をした。段ボールは地面に置いてあった。 「あれは慰めではないですね」と亨は言った。「怒っている人間に、お前の怒りは正しいかと聞くのは、慰めではない」 「慰めではないですね」 梶谷は否定しなかったし、その代わりに何かを足すこともしなかった。段ボールを持ち上げ、建物の方へ二歩進んでから振り返って、自分は木のところで止まるのだと言った。町が助かる助からないという大きい方の話ではなく、一晩で生えて一晩で枯れた木を惜しんで死にたいと言い出すところで、いつも足が止まる。あそこだけは分かる、と言ってから、分かるというのは正しいという意味ではないです、と自分で言い直した。そのまま同じ調子で、先月の面会が台風で流れて、次が九月の第二日曜になり、結局二か月空くことになったという話を続けた。靴のサイズは二十二だと思っていたら二十三だった、去年の暮れに買ったのが夏のあいだにもう入らなくなっていた、履かせようとして、片方だけ履かせたところで気づいた、という話までして、それから、すみません、関係のない話をしましたと言った。亨は関係がないとは思わなかったが、そう言えば梶谷が説明を足すことになりそうで、何も言わなかった。段ボールの底が湿っていて、梶谷は持ち直すたびに膝を使った。 事務室に戻ると、梶谷は届出書の白紙を一枚くれた。次に来たときに使ってくださいと言い、日付の欄と時刻の欄と、文の全文を書き写す欄を指で順に押さえた。全文の欄は罫が五行あって、五行では足りたためしがないと言いながら、下の余白まで書いてくださって構いませんと言った。二十四時間以内が目安ですが、義務ではありませんので、とも付け加えた。それは登録の日にも聞いた言葉で、そのときも同じ順序で、同じところに区切りを置いて言われた。亨は紙を三つに折って上着の内ポケットに入れた。同じ折り目のついた白紙が、そこにはもう三枚入っている。書くために貰って、書かないまま持ち歩いているうちに、折り目のところが柔らかくなっていた。 本は結局、亨が持って帰ることになった。 帰りの道は川に沿って下る。橋を渡るところに橋名板があって、そこに彫られた四文字は読めるのに、下を流れている水と結びつかない。読めて結びつかないというのは、知らないのとは違う手ざわりで、知らないなら調べればいいのだが、これは調べても同じ場所に戻ってくる。センターの門を出てから間辺市の市街に入るまでに三十七分かかり、途中の信号は十一のうち四つしか赤にならなかった。助手席には布のカバーのかかった本が置いてあり、カーブのたびに少し滑って、ダッシュボードの縁で止まった。アパートの駐車場に着いてエンジンを切ってから、亨はそれを取って、鞄には入れずに、手に持って階段を上がった。 第十一章 荒野へ送る 八月二十六日は火曜で、夏季補習の当番は前の週で終わっていた。用があるわけではなかったが、部屋にいると時計の分針ばかり見ることになるので、朝のうちに給油をして国道を北へ走った。鵜ノ瀬までは四十分かかる。谷に入ると外の温度が三度ほど下がり、開けた窓から川の匂いのする風が入ってきた。センターの駐車場は舗装の継ぎ目が浮き上がって白線が半分消えており、職員三十四人の施設にしては枠が多いのに、その日停まっていたのは九台だった。 事務室の梶谷は、モニタを二枚とも数字で埋めたまま、手元の紙のカレンダーに鉛筆で丸をつけていた。子どもと会う日を月末の土曜から日曜へ動かせるかどうか、相手方と何度かやり取りしているらしかった。 「今日は届けるものはありません」 そう言うと鉛筆を置いて椅子を回し、持ってこなくても来ていいことになっています、と言った。麦茶でいいですか、と聞かれて紙コップを受け取った。氷が二つしか入っていなかった。 机の端に夏のあいだの届け出の控えが積んであり、いちばん上にこちらの分が載っていた。欄は氏名、生年月日、住所、勤務先、識別番号に分かれている。勤務先の欄は、給与明細の右上を見ながら一字ずつ写してある。五月に最初に書いたときは、見ないで書けた。字そのものは今も読める。読めても、それが週に三日通っている建物の名前だとは結びつかない。二つ目の文に従った翌朝からそうなっていて、三か月たっても戻る気配がない。梶谷は控えを裏返し、判の欠けたところを親指の爪でなぞってから、下の束にそろえて挟んだ。 番号がどこから漏れるのかを聞いた。うちからではないと思います、と梶谷は答えて、そのあとに、根拠はありませんが、と付け足した。適合者が家族に話す。家族が職場で話す。それが二度か三度まわれば、人口九万八千の市でも足りてしまう。それに文には日時と場所が入っている。同じ人間が同じ曜日の同じ時刻に踏切の前や店の前に立っていれば、向かいの家の二階からは見える。特定というのは漏洩ではなくて、たいていは目撃なんです、と言った。言い方に力がこもっていなかったので、同じ説明を何度もしてきたのだと分かった。 棚の下から二段目に、背に「関連事案」とだけ書かれた薄いファイルがあった。見せてくださいと言うと、梶谷は個人の分かる欄を指で押さえながら開いた。書式は事故報告に似ていて、日付、内容、対応、備考の四つの欄に分かれている。番号二八八は郵便受けと玄関に貼り紙をされ、それが七月のうちに四回ある。番号三九一は勤め先への電話が二日で四十七件あり、本人は九月末で辞めると届け出ている。番号一〇五は転居して、転居先を書いていない。対応の欄はどの頁も同じ文字列で埋まっていた。記録した、警察へ出すかどうかは本人が決める、当センターは勧奨しない。違っているのは備考だけで、ある頁には、本人は笑っていた、と書いてあった。別の頁には、犬を飼いはじめた、とだけある。もう一つの頁には、娘が学校で聞かれたので家では話さないことにした、とあって、その下が二行分あけてある。書いた職員の名前はどこにも出ていない。日付だけが五年ぶん、抜けもなく順番に並んでいた。 綴じてある紙は三十枚ほどで、まだ半分しか埋まっていない。 「離脱した人は、そのあと静かになりますか」 「聞いたことがありません。聞ける立場でもないので」 百八十七人が離脱して、そのうち戻った人は一人もいません、という数字を、前に聞いたときとまったく同じ言い方でもう一度言った。二人とも麦茶を飲んだ。冷房の風がファイルの端を持ち上げて、梶谷が空いた手でそこを押さえた。 外へ出ると、建物の角の灰皿の前に柏原がいた。こちらを見て、煙を落として、何も言わなかった。会釈を返して車に戻った。 エンジンをかけずに、助手席に紙コップを置いたまま、携帯で「#聞こえる人」を開いた。三日前の投稿に、表札の写真が上がっていた。表札の文字はぼかしてあるが、その下の番地の金属板はぼかされていない。同じ人の別の投稿に、自転車で走っている男の後ろ姿があり、顔でもない位置に赤い丸が付けてあった。うちの学区にいるらしい、子どもが心配だ、という書き込みに、同じ意味の返信が三十いくつ並んでいた。少し下げると、代わりに聞いてくれてありがとう、という一行に四千を超える反応が付いていた。さらに下げると、三十年で何ひとつ観測できていない施設に年十一億八千万を出しているという指摘があり、その下に、演技、という二文字だけの返信があった。指摘のほうは数字が合っている。二つ下に、去年の秋に県外で撮られたらしい写真が回ってきていて、坑道の入口の柵と、その前に立っている作業服の背中が写っていた。柵の高さからして入口ではない場所だが、そう書いている人はいなかった。同じ並びの中に、あなたの分の文を代わりに受け取りますという広告が二件あり、片方には料金まで出ていた。初回が一万二千円で、二回目からは八千円になると書いてある。他人の文を受け取れた例は四百十二人のうち一つも無いと五月に説明されたばかりで、その説明を思い出しながら、返信の欄を下まで送った。申し込みたいと書いている人がいた。親指で送りつづけると、機械が手のひらの側から熱くなってきた。画面をどこまで送っても、名前と番号が増えていく。こちらの側では、従うたびに名前が一つずつ減っていく。どちらも自分では止められない。減るほうには順序の法則が見つかっていないと梶谷は言い、増えるほうにも法則は無さそうだった。同じ検索の途中に、集会の告知が混ざっていた。「第九の門」とあり、八月三十一日の日曜、午後二時開会、会場は間辺市民会館の大ホールと出ていた。参加無料、事前申込不要、駐車場は第二駐車場を利用のこと。信者およそ二千四百人という数字は、五月に届け出をした日に梶谷から聞いていた。敵対も協力もしていません、こちらから接触することはありません、という説明もそのとき一緒に聞いた。 行くつもりはなかった。 八月三十一日は朝から晴れて、市民会館の第二駐車場は一日四百円だった。前払いの機械が硬貨しか受け付けず、両替に売店まで歩いた。誘導灯を持った男が枠の空きを指しており、車の列は途切れなかった。入口までは六十歩ほどで、自動ドアの手前に長机が二つ並び、白い布がかかっていた。机の上には名簿と、紙コップに注いだ麦茶と、無料のパンフレットが並べてあった。有料の冊子は二百円で、そちらは箱に入れたままにしてある。 「当事者の方ですか、ご家族の方ですか」 「いえ」 どちらでもない方も歓迎です、と受付の女性が言い、名簿を回した。ボールペンで室生亨と書いた。上の欄に並んでいる字はどれも住所まで書いてあって、こちらは市名で止めた。女性は名簿の向きを直しながら、椅子を出すのが間に合わなくて、と言った。後ろのほうの列に、まだ袋から出していないパイプ椅子が積んであった。会場内は飲食禁止だというので、机の脇に立って麦茶を飲み、紙コップを重ねて置いた。氷はここでも二つだった。 ホールはパイプ椅子が前から十七列、通路をはさんで左右に十二脚ずつ並んでいた。埋まっているのは前半分で、後ろは膝の上に上着を置いた人がまばらにいた。冷房が効きすぎている。年齢は五十から上が多く、夫婦らしい二人連れが目立った。定刻の二分後に司会の男が立って、最初に会計報告をした。前期の収入が四百二十六万円ほど、会場費が十三万八千円、会報の印刷費が二十二万四千円で、次期への繰越金は三百七万円になるという。数字を読み上げるあいだ、後ろの列で子どもが椅子の背をつかんで前後に揺らし、母親らしい人がその手を外させた。それから駐車場の注意で、第一駐車場は隣の施設のものなので停めないでください、というのを二回言った。次回は十月五日の日曜で、会場も時刻も同じだと言った。ここまでで十四分かかった。 迫田昌明は白いポロシャツに名札を付けて出てきた。五十七のはずで、演台の縁に両手を置いたまま、そこから動かなかった。声を張らない。マイクの位置が合わずに、係の若い男が一度直しに出た。 わたしたちには聞こえません、と迫田は言った。この会場にいる誰にも聞こえていないはずです。聞こえる人は、いま生きている人だけで八十九人です。その人たちが、わたしたちの代わりに、どこへ持って行くのかも分からないまま何かを持って出ています。持って出た先で何が起きたのかは、持って行った本人にも知らされません。町の中に置いておけないものを誰かが外まで運ぶという形は、たぶんずっと昔からあります。わたしたちはそれを、ありがたいと言ってはいけないと思っています。ありがたいと言ってしまうと、次も運んでもらうことになるので。 前の列の女性がノートに書き取っていた。ボールペンの尻で耳の後ろをかいて、また書いた。 そこで迫田は手元の紙を一枚めくり、七月号の会報の発送が九日遅れたことを詫びた。封入の作業を頼んでいた人が入院して、代わりの人を探すのに時間がかかったという説明があり、郵便料金がまた上がるので次から会費のうちの通信費を見直したい、という話がそれに続いた。会場から質問が一つ出て、口座振替にはできないのか、と聞かれ、手数料を調べていますと答えた。話し方は前の段と変わらなかった。 それから、会として三度目のお願いをします、と言って、特定の投稿をやめてほしい、番号を集めて表にしている人が会の中にもいる、と続けた。具体的な件数を挙げなかった。挙げなかったところで、さっき見た画面の並びは変わらない。拍手は起きず、係の男が手を挙げて、質疑応答は休憩のあと三十分後です、と告げた。 休憩に入る前に出た。廊下でスーツを着ていない年配の男に呼び止められ、トイレはこっちですかと聞かれた。分かりませんと答えると、男は反対側へ歩いていった。パンフレットは丸めずに持って出た。 部屋に戻ったのは四時すぎで、麦茶を買い忘れていた。梶谷に渡された旧約は、玄関のたたきの上の紙袋に入れたままだった。表紙の角が丸くなっている。見返しに水色のクレヨンで線が二本引いてあり、消しゴムでこすった跡が残っていた。子どもの手が届くところに置いてあった本だと分かる。 目次から探して、山羊の出てくる箇所を読んだ。二頭を用意して、くじで分ける。一方は宰る。もう一方は生かしたまま頭に手を置いて、それから荒れ野に放つ。連れて行く役の人間があらかじめ決めてあって、その人が町から離れた場所まで引いていく。戻ってこないようにする段取りまで書いてある。連れて行った人はそのあと衣服を洗い、体を洗って、それから戻ってくる。誰がどこを洗うか、何をどの順番でするかが、材料と分量まで含めて事務の書類のように並んでいた。山羊のほうは、自分が何を負わされたのかを最後まで知らない。知らないまま引かれていって、そこから先については一行も書かれていない。戻ってこなかったのか、戻れる場所が無くなったのかも書いていない。二度読んで、頁を折らずに閉じた。 引き受けたいわけではない、と分かった。 受付の机の端に、当事者のかたの証言を募集していますという札が立ててあった。厚紙を折って自立させたもので、下に連絡先の電話番号が印刷してあり、その番号だけが手書きで一桁直してあった。いえ、と答えたのがその札を見たあとだったか前だったかは、いくら並べ直しても思い出せない。順番によって意味が変わるのに、順番のほうが残っていない。 受付で当事者ですかと聞かれて、いえ、と答えたときにはもう分かっていたのだと思う。あれは咄嗟の判断でも謙遜でもなくて、長机の前に立った時点で、こちらは名簿に書き込む側でも、番号を数え上げられる側でもなく、ただの見物人でいたかっただけだった。会場に入ってからも、最後列の通路寄りに座って、出口までの歩数を勘定していた。常盤千鶴の三十四年と二百十一通と二百三回を、羨ましいと思ったことは一度もない。迫田の言い方だと、羨む人がいるらしい。羨む人がいるから、日曜の午後に椅子が半分埋まる。埋まった椅子の前で、聞こえる人は八十九人ですと数えられる。その八十九のうちの一つが後ろの列に座っていたことは、たぶん誰にも知られずに終わった。名簿に住所を書かなかったのは、そのためだった。 分かったところで、九月三日は動かない。あの二十二文字は、破いた紙のほうではなくこちらの中に置かれたままで、日付も時刻も相手の名前もそのままの形で残っている。文字の並びを思い出そうとしなくても、思い出しているかどうかとは無関係にそこに在る。名前が消えるのは従ったときだけだから、従わずにいるかぎり、あの四文字は残りつづける。妹の名前は残っていて、妹を轢いた人間の名前も残っている。どちらも同じ帳面に載ったままになっている。 冷蔵庫に麦茶は無く、水道の水を飲んだ。パンフレットは車の助手席に置いたままにしていて、翌朝、出勤のときに裏返しになっていた。裏面に次回の日程が刷ってある。十月五日、日曜、午後二時。九月三日より後の日付だった。 第十二章 蓼科の家 八月二十六日の午前は、理科準備室で薬品の在庫を数えて終わった。二学期に使う硫酸銅と水酸化ナトリウムの瓶の数が管理簿と合わず、棚のいちばん奥から出てきた古い瓶の分だけ多かった。首に掛かった札に、前任者の字で「H27.6 開封」とある。非常勤の時給に在庫の日は入っていないので、この四時間は給与にならない。数え終えて管理簿に日付を書き、署名し、判子を押した。学校名の欄だけ空けておいて、廊下の掲示板まで歩き、そこに刷ってある文字を一字ずつ書き写した。読めないわけではない。六月から、その一続きの文字と、週に十四時間自分が立っているこの建物とが結びつかない。書き写しているあいだ、通りかかった事務の人に会釈をされて、会釈を返した。 アパートへ戻ると、郵便受けにセンターからの封書が届いていた。年二回の情報交換会の案内で、出欠を書いて出す葉書がついている。台所の卓の端に置いた。 同じ端に、輪ゴムで束ねた封筒が七通ある。いちばん上を取って裏返した。差出人の住所と名前は、七通とも同じ濃さで、同じ大きさで書いてある。行の始まる高さが七通ともそろっていて、罫のある下敷きを使ったか、鉛筆で線を引いてから消したかのどちらかだと思われた。消印は七月十一日か、その翌日になっている。今年の分だけまだ輪ゴムの外に置いてある。封は七通とも切っていない。中を読まずに住所だけを見て番地を覚え、携帯の地図に打ち込んだ。四・六キロあった。徒歩で五十八分、車で十四分と出た。二週間前に、その番地からいちばん近い救急指定の病院までの経路も一度だけ調べている。九分、信号が四つ。調べたことは誰にも言っていない。 その番地には、六棟の建売住宅が並んでいた。 車は十一年落ちの軽で、車検が十一月に来る。タイヤの溝はまだ残っているが、右の前だけ減りが速い。父の勤めるスタンドはガソリンが一リットルあたり七円高いので、去年から間辺のセルフで入れている。四・六キロのあいだ、信号にはほとんど引っかからなかった。 区画の入口から二十メートルのところにコインパーキングがあり、二十分百円と書いてあった。三台分のうち二台が空いている。車を停めて道の反対側まで歩いた。斜向かいに自動販売機があって、その前に立っていれば、立っていることの説明が要らない。缶のコーヒーを買った。百三十円だった。開けずに持っていた。 東から三番目の家だった。外壁は白に近い灰色で、一階の窓の下にだけ雨だれの筋が縦に何本も走っている。玄関脇に灯油のポリタンクが二つ、夏のあいだ出したままにしてあり、片方の栓が黄色く変色していた。雨樋の継ぎ目に養生テープが二周巻いてある。表札は建売についてくる樹脂の板で、蓼科、と白く抜いてあった。門柱の郵便受けの投入口から折り込みのチラシが三センチはみ出している。二階の南側の窓の内側に画用紙が貼ってあって、絵の具の色だけがこちら側に透けていた。庭というほどのものはなく、コンクリートの土間が二台分あって、その片方に自転車が一台、後輪の空気が抜けたまま立てかけてある。玄関の引き戸の横に、回覧板が挟まったままになっていた。ここに人が住んでいることを示すものは、どれも、金がかかっていないという一点で共通していた。 十六時四十分だった。十分で帰るつもりでいた。 玄関前の土間で、女の子が縄を跳んでいた。前跳びを、声に出して数えながら跳ぶ。じゅうろく、じゅうなな、と数える。二十を過ぎたあたりから息が上がって、数が音として崩れていき、四十七で縄が左の足首に当たって止まった。息を整えてから、また一から数え直す。二度目は三十一で止まった。三度目は五十を超えて、五十四まで行った。跳ぶたびに縄がコンクリートを打つ音が、六棟の壁のあいだで二度返ってくる。八歳、小学三年生だと聞いていた。舞が三年生のとき、書道教室に通いはじめた。月謝の袋に千五百円を入れて渡すのは母の役で、母が死んでからは誰も袋の話をしなくなった。左利きなのに筆だけ右で持つことを、教室では直されなかった。直されなかった理由を、舞は一度も説明していない。半紙の右下に名前を書くときだけ体を斜めにして、机の角に肘がぶつかりそうな姿勢になった。三文字を書くのに、上の一字にいちばん時間をかけた。墨をつけ直すのは決まって二字目の途中で、そこだけ線の濃さが変わるので、書き上がったものを見れば、どこで止まったかが分かった。そのことを思い出しているあいだも、道の向こうで縄の音は数を刻んで続いていた。 サンダルの音がして、女が出てきた。三十代の半ばで、髪を後ろで束ねている。 「そっちでやって。隣の車に当たるから」 娘は返事をしなかった。女は物干しの竿からタオルを一枚取り、生乾きのところを指で確かめてまた掛け直し、家に入っていった。玄関の引き戸が閉まる前に、水曜はスイミングだから宿題を先にやれ、という意味のことを中に向かって言うのが聞こえた。この家の女の名前も、娘の名前も、公判の記録のどこかで一度は目に入れているはずだが、いま出てこない。落ちたせいなのか、もともと覚えていないだけなのかは、自分では区別がつかない。区別がつかないということのほうが、落ちたと分かることよりも扱いにくかった。 自動販売機の下から低い音が続いていて、十五分ほど聞いているうちに、その音が二種類に分かれて聞こえるようになった。道を通った車は、十六時四十分から十七時までのあいだに七台で、そのうち二台が宅配で、一台は同じ車が向きを変えて二度通っている。手押し車を押した老人が反対側の歩道を過ぎていき、亨の正面まで来たところで一度止まって、暑いですね、という形に口を動かしてから、また歩いていった。缶を右手から左手に持ち替えた。汗が背中の真ん中を一本だけ伝った。十分で帰るつもりだったのに帰らないでいることについて、理由を言葉にしようとして、途中から車の台数を数えるほうへ戻っていた。数えているあいだは何も決めなくていい。理科の授業でも、生徒がいちばん静かになるのは、測っている時間だった。 十七時を過ぎて、風がすこし出た。 白の軽バンが道の奥から入ってきて、土間の空いている側に後ろ向きで停まった。ナンバーは黒地に黄色の文字だった。左の後部ドアに、マグネットシートを剥がした跡が四隅だけ四角く残っている。荷台には青いコンテナが三つと、養生用の毛布が一枚積んであった。リアガラスの内側に「配達中」の札が裏返しに置かれている。 車体の後ろのエンブレムは読めた。文字の並びは読めるのに、それを作っている会社が出てこない。工場が海のそばにあること、父の勤めるスタンドに入ってくる軽トラックの多くがそこの製品で、父自身もその会社の作る軽を三台乗り継いだことは残っている。名前だけが無い。いつ落ちたのかは分からない。落ちたと気づくのは、いつも、こういう用の無い時間だった。 運転席から降りた男は、思っていたより背が低かった。六年前に一度、証言台の前に立っているところを見ている。髪が後退していた。腰に手を当てて上体を二度反らせてから、後ろのドアを開けて折りたたみの台車を下ろした。コンテナを一つずつ玄関へ運ぶあいだ、携帯を耳と肩ではさんで、同じことを何度か言っていた。 「だから今日の分には入ってないんです。明日の朝いちで回します」 三つ目のとき、娘が縄を置いて、いちばん小さいコンテナを持ち上げようとし、持てずに置いた。男は何も言わずにそれを運んだ。運び終えて土間に座り込み、ポケットから伝票の束を出して輪ゴムを外し、一枚ずつめくって数えはじめた。指を舐めずにめくる。数え終えると、また輪ゴムをかけてポケットに戻した。 二〇二五年三月の法廷は、傍聴席が二十四あって、埋まっていたのは六つだった。父は仕事を半日休んで来て、開廷から閉廷まで一度も足を組み替えなかった。被告人質問のとき、この男は同じ言い方を三度繰り返した。取り返しのつかないことを、取り返しがつかないと分かっています、という言い方だった。弁護人が会社の勤務表を示し、前の月の時間外が九十七時間だったという数字が読み上げられ、裁判官はその綴じ目のあたりを指で押さえていた。判決は禁錮一年六月、執行猶予三年。会社のほうは書類送検で、罰金だけで終わっている。亨は意見陳述をしなかった。書式を渡されて二週間持っていて、白紙のまま返した。何を書けたのかは、六年たっても分からない。いまその数字を、伝票を数え終えた男が座っている土間の上に置いてみると、置いた数字のほうが浮いた。 「もう一回やるか」 「いい」 「数えてやる」 娘が縄を拾った。いち、に、さん、と男が数える。声は大きくない。四十を過ぎるあたりで男の数え方が娘の跳ぶ速さより半拍遅れはじめ、娘のほうがそれに合わせて跳ぶ間隔を伸ばした。四十八で縄が止まった。四十七より一回多い、と男が言い、娘はもう一度縄を構えた。 その回、二十二跳んだところで縄の柄が手から抜けた。 柄はアスファルトを転がって道を横切り、亨の靴の四十センチほど手前で止まった。青い樹脂の柄で、握るところのスポンジが片方だけ黒ずんでいる。缶を持っていないほうの手が肘から動きかけて、そこで止まった。 拾わなかった。 娘が走ってきて、自分で拾って、こちらを見ないまま戻っていった。走る足の裏がアスファルトを打つ音は、縄の音より高かった。五月十九日の朝、名前も知らない子どもの自転車の前に立って、行かせなかった。あのときは、考える前に手が出ていた。 男が娘に、道に出るな、と言った。出てない、と娘が言い返した。男は笑って、腰をもう一度反らせて、家に入った。 引き戸が閉まる音がした。 自動販売機の前に、そのまま立っていた。缶は手のひらの当たっている側だけぬるくなっている。二階の窓に明かりがつき、台所らしい窓の換気扇が回りはじめて、油の匂いが道まで来た。隣の家の庭で犬が短く二度吠えた。この家の男は、罰を受けている顔もしていないし、幸福そうな顔もしていない。伝票を数え、腰を反らせ、娘の跳んだ回数を四十八まで数えて、家に入っていった。明日の朝いちで二丁目を回るという用事を持っていて、そのために今夜のうちに寝る。舞が死んだことと、この家の換気扇が回っていることのあいだに、亨の側から引ける線は一本も無かった。線が無いということを、しばらく立ったまま確かめていた。缶を自動販売機の横の箱に入れ、上着の裾を直し、来た道を戻った。 亨はこの道で一度も声を出していない。 携帯を見たのは車に戻ってからで、十八時二十二分だった。六時二十分を二分過ぎている。過ぎたことに気づいたあとも、特に何も起きなかった。 駐車料金は三百円だった。精算機はボタンを押さないと領収書を出さない。押さずに出た。 区画を出るところで携帯が震えた。センターの番号だった。取らなかった。三分後にもう一度震えて、それきりになった。梶谷は留守番電話に用件を残さない人なので、次に顔を合わせたときに、同じ順序で同じことを話す。センターからの封書は、まだ台所の卓の端に、七通の封筒と同じ端に置いてある。 センターの届け出用紙には、日付、時刻、場所、文の全文、従ったかどうか、という欄が上から順に並んでいる。従わなかった場合に丸をつける欄も同じ大きさで刷ってあって、そこだけ罫が一本多い。理科の観測記録の様式とほとんど変わらず、違うのは、測定値を書く位置に「事象」と印刷されていることだった。今日この道で起きたことをその様式に落とすとすれば、八月二十六日、十六時四十分から十八時二十二分、間辺市の建売住宅の前、通行車両七台、気温は自動販売機の表示で三十一度、縄跳び、伝票、換気扇。事象の欄に書けることは無い。あの建物の人たちが三十年のあいだ埋められずにいる欄も、たぶん同じ位置にある。ハンドルに手を置いたまま、その欄の縦の長さを思い出そうとして、思い出せなかった。 帰り道を一本外して、桜台三丁目を通った。踏切は五月十九日の朝と同じ場所にあり、遮断機の柱の下のほうが錆びているのも同じだった。午前七時十四分に黄色い自転車を止めた位置には、いま、空き缶の回収箱と、電柱の根元に寄せられた三角コーンが二つある。三日後にこの踏切で人身事故があったと知ったとき、亨はまず、自分が止めた子どもとその事故の相手が同じ人間なのかを確かめようとして、確かめる方法が無いということのほうを先に知った。センターは因果を出さない。出せない。有意差はありますが因果ではありません、と柏原はそのとき言って、屋外の灰皿の縁で煙草を消した。警報が鳴りはじめ、遮断機が下りた。車を停めて待った。通ったのは二両の普通列車で、窓の内側に人の頭がいくつか並んでいるのが見えた。数えなかった。 七月の下旬に来た文は、一か月たっても一字も変わっていない。九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ。数えると二十二字ある。平均は二十七字だと梶谷が言っていた。紙に書き写して破っても、頭の中の側は破れない。届け出の期限は二十四時間で、それは義務ではないと最初に説明された。破っても罰はない。従わなかった者は今までに百八十七人いて、そのうち二度目を受け取った者は一人もいない。例外は無いと言うとき、梶谷は数字のあとに何も足さなかった。今夜あの家の換気扇が回っているのと同じように、八日後にもあの家では夕飯を作る。何をするかは決めていない。九月三日まで、あと八日ある。 第十三章 三十年 適合者経過調査票が届いたのは八月二十日で、同封の返信用封筒には料金が上がる前の切手が貼ってあった。二円足りない。不足のまま投函すれば戻ってくる。戻ってくれば、記入から二週間以内という提出の目安を過ぎる。二十九日の朝、亨は封筒を鞄に入れ、間辺市の駅前を九時四十分に出る鵜ノ瀬行きに乗った。峠を二つ越えるあいだに乗客は三人になり、最後の登りで耳が詰まった。降りた停留所の脇の道路温度計は二十六度を示していて、家を出るときに見た駅前の電光表示より六度低かった。 停留所からセンターまでは歩いて十二分あり、坂の下で父の勤めるガソリンスタンドの前を通る。黄色い看板の下に洗車機があって、その日は動いていなかった。事務所の窓の内側に、伝票を見ている父の背中が見えた。寄らなかった。用が済めば十一時三十分のバスがあり、それを逃すと次は一時間半あとになる、という順で考えた。看板の字は、道路から読める大きさで入れてある。 切手の話が理由になっていないことは、自分でも分かっていた。 二学期の時間割は先週決まって、担当のコマが二つ減った。一年生の地層の単元は十一月に入ってからで、準備室の棚には岩石標本の箱がそのまま置いてある。蓋の内側に貼られたラベルは色が抜けていて、深成岩の列の見本が一つ欠けている。勤務先の名前は、六月から出てこない。書類に勤務先を書く欄があるときは、その書類の上のほうに印刷されている名前を目で追って、一字ずつ写す。字は読める。読める字が、自分が毎朝自転車で行く場所と結びつかない。職員室でその話をする相手はいないし、話す必要のある場面も、今のところ来ていない。父からは八月の半ばに一度電話があり、車検が十月に切れるという用件だけで、四分ほどで切れた。切れる前に、あっちは涼しいのか、と聞かれ、まだ行っていないと答えた。それだけだった。 鵜ノ瀬地下研究センターの地上棟は二階建てで、白いタイルの目地のところだけが黒い。自動ドアの内側に来訪者用の記入台があり、鎖でつないだボールペンが二本挿さっていて、二本ともインクが出た。受付の職員は封筒を見ると、書き直してもらう欄が出ることがあるので、ここで開けて確かめてほしいと言った。待合の低い机には冊子が積んであり、去年の版と今年の版が二つに分けて重ねてある。中を開いて三頁ほど見比べたが、変わっているのは表紙の年度と、末尾の問い合わせ先の内線番号だけだった。記入台の正面の壁には避難経路図が貼られ、その横に職員名簿が二列で並んでいる。三十四人分の名前を端から順に読んだ。知っている名前は二つだった。受付では電話が鳴り、見学の団体に、坑道へは入れないこと、地上の展示室と模型だけになることを、二度に分けて説明していた。亨が書いているあいだに、七十くらいの男が入ってきて、受付に番号を言い、番号だけで話が通じて奥へ通された。名前は出なかった。 調査票はA4の両面刷りで、表が「直近六か月に受け取った文の数」「うち従った数」「センターへ届け出た数」の三つ、裏が「消失した固有名詞(分かる範囲で)」と「体調・生活上の変化」だった。表には、四、三、三と書いた。裏の欄は三行あって、一行目に勤務先の学校の名前、二行目に中学のときの担任、三行目に父の勤め先の看板の字、と書いた。名前を書く欄に、名前でないものを三つ書いたことになる。書き終えてから、括弧の中の但し書きを誰がいつ足したのだろうと考えた。あれを足した人は、たぶん一度は誰かの前にこの用紙を置いて、書けない相手をしばらく待ったことがある。待ったあとで、その人は用紙のほうを直した。体調・生活上の変化の欄には、変わりありません、と書いた。書いてから、ボールペンの先を紙から離さずに二秒ほど止めていたので、句点の右側にインクの丸ができた。消さなかった。用紙の右上には受理印を押す枠があり、そこだけが二重の線で囲ってある。 所長は裏にいます、と職員が言った。 裏手は砂利敷きで、コンクリートの土台の上にステンレスの灰皿スタンドが一つ据えてあり、その隣に自動販売機が一台置いてある。八月の終わりでも温かい飲み物のボタンが四つ点いていた。斜面は杉で、日が高いのにヒグラシが鳴いている。風はない。灰皿の脇には消火用の砂を入れたバケツが置いてあり、砂の面が平らに均されていて、使われた跡がない。柏原は白衣を着ておらず、色の褪せたポロシャツの襟の下に職員証を下げていた。写真の中の顔は今より髪が黒く、二十年ぶんほど若い。壁に背中を預けて立ち、煙草の箱を左手に持ったまま、右手の親指を何度か曲げては伸ばした。 「郵送でよかったのに」 「切手が足りなくて」 「ああ、上がりましたね、この春」 ライターを親指で回そうとして、二度、火がつかなかった。三度目の途中で亨のほうへ差し出したので、受け取って、風上に肩を入れて火をつけた。柏原は煙を吸い、吐いてから、親指の付け根を反対の手で押した。腱鞘炎だという。書類の書きすぎで、神経ではないらしい、と言った。亨は自動販売機で冷たい茶を二本買った。一本を渡すと、キャップに指をかけて、すぐこちらへ戻してきた。開けて返した。 「離脱した人の数を、もう一度伺ってもいいですか」 「百八十七人」 「そのあと、また来るようになった人は」 「ゼロです。四百十二例のうち、一件も」 数字を言うときだけ、柏原の返事には間がない。 「一人ぐらいいてもよさそうなものだと思うでしょう。三十年、それを探しています。去年は半径四・二キロの中に一年で何人が入ったかを数え直しました。曝露のわりに出る人は〇・〇三パーセントで、これも三十年変わっていない」 「07さんのところへ行かれたと聞きました。三十四年で二百十一通、そのうち二百三回。うちの記録で、線が引ける形になっているのはあの人のぶんだけです。線は引けますけど、何の線かは分かりません」 「三十年、何も出ないものを、どうして続けられるんですか」 「今日、九時四十分のに乗ったんですか。あれ、来年から一本減るそうですよ。町の人口が三千百人ですからね、仕方がないんですけど」 一九九六年の話を、柏原は順番どおりにした。二十三歳の院生で、掘削の立ち会いに入っていた。最初に言い出したのは作業員のほうで、その人は機械が壊れていると思って上がってきた。自分の頭の中に文があることを、まず機械の故障として報告した。その言い分を鉛筆で書き取ったのが自分で、日付と時刻と、二十三文字が残っている。ノートは今も所内にあって、最初の三年は毎晩坑道に降りた。温度補正を人の手でやっていた時期で、深さ千メートルを超えると壁が触れないほど暖かい。以後、電磁波、音波、振動、磁場、ニュートリノ、重力波、どれも対照との差が出ておらず、装置は増え、感度は三桁上がり、それでも差は出ていない。三十年で測れたことは、文の長さの平均が二十七文字だということくらいだ、と言った。それは物理の測定ではなく、届け出られた紙の上を数えただけの数字だ、とも言った。 「二〇〇〇年代の初めに、発表のあとで質問が一つも出ないということが三年続きました。三年目のときは、司会の先生が気を遣って自分で質問してくれた」 「懇親会で、おたくはいつ神学部に移るんですかと言われたこともあります。悪気はなかったと思う。私はそのとき唐揚げの皿を持っていて、割り箸をどこに置こうか探していました。そっちのほうを、今でもよく覚えている」 運営費が四割削られた年に装置を二つ止めた、と続けた。今は年に十一億八千万円で、職員は三十四人。三十年で人を減らしていないことがいちばん批判される。批判は正しい、というのが自分の考えだとも言った。止めた装置の一台は廊下の突き当たりに置いたままで、防塵のカバーの上に段ボールが三箱積んである。話しているあいだ、灰は落とさず、指の先で煙草を回していた。 「室生さんのところは、観察と実験に時間が取れていますか」 「取れていないです。教科書の写真を見せて終わることが多い」 「観測できないものは、無いものとして扱う。私もそう習いました。今もそう思っています。その教え方で三十年やってきて、何も無いという結果を三十年出し続けている。それはそれで、ちゃんとした結果です」 「私は信じていない」と言った。「私は待っている」 亨は茶のキャップを回して開け、飲まずにまた閉めた。同じことをもう一度してから、聞いた。 「何のためですか」 半分ほど残った煙草を灰皿の穴に落とし、ちょっと待ってくださいと言って建物に入り、二分ほどで戻ってきた。両手で持っていたのは、円柱を縦に割った形の灰色の石だった。掘ったときのコアの端で、直径は六十三ミリ、長さは十センチほどある。受け取ると見た目より重く、持ち直した。三百グラムはある。表面は白と黒の粒が混じっていて、粒はどれも一ミリより大きい。 「理科の先生ですよね。一年生でやるでしょう、これ」 「深成岩です。ゆっくり冷えたから結晶が大きい」 一年生には、粒の大きさを見れば冷えた速さが分かるという順で教える。その話は受けがいい。受けがいいのは、写真ではなく手元の標本で、生徒がその場で見て確かめられるからだ。確かめられないものを扱う時間は、年間の授業の中に一時間も無い。 「そう。ゆっくり、というのは何万年もかけて、という意味です。これが固まったのは地下十キロぐらいのところで、一億年より少し前」 その前は海の底に溜まった泥と砂で、二億年より古い、と柏原は続けた。それが押されて陸のへりに貼りつき、下のほうが溶けて、また固まった。固まったものが上がってきた。一年に一ミリの何分の一かずつ。ただし同じ速さで上がり続けたわけではないし、上は削られている。削られる速さも一定ではない。だから掛け算をしても合わない、と言った。年代は石そのものから読む。中に髪の太さほどのジルコンという結晶が入っていて、その中でウランがどれだけ鉛に変わったかを測る。測るのはセンターではなく、頼む先が別にある。順番待ちがある。一点で三十万円ほどかかるので、年に何点出せるかは、そのときの予算で決まる。 亨は頭の中で掛けた。合わなかった。 「坑道のいちばん下の壁を測ったら、誤差が二百万年ありました。二百万年です。人が石を割って使いはじめてからの全部より長い。私たちはそこに機械を置いて、三十年、秒の単位で記録を取っている」 杉の斜面の上のほうを指して、あの尾根は自分がここへ来てからの三十年で〇・数ミリしか低くなっていないはずだ、と柏原は言った。侵食の速さから計算した値で、直接は測っていない。自分に測れるのはそういう量で、それより下は掘るしかない。 亨は口を開いて、坑道の深さを聞いた。千二百四十メートルです、と柏原は答えた。その数字は待合の机に積んであった冊子の三頁目に印刷されていて、亨は調査票を書く前から知っていた。知っていて、聞いた。 「その岩の中に、何かあるんですか」 「何もないです。三十年、何も」 「それが答えですか」 「答えじゃないです。私が知っているもので、いちばん大きいのがこれなので。あなたの質問に出せるものを、私は持っていません」 石を鞄に入れようとして、底に入れると本の角に当たるので、いったん膝の上に置いた。柏原は自販機の下のほうを見ていた。次の所長を誰がやるかがまだ決まっていないという話を、そこで始めた。定年まではまだあるが、やりたいという人は今のところいない。公募は二度出した。三十年何も出ていない場所を引き受けるのは、その人の三十年を使うことだからだ、と言った。梶谷の名前はよく出るが、あの人は解析なので装置の面倒は見ない。それに、信じている人はこの仕事を続けにくいと思う、とも言った。答えの出ない状態に耐える形が、たぶん自分とは別にある。そう言ってから、本人に聞いたことはないので分かりませんけど、と付け足した。 「お父さん、まだ勤めてるんですか。坂の下の、黄色い看板の」 「はい」 「あそこ、なんて名前でしたっけ」 亨は答えなかった。柏原も待たなかった。二本目に火をつけるかどうか少し迷ってから、箱を胸のポケットに戻した。 鞄から調査票を出して渡すと、柏原は表の三つの数字のところで一度止まり、裏返して、消失欄の三行を読んだ。二度読んだ。それから二つに折って、煙草の箱の反対側のポケットに入れた。折り目は二つに割るところを一度で決めていて、指の腹で端から端まで押さえた。読んだあとで何か言われるだろうと思っていたが、何も言われなかった。 「二十四時間以内に、というのも、お願いであって、義務ではないので」 「はい」 「うちは記録するだけです」 空になったペットボトルを自販機の脇の箱に入れ、月曜までに来年度の概算要求を出さないといけないので、と言って建物に入った。石を返してくれとは言われなかった。 坂を下るときには洗車機が動いていて、水しぶきで事務所の中は見えなかった。父の車は建物の裏の定位置に停めてある。帰りも寄らなかった。停留所の時刻表の下に、来年四月からの便数変更の予告が、透明のテープで四隅を留めて貼ってあった。 バスは四分遅れて来た。鞄の底で石が動いて、座るときに膝に当たった。 第十四章 誓い 理科準備室の流しで、顕微鏡の接眼レンズを一つずつ外し、レンズペーパーに無水エタノールを落として拭いていた。二学期の始業まで六日あり、一年生の三クラスが九月の第二週に池の水を見ることになっている。五十台のうち十一台は絞りが動かず、三台は台座のねじが噛んでいて、それを修理に出すか捨てるかを決めるのは非常勤の亨の仕事ではない。備品の請求書を八月のうちに出さないと二学期に間に合わないと、事務室の人に二度言われていた。窓は開けてあるが山側から入ってくる空気は熱を含んだままで、顎から落ちた汗がステンレスの上で丸くなり、それから排水口のほうへ滑っていった。 作業台の端で携帯が鳴った。 登録していない番号だった。出ると朝比奈更で、名乗り方が定規で引いたようにきちんとしていて、二十四という年齢とはいつ聞いても合わない。 「今日の三時に、センターに来られますか」 「何かありましたか」 「来られますか」 行きますと答えて切った。理由を聞かなかったのは、八月の半ばに一度、理由を聞いて失敗しているからだった。レンズを箱に戻して蓋を閉め、十一台の絞りについては何も書かないまま点検表を伏せた。 間辺市から鵜ノ瀬までは車で四十分かかる。燃料計の針が四分の一を切っていたので、途中で父の勤めているスタンドに入った。孝造は別の車に給油していて、亨の車には目もくれずに手だけ挙げ、それから若い店員に何か言って寄こした。給油が終わるころに戻ってきて、黙ってフロントガラスを拭いた。二十七リットルで四千四百六十円だった。金を渡すとき、オイルがそろそろだぞ、とだけ言った。舞の話も、亨がなぜ鵜ノ瀬へ行くのかも、聞かなかった。 センターの駐車場は舗装が波打っていて、雨のあとは決まって同じ場所に水が残る。玄関の脇の灰皿に柏原の姿はなかった。一階の記録室は蛍光灯が二本切れたままで、机が四つ、書棚が壁の二面を埋めている。更は入口から二つ目の机に座っていて、向かいで梶谷が用紙を揃えていた。 届け出の用紙はA4で、上から三分の一が枠になっている。受け取った日時、場所、そのとき何をしていたか。枠の下に、文をそのまま書き写す欄がある。要約は認められない。一字でも変えるなと、亨も五月に同じ机で言われた。受けたら二十四時間以内に持ってくるという協定があるが、法的な義務ではありませんので、と説明したときの梶谷の声には抑揚が一つもなく、そのあとで湯呑みの底を布巾で拭いた。出しても何も返ってこないし、出さなくても誰も来ない。七月に受けた分を亨はまだ出しておらず、その用紙は封筒に入れたまま、車のダッシュボードの車検証の下にある。 更の字は小さく、右に流れていた。 亨の位置から全部は読めなかった。八月二十七日午後十時四十分、という頭のところと、途中の「触れず」という三字と、いちばん最後の「返るな」だけが見えた。梶谷が記入を確かめて用紙を裏返し、受理の判を押した。日付を合わせる輪がずれていて、二度やり直した。 「これで記録は済みました」と梶谷が言った。「あとは朝比奈さんが決めることです。センターは何も言いません」 「はい」 「従わなかった場合も、用紙は同じです。書式が違うと思っている人が多いんですが、同じです」 更は用紙を見ていなかった。机の縁に指を四本かけて、爪の先が白くなるくらいの力で押さえていた。 「室生さん」と更が言った。名前で呼ばれたのは初めてだった。「明日の夜、離れたところに立っていてもらえませんか」 「何をすればいいんですか」 「何もしなくていいです」 「見ているだけ、ということですか」 「私が止まらなかったところを、誰かが見ているほうがいいと思うので」 亨は返事をしなかった。梶谷が席を立って書棚から前年度の綴りを抜き、開かないまま戻した。更が椅子を引いて立ち上がり、机の上の消しゴムのかすを手のひらに集めて、部屋の隅の屑籠まで運び、手のひらを二度はたいてから、はたいた場所をつま先で少しだけこすった。断ってもいいのだと自分に言い聞かせながら、亨は行く時間の見当をつけていて、寺尾町なら学校から車で十五分、夜なら十分もかからないと計算していた。 「私は理由を聞きません」と更が言った。以前と同じ言い方だったが、今日は続きがあった。「聞くと従えなくなるからです。今日は、少し聞きたくなりました」 外へ出ると日はまだ高く、駐車場の白線は半分消えていた。梶谷は煙草を吸わないのに灰皿の横に立つ癖があって、亨が並ぶと、ポケットから小さい黒い本を出し、開かずに戻した。 「昔、戦に勝ったら家から最初に出てきたものを差し出す、と言った人がいます」 「それで」 「出てきたのは娘でした」 本には「主に向かって口を開いた」とだけあります、と梶谷は言い、あとは自分の言葉で足した。口に出してしまったから取り消せない、とその人は娘に言った。娘のほうは責めもせず、言ったとおりにしてくださいと答えて、待ってくれと頼み、二か月ほど山へ行き、それから自分で戻ってきた。逃げてもよかったはずなのに戻ってきたところが、何度読んでも自分にはいちばん分からない、と梶谷は言った。誓いを立てなければよかったという書き方をどこもしていないので、責める先が用意されていない。 「その話に、救いはありますか」 「ないです」 「梶谷さんは、それでいいんですか」 「よくないです」 梶谷は腕時計を見て、明後日が月に一度の面会日なんですが、と言った。息子がサッカーをやめたらしくて、何を話せばいいのか分からない。亨は返事をせず、水たまりの跡が乾いて白い縁を作っているのを見ていた。 八月二十七日は水曜で、日が落ちても気温が下がらなかった。寺尾町は間辺市の南の外れで、川に向かって落ちていく段の縁に、古い建売と月極の駐車場が交互に並んでいる。坂の勾配は上から見ると分かりにくいが、下から自転車を押して上がると膝に来る。柏原ならこの段の一枚の砂利がどこの山から何万年かけて運ばれてきたかを先に説明して、それで質問の答えにしてしまうだろうと思った。十時にカーブミラーの下に立った。上りの車が三台通り、そのうち一台が徐行して亨を見ていった。蚊が二度、耳の横で鳴った。三十四分待つあいだに考えたのは、明日の一時間目の教材のことと、更が本当に来なかった場合に自分は誰に電話するのかということで、後者には答えが出なかった。届け出は済んでいるので、来ても来なくてもセンターは同じ用紙に記録するだけになる。 更は十時三十四分に坂の上に現れた。白いTシャツを着て、膝の出たジーンズをはいていた。手ぶらだった。亨のほうを見ずに通り過ぎ、坂を下りはじめた。 亨は動かなかった。 街灯は坂の途中に二本しかない。下の一本の下、ガードレールの外側に人が座っているのが見えた。ミラーの位置から数えて六十メートルほど先で、車道側に自転車が一台倒れていた。人影は動かず、頭が少し前に落ちていた。 更の足音は変わらなかった。歩幅も、間隔も。街灯の下を通るとき、白い布が一度光って、また暗くなった。座っている人が顔を上げて、すみません、と言った。もう一度、すみません、と言った。二度目のほうが大きかった。 更は止まらなかった。 自分に来た文ではない、と亨は考えた。自分は何も言われていない。行っていい。行ってはいけない理由はどこにもない。それでもミラーの支柱から手が離れず、離れないまま四十秒ほど経った。更が坂の下の角を左に曲がって見えなくなってから、亨は歩き出し、途中から走った。 座っていたのは七十くらいの男で、半袖の襟付きシャツの右肘が擦れて血が滲んでいた。焼酎の匂いがした。チェーンが外れたのを直そうとして転んだらしかった。息子を呼んである、もうすぐ来る、と言った。それから亨に、火を持っているかと聞いた。持っていないと答えると、そうか、と言って、また下を向いた。亨はチェーンをかけ直そうとしたが、指が油で黒くなっただけで、ギアの位置が合わないまま手を離した。男はその手つきを見ていて、そっちじゃない、下の小さいほうに先に掛けるんだ、と言い、自分では動かなかった。 十時五十二分に軽トラックが坂を上ってきた。息子だという人が降りてきて、荷台の煽りを下ろし、自転車を積み、それから父親の肘の傷を見て、明るいところで見るからいいと言って助手席に乗せた。亨には二度礼を言い、この道は下りだけ速い車が来るのでいつも言っているんですが、と言った。何もしていないと答えた。テールランプがカーブで消えるまで、亨は坂の途中に立っていた。自分がここへ来たことに意味があったかどうかを判定する方法は一つもない。 角を曲がると、月極駐車場のフェンスの前に更がしゃがんでいた。膝を抱えず、両手を地面についていた。近づくと顔を上げ、亨を見て、それから道の先を見た。 「終わりました」 「はい」 「あの人は」 「息子さんが来ました。チェーンが外れて、転んだだけです」 更は道の先を見たままで、そうですか、と言った。 十メートルほど先に自動販売機があった。立ち上がろうとしてフェンスに手をつき、二度失敗した。三度目に立って、財布から硬貨を出そうとして三枚落とした。アスファルトの上を十円玉が転がって側溝の手前で止まり、それを拾って、また落とした。手が止まらなかった。針が振り切れているのではなく、目盛りの上を行き来して止まる場所を決められない秤に近かった。理科の授業で電流計の針が定まらないときは接触を疑えと教えているが、そういう見方をしている自分に気づいて、亨は硬貨を拾う側に回った。 亨が代わりに小銭を入れ、下から二段目のいちばん安い麦茶を押した。百四十円だった。取り出し口のペットボトルは冷えすぎていて、更は両手で持ったがキャップが回らなかった。亨が受け取って開け、返した。一口飲んで、飲みこむのに二度かかった。 そこから、更の歯が鳴りはじめた。 音が聞こえた。上下が細かく当たり、止めようとして口を閉じると、今度は顎が動いた。ペットボトルを両手で挟んだままフェンスにもたれ、ずるずると座り込んだ。自動販売機の中で冷却機が回りはじめ、その低い音が続いているあいだだけ歯の音が紛れて、切れるとまた聞こえた。亨は隣に立っていた。しゃがまず、肩にも触れず、更の頭の上にある看板を見ていた。月極駐車場の管理会社の名前と、市外局番から始まる十桁の番号と、空き三台という札が画鋲で留めてある。番号を三度読んだ。四度目の途中で、自分の名前を見せられてもそれが自分だと分からず、番号で呼ばれることを受け入れている七十六歳の顔が出てきて、消えた。何か言うべきだと思うたびに、言葉の頭のところで、それは自分が言っていいことなのかという確認が入って止まる。結局、二十分近く何も言わなかった。 「手が」と更が言った。「私、手だけは覚えてるんです。実習で、脈を取るのを何回もやったので。血圧計の、あのゴムの」 「はい」 「通るときに、勝手に動きそうになって、それを、こう、ポケットに」 言い終わらずに黙った。キャップを閉め、また開け、また閉めた。フェンスの網目に後頭部が食い込んで、髪に四角い跡がついていた。 「室生さんのに、人の名前が入っていたことはありますか」 「あります」 「知っている人ですか」 亨は看板の番号をもう一度読んだ。更はそれ以上聞かなかった。十一時二十分ごろ、通りを空車のタクシーが一台通ったが、二人とも手を挙げなかった。十一時四十分をすぎてから更が立ち、シャツの背中についた土を払い、駅のほうへ歩き出した。亨は五メートルうしろを歩いて、途中で並んだ。並んでからは何も話さなかった。 翌朝の九時に、同じ記録室にいた。用紙の下の三分の一が実行の記録で、従ったか従わなかったか、日時、そのとき何が起きたかを書く。何も起きなかった場合は特記なしと書く決まりになっている。三十四年で二百十一通を受けて二百三回従った人の綴りも同じ棚にあり、背の厚みは四センチしかないと梶谷が前に言っていた。更は従ったに丸をつけ、日時を書き、特記なしと書いた。ボールペンのインクが出ずに一度振り、それでも出ないので梶谷が自分のを渡した。字はやはり右に流れていた。 「朝、奨学金の書類を書いていて」と更が言った。返還が月に一万四千円あって、口座の変更を出すところだったという。「学校の名前が書けませんでした」 梶谷が書きかけの手を止めた。 「三階の実習室は分かります。ベッドが六台あって、いちばん奥のが高さの調整が壊れていました。二年のとき、そこで手洗いを三十回やらされました。教員の顔も、同期の子の顔も出てきます。駅から坂を上って十二分でした。名前だけありません」 「調べれば分かります」と亨は言った。「電話をすれば名簿があります」 更はボールペンを置いて、両手を膝の上に戻した。爪が短く切ってあって、右の人差し指の内側だけ皮が硬くなっている。 「番号なら、書けます」 梶谷がそのボールペンを取って、用紙の余白に410と書き、日付を入れ、時刻の欄で一度手を止めてから、九時十二分と書いた。 第十五章 九月三日 七時十一分に目が覚めた。カーテンを開けると外廊下の手すりに雀が二羽いて、こちらを見てから、間を置いて順番に飛んだ。九月に入っても部屋の空気は動かない。西向きの壁は昼過ぎから熱を持ちはじめ、日が落ちてもしばらく下がらない。布団を畳んで押し入れの下の段に入れ、シーツの端が出ているのを二度直した。 時間割は三週間前に替えてもらってある。金曜の午後の二時間と、この日の午後を入れ替えた。理由は薬品庫の在庫確認だと言った。確認する必要はなかった。硝酸銀も塩化ナトリウムも、七月のうちに残量を紙に書いて棚の扉の内側に貼ってある。替えてもらったとき、事務の人は理由を聞かずに判子を押した。書類の宛先に印刷された学校の名前は、字としては読めた。非常勤の給与は持ちコマの数で決まるので、この日を空けたぶんだけ十月の振込が減る。二時間で三千六百円ほどになる計算で、そのことは替えてもらう前に一度、電卓で確かめた。空けておく必要のない日を、金を払って空けたことになる。 行かない、と決めている。 決めたのは八月二十六日で、それから毎日、決めたことをもう一度確かめている。確かめる必要のないことを繰り返し確かめるのは、決めていない人間のすることだと分かってはいた。それでも朝のうちに一度、洗濯機を回しているあいだにもう一度、確かめた。脱水は三回に一度、片寄りでエラーが出て止まる。止まったら蓋を開けて中の物を並べ直し、また閉める。今日は二回目で止まった。 理由は簡単だ。あの男を運ぶ理由がない。運んだところで戻ってくるものはないし、戻らないと承知のうえで運ぶのは、こちらが何かを取り下げたことになる。取り下げていない。だから行かない。この順番なら誰にでも説明できる。八月二十六日から今日まで、一度も声に出していない。 頭の中の文は薄くなっていない。九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ。全部で二十二文字ある。七月の終わりに藁半紙へ書き写して破いたが、破けたのは紙のほうだけで、文の位置も形も変わらなかった。忘れようとして忘れられないのとは違う。忘れるという操作が、そこには最初から効かない。九九や自分の生年月日と同じ棚に、あとから一つ増えたものとして置かれている。 蓼科の家までは六・四キロある。七月に一度だけ車で行って、そのとき距離計を見た。昼なら十四分、県道の混む夕方は十八分かかる。六時二十分に運べというのが、その時刻に家を出ろという意味なのか、その時刻に病院へ着いていろという意味なのか、文だけでは決まらない。後者なら出るのは六時二分で、締切が十八分早くなる。市内で夜間の救急を受けているのは二か所あって、北と南に分かれていて、どちらへ運ぶのかも書かれていない。決められないことが三つある、と数えたところで、数えても仕方がないと思った。行かないと決めているのだから、締切も行き先も要らない。要らないものを三つ、朝のうちに数えた。 七月に行ったとき、庭で娘が縄跳びをしていた。八歳だと聞いている。二重跳びを続けようとして三回で引っかかり、縄を足の甲から外して、また構えていた。妻のほうは物干しから洗濯物を取り込んでいて、車の中のこちらを見なかった。玄関脇に軽バンが停めてあって、後部の窓に運送の名前ではなく個人の屋号らしい文字が入っていた。六時二十分にその家へ何人いるのかは知らない。軽貨物の仕事は夕方がいちばん詰まるはずだから、本人は外にいるかもしれない。外にいるなら、家の前で待っていても意味がない。運べという文には、どこから運ぶのかが書かれていない。そこまで考えて、待ち方の話をしている自分に気づいてやめた。やめたのは三度目で、朝からずっと、やめては同じところへ戻っている。 財布に紙が一枚入っている。四つに折った罫紙で、固有名詞が二十七、縦に並べて書いてある。人の名前、町の名前、店の名前、母が最後の年によく聴いていたものの題。六月に書いた。二つ目の文に従った翌朝に勤務先の名前が消えたので、消える前に書き出しておけば照合できると考えた。三つ目のときに試して、効かないことが分かった。紙の上の字は読める。声に出しても読める。ただ、その字の並びと、毎朝自転車を停める場所や、二階の準備室の鍵の重さとが、どこでも繋がらない。三つ目で消えたのは母の聴いていたものの題で、書いてあるとおりに口に出しても、台所の換気扇の音といっしょに流れていたあの旋律のほうへは届かなかった。旋律は残っている。順番も残っている。題だけが、他人の家の表札のようにそこにある。それでも紙は捨てていない。捨てる理由のほうが見つからない。 二十七のうち、どれが次に行くのかは決められない。梶谷は、順序に法則は見つかっていない、と言った。見つかっていないのか、無いのかと訊くと、統計的には後者に近い、と答えた。選べるなら、いちばん下に書いた名前から順に差し出す用意はある。選べないから、この紙には値段がつかない。二十七のうち二十六まで失うことに同意して、残りの一つを指定する取引なら、たぶん今日のうちに応じている。応じさせてもらえないので、行かない、という一行だけが残る。 押し入れの上の段に、菓子の缶がある。中に封筒が七通、開けないまま入れてある。命日ごとに一通ずつで、いちばん下が二〇二四年のものだ。缶に入れる前に、消印の日付だけは毎年見ている。七通とも、その週のうちに投函されている。厚みは年ごとに違って、二〇二七年のものがいちばん薄く、去年のものがいちばん厚い。厚みで中身を推し量ろうとしたことが二度あり、二度とも、推し量るのは読むことの手前ではなく別の作業だと考えて、缶に戻した。 四つ目の文を受けてから、届け出はしていない。協定では二十四時間以内ということになっていて、その二十四時間はとっくに過ぎ、いまは五週間を越えている。義務ではない、と最初に柏原から言われた。我々は記録するだけです、指示はしません、とも言われた。指示をしない相手に、これから従わないつもりですと報告しに行く理由は、どう並べても出てこない。届け出をしないという選択にだけは、はっきりした説明がついている。 二時過ぎに、センターの梶谷に電話をかけた。用件は記録のことにした。 「常盤さんの数字ですが」 「はい」 「二百十一通で、従ったのが二百三回と資料にありました。差の八回は、どういう扱いになっていますか」 梶谷は少し黙って、手元にありますので待ってください、と言った。紙をめくる音が四回した。 「記録上は、従わなかった回です」 「四百十二例では、一度従わなければ二度と来ない、離脱は百八十七人、再開は零だと聞きました」 「そう説明しています。私もそう書いています」 「合わないですね」 「合いません」 梶谷はそれ以上のことを言わなかった。九七年の登録なので当時の記録の取り方が今と違う可能性はある、定義の揃っていない時期の数字だ、とだけ足した。本人に聞いたことはあるのかと訊くと、あります、と答えた。 「なんと」 「覚えていない、と」 それから、届け出は義務ではありませんが記録に残しておくとあとの手続きが楽です、と言った。事務的な声で、勧めている調子はなかった。 「いま、何かお持ちですか」 「いえ」 そう答えて切った。壁の時計は二時十四分、テレビの時刻表示は二時十五分だった。 電波時計は窓際に置かないと標準電波を拾わない。去年の冬に置き場所を変えてから、一分ずれたままになっている。携帯の時刻は基地局から来るので、三つのうちではそれがいちばん確かだ。三つを並べて、電波時計を手で合わせた。合わせながら、文が指しているのが壁の時計の時刻であるはずがないとも思っていた。それでも合わせた。測れないものを扱うときは、まず測れるものを揃える。揃えたところで何も測れていないことは、揃えた本人がいちばんよく知っている。 八回という数字は、電話を切ったあとも残った。二百十一と二百三の差で、四百十二例の原則の外にある八回で、七十六になる人が三十四年かけて積んだ記録のどこかにある八回で、当時の担当が今と違う欄に書いたというだけの八回かもしれない。三十四年を分母にすれば、一年に〇・二四回だけ、原則が原則でなかったことになる。それを希望と呼ぶ気はなかった。呼ばずに、電気代の封筒の裏に8と書いて丸で囲み、しばらく見てから、封筒ごと台所の袋に捨てた。捨てたあとで、袋の口を縛った。 四時前に朝比奈更から連絡が入った。先週のことには触れていない。昨日はよく眠れた、という一行だけだった。あの日、更が従ったあとで座り込んだ廊下は、センターの二階の、自動販売機が一台しかないほうで、こちらはそのとき何もしなかった。声もかけなかった。かけるべき言葉を探して、探しているうちに四十分が過ぎ、更のほうが先に立った。返信に十七分かかって、結局、わかりました、とだけ送った。既読はすぐについた。 五時に答案を出した。二学期の最初の小テストで、三十一枚ある。地層の問題があって、いちばん下の層がいちばん古い理由を書かせた。ほとんどが、下から順に積もったから、と書いている。一人だけ、重いものが下に沈むから、と書いていた。堆積のあとに層が入れ替わることはないので、答えとしては誤りになる。×をつけ、赤で、たまってしまえば並べ替えは起こらない、と書き足した。書き足してから、その一枚をもう一度読んだ。沈むほうが先に下へ行くという考え方は、順番を後から直せると思っている点で間違っていて、直せないと知っている点では正しい。九枚採点して手が止まった。 五時五十二分に父から電話が来た。用件は軽トラの車検で、来月の頭に切れるから同じ工場に頼んでいいかという話だった。頼んでいいと答えた。父はそれから、給油所に新しい洗車機が入ったこと、操作を覚えるのに三日かかったこと、据え付けに来た若い業者が説明の途中で二回電話に出たことを話した。墨が切れてから継ぎ足すような間があって、こちらが相槌を打たないと次へ進まない。 「米は足りとるか」 「あります」 「そうか」 去年の秋に二人で行った直売所の話になって、その土地の名前が出てこなかった。国道を下って橋を渡って川沿いを左に入ったところだ、と言うと、父は、ああ、とだけ言った。名前は言わなかった。言われても、たぶん結びつかない。 「切るぞ」 「うん」 切れたとき、壁の時計は六時三分だった。出るなら六時二分だと計算してあった。 台所に立ってやかんに水を入れた。火はつけなかった。流しの縁に指を置いて、ステンレスが日中の熱を持っていないことを確かめてから、部屋に戻った。座布団の上に座り、テレビはつけず、答案を裏返して机の端に寄せた。玄関の靴箱の上に車のキーがある。十三年目の軽自動車で、走行は十一万を超えていて、去年からエアコンの効きが落ちている。三日前に満タンにした。三日前に入れる必要はなかった。半分残っていたのを、給油所の前を通ったついでに入れた。理由は特にない。 十四分になった。 十七分。窓の下を自転車が通って、チェーンの音が遠ざかった。向かいの棟のどこかで換気扇が回りはじめた。壁の時計の秒針は、五十九から零へ移るときにわずかに戻る。買ったときからそうだった。 二十分になった。 何も起きなかった。体のどこも変わらず、部屋の温度も音も変わらず、文はそのままそこにある。位置も形も、朝と同じだ。過ぎたことを知らせるものは何もない。取り消し線が引かれるわけでも、字が薄くなるわけでもない。実験で言えば、反応が起きなかったのか、そもそも試薬が入っていなかったのかを、外側から区別できない状態にあたる。三十年、何も検出されていない場所の下にいる人たちが、毎日この形の結果を受け取り続けているのだと考えて、それは慰めにならないとすぐに分かった。百八十七人が、それぞれの部屋で、同じように何も起きないのを見たはずだとも思った。そのうちの誰にも会ったことがない。会いに行く方法は制度としてあるが、名簿を見せてくださいと言うためには、こちらが何を持っているかを先に言わなければならない。言えば記録に残る。残ったものは、二百十一と二百三のあいだの八のように、三十年後の誰かに数えられる。 二十一分になって、冷蔵庫のコンプレッサーが止まり、部屋の音が一段下がった。自分の呼吸を数えていることに気づいて、やめた。やめてからまた数えた。 二十三分。 膝の上に手を置いたまま、玄関のほうを見た。キーは靴箱の上にある。立たなかった。立たない理由は三つ並べられたが、三つとも、さっき電話で父にした直売所の説明と同じ形をしていた。道順は言える。名前が出ない。名前の出ない説明を三つ持っている人間が、それを理由と呼んでいいのかどうかは、理科の範囲では決められない。 六時二十六分に、机の端の実験ノートを開いた。四月から使っているもので、日付と時刻と、観測した事実だけを書くようにしてある。九月三日、十八時二十分、と書いて、そのあとに、変化なし、と書いた。書いてから線を引いて消し、観測されず、と書き直した。二つは同じではない。答案は二十二枚残っていた。 第十六章 運ぶ 六時二十分は、秒針が文字盤の十二を通ったところで過ぎた。壁の時計は二年前に千二百円で買ったもので、四十四秒のあたりで針が一度だけ引っかかる。買った月から同じ場所で引っかかっていて、直そうと思ったことはない。膝の上に手を置いて、引っかかるのを十四回数えた。窓は開けてある。下の道を原付が一台通り、そのあとはしばらく何も通らなかった。台所の卓の端には、輪ゴムで束ねた封筒が七通と、センターの情報交換会の出欠葉書が置いてある。葉書はまだ出していない。 過ぎたあと、部屋は過ぎる前と同じだった。 六時三十四分に立ち上がった。決めたことを取り消したつもりはなかった。取り消した覚えのないまま、流しの縁に伏せてあったコップを起こし、鍵を取り、玄関で靴を履いた。靴べらを取ろうとして肘が鞄に当たり、鞄が倒れて、中の石が土間に落ちた。八月の終わりに柏原からそのまま渡されたコアの端で、直径六十三ミリ、三百グラムはある。落ちた音は乾いていた。拾って机に戻す時間の計算をして、そのままにした。左の腰から膝の外側にかけての痺れは八月からのもので、階段を降りるときにだけ残る。二階から下までの十四段を手すりを使って降り、駐車場に出たところで財布を置いてきたことに気づき、また上がって降りた。二度目のほうが痺れは軽かった。 エンジンをかけたとき、燃料計の針は四分の一の少し上にあった。 十一年落ちの軽で、車検は十一月に来る。右の前のタイヤだけ減りが速く、直進でハンドルがわずかに左へ流れるので、握りをいつも十度ばかり戻したまま走る。市道から二つ目の交差点を右に折れ、県道を四キロ半ほど東へ行く。八月二十六日に一度走った道で、そのときは十四分だった。今度は信号の変わり方が違い、三つ目で長く待った。待っているあいだ、対向車線の軽トラックの荷台に脚立が二本積んであって、片方の脚に黄色いテープが巻いてあるのを見ていた。県道の途中の二キロほどが片側交互通行になっていて、八月に通ったときは誘導員が旗を持って立っていたのが、この時刻には信号機付きの仮設に替わっていた。その赤で止まっているあいだに、ダッシュボードの時計と携帯の時計とが一分ずれていることに気づいた。どちらが合っているのかを確かめる方法をいくつか思いつき、どれも今この場ではできないという理由で順に消した。ラジオはつけなかった。この十四分のあいだ何を考えていたのかを、翌日以降に何度か思い出そうとしたが、出てこなかった。生徒に水の温度を測らせるとき、目盛りを読み上げるまでの十数秒、教室の誰も何も考えていない。あの十数秒が続いていた。 六時四十八分に区画の入口へ入った。 コインパーキングは通り過ぎた。東から三番目の家の前で、白い軽バンが土間の左側に後ろ向きで停まり、後部のドアが両方とも開いていた。荷台には青いコンテナが三つある。玄関の引き戸も開けたままで、内側の明かりが土間のコンクリートを半分だけ照らしていた。灯油のポリタンクの片方が倒れ、縁のところまで転がって止まっている。 女が土間に立って、携帯を左の耳に当てていた。 「二十六の四です。……いえ、違います。二十六の十四。四のあとに、十四がつきます」 車を降りて、門柱の脇まで歩いた。表札の下に番地の板が貼ってある。二十六の十四で合っていると言った。八月に携帯の地図へ打ち込んだ番地だった。打ち込んだ日から一度も消していない。 「名前は無いです、建物の。建売なので。角にコインパーキングがあって、そこから三軒目です」 女はこちらを一度見て、それから電話口に同じ数字を繰り返した。 「三十八です。意識はあります。しゃべってます。さっきから同じことを言ってます」 玄関のほうへ目を移した。上がり框に男が座り込んで、両手で頭のうしろを押さえ、床へ向けて浅く息をしていた。作業ズボンのままで、片方の靴下だけが脱げている。三和土に吐いたあとがあり、その上に新聞紙が二枚かぶせてあった。かぶせたのが誰かは分からない。男の背中は肩の下のところまで濡れていて、シャツの縫い目に沿って色が変わっていた。呼吸のたびに肩が上がるが、上がる幅がだんだん小さくなっていた。頭が痛いということを、二度、続けて言った。二度目は語尾が崩れて、途中で切れた。 「十七分」と、携帯を耳から離さないまま言った。誰に向かって言ったのかは分からない。「今、出はらってて、隣から来るって。十七分」 「病院まで九分です。信号は四つです」 「近所の方が、車を出してくれるって。……はい。……いえ、待ちません。十七分は待てないので」 そのあとで、携帯をこちらへ差し出しかけた。運転する者の名前を聞かれたらしかった。受け取らずに、自分の車の後ろのドアを開け、後席の座面を前に倒した。倒すと荷室と繋がって、大人が膝を曲げたまま横になるだけの長さが出る。カー用品店で買った折りたたみのコンテナが一つ載っていたので、それを外へ出した。 「すみません、お名前を」 コンテナを土間の脇に置いて、毛布はあるかと聞いた。 「毛布が、あの車の後ろに」 女はそう答えてから、携帯を耳に戻した。「自分で運びます。……はい。はい」 切ったのが向こうの話の途中だったかどうかは分からない。先に着いて、荷台から養生用の毛布を一枚引き出した。段ボールと埃の匂いがした。折り目のところが日に灼けている。 男の左腕を自分の肩に回して立たせた。持ち上げたときの重さは、思っていたよりずっと少なかった。肩に掛かった腕の重みは、理科室の実験机の端を一人で持ち上げるときのそれに近く、片側だけに寄っていた。右の手のひらは背中の濡れているところに置くことになり、左の手は肘の上を掴んでいて、掴んだ場所の皮膚が思っていたより薄く、指を置き直しても置き直しても骨のかたちが当たった。指の先が冷たく、服の上からでも汗の温度が伝わってきた。頭のうしろを押さえていたほうの手が、途中で一度こちらの襟を掴み、すぐに離れた。土間から車まで六メートルほどを、二度止まりながら歩いた。二度目に止まったのは男のほうの都合で、そこでまた吐いた。靴の先にかかった。踏み替えずに、そのまま最後の二メートルを歩いた。 「すみません」と男が言った。 誰に向かって言ったのかを、この男は見ていない。言い終わらないうちに、もう一度同じことを言った。 後席に横向きに寝かせ、毛布を膝から下にかけた。頭を運転席の背もたれ側に置いた。女が上から覗き込んだ。 「慎司さん。聞こえてる。ねえ、聞こえてるなら手を握って」 返事はあった。 玄関の内側に、娘が立っていた。 髪が濡れていて、塩素の匂いがした。水曜だった。八歳で、小学三年生だと聞いている。 「ひなた。隣、行ってなさい」 娘は動かなかった。女はもう一度、同じ高さの声で同じことを言い、返事を待たずに助手席に乗り、ドアを閉めた。閉めてからシートベルトを探して、見つからないまま、後ろへ体をねじった。娘は玄関の枠に手をかけて立っていた。バックミラーの中で、それが小さくなって、区画の角で見えなくなった。 道は空いていた。四つの信号のうち三つで止まった。二つ目の信号で、後ろの男がもう一度吐いた。女はコンビニの袋を広げて口のところに当て、片方の手で頭を支えていた。 「すみません、車を汚して」 返事はしなかった。三つ目の信号で、女が別のことを言った。 「保険証、家に置いてきました。財布ごとです」 「あとで払える仕組みになっていると思います」 前を見たまま答えた。実際にそうなのかは知らなかった。九分と出ていたところを、八分で着いた。 救急外来の入口は建物の北側にあり、夜間はそこ一つしか開かない。 車寄せに停めると、警備員が出てきて、中の人に手を挙げ、車椅子を押してきた。男は自分で座れた。座ってから、両手をまた頭のうしろに回した。警備員が車を移すように言い、指さした先の枠に停めた。戻ると、女は窓口で、名前と生年月日を三度聞かれていた。生年月日のところで一度詰まった。 来院時刻と搬送方法を書く欄のある紙を渡され、女がボールペンを持ったまま動かないので、代わりに書いた。時刻は十九時六分。搬送方法の欄には、自家用車、と書いた。氏名の欄は女の名前で、その下に続柄の欄がある。書くところは無かった。 「保険証はお持ちですか」 「持ってきていません」 「では本日は自費でお預かりして、次にお持ちいただいたときに精算します。運ばれた方のご関係は」 「近所の方です」と女が言った。 訂正しなかった。窓口の職員は、では付き添いはご家族のみで、と言って、こちらの分の用紙を一枚戻し、二本引かれた線の間に何かを書き足した。書き足したものは見なかった。 待合の椅子は十二脚あって、三脚に人がいた。天井の蛍光灯は四本のうち一本が切れていて、その下だけ紙の白さが違う。窓側の一脚には五十くらいの男が座り、膝に置いた携帯の同じ画面を上から下へ何度も送っていて、送り終わるたびにいちばん上まで戻していた。残りの二脚は親子で、母親のほうが受付まで二度立っていき、二度とも、あと何番ですか、と聞いてから戻ってきた。子どもは眠っていて、額に貼った冷却シートが斜めにずれ、片方の端が眉にかかっていた。自動販売機は入口寄りに一台あり、温かい飲み物のボタンが二つ点いていた。買わずに、その前に立っていた。掌の内側が乾いてこわばり、洗いたい感じがあったが、手洗いの場所を聞くために誰かを呼び止める気にはならなかった。上着の右の袖口に、土間から車までのあいだについたものが乾きかけていて、擦ると繊維の毛羽が立った。 十九時二十分過ぎに、男は奥へ運ばれた。 処置室の前の廊下は待合とアクリルの衝立で仕切ってあって、話し声はほとんど通る。看護師が女に問診票の続きを聞いていた。持病はない。薬は飲んでいない。酒は週に二回。仕事は軽貨物で、今日は五時半に上がった。 「いつからですか」 「六時二十分ぐらいです。テレビの、ニュースが始まってすぐだったので」 看護師は同じ時刻を復唱して書き取り、そのあいだに次のことを聞いた。頭を打っていないか。今日、転んでいないか。女は転んでいないと答え、それから、今朝から肩が痛いと言っていたが関係あるかと聞いた。看護師は、あとで先生に伝えます、と答えた。自動販売機の下から低い音が続いていた。 医師が出てきたのは八時前だった。撮影の結果を、廊下で立ったまま説明した。くも膜下腔に出血がある。出血の量は少ないほうで、意識ははっきりしている。血管に瘤ができていて、そこが破れた可能性が高い。明日の午前に血管の撮影をして、詰めるか、開けるかを決める。今夜は集中治療室で、面会はできない。再出血が起きるとしたら二十四時間以内が多く、そこを越えられるかどうかで話が変わってくる。 「うちに着いてから、ここまでどのくらいかかりましたか」 「十九時六分に着きました」 医師は復唱もせず、そうですか、とだけ言って、次の項目に移った。運んだ経路や手段について、それ以上のことは何も聞かれなかった。女は、はい、と言った。同意書に署名する場所を三か所示され、二か所目でボールペンのインクが出なくなり、看護師が別のものを持ってきた。持ってきたほうは太さが違って、女の字は三か所目だけ大きくなった。 幸い出血は少ないほうです、と医師はもう一度言った。 女が振り返ったとき、自動販売機の前にはいなかった。 駐車券は救急の窓口で判を押せば無料になると壁の貼り紙に書いてあったが、押してもらわずに出た。四百円だった。精算機の釣りは五十円玉が二枚で、片方が新しいほうの図柄だった。車に戻ると、後席に毛布が丸めたまま残っていて、匂いがあった。窓を四枚とも開けて走った。 県道を戻る途中でセルフに寄った。十時で閉まる店で、その時刻の五分前だった。二十一・四リットル、三千百三十円。ノズルを戻し、レシートを抜いた。給油機の枠に、水拭き用の雑巾が丸めて置いてある。断らずに一枚もらい、後席の座面を拭いた。染みは縁のところまで広がっていて、二度拭いても輪郭が残った。雑巾は洗って、元の場所に戻した。父の勤めるスタンドはここより一リットルあたり七円高い。この店で入れるようになって一年たつ。 部屋に戻ったのは二十二時十分だった。 石は土間に落ちたままだった。拾って机に置き、手を洗った。ノートを開いた。一つ目のときにセンターの受付でもらったもので、罫線の左端に受信日時を書く欄が刷ってある。空いている頁に、九月三日、十八時三十四分発、十九時六分着、と書いた。書いてから、この二つの時刻のあいだに起きたことのうち、数字で書けるものを順に足した。走った距離が四・六キロ、信号が四つ、そのうち止まったのが三つ、車に乗せるまでに要した時間がおよそ九分、給油が二十一・四リットル、駐車料金が四百円。生徒に測定値を記録させるときは、単位と時刻を落とすなと毎回言っている。落とさずに書き並べても、その列のどこにも、なぜ十八時三十四分に立ち上がったのかを書く欄は無かった。従ったかどうかを書く欄も、このノートには無い。届け出の期限は、そこから二十四時間で、九月四日の午後七時六分になる。センターの受付は二十四時間つながり、番号は財布のカードの後ろに折って入れてある。八月七日のときは、番号を画面に打ち込むところまではやった。今度はそれもしなかった。 第十七章 舞 九月四日は五時十二分に目が覚めた。前の晩に脱いだ上着が椅子の背にかかったままで、右のポケットに病院の時間外受付で渡された紙が入っている。駐車券も一緒に出てきた。三時間十二分の駐車で四百円だった。券の端が汗を吸って波打っている。台所で水を一杯飲んでから上着を畳み、券は財布に戻した。捨てる理由も取っておく理由も見つからないまま、小銭の入るところに押し込んだ。 受付では続柄を聞かれた。答えないままでいると、事務の人はそれ以上待たずに、搬送の経緯だけをこちらの言った順に自分の字で書き取っていった。用紙の氏名の欄は空けたままにした。妻のほうも待合の椅子から二度こちらを見たが、名前は聞かなかった。看護師が奥から出てきて、たぶん開頭までは要りません、という言い方で見通しを話し始めたところで、廊下を出て、階段で駐車場へ降りた。後部座席は倒したままにしてあって、帰りの信号待ちのたびにルームミラーの下半分にその平らな面が映った。アパートの駐車場で一度だけシートに手のひらを当ててみたが、濡れても汚れてもいなかったので、そのまま戻して鍵を閉めた。 流し台の下の扉が閉まりきらないので、いつものように膝で押した。蝶番が緩んだのは六月で、ホームセンターの金物の棚の前で三十分ほどしゃがんで探したものの、同じ幅で同じ穴の位置のものは置いていなかった。 本棚の二段目を空けて、位牌と写真立てを並べてある。線香は父の家から持ってきた短いのが十本ほど残っている。マッチを擦り、火を移して、灰に立てた。灰が崩れて線香が傾いたので、指で立て直した。指先についた灰を、寝間着にしているジャージの腿で拭った。 それから位牌を持ち上げた。 裏に俗名と没年月日が彫ってある。二〇二四年七月十一日、行年二十二、と縦に続いている。彫りは細く、入れてもらった朱が半分ほど剥げていて、溝の底にだけ残っている。名前のところで指が止まった。読める。舞、と読む。読めるのに、それが誰の名前なのか分からない。 位牌を戻し、向きを少し直し、もう一度持ち上げて同じところを見た。二度目も同じだった。三度目は見なかった。 妹がいたことは覚えている。二つ下で、大学四年で、七年前の七月に死んだ。書道を小学一年から十二年やった。左利きで、箸も鉛筆もハサミも左だったのに、筆だけは右で持った。理由を聞いたら、先生が右で教えるから、と言った。文鎮を置く順にも決まった手つきがあって、必ず紙の右上を先に押さえ、それから左下を押さえた。稽古から帰ってくると右手の中指の第一関節に浅い凹みができていて、風呂に入る前にそこを左の親指で押しているのを何度も見た。中学二年の県の展覧会で銀色の紙をもらい、それを冷蔵庫に貼っていたら母が調理油の跳ねたところを拭くついでに隅を破って、その晩に台所で言い合いになった。仲直りをどうやったかは覚えていない。大学に入ってからは書道を続けず、教職の単位だけを律儀に取っていた。就職先は信用金庫に決まっていて、内定の紙を見せに来た日に父が焼肉屋へ連れて行った。二〇二四年七月十一日の朝は、いつもより十分遅れて自転車で駅へ向かっていた。全部ある。順番に並べることもできる。その全部に名前がついていない。 机の抽斗から巻いた半紙を出した。最後の年に書いたもので、葬式のあとで父が形見として親戚に配ったうちの一本になる。輪ゴムが切れかけていたので指で外し、机の上で広げた。墨の濃いところと薄いところが縦に分かれて、紙の繊維が浮いている。下に落款と署名が入っている。署名の字は読める。位牌の字と同じ形をしていることも分かる。同じ字だということと、それが誰かということは、別の場所にあって、片方だけがこちらに残っている。 半紙を巻き直し、台所の引き出しから新しい輪ゴムを取ってきて掛けた。 六時四十分に父の携帯にかけた。スタンドは六時半に開ける。三コール目で出た。背後で洗車機が回っている。 「父さん」 「ああ」 「今、いいかな」 「灯油の予約が始まったからな。客はまだ来ない」 聞いていない質問に答えるのは昔からで、こちらもそれで用が済むことが多い。ノズルをホルダーに戻す金属の音がした。 「妹の名前、なんだったかな」 言ってから、自分がいま何を言ったのかを確かめるための間があった。父の側でも音が減った。洗車機だけが同じ速さで回り続けている。 「舞だよ」 「舞」 「どうした」 「役所に出す紙があって、続柄と名前を書く欄があるんだけど、字が」 「そうか」 父はそれ以上聞かなかった。代わりに、事務所のシャッターの話を始めた。 「三月から下がりきらん」 「業者は」 「二度来た。二度とも部品の型が違う」 「次は」 「決まっとらん。夜はチェーンを通して南京錠で留めとる」 それで保険の条件を満たしているのかどうかは、所長にまだ聞いていないという。 「腰は」 「先月よりましだ」 ましだという言い方をするときは、たいてい前より悪い。話しているあいだに客が入ったらしく、いらっしゃいませ、と受話器の向こうで急に声が大きくなったので、こちらの耳から少し離した。切る前に、暖房用の灯油は早めに頼め、去年は十二月に入ってから言ってきて二日待たせた、と言われた。 切ってから、財布の駐車券の下にあったレシートの裏に、舞、と書いた。書ける。手が形を覚えている。書いた字を見た。読める。誰のことか分からない。レシートを二つに折って、券の隣に入れた。 その日は午後からの二コマだけで、午前は空いていた。 センターまでは車で三十五分かかる。鵜ノ瀬の集落を抜けて旧道を上がると、途中から対向車とすれ違えない幅になり、待避所で二度止まった。二度とも軽トラックだった。八時半に着いて、受付で用件を言うと、梶谷が階段を下りてきた。紙のファイルを脇に挟んでいる。 届け出は二十四時間以内という協定になっている。九月三日の午後六時二十分に従ったので、期限は今日の同じ時刻になる。義務ではないと、これまでに二度言われたことがある。 記録用紙は一枚だった。項目が上から順に、文の全文、受領日時、受領時の所在地、実行の有無、実行日時、実行場所、事後に確認した事象、代償の有無、代償の内容と並んでいて、最後の二つには括弧して「任意」と印刷してある。用紙の左下に受付印の枠があり、その横に、この記録は指示ではありません、という一文が同じ大きさの活字で入っている。 文の全文を書き写した。九月三日午後六時二十分、蓼科慎司を病院へ運べ、と書いて数えると二十四文字あった。平均が二十七文字だと最初の面談で聞いたので、短いほうになる。 「受領はいつですか」 「七月です」 「日は」 「十二日の夜です」 「二か月ですね」 「はい」 「遅れの理由は、こちらから聞かないことになっています」 梶谷は用紙の右上の遅延の欄に丸をつけた。事後に確認した事象の欄には、搬送先で告げられた病名と、軽度、という言葉をそのまま書いた。書きながら、名前を名乗らずに済ませた欄がその紙にも一つあったことを思い出したが、思い出しただけで、書き足しはしなかった。 「代償のところ、書けるようでしたら」 「一つです」 「内容は」 「書きません」 「はい」 梶谷は内容の欄を空けたままファイルに綴じた。 「四百十二人いて、そこまで書く人は半分もいません」 「書いたほうがいいですか」 「どちらでも。書かないことも記録になりますから」 それから、来週の土曜が子どもと会う日だという話を短くした。 「水族館か映画館かで、返事を待たせています」 「はい」 「どちらを選んでも間違いのような気がして」 返事はしなかった。梶谷もそれ以上続けなかった。 柏原が廊下の向こうから来て、用紙を覗き込まずに立ち止まった。 「今日は下が止まっています。保守で運転を落としているので、人が入れます。降りますか」 更衣室で作業着に着替えた。長靴は二十六・五が一足だけ空いていた。ヘルメット、ヘッドランプ、バッテリーを腰のベルトに通し、坑内無線機と、緊急時に使う小さな呼吸器を右の腰に下げる。全部で四キロほどになる。入坑記録に氏名と入坑時刻を書き、壁の板に掛かった名札を裏返した。在坑者の数を一目で数えるためのもので、この時間に裏返っているのは二枚だけだった。 ケージは四人乗れば肩が触れる大きさの鉄の箱で、床の隅に水が薄く溜まっている。柏原が扉を引いて閉め、壁の電話を取って上に合図をした。扉が閉まったところから、続けて喋り出した。上の廊下では用件しか言わない人だった。 「毎分百八十で降ります。七分です」 「はい」 「耳は二回詰まります。唾を飲んでください」 窓の枠の中を岩が上へ流れ続け、途中からは目が追うのをやめて、枠の縁の錆だけを見ていた。二分ほどで詰まったので唾を飲んで戻した。二回目は五分を過ぎたころに来た。深くなるにつれて空気が重くなり、首のうしろに汗が出た。 「岩は四十度近くあります」 「冷やしているんですか」 「空気だけです。岩は冷やせません」 底に着くと、水平の坑道が奥へ延びていた。電動の作業車に乗って八百メートル。天井から吊られた配線の束と、床の側溝を流れる水と、五十メートルおきに振られた白い番号が、ヘッドランプの光の中を後ろへ抜けていった。途中に防火の扉が二か所ある。 「開けたら閉めてください。順に」 「はい」 柏原が降りて開け、こちらが通ってから閉めた。走っているあいだ、タイヤが濡れた床を踏む音のほかには何も聞こえなかった。 観測室は思っていたよりも普通の部屋だった。ラックが六本立って、その中に測定器が積まれている。前面の表示は緑と橙で、どれも動いている。温度計、ひずみ計、地震計、電磁波の受信系、それから読み方の分からないものがいくつか並んでいて、そのうちの二台は上下逆さまに固定されていた。 「この二台、逆さまですね」 「ケーブルが短くて済みます」 「それだけですか」 「それだけです」 「全部、動いているんですね」 「全部正常です。三十年、全部正常で、何も出ていません」 壁に貼られた点検表に前回の日付と担当者の印が押してあり、遡れる範囲の印は、ほとんどが同じ名字だった。 「同じ名字ばかりです」 「私です」 「所長が」 「保守のたびに来ます」 年間十一億八千万円は、この部屋だけのためのものではないにしても、ここを止めない費用を含んでいる。 その奥に短い横坑があって、床が一段低くなっている。鉄の階段が十六段ある。下りたところが行き止まりになる。 「掘ったのは千二百四十までです。その先は誰も掘っていません。掘る理由が無いので」 切羽の面は吹き付けたコンクリートで覆われていて、その中央だけが四畳ほど、岩のまま残してある。ロックボルトの頭が等間隔に並び、面のあちこちから水が滲んで、下の溝へ細く落ちている。近づくと空気が冷たいのではなく、湿っていた。ヘッドランプを当てると、灰白色の地に黒い粒が散っていて、粒の一つ一つに角がある。手を触れる高さのところだけ、色が少し違っていた。 「触ってもいいですか」 「どうぞ。みんなそこを触ります。三十年ぶんです」 床の隅に割った岩を入れる木の箱が置いてあり、中は空だった。掘るのをやめた日に片づけが終わったまま、誰も何も足していないように見えた。色の違うところの少し下に手を伸ばして触れると、指の腹に細かい砂が残り、ジャケットの腿で拭ったら布のほうが薄く汚れた。 柏原が手袋を外して、岩に手のひらを置いた。しばらく動かなかった。ヘッドランプの光の輪が、手のすぐ横の一点に当たったまま止まっている。 「室生さん」 「はい」 「これ、生き返ると思いますか」 何のことを言われたのか分からなかった。 「何がですか」 柏原は答えず、手のひらの下を軽く二度叩いた。音は返ってこなかった。厚みがありすぎて、叩いた音が中へ入ったまま出てこない叩き方だった。 「分かりません」 「そうですか」 柏原は手袋をはめ直し、腕時計を見て、来た方へ歩き出した。岩は何も変わらなかった。水が同じ速さで落ち続けている。 階段の四段目で、左の腿の裏が固まった。手すりを掴んで止まった。柏原が三段上で振り返った。 「攣りましたか」 「はい」 「水は」 「飲んでいません」 「ここは湿度が高いわりに汗が出ます」 そう言って、先に上がっていった。柏原は待たなかった。残りの十二段は左足を伸ばしたまま右足だけで上がり、上がりきってから壁に手をついて、腿の裏を三十秒ほど押した。ヘッドランプの光が壁の吹き付けの粒に当たって、粒の数だけ影ができていた。 戻りのケージの中で、柏原がヘルメットを脇に抱えたまま言った。 「今朝、何か無くしましたか」 「はい」 「そうですか」 それ以上は聞かれなかった。上に近づくにつれて空気が軽くなり、扉の隙間から白い光が細く入ってきて、隅に溜まった水が見えるようになった。腿の裏はまだ張っていたので、体重を右に寄せたまま手すりを持って立っていた。外へ出ると坑内の照明より外のほうが明るく、目が慣れるまで少しかかった。 入坑記録の退出の欄に十一時四十分と書いた。その左に氏名の欄がある。自分の名前を書いた。書けた。 名札を表に戻し、長靴を洗い場ですすいで棚に返した。駐車場へ出ると、柏原は建物の裏の灰皿のところにいて、こちらを見ないまま煙草に火をつけた。 「下で聞いたことは、記録に残しません」 「はい」 「一度も残していません」 会釈をして車に乗った。三時間目に間に合う時間だった。 第十八章 惜しまないでいられるか 十月に入っても準備室の窓は昼のあいだ開けたままにしてある。二学期の理科は天体で、透明半球に油性ペンで太陽の位置を打たせる実習を二週続けたが、ペンが三本しかなく四クラスで回すので、二クラス目の途中で必ず一本のインクが切れる。打った点を糸で結ばせると、正午に近いところだけ間が広くなる。等間隔に打ってしまった生徒には、時計を見ないで打っただろう、とだけ言う。言われた生徒はたいてい打ち直さず、糸のほうを引っぱって間を合わせようとする。買い足しの伺いは先月出したまま戻ってこないので、切れた分は自分の名前で買って、レシートを机の右の抽斗に溜めている。給与明細が届いて、十月分は九月分より三千六百円少なかった。理由はこちらが知っていて、九月三日の午後を空けるために金曜の二時間と入れ替え、空けた分だけ持ちコマが減ったせいだ。明細の左上に印刷された勤務先の名前は、字としては読める。六月からずっと、読めるだけだ。 車検は十一月に切れる。十月の頭に見積りを取りに行ったら、ブレーキのゴムと右前のタイヤを替えると八万を超えると言われ、替えないでいい部分の一覧を紙に書いてもらって帰ってきた。父の軽トラは同じ工場で先週通したと、電話で聞いた。 「あっちは十二万取られた」 「そんなにですか」 「灯油、早めに頼んどけ」 「頼みます」 「去年は十二月に入ってから頼んで、二日待たされたろう」 言ってくる順番まで去年と同じで、月だけが二つ早い。電話を切ってからその日のうちに、去年と同じ配達の業者へかけて、十八リットルの缶を二つ頼んだ。配達は来週の火曜で、留守なら玄関の脇に置いていくという。事務所のシャッターの業者のほうは、三度目がまだ来ていないらしい。妹の名前のことは、九月四日の朝に一度聞いたきりで、そのあとは互いに出していない。 押し入れの上の段から菓子の缶を下ろして、封筒を七通出した。輪ゴムは去年からのもので、束の真ん中がわずかに凹んでいる。並べ替えはしなかった。いちばん下が二〇二四年で、いちばん上が今年の分になり、差出人の住所と名前は七通とも同じ濃さで書かれていて、行の始まる高さがそろっている。宛名の字だけは年ごとにわずかずつ小さくなっていて、いちばん新しいものは、いちばん古いものより横に一文字ぶん短く収まっていた。二〇二七年の一通だけ切手の色が薄く、貼り直した跡がある。缶の底に菓子の乾燥剤が一つ残っていて、袋の角が硬くなっていた。缶を空にして蓋を閉め、元の段へ戻した。封は七通とも切っていない。 助手席に置いた。 九月四日の届け出は、記録用紙が一枚で済んだ。文の全文、受領日時、受領時の所在地、実行の有無、実行日時、実行場所、事後に確認した事象、代償の有無、代償の内容。最後の二つには括弧して任意と刷ってある。受領日時に七月の日付を書いたので、梶谷は用紙の右上の遅延の欄に丸をつけたが、なぜ二か月置いたのかは聞かなかった。代償の有無の欄には一つと答え、内容の欄は空けたままにした。 「ここまで書く人は、四百十二人のうち半分もいません」 「書かないほうがいいですか」 「書かないことも記録になります」 九月の下旬に、その梶谷から一度だけ電話があった。 「常盤さんの二百十一通と二百三回の差ですが、当時の書式の問題でした」 「分かったのは書式のことで、八回のことではないですね」 「そうです」 「はい」 「子どもと行く先、水族館に決めたんですが、行ったら休館日でした」 年二回の情報交換会の案内葉書は、出欠を書かないまま台所の卓の端にある。締切は九月の末で、もう過ぎた。朝比奈更からは九月の頭から連絡が無く、こちらからも出していない。 位牌の裏の字は読める。父から聞いた音も覚えていて、口に出すこともできる。それでも、月謝の袋のことや、半紙の右下で肘が机の角に当たりそうになる姿勢のほうへは、どこからも繋がらない。九月四日の朝にレシートの裏へ書いた一字は、駐車券の隣に折って入れたままにしてあり、財布を開けるたびに角が見える。取り出して開いてみたことが、十月に入ってから二度ある。二度とも同じで、字は書けるし読めるが、その先が無い。六月に書いた罫紙のほうは、二十七のうち一つに線を引いた。引いてから、引く必要があったのかを考えた。消しても消さなくても、紙の上のその並びは同じように読めて、同じように届かない。形見の半紙は巻き直して机の抽斗に戻してあり、九月に掛け替えた輪ゴムはまだ切れていない。抽斗を開ける用がなくても、月に何度か開けて、巻いたままのそれがあることだけ見て閉める。 机の端に、柏原から渡されたコアの端が置いてある。直径六十三ミリ、重さは三百グラムほどで、切り口は機械で挽いたままの平らな面になっている。返すつもりでいるが、九月四日に坑内へ入ったときは鞄に入れておらず、そのあとセンターへは行っていない。答案を採点するあいだ、紙が風でめくれないように上に載せている。用途としてはそれだけだ。 十月十一日は土曜で、朝から風があった。出る前に、封筒の束が助手席の上で滑るので、シートベルトを一本掛けた。四・六キロを十四分で走るつもりでいたが、県道の右折待ちで二回信号を落として十九分かかり、区画の入口のコインパーキングは二十分百円のままで、三台のうち一台だけ空いていた。八月に停めたのと同じ枠に入れた。自動販売機の缶コーヒーは百三十円から百四十円に上がっている。買わなかった。 東から三番目の家の玄関脇に、灯油のポリタンクが二つ出ていた。九月三日の夜には片方が倒れて縁のところまで転がっていたが、いまは二つとも壁に寄せてあって、夏のあいだ空だったほうに中身が入り、栓のまわりに白い跡がついている。雨樋の継ぎ目の養生テープは巻き直されて、二周が三周になっていた。門柱の郵便受けにチラシははみ出していない。軽バンは土間の同じ側に停まっていて、リアガラスの内側の札は表を向いており、荷台には青いコンテナが一つだけあって、あとは空だった。二階の南側の窓の画用紙は貼り替えられていて、透けている色が前と違う。 呼び鈴を押した。二度目を押す前に、中でサンダルの音がした。 出てきたのは妻のほうで、こちらの顔を見たところで、引き戸の縁に手をかけたまま止まった。三十六だと聞いている。髪は前に見たときと同じように後ろで束ねてあって、束ねている輪ゴムが黄色かった。九月三日の夜に病院の窓口で続柄を聞かれて、「近所の方です」と答えた人だった。 「あの、九月の」 「室生といいます」 自分の姓と名は、まだ落ちていない。言うときに一度も止まらなかった。 「くも膜下でした。軽いほうだと、先生は」 「そうですか」 「詰めるほうで済んで、二十日で帰ってきました。来月もう一回、血が引いてるかどうか見る検査があって」 「そうですか」 「上がってください。なにも出せませんけど」 「ここで」 「あの日の、病院の駐車場の、あれ、うちで」 「要りません」 払うと言われたのが駐車料金なのか、そのほかのことも含めてなのかは分からなかった。四百円だと言えば済むが、言えば受け取ることになる。妻は財布を取りに行きかけて、二歩で戻ってきた。 奥へ声をかけるとき、名前ではなく、「ちょっと来て」とだけ言った。 土間へ降りてきた男は、八月に見たときより痩せていた。サンダルに足を入れるのに一度失敗して、履き直した。腰に手を当てて上体を反らせる癖は残っていて、反らせてから、こちらを見た。六年前に証言台の前で見た顔と、八月に伝票を数えていた顔と、同じ顔だった。話しはじめる前に、右のこめかみの上のあたりを指で一度押さえた。 「仕事は先週から、半分だけ戻して」 「半分でもないな」 妻が横から言い、男はそれだけ言って、自分では説明しなかった。 「室生です」 「はい」 はい、と言ったきり、続きが出てこない。玄関の内側で、妻が三和土のスリッパを二足、爪先の向きをそろえ直していた。 上着の内側から束を出して、輪ゴムをかけたまま渡した。受け取る手が、束の厚みのぶんだけ下がった。 「開けていません」 「読まなくて、いいです」 言ってから、言い方が違ったらしく、首を横に振った。 「いえ、そういう意味じゃなくて」 男は束を裏返して、いちばん上の宛名を見た。自分の字を見ている時間のほうが長かった。それから封筒の縁を指でめくって、七通あることを測るように確かめた。指を舐めずにめくるのは、八月に土間で伝票を数えていたときと同じだった。三通目のあたりで手が止まり、束の縁をそろえて輪ゴムの中へ戻し、口を開けて、開けたまま玄関の柱の下のほうを見ていた。喉が一度動いた。声にはならなかった。 「あの」 「はい」 「今日は、風が」 風のことは自分でも要らないと思ったらしく、そこで口を閉じた。 七通に何が書いてあるのかは、渡した側だけが知っている。書いた者が覚えていて、受け取った者が一度も読んでいないという状態が、七年続いた。同じ紙を挟んで、こちらとあちらで持っているものが違う。情報交換会で見せ合ったとき、全員が違う言葉を持っていて、そのどれ一つとして隣の席へ渡らなかった。あのとき机の上に並んでいたものと、たぶん同じ形をしている。 隣の家で洗濯機の脱水が終わる電子音が三度鳴った。区画の奥から子どもが二人自転車で入ってきて、こちらの後ろを通っていった。風が出て、門柱のところの樹脂の表札が枠の中で一度鳴った。 妻が、「この人が」と言いかけて、やめた。男はそれで分かったらしかった。ポリタンクの栓のあたりを見てから、束を持っていないほうの手を一度握って、開いた。左の手の甲に、点滴の跡らしい黄色い痣が二つ並んで残っている。 車に戻って、荷室から毛布を出した。九月三日に軽バンの荷台から引き出したもので、そのまま後席に丸めて残っていたのを、翌週にコインランドリーで洗った。洗いが四百円、乾燥が三百円で、たたむと段ボールと埃の匂いは消えていたが、折り目の日に灼けた線のほうは残ったままだった。両手で持って戻り、差し出すと、男は封筒の束を左の脇に挟んでから受け取った。 「それ、うちのですか」 「うちのだ」 妻には見覚えがないらしく、男が答えてからも、毛布の端をつまんで裏を見ていた。 「車の、うしろの席」 「はい」 「洗ったんですか」 「洗いました」 「うちは乾燥機がないんで、こういうのは干すと二日かかって」 そこで切れた。 「汚しませんでしたか」 「汚れていません」 「すみません。いま聞くことじゃなかった」 「いえ」 家の中で、娘が母親に同じことを二度聞いた。 「三時からのやつ、行くの」 返事は聞こえなかった。八歳で、小学三年だと聞いている。九月三日の夜に髪を濡らしたまま玄関の枠に手をかけて立っていたのが、この声だった。 言うつもりの言葉は持ってきていた。三通りあって、車の中で順番を二度入れ替えた。赦しません、というのが一つ。赦したわけではありません、というのが一つ。三つ目は、口に出す前に、二つ目を裏返しただけだと分かった。裏返してもどちらも、こちらが何かを決めたことになる。決めていない。二〇二五年三月の判決は禁錮一年六月で執行猶予が三年、前の月の時間外は九十七時間、意見陳述の書式は二週間持っていて白紙で返した。決めなかったことを六年ぶん積んで、この土間の前まで来ている。積んだものを言葉にすれば、その形のほうで決まってしまう。 「返しに来ました。それだけです」 男は束を胸の高さで持ったまま頭を下げ、下げてから、下げ方が足りないと思ったらしく、もう一度下げた。二度目のほうが浅かった。 「来年の分は」 そこで止まった。続きは出てこなかった。十秒ほど待って、待つのをやめた。 土間の隅に、青い樹脂の柄の縄が輪にして置いてあった。握るところのスポンジは、まだ片方だけ黒い。 会釈をして、区画の入口へ歩いた。うしろで引き戸が閉まる音は、二十メートルほど歩いたところで聞こえた。それまで閉まらなかった。 駐車料金は二百円だった。今度は領収書のボタンを押した。押す理由はなかった。出てきた紙の日付は合っていて、時刻は精算機のほうが三分進んでいる。財布に入れると、九月三日の病院の券と、字を書いたレシートの隣になった。 県道へ出て、二つ目の信号で止まった。前の車のブレーキランプは右だけが光っていて、左は切れている。ラジオはつけていない。この交差点は赤が長く、対向の右折は二台ずつしか流れない。窓を五センチ開けると、風がハンドルの上を通った。 そこで来た。 来た、というのが正確でないことは、これまでに何度か受け取って分かっている。どこかから届くのではない。気づいたときには既に在って、前からそこに置かれていたという形をしている。声ではない。高さも速さも途切れ方もなく、読んだのでもない。九九や自分の生年月日と同じ棚に、あとから一つ増えたものとして置かれている。 あなたは、惜しまないでいられるか。 十六字ある。平均は二十七字だと聞いている。日付が無い。場所が無い。時刻が無い。動詞が命令の形をしていない。これまで受け取ったものには、いつ、どこで、何をせよ、が必ず入っていて、入っていないものを受け取ったのは初めてだった。記録用紙には文の全文を書く欄があり、そのすぐ下に実行の有無を書く欄がある。実行の有無の欄は、丸をつける場所が二つある。 答えなかった。 青になった。前の車が右のランプだけ光らせて出ていき、間が空いた。うしろの二台は鳴らさなかった。二台目が右から抜けていって、ミラーに一度入ってから、出た。

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