九月一日(日) デイの連絡帳の欄が小さくて書ききれないので、下書きをこちらでしてから写すことにする。八月二十八日で店を上がった。二十二年いたのに、最後の日は棚の入れ替えと重なって、挨拶は三十秒で済んだ。文庫の棚の前で店長が何か言いかけたところに電話が鳴って、そのまま奥へ行ってしまった。母は六時十分に起きて、洗面所の鏡の前に二十分立っていた。体温は三十六度四分、排便あり、朝はごはん八分と味噌汁ぜんぶで、卵だけ残した。薬は朝の一包を飲ませて、昼の分はケースに入れ直した。ミケが膝に乗ろうとして払われ、廊下の隅で毛づくろいをしていた。夜、母の部屋で引き出しを開ける音がしたので行ってみると、鋏が三本、畳の上に間隔をあけて並べてあった。美容の道具は十年以上前に処分したはずが、どこかに残っていたらしい。しまう場所を聞いたら、あんたには分からへんと言われた。 九月二日(月) 八時四十分きっかりに迎えが来て、高木さんが玄関で母の靴べらを探しているあいだに降り出した。帰りは四時十分だった。連絡帳には「昨夜二回起きました」とだけ書いて、あとは空けておいた。 九月三日(火) デイのない日は長い。 九月四日(水) 水筒のふたが固いので替えてほしいと園田さんに言われた。 九月五日(木) 城戸さんが十時に来て、血圧は上が百三十八、下が八十二だった。足の爪を切ってもらうのに爪切りが見つからず、二人で十分探して、冷蔵庫の横の引き出しから出てきた。 九月六日(金) あんたのそこ伸びてるよと、母が高木さんの耳の上を指した。 九月八日(日) 兄から電話が十五分あった。年内は行けないと言われて、盆に来たばかりだからそれはそうだと答えた。四万は今月から二十五日に振り込むそうだ。夕方、母がタンスの二段目から母親の写真を出して、机に立てかけた。誰の写真か聞いたら、この人は待たせたら怒る人やでと言った。晩は冷凍うどんに卵を落とした。 九月九日(月) 六度五分、排便なし、昼のあと三十分眠りましたと連絡帳にあった。 九月十日(火) 牛乳 食パン 大根 リハパン(L) ゴミ袋 ミケの缶 九月十一日(水) 洗濯を三回まわして、シーツが乾かないので浴室乾燥を使ったら、電気代が気になって途中で止めた。夜中の三時に母が台所の電気をつけていて、何をしているのか聞くと、開けるからと言った。 九月十二日(木) 上が百四十四で、むくみが少し出ているから夕方は足を上げておくようにと城戸さんに言われた。それから、こちらの体調はどうですかと聞かれたので、大丈夫ですと答えた。 九月十三日(金) 連絡帳を書き写すのに十五分かかっている。 九月十五日(日) 一日中家にいた。母が午前中ずっと、鏡台の前で櫛を持たない左手を動かしていた。指の関節だけが同じところで曲がって、また伸びる。手首から先が決まった幅で往復して、腕は動かない。美容師をやめたのが五十いくつのときだったはずで、その年数を数えようとして途中でやめた。声をかけると止まるので、襖のところから見ていた。昼にそうめんを茹でたが、母は三口だけ食べて、残りは伸びた。ミケが縁側で吐いて毛玉だったので、掃除にシートを二枚使った。午後は二人ともテレビの前で寝てしまい、起きたら四時をまわっていた。夕方、母が急に、お客さん来はるからと言って立ち上がり、玄関の三和土に靴を三足そろえて出した。誰も来ない。靴を戻すのに時間がかかった。 九月十六日(月) 祝日でデイが休みで、昼の薬を四時まで飲ませ忘れた。 九月十七日(火) 六度四分、晩は鮭を焼いた。 九月十八日(水) 辻さんが四時半に来て、区分の更新は来年の三月になると教えられた。要介護二のままでいけるでしょうと言われた。ショートステイを一度使ってみませんかと言われたが、まだいいですと答えた。玄関で靴を履きながら、無理はしないでくださいねと二回言われた。 九月十九日(木) あんた前にうちに来た子やんかと、母が城戸さんに言った。 九月二十日(金) 六度六分、排便あり、米が切れた。 九月二十二日(日) 朝から雨で、母が窓を開けたがった。三回開けて三回閉めて、四回目からは開けたままにして座布団を廊下に移した。午後に押入れからアルバムが出てきて、母が写真の一枚を指して、これは誰やろかと言った。自分の結婚式の写真だった。夜は九時に寝て、十一時と二時と四時に起こされた。 九月二十三日(月) 公園まで片道八分のところを二十六分かかった。 九月二十四日(火) 記帳に行くと四万入っていた。 九月二十五日(水) 母が靴下を左右ちがうまま出ていって、高木さんが気づいた。 九月二十六日(木) 猫は吐くもんですよと城戸さんに言われた。 九月二十七日(金) 夜の不穏がなくて、七時間眠れた。 九月三十日(月) 九月は二十五日書いた。 十月一日(火) デイのない日に何をしていたか思い出せない。 十月二日(水) 昼食後に他の利用者さんの飲み物を取ろうとされましたと連絡帳にあって、園田さんが下に、悪気はないと思いますと足していた。 十月三日(木) 城戸さんが来て、上は百三十六だった。 十月四日(金) 朝、母が靴を履かずに玄関から外へ出ようとしたので腕を掴んで戻したら、掴んだところが夕方になって赤くなっていた。力の加減が分からない。 十月六日(日) 一日雨で、母は九時に起きて十一時までテレビの前にいて、昼にパンを半分食べた。午後に髪を切ってあげようとしたら、あんたはへたやからと言われた。それはそのとおりなので、前髪だけ三センチ切って、あとは触らずにおいた。ミケが母の布団で寝ていたが、追い出さずに置いた。 十月七日(月) 六度六分、迎えの車から降りるのに七分かかった。 十月八日(火) 灯油を十八リットル二缶頼んで三千六百円払った。 十月九日(水) 連絡帳の欄に書くことがなかったので、昨日の夜のことを書いた。夜中に母が仏壇の前に座って扉を開けたり閉めたりしていて、その音で目が覚めて、それから二時間眠れなかった。朝になって聞いても母は覚えていない。書いたあとで、これは連絡帳に要ることかどうか分からなくなって、線を引いて消した。 十月十日(木) 夜間せん妄という言葉を城戸さんに教わった。 十月十一日(金) 牛乳 卵 大根 ちくわ リハパン(L) 猫砂 十月十四日(月) 祝日でデイが休みだったので、母を美容室に連れていった。昔の店はもう無いので、同じ通りの別のところに入った。若い人がシャンプーをしているあいだ、母は目を閉じていて、それから左手を上げて自分の頭の横で三回動かした。若い人が手を止めてこちらを見たので、すみませんとだけ言った。切っているあいだ、母は鏡のなかの自分をずっと見ていて、途中で、そこはもっと透かさなあかんと言った。若い人が、はいと答えて、実際に鋏を持ち直した。切り終わって鏡を見て、なんも変わってへんやんと言った。二千八百円だった。帰り道は下り坂で、母が手すりのない側を歩きたがるので、腕を取って入れ替わった。夕方に測ったら六度八分あった。夜は九時に寝た。 十月十五日(火) 六度七分、カレーを母は二皿食べた。 十月十六日(水) お母さん今日は歌ってましたよと高木さんが言った。 十月十七日(木) 上が百四十二でむくみは引いたが、こちらの睡眠を聞かれて四時間くらいと答えたら、それは短いですねと言われた。そのあと話が変わって、城戸さんの子どもが受験だという話を五分聞いた。 十月十八日(金) 六度四分、排便なく、下剤を半錠飲ませた。 十月二十日(日) 朝から母のパジャマを洗った。夜のうちに濡れていて、本人は何も言わないので、こちらも言わなかった。リハパンを夜も使うことにする。一枚あたり六十円くらいの計算で、月に三千六百円ふえる。 十月二十一日(月) 餌を変えたらミケが食べない。 十月二十二日(火) 病院で二時間半待って、診察は八分で終わった。 十月二十三日(水) 薬が届いたのでケースに詰め替えた。朝、昼、夕、寝る前の四つに分けるのに三十分かかる。母が横から手を出して一包持っていったので、探すのに十五分かかった。座布団の下から出てきた。母の前でやらないこと。 十月二十四日(木) 城戸さんがケースを見て、これは大変ですねと言った。一週間分ずつ薬局で分けてもらえると教わったので、今度頼む。 十月二十五日(金) 四万の振込あり。 十月二十八日(月) 母が高木さんの手を握って離さなかったと連絡帳にあった。 十月二十九日(火) 明日、辻さんに 十月三十日(水) 辻さんに電話して夜のことを話したら、区分変更の申請を今出してもいいと言われた。ただ、認定調査の日に母がしっかりしていると軽く出ることがあるとのことなので、三月まで待つことにした。 十月三十一日(木) デイでかぼちゃの飾りを作ってきて、紙の裏に千代と書いてある。母の字ではない。 十一月一日(金) 灯油を入れて、ストーブの前に母の椅子を置き直した。 十一月三日(日) 一日中いっしょにいた。母は昼にうどんを半分食べて、あとは寝ていた。夕方に起きてきて、お父さんは、と聞かれたので、十九年前に死んだと答えたら、そうと言ってまた寝た。夜にもう一度同じことを聞かれて、今度は出かけてるよと答えた。そのほうが早く終わる。 十一月四日(月) 振替休日でミケを病院へ連れていったら、腎臓の数値が去年より上がっていた。療法食は一袋二千百円で、月に二袋いる。 十一月五日(火) 母がミケの療法食を自分の茶碗に入れていた。 十一月六日(水) 玄関の鍵を内側からかけられるようにした。 十一月七日(木) 上が百二十八で、こちらは三日続けて四時間台しか眠っていない。 十一月八日(金) 六度四分、晩はぶり大根を炊いた。 十一月十一日(月) 持って帰ってきた鶴の折り目が正確だった。 十一月十二日(火) 大根 白菜 鶏もも 卵 リハパン(L) 消臭スプレー 十一月十三日(水) 夕方に母が仏壇の前で三十分正座していて、声をかけたら、しんどいわと言って立てなくなっていた。両脇を持って立たせたときに腰にきたので、湿布を貼った。 十一月十四日(木) 持ち上げ方が悪いと城戸さんに言われて、実際にやってみせてもらった。膝を使うこと。分かってはいる。 十一月十五日(金) 六度七分、排便あり。 十一月十七日(日) 朝、母が鏡台の前に座って左手を上下に動かしていた。指先が同じところで止まって、櫛を持つ形のまま二十分くらい動いていた。声はかけなかった。台所からだと鏡の角度で母の顔だけが見えて、目は開いているが、こちらを見ていない。昼にそうめんを茹でて二人で食べた。母は自分がさっき何をしていたか言わないし、こちらも聞かない。午後に店から手紙が来て、年末の棚卸しの手伝いを募集していると書いてあった。時給は九百八十円で去年より三十円上がっていて、十二月の二週間を夕方から四時間ずつと書いてある。返事は書かなかった。封筒はレジ袋の下に入れた。夜、母が二度起きて、二度とも仏壇の前にいた。三度目は起きなかったが、こちらは朝まで起きていた。 十一月十八日(月) 入浴を嫌がられましたとデイから連絡があった。 十一月十九日(火) 母が昼寝を三時間して、夜は眠らなかった。 十一月二十日(水) 高木さんが辞めるかもしれないと園田さんが言った。誰にも言わないでくださいねと言われたが、書くところがここしかないので書く。 十一月二十一日(木) これは染めたやつやなと母が城戸さんの髪を触った。 十一月二十二日(金) 六度六分、カレーを母は一皿だけ食べた。 十一月二十五日(月) 四万の振込あり。ガス代が去年の同じ月より二千円高いのは、母が入らない日も風呂を沸かしているせいだと思う。明日から入る日だけにする。 十一月二十六日(火) ミケが療法食を食べるようになった。 十一月二十七日(水) 他の利用者さんの手を握って離されませんでしたという記載が二度目になる。園田さんが、お母さまは人の手が好きなんですねと書いていた。 十一月二十八日(木) 年末年始の日程をもらい、二十六日のあとは一月九日まで来ない。 十一月二十九日(金) 年賀状を五十枚買ったが、書くかどうかは決めていない。 十二月二日(月) デイの忘年会が二十日にあると連絡が来たが、行かない。 十二月三日(火) 灯油を二缶頼んだら三千八百円に上がっていた。 十二月四日(水) 朝、母が自分の名前を書けなくなっていた。デイの出席簿に書くところで高木さんが手を添えていて、千の字の横棒が三本あった。 十二月五日(木) 城戸さんが来て、年内最後の血液検査の予約を取った。 十二月六日(金) 六度五分、排便なく、下剤を半錠飲ませた。 十二月九日(月) 喪中はがきが二通来たので、年賀状は出さないことにする。 十二月十日(火) 米 醤油 みかん リハパン(L) 電池(単三) 十二月十一日(水) 母が包丁を持っていたので、上の棚に移した。 十二月十二日(木) 城戸さんに母の左手のことを話した。母が美容師だったと言ったら、そういう方は最後まで手が動きますよと言われた。慰めで言ったのではなくて、そういうものらしい。 十二月十三日(金) デイで風邪が出ているらしいので、マスクを持たせた。 十二月十六日(月) ミケが三日ぶりに二階へ上がった。 十二月十七日(火) 兄から電話があって、三十一日から三日いると言われた。 十二月十八日(水) クリスマス会の写真を後日お渡ししますと連絡帳にあった。 十二月十九日(木) 上が百四十六で少し高いから塩を減らすように言われて、味噌汁を一日一回にした。母は薄いと言って残したので、こちらの分だけ薄くして、母のはこれまでどおりにした。城戸さんには一日一回にしたと書いて出す。 十二月二十日(金) 忘年会には行かず、母は紙の帽子をかぶって降りてきた。 十二月二十三日(月) 夕方に辻さんが来て一時間いた。年明けの計画書に判を押した。ショートステイの話をまた出されて、正月に兄が来るならそのあとにどうですかと言われたので、考えますと答えた。四泊で自己負担が二万三千円くらいかかるらしい。空きは二月の後半ならあるらしい。母は途中で部屋から出てきて、辻さんの隣に座ってお茶を飲んで、また戻っていった。辻さんが、しっかりしてはりますねと言った。しっかりしている日に来るからそう見える。玄関を出るとき、辻さんが自分の母親も同じ病気だと言った。今は施設だとのこと。それだけ言って、鞄を持ち直して帰った。夕方に母が茶碗を二つ洗って、濡れたまま棚に戻していた。 十二月二十四日(火) 六度六分、鶏の足を二本焼いて八百八十円かかった。 十二月二十五日(水) デイのクリスマス会の写真をもらった。母が高木さんの隣で笑っている。こんな顔を家では見ていない。 十二月二十六日(木) 城戸さんが年内最後で、よいお年をと言われた。 十二月二十七日(金) デイも年内最後で、三十一日から六日まで休みになる。 十二月三十日(月) 餅 なると 三つ葉 かまぼこ リハパン(L) ミケの療法食 母が餅を食べたがるが、去年の正月に喉に詰まらせかけたので、細かく切って雑煮に入れる。 十二月三十一日(火) 兄が二時に着いて、手土産は名古屋の菓子だった。母は兄を見てしばらく黙ってから、よう来たねえと言った。名前は呼ばなかった。兄は仏壇に線香をあげて、それから母の隣に一時間座ってテレビを見ていた。夕方、こちらが台所にいるあいだに母がおむつを濡らして、兄は気づいてこちらを呼びに来た。呼びに来るだけで、自分では触らなかった。責めていない。できない人にやらせても母がつらいだけだと思う。夜、紅白を見ながら兄が、来年から五万にしようかと言った。四万でいけていると答えたら、そうかと言って、それきりになった。金額の話だけで三十分かかって、そのあいだに母は二度、兄に、どちらさんですかと聞いた。二度とも兄は、隆一やと答えた。三度目は聞かれる前に自分から名乗っていた。施設の話は出なかったし、こちらも出さなかった。母は十時半に寝た。ミケが兄の膝に乗って、追い出されなかった。年越しそばは十一時に茹でて、兄は二杯食べた。 二〇二五年一月一日(水) 兄は大晦日の夜の九時過ぎに着いて、仏間に自分で布団を敷いて寝た。雑煮の餅は四つに切って入れておいたのに、母は汁だけ飲んで餅は箸で椀の縁のほうへ寄せてしまい、兄はそれを見ていて何も言わなかったので私も言わなかった。正面から名前を呼ばれると返事をするし、笑いもする。兄は台所にだけは最後まで入ってこないで、テレビの前に母と並んで座ったまま昼まで動かなかった。風呂は自分が入れると言ったくせに、母が服を脱ごうとしないので結局こちらが入れた。デイは六日まで休みだから連絡帳は書かなくていいと園田さんに言われているのに、癖になっていてこうして書いている。体温三十六度七分、便は出た、朝食は八割ほど食べた。 一月二日(木) 二時過ぎの新幹線に乗ると言って十二時半に出ていき、四万円は今月から振り込むと玄関で言った。母が兄の靴を揃え直そうとして片方だけ向きを逆にしたのを、兄はそのまま履いて出た。 一月三日(金) 牛乳 食パン 大根 リハパン(L) 単三の乾電池 ミケの缶詰め六つ 一月六日(月) 八時四十分の送迎に間に合わせるには七時半までに上着まで着せておかないといけないのに、今朝は靴下を左足だけ二枚はいていて、玄関の上がり框に座らせて脱がせ直した。年末年始の様子を書く欄が連絡帳に増えていたので、餅を食べなかったことだけ書いておいた。 一月七日(火) 七草粥を出したら箸で青いところだけ選り分けて皿の端に置き、「これはいらん」と言った。 一月八日(水) 三十六度五分、便は出た。 一月九日(木) 城戸さんが来て体重を量ると四十六・二キロで、先月より一・一キロ減っていると言われた。血圧は百三十八の七十六だった。食べる量よりも水を飲めているかを見てくださいと言うので、麦茶を薄めて座敷の卓に置いておくことにする。 一月十日(金) 暗くなってから母が階段の下に立って、二階へ上がろうとした。二階には十年以上だれも住んでいない。 一月十一日(土) 便が出ていない。 一月十三日(月) 送迎の車が三分遅れただけで母が玄関で靴を脱いでしまい、高木さんが外で待っているあいだにもう一度履かせた。 一月十四日(火) テレビを見ているとき、母の左手の指が動く。人差し指と中指のあいだを少し開いて、親指を内側へ折る形になる。櫛を持つときの手つきだと気がつくのに一年かかった。四十年ものあいだその手で人の頭を触っていたのだから、そうなるのだろうと思う。夜、風呂で髪を洗ってやるあいだは目を閉じて黙っている。 一月十五日(水) 三十六度八分、よく食べた。 一月十六日(木) 自分で切ると深爪をさせてしまうので、足の爪は城戸さんに切ってもらっている。 一月十七日(金) 朝のニュースが三十年という数字を何度も言っていて、母がそれを見ながら「水がな、水が出えへんかったんや」と言った。あのとき母は駅前の美容室にいて、鏡が全部倒れて客の頭にタオルを押さえたまま外へ出たと、昔はよくその順番で話していた。今日の話も同じ順番だった。私はあの朝まだ本屋の二階にいて、棚から落ちた本を昼まで戻していた。中身は減っているのに順番だけが残っている。昼から夕方まで機嫌がよく、夕食のあいだも喋りつづけていた。 一月十八日(土) 灯油を十八リットルで二千三百四十円、去年の同じころは二千百円だった。 一月二十日(月) 医療費控除を出すつもりで去年の領収書を封筒から全部あけて月ごとに分けたら、おむつ代は医師の証明書がないと通らないと市の窓口で言われた。もの忘れ外来が次は二月十二日にあるので、そこで頼むことにする。 一月二十一日(火) 母は九時二十分に寝た。 一月二十二日(水) 連絡帳に高木さんが「入浴のとき鏡の前で髪を触っておられました」と書いてきた。若い人の字はまるい。 一月二十四日(金) リハパンが残り四枚になった。明日、辻さんに 一月二十五日(土) 兄に電話をかけたら留守番電話になったので切り、三十分あけてもう一度かけたが同じだった。 一月二十七日(月) 辻さんが二時に来て四十分いた。ケアプランの更新は三月になるという話のあとで、デイをもう一日増やせないかと聞いてみたら、要介護二の限度額でいまが目一杯だと言われた。増やすなら自費で一回三千円ちょっとかかる。いまは無理だと答えたら、辻さんは手帳に何かを書きつけて、そのまま次の家へ行った。 一月二十八日(火) 昼を半分しか食べなかった。 一月二十九日(水) 二度寝ができなかった。 一月三十一日(金) 一月の家計を出した。デイの自己負担が一万八千二百四十円、薬が四千三百二十円、リハパンとパッドで六千八百円ほどかかっている。兄の四万円は二十七日に入っていた。自分の年金の免除申請の紙をまだ出せていない。 二月一日(土) ミケが朝から一度も鳴かない。 二月三日(月) 節分の豆を小皿に出したら「これ、あめ」と言ってつまんだので、歯が弱いから五粒でやめさせた。夜になって玄関のほうで音がしたので見にいくと、三和土に降りて外のほうを向いて立っていた。鍵は掛かっていた。 二月四日(火) 腰が痛い。 二月五日(水) 園田さんが連絡帳に「送迎のとき、車の中でずっと窓の外を指さしておられました」と書いてきたけれど、何を指していたのかは書いていない。 二月六日(木) 膝の裏に赤みがあると城戸さんに言われたので、椅子の座面にタオルを一枚敷くことにした。体重は四十五・八キロで、先月から〇・四キロ減っている。 二月七日(金) デイから帰ってきた母が、夕方に一度だけ私の顔を見て黙った。それから台所へ行ってやかんを持ち上げて、また同じところに置いた。 二月九日(日) 朝から三十七度二分あって食欲がなく、夕方に測ったら三十七度四分になっていた。 二月十日(月) デイを休ませて十時に内科へ連れていったら、インフルエンザではなく喉が少し赤いだけだと言われて薬が三日分出た。待合に一時間半いるあいだ、母は何度も立ち上がろうとして、そのたびに腕を取って座らせた。会計は二千八百円で、帰りのタクシーに千二百二十円かかった。この人はここに座っていられないのだから、来るまえに分かっていてもよかったと思う。 二月十一日(火) おかゆを七割食べた。 二月十二日(水) もの忘れ外来で長谷川式をやったら、前回より二点下がって十五点だった。おむつ代の証明書はその場で書いてもらえた。先生は画面のほうを向いたまま話す人で、母の顔は最後に一度だけ見た。薬は変えないと言われたので、変えないでくださいと言うつもりだったことは言わずに帰った。 二月十三日(木) 領収書を月ごとに分け直したら合計が十八万四千六百三十円になった。 二月十四日(金) デイから四時四十分に帰ってきて、洗濯物をたたんでいるところへ寄ってきて「お姉ちゃん、それ、ちがう」と言った。たたみ方のことらしかった。私は母の姉ではないし、伯母は私が中学のときに死んでいる。それでも訂正はしなかった。もう一度「お姉ちゃん」と呼ばれたので、はいと返事をした。呼ばれたのは今日が初めてではなく、先月の終わりに一度あって、そのときは聞き違いだと思って書かなかった。母はそのまま自分でタオルを一枚たたんで、端を合わせないまま籠に置いた。夕食は全部食べて、九時前に寝た。 二月十五日(土) 三十六度七分、便は出た。 二月十七日(月) 税務署の受付は今日からだけれど連れていくわけにいかないので、家のパソコンで出すことにした。カードを読ませる機械がいるらしいと分かって、そこで止まっている。 二月十八日(火) 何もない。 二月十九日(水) デイから帰ってきてから三時間、テレビの前に座ったまま動かなかった。 二月二十日(木) 足の指のあいだを城戸さんが拭いているとき、くすぐったいと言って笑った。笑うのは久しぶりではなく、時々笑う。 二月二十一日(金) リハパン(L)一袋千二百八十円を二袋 パッド八百八十円 洗剤 牛乳 卵 二月二十三日(日) 庭の梅が咲いているのを縁側から見せたが、母は梅ではなく物干し竿のほうを見ていた。 二月二十四日(月) 祝日でもデイはある。 二月二十五日(火) 夜中の二時に起きて、寝間着の上から上着を着て出ようとしたので、玄関で腕を掴んで座敷まで戻した。掴んだところに朝になって指の跡が残っていた。それから四時まで起きていて、寝てくれたあとに隣で横になったら、そのまま六時の目覚ましまで眠ってしまった。 二月二十六日(水) 昨日のことを連絡帳に書いた。 二月二十七日(木) 城戸さんが「夜のことは全部書いてください」と言って、連絡帳をその場で読んで、辻さんに回すと言った。 二月二十八日(金) 二月の分を計算した。デイが一万六千九百二十円、薬が四千三百二十円、内科ともの忘れ外来で七千百円ほど、それにタクシーに二回乗った。四万円は二十七日に入った。灯油を三回買った月は苦しい。 三月一日(土) 三十六度五分、便は出た、三食とも七割ほど食べた。 三月三日(月) 雛人形は出していない。 三月四日(火) 母が目をこするので朝と晩に目薬をさす。自分の分はまだ買っていない。 三月五日(水) 連絡帳に「レクリエーションのとき他の利用者さんの髪を触ろうとされました」と書いてあって、その下に高木さんが「悪いことではないので見ています」と書き足していた。書き足したところだけペンの色が違うから、あとで気になって足したのだろうと思う。母は四十年のあいだ人の髪を触って金をもらってきた人なので、手が先に動くだけだと説明したくなったが、連絡帳にそんなことを書く欄はない。四十年のうちの何年ぶんが残っているのかは、こちらにも分からない。 三月六日(木) 体重四十五・五キロ、変わりない。 三月七日(金) 夕方、玄関のサンダルが片方だけ庭に落ちていて、いつ落ちたのか分からない。 三月八日(土) 米五キロ 味噌 ねぎ 卵 リハパン(L) 目薬 ミケの缶詰め 三月十日(月) 流しで茶碗を洗っていたら腰が抜けそうになって、シンクの縁を掴んだまましばらく動けなかった。母は横で同じ茶碗を三度拭いていた。整形外科は九時から十一時半までで、その時間にここを空けるわけにいかない。夜、湿布を貼ろうとして手が背中に回らず、鏡の前で貼ったら位置がずれていた。 三月十一日(火) 今日は静かだった。 三月十二日(水) 帰りの送迎で高木さんが玄関まで上がって、靴を脱がせるところまでやってくれた。ありがとうございますと言ったら、次からもそうしますと言って、車のほうへ走っていった。 三月十三日(木) 血圧は百四十二の八十だった。夜中に起きた日をカレンダーで数えたら、二月から今日までで十一日あった。 三月十四日(金) 確定申告を出した。還付は二万三千七百円ほどになるらしく、三週間から一か月かかると紙に書いてあった。 三月十七日(月) 昼に二時間眠ってしまい、起きたら四時になっていた。 三月十八日(火) 母が私の名前を二回呼んだ。用はなかった。このごろ名前を呼ばれることが減っているので、呼ばれると手が止まる。 三月十九日(水) 水分が五百ミリリットルほどしか摂れていない。城戸さんに 三月二十日(木) 春分でも城戸さんは来る。墓には行かない。 三月二十一日(金) デイから帰ってきて上着を着たまま「家に帰る」と言うので、ここが家やでと言うと「そうか」と座った。三十分してまた上着を着た。 三月二十二日(土) 朝から夕方まで上着を着たり脱いだりしていて、八回目まで数えたところでやめた。夕食のあいだも椅子の背に掛けた上着のほうを何度も見ていた。 三月二十四日(月) 辻さんが来てケアプランを更新した。玄関に鍵をもう一つつけるかどうかの話になって、内側から開けられない鍵は火事のときに困ると言われた。それでも掛けている家はありますとも言われた。夜のあいだ母がどこを通るのかを聞かれたので、座敷から廊下、廊下から玄関までの間取りを紙に描いて渡したら、辻さんはそれをそのまま鞄に入れた。市の徘徊のなんとかという制度の紙も置いていったが、まだ徘徊はしていないので出す気になれない。辻さんは玄関で靴を履きながら、次は五月の連休のあとに来ますと言った。 三月二十五日(火) 金物屋で鍵を見て、二千四百円のと三千八百円のを手に取って、買わずに帰った。 三月二十六日(水) 夜に出ようとされることはありますかと園田さんに聞かれた。 三月二十七日(木) ミケの毛がよく抜けると言ったら年だからと言われた。城戸さんは猫を二匹飼っている。 三月二十八日(金) 三月の分をつけた。デイが一万八千二百四十円、薬が四千三百二十円、鍵はまだ買っていない。四万円は二十七日に入った。還付はまだ入らない。 三月三十一日(月) 桜が二分咲きくらいになっていて、デイの車の窓からも見えたはずだが、連絡帳には何も書いていなかった。 四月一日(火) 負担割合の証が新しくなって届いた。有効期限は来年の七月三十一日までになっている。 四月二日(水) 車に乗るまえに母が一度だけ空を見た。 四月三日(木) 体重四十五・一キロで、減り方が緩くなったと城戸さんに言われた。 四月四日(金) 母は九時に寝て、私は一時半に寝た。 四月七日(月) 玄関のチェーンを高い位置につけ替えた。千八十円のものを、ドライバーで四回やり直して留めた。 四月八日(火) 縁側で母が自分の足の裏を撫でていて、何をしているのか聞いても答えない。 四月九日(水) デイから四時四十分に帰った。五時十分に風呂を洗いに行って、戻ったら座敷にいなかった。玄関のチェーンは掛かっていなくて、自分で外したのか、私が朝に掛け忘れたのかが分からない。近所を三十分ほど回ってから六時に交番へ行き、名前と生年月日と服装を聞かれて、上着の色を一度間違えて言い直した。七時五十分に枚方市駅前のバス停に座っているところを見つけてもらった。あのバス停は家からまっすぐ歩いて二十分ほどのところで、母が四十年通った美容室はそこから二軒目にあった。二時間四十分。靴は履いていて、足の裏に傷はなかった。バスを待ってたと言った。どこへ行くつもりだったのかは聞いても言わなかった。帰ってから風呂に入れて、髪を乾かして、十時に寝かせた。私は玄関の鍵を三回確かめた。 四月十日(木) 昨日のことを城戸さんに話したら、傷はないけれど明日から水分と血圧を細かく見ますと言われた。母は昨日のことを何も言わないし、聞いても分からないだろうから聞いていない。 四月十一日(金) 連絡帳に昨日のことを書いたら、昼に高木さんから電話があって、夕方の送迎のときは玄関を出るまで見届けますと言われた。出たあとに出ていったのだから見届けても同じなのだが、そうは言わなかった。 四月十二日(土) 一日じゅう座敷にいた。 四月十四日(月) 辻さんが十時に来て、区分変更の申請を出しましょうと言われ、認定調査は五月になると言われた。GPSの機械は市の貸し出しがあるけれど待ちが三か月あるそうで、そのあいだは靴に貼るシールを使う手があると教えられた。千五百円くらいだと言うので買うと答えた。三月に置いていった紙をようやく出すことになる。 四月十五日(火) シールを注文した。届くのは来週になる。 四月十六日(水) 夜中に一度起きて玄関を確かめた。母ではなく私が。 四月十七日(木) 城戸さんに血圧を測ってもらったら母が百四十六の八十四で、ついでに測った私が百三十二の八十六だった。 四月十八日(金) 三時まで眠れなかった。 四月二十日(日) ミケが母の膝で三十分ほど寝ていて、母の手はそのあいだずっと同じところを撫でていた。 四月二十一日(月) シールが届いたので靴の中敷きの裏に貼り、上着の裾にも一枚貼って、説明書は捨てた。 四月二十二日(火) 何もない。 四月二十三日(水) デイから帰ってきて、また「お姉ちゃん」と呼ばれた。二月から数えて四回目になる。 四月二十四日(木) 夜間の見守りのことで、ショートステイを一度使ってみてはどうかと城戸さんに言われた。一泊で三千五百円ほどらしい。考えますと答えたけれど、母がその建物で一晩どうしているのかを考えると、そこから先が続かない。 四月二十五日(金) ショートのことを辻さんに電話で聞いたら、空きは六月まで無いということだった。 四月二十八日(月) 還付が二万三千七百四十二円入っていた。 四月二十九日(火) 祝日でデイが休みなので、母は昼寝を三時間して夜は十一時まで起きていた。 四月三十日(水) 四月の分をまとめた。デイが一万八千二百四十円、薬が四千三百二十円、チェーンとシールで二千六百円ほどかかった。四万円は二十八日に入っていた。認定調査の日はまだ決まらない。明日、辻さんに 五月二日(金) 八時四十分に送迎が来た。玄関で靴を履かせるのに七分かかっている。左だけ先に脱いでしまうので、右から履かせる順に変えたら少しましになった。連絡帳には「昨夜二時ごろ一度起きられました」とだけ書いて渡した。区分変更の申請書は辻さんに預けてある。判を押す欄が二か所あって、下のほうを空けたまま出そうとしていたのを窓口で言われた。 牛乳 食パン 大根 リハパン(L) ごみ袋 五月五日(月) 祝日でデイは休みになる。朝から三十分に一度くらい廊下に出て、玄関の鍵のところで立ち止まり、しばらくしてまた戻ってくる。開けようとはしない。手のほうが先に覚えているのだと思う。 兄から電話があった。四万円は今月も三日に振り込んだという。そっちは大丈夫かと聞かれたので大丈夫と答えたら、そうかとだけ言って、四分ほどで切れた。 昼 うどん半玉と卵 夜 ごはん八分目 鮭 味噌汁 排便あり 五月六日(火) 三十六度八分 排便なし 夜に二回起きる 五月九日(金) 認定調査の日が決まった。十三日の火曜、午前十時からで、辻さんも立ち会ってくれるという。夕方に送迎の車から降ろすとき、高木さんが「今日はよう笑うてはりました」と言うので何がですかと聞いたら、園田さんの歌がおもしろかったらしい。その歌を私は知らない。デイで何をして過ごしているのかは、連絡帳に書かれることのほかは高木さんの立ち話でしか入ってこないので、車が出るまでの三分ほどのあいだに聞けるだけ聞くようにしている。 五月十二日(月) 明日のために居間を片づけた。ベッドの下から靴べらとレシートの束が出てきて、日付は去年の十月まで揃っていた。捨てるかどうかを決めないまま紙袋に入れて押し入れに上げてある。 洗濯 三回 五月十三日(火) 認定調査に来られたのは十時二分で、市の方が一人、辻さんは五分ほど遅れて着いた。座卓を挟んで母を上座に座らせる形になった。 名前と生年月日は言えた。今日が何月何日かと聞かれて「秋のはじめ」と答えている。両手を前に出してくださいと言われると、右はきちんと上がったが、左は肩の高さで止まって、そこから指だけがひとりでに動いた。櫛を持つときの形になっていた。お仕事は何をされていましたかと聞かれると、母は「髪です」とはっきり言って、それきり黙って膝の上を見ていた。 着替えはご自分でできますかと聞かれて、母が「できます」と答えた。できない。私が向かいで首を振ったのを調査員の方は見ていたはずだが、そのまま手元の用紙に何か書き込んで顔を上げなかったので、特記事項に何と書かれたかは分からない。あとで辻さんに聞けばよかった。 歩けますか、段差はまたげますか、火の始末はどなたがされていますか、と順に聞かれていって、途中からは私が代わりに答えた。母は自分のことを聞かれているあいだ、ずっと調査員の万年筆の先を見ていた。去年までなら、こういう場では母のほうが先に喋って私が横で黙っていたはずで、順番が入れ替わったのがいつだったのかは思い出せない。 帰りぎわ、辻さんが玄関のたたきで「区分は上がると思います」と言った。上がったら何がどう変わるのかは聞かなかった。次の訪問先が近いらしく、自転車で来ていて、雨合羽を腕にかけたまま出ていった。 一時間十分かかっている。お茶を三つ出したが、自分の分は母が先に飲んでいた。 五月十六日(金) 送迎は八時四十分に来た。連絡帳には体温だけ書いて出している。戻ってきたとき靴下が片方なくなっていた。高木さんが探しますと言って、袋に入れてある替えのほうを穿かせて帰られた。 五月十七日(土) 母の髪を切った。自分で切ると言って鋏を持ったので、うしろだけ私が切って、前は母に鋏を持たせて真似だけさせた。首にタオルを巻くところは母のほうが手が早く、巻き終わりをきちんと内側に折り込んでいる。切っているあいだ、昔うちに来ていた客の名前を三つ言った。二つは私の知らない名前だった。鏡は出さないようにしている。出すと自分の顔を長いこと見て、そのあとしばらく口をきかなくなるので、切り終わったら首のタオルを外してすぐ縁側へ連れていく。 毛は新聞紙で受けて、そのまま丸めて捨てた。白いのが増えたと言おうとしてやめた。鋏は道具箱に戻さず、私の部屋の机の引き出しに入れてある。 五月二十一日(水) 三十七度〇分 デイは行った 夜はうどん 五月二十二日(木) 城戸さんが来られた。右の親指の爪が巻いていて、自分で切ると深く入りそうだったので頼んだ。ついでに背中も見てもらったが、赤くなっているところはないとのこと。水分は一日千二百は取らせてくださいと言われた。取れていない。母が飲むのは私が横に座って湯呑みを持たせているあいだだけで、離れると茶托の外に置いてしまう。城戸さんが記録を書いているあいだ、母はその手元をのぞき込んで、ボールペンに手を伸ばしかけて途中でやめた。 五月二十六日(月) デイの利用料が引き落とされていて、一万四千二百円だった。電気代は去年の同じ月より三千円ほど高い。日中つけっぱなしにしているのだから当たり前で、ここは減らせない。 米 卵 醤油 牛乳 ミケの缶 五月二十七日(火) 朝から「山田さんとこの子、まだ帰ってこん」と言っている。山田さんが誰なのかは分からない。同じことを三回聞かれて三回とも同じように答えたが、昼寝から起きたあとは一度も言わなくなった。 五月三十一日(土) 明日、辻さんに 六月三日(火) 食事量が減っている。朝は三分の一、昼はほとんど食べて、夜は半分といったところ。体重は量れていない。体重計は去年の冬に電池が切れてから、そのまま洗面所の隅に立ててある。買い足すつもりでもう三か月になるのに、店に行くと別のものを買って帰ってくる。 六月四日(水) 送迎あり。雨だったので傘は持たせず、振り回すので、ポンチョを着せて車まで四歩だけ歩かせた。 六月六日(金) 認定の結果が届いた。要介護三になった。単位が一万九千七百五から二万七千四十八に上がっている。同じ封筒に負担割合証が入っていて、こちらは一割のまま。 夕方に辻さんから電話があって、来週プランを見直しましょうとのこと。ショートステイという言葉がそこで初めて出た。今すぐという話ではありません、と二度言われた。 封筒はテーブルに置かずに自分の部屋へ持って上がった。郵便物を触りたがるので。 六月十日(火) 辻さんが十四時から一時間ほどいた。デイを週四にする案と、ショートを月に一泊入れる案を出された。どちらも来月からできるという。一泊で八千円ぐらいと聞いて、金額よりも先に、その一泊のあいだ自分が何をしているのかが浮かばなかったので、返事は次回にしてもらった。玄関で靴を履きながら、無理に決めなくていいですよ、と言われた。 六月十一日(水) デイ 帽子をなくす 六月十三日(金) 三十六度九分 排便あり デイ 六月十七日(火) 一時四十分に廊下へ出ていた。台所の電気がついていて、鍋に水だけ入れて火にかけてあった。火を止めて母を寝かせ、鍋は流しに置いたまま朝まで忘れていた。底が白く焼けていた。 寝る前にガスの元栓を閉めることにする。 六月十八日(水) パン 牛乳 バナナ 尿とりパッド 六月二十一日(土) ミケが二回吐いた。毛玉ではなさそうだったので昼から病院へ連れて行き、血液検査で腎臓の数値が少し高いと言われた。年が年ですからと先生が言う。フードを療法食に替えて、二千八百円かかった。 帰ってきたら母が縁側で猫の名前を呼んでいたが、ミケは押し入れの奥から出てこなかった。 六月二十四日(火) 私を「あんた」と呼ぶようになって、名前のほうは出てこない。二月からしばらく「お姉ちゃん」だったのが、このごろは「あんた」か、何も呼ばずに用件だけ言うかのどちらかになった。 六月二十五日(水) デイの引き落としの口座を、兄の振込と同じところにまとめた。通帳を二冊持って歩かなくていいようにするため。市役所と銀行で三時間かかり、途中で印鑑を一度取りに戻っている。母はデイに行っていた。 六月二十九日(日) 日曜なので風呂に入れる。脱衣所に椅子を置いて、座らせてから服を脱がせる。上は万歳をしてくれるが、ズボンは腰を浮かせてもらうのに毎回声をかけないといけない。「はい、おしり上げてね」と言うと上がる。「立って」では動かない。湯は四十一度にして、かけ湯を足からしないと肩をすくめる。 洗い場でシャンプーをつけたら、頭を自分で洗い始めた。指の動きが速くて、爪を立てない。生え際から後頭部へ、同じ向きに何度も指を通していく。そのうち私の頭にも手を伸ばしてきたので、腕を押さえようとしてやめて、そのままにしておいた。二分ほど髪を触られていた。前髪の生え際のところを、行っては戻り、行っては戻りしていた。湯が冷めるので途中で足した。 上がってから腰が伸びなくなって、三十分ほど畳に横になっていた。ロキソニンのテープを一枚貼る。残りは四枚しかない。腰は去年の秋から続いているが、整形にはひととおり診てもらった一度きりで行っていない。行くとなればその二時間を誰かに頼まないといけないので、湿布のほうが早い。母は寝間着のまま扇風機の前に座って、テレビの相撲を見ていた。 六月三十日(月) 三十六度七分 排便なし 七月二日(水) エアコンを掃除した。フィルターに埃が固まっていて、去年やったかどうか思い出せない。デイに出したあと脚立を出して一時間かかっている。和室のほうも外そうとしたが、こちらは兄が来るまで動かさないので拭くだけにした。 七月五日(土) 水を飲まない。麦茶を出すと一口だけ飲んで、あとは湯呑みを両手で持ったまま置かない。取ろうとすると力が入って、こちらのほうが先に手を引いた。二十分ほどして自分で置いたときには中身がほとんど減っていなかった。 三十六度九分 排便あり 七月九日(水) 三十七度二分 デイは行かせた 夕方には下がっていた 七月十日(木) 城戸さんが来て、脱水の話になった。経口補水液を冷やしておいて麦茶の代わりに出すこと、ゼリーのほうなら口に入ることもあるとのこと。薬局で六個入りを二つ買って九百八十円だった。 帰りぎわに私の顔を見て「お母さんより先に倒れんといてくださいね」と言われた。返事をしたかどうか覚えていない。 七月十一日(金) デイ 送迎を待つあいだに靴を脱ぐ 七月十四日(月) 兄から電話があった。盆は十三日から来られるという。泊まりは二晩とのこと。何か要るものはあるかと聞かれて、特にないと答えた。切ったあとで、リハパンのことを言えばよかったと思った。かさばるものは車で持ってきてもらうほうが楽なのだから。 七月十八日(金) デイ 三十六度八分 七月二十二日(火) ミケを撫でていた。撫でるというより背中に手を置いて、そのまま動かさずにいる。ミケのほうも逃げずに、しっぽの先だけ動かしていた。「この子、うちの子やった?」と聞くので、そうやでと答えた。「かわいらしいなあ。名前は?」ミケやで、と言うと「ミケ」と繰り返して、また同じところに手を置いた。同じことを夕方にもう一度聞かれて、二度目のときのほうが手が長く置かれていた。 七月二十六日(土) 花火の音がしていた。淀川のほうだと思う。窓を開けようとするので網戸だけにして、二人で立っていた。音がするたびに母が「あ」と言う。八時から三十分ほど、そうしていた。去年は縁側まで自分で出ていって下駄を履こうとしたのを止めた覚えがあるが、今年は網戸の前から一歩も動かなかった。 そのあと寝つかず、十二時過ぎまで居間の電気がついていた。 七月三十日(水) デイ利用料 一万四千二百円 ドネペジル残り六日分 八月四日に受診の予約を入れた。 七月三十一日(木) 昨夜は二時に一回、四時に一回起こされて、合わせて四時間ほど寝た。 八月一日(金) 三十六度八分 排便あり デイ 八月五日(火) 一時ごろ、簞笥の引き出しを全部開けて、中の服を畳の上に出していた。上から順に、下着も、冬のセーターも、全部出してある。何を探しているのかと聞くと「これ、返さなあかん」と言う。誰にと聞いたら黙った。 三時まで一緒に畳んだ。途中でこちらが座り込んでしまって、その間も母は畳み続けている。畳み方がきれいで、袖の角がぴたりと合う。私のほうが雑になっているのを、横から取って畳み直された。セーターは畳んでから一度胸に当てて、それから重ねる。店でもそうしていたのだろうと思う。 朝になっても服の山は簞笥の前に残っていて、デイに出してから片づけた。冬物をもう一度しまい直すのに一時間半かかっている。 八月九日(土) 米 麦茶パック そうめん リハパン(L) 電池(単三) 三十六度九分 八月十三日(水) 兄が十四時三十分に着いた。名古屋から二時間半かかったという。手土産にういろうを持ってきた。母は最初のうち誰なのか分からない様子で、十分ほどしてから「りゅうちゃん」と言った。兄が座り直して、それから少しのあいだ何も言わずに母の手を見ていた。 夕飯は寿司を取って、四千二百円を兄が払った。母は玉子とかんぴょうだけ食べた。 八月十四日(木) 兄が母の爪を切ろうとして、二本目の途中で私に代わった。深爪を怖がる。切っているあいだ、うしろで手を洗っていた。 夜、母が寝てから居間で話した。四万を五万にすると言うので、要らないと答えた。要らないというのは正しくない。要らないのではなく、金額の話にしたくなかっただけで、兄はそれを聞いて「じゃあ何が要るんや」と言った。答えられなかった。しばらく黙ってから、兄は名古屋の家の水漏れの話を始めた。二階の洗面所で、業者が三回来てまだ直っていないらしい。三回目に来た若いのが前の二回と違うことを言ったという話を、細かいところまで聞かされた。聞きながら、居間の時計の針が十一時になるのを見ていた。 明日の朝の電車で帰るとのこと。十六日から仕事だという。ビールを二本飲んで、十一時前に和室の布団に入った。いびきが襖越しに聞こえていた。その音で母が起きるかと思ったが、起きなかった。 八月十五日(金) 七時三十八分の電車で帰った。駅まで送るつもりでいたが、母を置いて出るわけにいかないので玄関で別れた。靴を履きながら「ほな、正月に」と言った。 台所の炊飯器の横に封筒が置いてあって、十万入っていた。 明日、通帳に 八月二十日(水) 十一時に寝て、一時、二時半、四時に起こされた。朝は六時から動いている。三時間台が続いている。城戸さんに言ったら、先生に抑肝散を出してもらえるか聞いてみますとのこと。効く人と効かない人がいるらしい。 デイの日はまだいい。デイの日はまだいい、と書いてから、火曜と木曜と土曜と日曜のことを数えて、やめた。 八月二十二日(金) 三十七度〇分 デイは休ませた 八月二十六日(火) 三十六度九分 排便あり 夜に二回 八月三十日(土) 朝、縁側で自分の左手をずっと見ていた。指が動いている。開いて、閉じて、また開く。声をかけると手を膝に置いて、こちらを向いた。何をしていたのかは聞かなかった。聞いたところで答えは出てこないし、見られていると分かると手を袖に入れてしまうので、こちらは流しで洗い物を続けていた。 昼から雨になった。取り込むのが遅れて、シャツとタオルだけ干し直している。 九月の予定。二日に受診、五日にプランの見直し、下旬にショートの体験で一泊させる。辻さんが枠を押さえてくれている。出すかどうかはまだ決めていない。 九月一日(月) 六時に起きる。夜のうちに二度起こされて、一度目は二時、二度目は四時になる少し前だった。四時のときは玄関の三和土に立って鍵をさわっていたけれど、鍵そのものは回っていなかったし、履物も揃ったままだった。八時四十分にデイの車が来て、高木さんが運転席から先に降りてきて、靴べらを渡すより先に母の右手をとった。順番を覚えているらしい。 昼に洗濯機の脱水が途中で止まって、表示のところにH20と出た。糸くずのフィルターを外して裏から水を通したら動いたので、この前のように修理を呼ばずに済んだ。買って九年になる機械で、そろそろだと隆一に言われている。 夕方、包括で貰ったチラシを読み返して、ショートステイの利用料の欄だけ二度読んだ。読んだあとは炊飯器の上に置いたままにしてある。八月の末で辞めた店の制服をまだ返していないのを、チラシをたたんでから思い出した。 体温 三十六度八分/排便 朝に一度/夕食 八割 牛乳 食パン 大根 卵 リハパン(L) 九月三日(水) 連絡帳に園田さんの字で、昼の体操のときに前の席の人の髪をさわろうとしました、と書いてあった。謝るための欄はどこにもないので、その下の行に、本人はもと美容師ですと書いて、書いてから消しゴムで消した。消したところだけ紙が毛羽立って、次に書く字がにじむようになった。 睡眠 三時間四十分 九月四日(木) 城戸さんが来る。踵に赤みが出ているから除圧をしましょうと言われて、押し入れの奥から古い座布団を出した。カバーを外すと中に新聞紙が畳んで詰めてあって、開いてみたら平成十九年の日付だった。いつ入れたのかと母に聞いても、何の話をされているのか分からないという顔で私の手元だけを見ていた。 母の体重 四十一・二キロ 九月八日(月) ミケが二階に上がらなくなった。呼ぶと階段の下まで来て、そこに座ったまま上のほうを見ている。 九月十一日(木) 辻さんに電話。ショートは十一月まで空きがないとのことで、緊急枠という言い方も出たけれど、緊急というのが具体的に何を指すのかは聞かずに切った。聞いてしまえば、うちがそれに当てはまるかどうかを自分で考えることになる。 夜、名古屋にかけようとして番号の途中で受話器を置いた。用件を先に紙へ書き出したら、ショートの費用と、風呂場の椅子と、母の保険証の期限の三つになって、三つとも隆一に聞いて分かることではなかった。 九月十二日(金) リバスタッチ 残り九枚 メマリー 十一日ぶん 次の受診 二十六日 十時半 九月十七日(水) 昨夜、二時過ぎに玄関のチェーンが鳴った。行ってみると母は靴を履いていて、鞄まで肩にかけていて、中を見たら割り箸とティッシュと、去年のカレンダーの九月のところだけ切り取ったものが入っていた。どこへ行くのかと聞いたら、「店、開けなあかんやろ、こんな時間まで寝てたら」と言われた。二十年以上前にたたんだ店のことだと思うけれど、母の中の時間がどこにあるのかは確かめようがない。 朝、母を送り出してからホームセンターへ行って、補助錠を二千三百八十円で買った。工具は売り場の人が貸してくれて、取り付けそのものは十五分で終わったのに、そのあと三十分ほど土間に座っていた。土間にはまだ夜の温度が残っていて、座っているうちに足の指の先だけが冷たくなった。 昼に二時間眠った。夢は見ていない。 九月二十日(土) 一日、家にいた。母がテレビの音量を三十八まで上げるので二十四に戻して、戻すとまたすぐに上げるので、三度目でこちらがやめた。音の大きいまま夕方まで過ごしたら、夜になって耳の奥が詰まったようになった。 昼 素麺/夜 焼き飯(卵二個) 九月二十四日(水) デイの敬老会の写真をもらった。前列の右から二人目に母が写っていて、赤い紙で作った花を持たされて、まわりの人より少しだけ顎を上げている。本人に見せると、この人だれ、と言った。誰やと思うと聞き返したら、しばらく写真に顔を近づけてから、「きれいな人やねえ、この人、髪、上手な人に切ってもろてはる」と言った。写真は仏壇の引き出しに入れた。引き出しには去年の敬老会の写真も入っていて、そちらでは母が両手で花を持っている。 九月二十六日(金) 受診してきた。血液の値は前回とだいたい同じで、薬も量も変えないことになった。待合が混んでいて、呼ばれるまでに一時間五分かかった。 会計 二千八百円 帰りにミケの餌と砂 体温 三十七度二分(夕方) 九月三十日(火) ミケの水の減りが遅いので、皿を縁の低いものに替えた。母がその皿を持ち上げて、こっちのほうがええわと言いながら台所へ運んで行って、運んだこと自体を五分後には忘れて、皿を探して同じところを二度のぞいていた。探しているあいだ、ミケは私の足元にいた。餌は昨日の分が半分残ったままだったので、皿ごと新しいのに替えて、古いほうは洗って伏せておいた。 十月一日(水) 朝、母が自分の靴下を両手で持って、これはどっちの足のやつと聞いた。左と答えると、左というのはこっちかと言いながら右手を上げるので、そちらではないほうと言い直した。デイの車が来るまでに同じことをもう一度聞かれて、二度目は何も言わずに履かせた。 連絡帳に、水分摂取が少なめですと書かれていた。家では飲む。 十月二日(木) 城戸さんが来る。腰が痛いと言ったら、介助のときの立ち位置を直された。母の正面に立たないで、斜め四十五度のところから入って、こちらの膝を母の膝の外側に置く。この一年、ずっと正面から抱えていたことになる。 モーラス 十四枚もらう 十月六日(月) デイの車は八時四十分に来た。特に何もない一日で、書くことがないのに書いている。 十月九日(木) 隆一から電話。振込が三日遅れたことについての説明が長くて、取引先の名前と締め日の話が半分以上を占めていた。金のことよりも、その説明のほうを黙って聞いていた。正月は三十日から来るという。母に代わるかと聞いたら、いいと言われた。切ってから、来る日を台所のカレンダーの三十日のところに書いた。書いてから、字が大きすぎたと思った。 十月十三日(月) 祝日でデイは休みだったので、一日ふたりでいた。 昼から母が箪笥の三段目を全部引き出して畳に並べた。櫛が四本、鋏が二丁、白いタオルが十六枚。タオルは店で使っていたものだと思う。片づけようと手を出したら払われたので、そのままにして夕飯の支度に入った。並べたものを写真に撮っておこうかと思ったけれど、撮ってどうするのかが自分で分からないのでやめた。夜になってから、母が自分で全部たたんで元の段に戻していて、たたみ方が十六枚とも同じ角の出方をしていた。私は数え終わるまで、たたむということに上手下手があるのを知らなかった。 睡眠 三時間十分 十月十四日(火) 排便 なし(二日目) ラキソベロン 十滴 十月十七日(金) ミケが食べないので動物病院へ連れて行った。点滴と血液検査で八千六百円かかって、腎臓の数値が高いと言われて、歳が歳ですからというのを診察のあいだに二回言われた。皮下輸液を家でやる方法も教わったけれど、針の太さのことを聞いているうちに次の人が呼ばれて、また今度にしますと言って出てきた。待合には犬が三頭いて、そのうちの一頭が最初から最後までこちらを見ていた。 帰ってから母の夕飯。ミケは水だけ飲んだ。 十月二十二日(水) デイの日は家が静かで、静かだということが分かるまでに一時間くらいかかる。掃除機をかけてシーツを替えて、それだけで昼になっていた。 十月二十三日(木) 城戸さんが来て、母の爪を切ってもらう。切っているあいだ、母の左手の指が動いていた。親指と人差し指と中指で、細いものを挟んで送り出すような動きを、爪切りの音に合わせるようにして続けていた。城戸さんが手を止めて、櫛ですねと言った。私は今まであれを、薬の副作用の震えだと思っていた。城戸さんは自分の母親も同じ病気だということを、帰りぎわに靴を履きながら言って、それ以上は何も言わずに出て行った。 十月二十八日(火) 体温 三十六度五分/夕食 五割/夜間 一回 十月三十一日(金) 連絡帳に、ハロウィンの飾りつけを手伝ってくださいましたとある。高木さんの字は角が丸くて、行の終わりでいつも右下に落ちていく。母は帰ってきてから、あの若い男の子は誰の子やと聞いた。誰の子や、という聞き方を、母は夏にもしたことがある。答えられなかった。 十一月三日(月) 祝日でデイは休み。買い物のついでに駅前まで足を伸ばして、バスのロータリーを端から端まで歩いた。四月に母が座っていたのは三番のポールの下だった。思い出さないようにして歩いたけれど、思い出さないようにするというのは思い出しているのと同じことだった。 帰りに鯛焼きを二つ買った。餡が尻尾の先まで入っている店で、母は昔その並びの二軒目でパーマの薬を仕入れていた。母は一つ食べて、残りを紙に包んだまま鞄に入れた。 十一月五日(水) ミケが押し入れから出てこない。餌の皿を襖の内側に置いておいたが、朝から減っていない。 十一月七日(金) 病院に連れて行くかどうか、朝からずっと考えていた。連れて行くならキャリーに入れることになって、入れれば鳴く。鳴かせて車に乗せて、また同じことを言われて同じくらいの額を払って帰ってくるのだと思って、やめた。夜、押し入れの前に座って、襖を細く開けたまま背中をさわっていた。息はしていた。餌の袋は先週開けたばかりのものが台所にあって、賞味期限は来年の五月まである。 十一月八日(土) 朝、ミケが死んでいた。 十一月十四日(金) 連絡帳に返事を書かない日が続いていたので、たまった分をまとめて書いた。書くことがないから、変わりありませんと三回並べて書いて、最後の一回だけ特にありませんに変えた。送迎の時刻が来月から十分早くなるという紙も挟まっていたので、下の欄に判を押して返した。 米 五キロ 醤油 ネギ ゴミ袋(大) 十一月十七日(月) 四時間眠った。八月に入ってからではいちばん長い。 十一月十九日(水) 母が台所の隅を見て、「白いの、どこ行った」と言った。しばらくしてからまた同じところを見て、同じことを言った。三度目のときに、寒いから中で寝てるわと答えた。答えてから、自分がどこの話をしているのか分からなくなった。夜になって、その台所の隅を自分でも見た。何もないことを確かめてから電気を消した。 十一月二十一日(金) リバスタッチ 十枚 補充 次の受診 十二月十九日 十時半 十一月二十五日(火) 母のインフルエンザの予防接種は二千円だった。腕を押さえていると母のほうが私の手を握り返してきて、その握力が思っていたよりもはっきり残っていた。看護師さんが、お母さん上手ですねと母のほうに向かって言った。母は最後まで針を見ていなかった。注射のあと、袖を自分では下ろせなくて、私が下ろすのをじっと見ていた。 十一月二十八日(金) 夕食は三割しか食べていない。ヨーグルトだけ全部食べた。 十一月三十日(日) 押し入れの中を片づけた。奥の板に毛が残っていたので、ガムテープを手に巻いて取った。取りきれない分はそのままにして襖を閉めた。ガムテープは一巻きを使い切って、レシートを見たら二百四十八円だった。冬物を入れるのは来週にする。 十二月一日(月) 朝から冷える。母が上着を三枚重ねて着ようとするので、一枚だけ脱がせるのに十分かかって、そのあいだずっと寒い寒いと言われていた。デイの車には間に合った。 灯油 十八リットル 二千百六十円 十二月四日(木) 城戸さんが来る。仙骨のところが赤いままなので、体位交換の時間を決めましょうと言われた。二時と五時に起きることになる。今と変わらない。 十二月八日(月) 体温 三十六度九分/排便 あり/睡眠 三時間四十分 十二月九日(火) 辻さんが来た。二十六日から二泊のショートが取れたという。交野の施設で、家からは車で二十分だそうだ。持ち物のリストをもらって、下着から湯呑みまで全部に名前を書くように言われたので、油性ペンを買いに出た。一枚ずつ名前を書きながら、これは施設に入れるための練習だと思った。思っただけで、最後まで書いた。中溝千代と書く字が、五十枚目のあたりから母の字に似てきた。リストには湯呑みが一つと書いてあるのに、家の湯呑みはどれも縁が欠けているか、母がどこかへやったかで、結局あたらしいのを買った。 明日、辻さんに聞くのを忘れないように 十二月十二日(金) 歯が痛い。左の奥。予約は年が明けてからにする。 十二月十六日(火) 書店の元の同僚から葉書が来て、店が三月で閉まると書いてあった。十一年いた店で、レジの二番の台がいつも傾いていて、下に厚紙を折って挟んでいた。あの厚紙をまだ誰かが挟んでいるのかどうかを、返事に書くわけにもいかない。返事はまだ書いていない。 母は葉書を裏返して、しばらく切手のところを見ていた。宛名の字が、十年前に貰った年賀状のときより小さくなっている。 十二月十九日(金) 受診してきた。診察は八分で終わって、薬も量も変わらない。 会計 二千八百円 帰りにデイのクリスマス会の写真をもらった。母が歌っている写真があって、口が大きく開いている。園田さんが、赤鼻のトナカイを最後まで歌詞を間違えずに歌われましたと言った。写真は去年のクリスマス会と同じ壁の前で撮られていて、壁に貼ってある紙の輪の色まで同じだった。私はあの歌を最後まで歌えない。 十二月二十二日(月) デイから帰って、夕食のあとで母が私の顔をまっすぐ見て、「あんた、誰やったっけ」と言った。娘やと答えたら、そうかそうか、と言って味噌汁を飲んだ。飲んでから、茶碗の底に残った飯粒を指で寄せて集めていた。 十二月二十六日(金) 九時に施設の迎えが来た。バッグを持って乗り込むとき、母は振り返らなかった。 家に戻って洗濯物を干して、それから座った。テレビをつけないまま二時間座っていた。夕方にスーパーへ行って、自分の分だけ買うのに何を買えばいいのか分からなくなって、惣菜を三つ買って帰った。二つ残った。持たせるのを忘れた薬が一包み棚に残っていたので、施設に電話をして、明日の朝に届けることにした。 夜、一度も起きなかった。 十二月二十八日(日) 迎えに行く。二泊で九千四百二十円だった。連絡帳に、夜間三回コールがありましたとある。家では鳴らすところがない。母は職員さんに手を振ってから、車の中で私に、あの人らは親切やけど話が長いと言った。帰りの車では窓の外ばかり見ていて、二泊のあいだにあったことは一つも出てこなかった。 隆一は三十日の昼に着くという。布団を干した。 十二月三十一日(水) 隆一が来ている。母の前だと声が大きくなる。耳が遠いわけではないと二度言ったけれど直らない。 年越し蕎麦の海老天を、母が指でつまんで衣だけ剥がして皿の縁に置いた。隆一が、行儀が悪いと言いかけて途中でやめて、自分の丼のほうに目を落とした。やめたところをこちらは見ていた。隆一は二日の朝に帰るという。今年は餅を買ってきていない。 明日は雑煮。餅は四つに切る。 二〇二六年一月一日(木) 兄は三十一日の夜に着いて、駅から歩いてきたと言って上がるなり靴下を脱ぎ、親指の付け根にできた豆をこちらに見せた。雑煮は餅を四つに切って入れたが、母は汁だけ飲んで、餅は箸の先で二回つついたきりそのまま置いた。兄が「ちよちゃん」と呼ぶと顔を上げるので、私が呼ぶよりよほど通る。子どものころから兄がそう呼んでいたのかどうか、洗い物をしながら思い出そうとしたが出てこなかった。 午後、兄は仏壇の前に十分ほど座っていて、それから押し入れを開け、父の背広がまだ掛かっているのを見つけて、これは要るのかと聞いた。要らないと答えたら、そうか、と言って襖を閉めた。畳んで袋に入れて出すところまではしない人だということは、ずっと前から知っている。去年の盆に来たときも、風呂の換気扇が鳴ると言って蓋を開けて中を覗いて、そのまま閉めて帰った。 夜は兄が九時、母が九時半に寝て、テレビは明日の駅伝の予告をやっていた。片づけながら同じ鍋の底を三回擦っていて、三回目で手を止めた。 一月二日(金) 兄は十時前に出た。玄関で母の肩に手を置いて、それから何も言わずに靴を履いて、外に出てから振り返って一度だけ頭を下げた。封筒に四万円入っていた。二月ぶんからは振り込むと言うので、通帳の口座番号を裏紙に書いて渡した。書きながら、この人は施設のことをまだ一度も口に出していないと思った。 母は兄が出たあと三十分ほど玄関のほうを見ていて、それから「あの人はいつ帰ってくるの」と聞いた。四回聞かれて、四回とも、名古屋に帰らはったよ、と同じ言い方で答えた。五回目は答える前に台所へ行った。 一月十日(土) 灯油 十八リットル 二千六百十円 リハパン(L) 二袋 パッド 大 牛乳 食パン 大根 卵 単三電池 一月十二日(月) 夜中に二回起きて、二回目は三時二十分、台所の電気がついていて母が流しの前に立っていた。何をしているのか聞いたら「洗うものがあるやろ」と言って、乾いている流しの縁を手のひらで何度も拭いていた。布団に戻して電気を消したが、そのあと四時半まで眠れず、明るくなってから三十分ほど眠った。 デイは休ませることにして、そのことを連絡帳にも電話にも入れ忘れていたので、九時前に園田さんから確認の電話が来た。すみませんと言ったら、園田さんのほうが、こちらこそ朝早くにすみません、と言った。どちらが謝ることなのか分からないまま切った。 今年のデイは五日から始まっていて、初日の連絡帳に高木さんが「明けましておめでとうございます」と書いていたので、こちらも同じことをそのまま書いて返した。八日には右の踵が赤くなっていると城戸さんに言われて、それから寝るときは足の下に枕を入れている。どちらもここに書くのを忘れていた。 一月十五日(木) 城戸さんが来た。踵の赤みは引いたが、体重を量ったら四十一キロ台まで落ちていて、十月からの三か月で三キロ減っている。食べないのではなく、飲み込むのに時間がかかるようになって、そのうちに口を動かすのをやめてしまう。ひと口ずつ声をかけると食べる。声をかけているあいだ、自分の分には手をつけない。 夕方に辻さんへ電話をして、区分変更の申請を出したほうがいいということになり、申請書は来週辻さんが持ってくることになった。認定調査は月末になりそうだと言われた。夜に何回起きるか、着替えにどれだけ時間がかかるか、調査の日までに書き出しておくようにということだったが、書き出すためには見ていないといけないのに、見ているあいだのことはあとになると何ひとつ順番どおりに出てこない。十一月と十二月の分は、たぶんもう書けない。この日記も、いつからか日にちと数字しか残していない。 一月十七日(土) 母を叩いた。左の頬を一度だけ叩いた。 一月二十三日(金) 体温 三十六度九分 排便 あり 朝 三割 昼 全部 夜 二割 睡眠 三時間四十分 一月二十六日(月) 認定調査は十時から十一時二十分までかかった。調査員は男の人で、名刺には市の高齢社会室と刷ってあった。座布団を勧めたら四十分近くそのまま正座をしていて、足を崩すときに小さく息を吐いたのが聞こえた。 母は名前を聞かれて「なかみぞちよ」と言えたが、歳は「二十四」と答えて、生年月日は出てこなかった。今日が何月かも言えないまま、聞かれているあいだはずっと相手の手元のバインダーのほうを見ていた。 立ち上がりの項目で母は手すりを持って一回で立ってしまい、普段はこうではないと言おうとしたら、調査員のほうが先に「ふだんの様子を伺いますので」と言った。書き出したメモは折らずにそのまま渡した。夜間の起き上がりが週にどれくらいあるかという欄があったので、十一月からの分を数えて出したら三十七回になったが、数えたのは私だから、この数字が本当かどうかは分からない。三十七という数を口に出したとき、調査員はうなずきもせずに書き取っていた。 調査員が帰るとき、母が廊下まで出て行って頭を下げた。客を送り出すときの下げ方だった。 夕方になって「今日はもう終わったんですか」と、他人に使う言い方で聞かれた。デイは休ませた。二週続けて月曜を休んでいる。 一月三十一日(土) 記帳した。兄からの四万円が入っている。デイの自己負担が一月ぶんで一万八千六百四十円、おむつ代は別に四千円ほどかかっていて、電気代は日中もファンヒーターをつけているせいで二万を超えた。通帳の残高は去年の同じ月より十一万少ない。 明日、辻さんに 二月五日(木) 体温 三十七度二分 夕方 三十六度八分 排便 なし 城戸さん、様子を見ましょうと 二月九日(月) 要介護四の通知が届いた。封筒の中に被保険者証と限度額の表が入っていて、二月一日からと書いてある。辻さんに電話をしたら、来週の火曜に伺いますと言われた。 区分が上がると使える量は増えるが、そのぶん一割の負担も増えるので、表を見ながら計算していて、途中でどの行を見ているのか分からなくなり、二回やり直した。三回目は引き出しから電卓を出してきて、それでようやく数字が合った。おととしの三月に要介護二の紙が来たときは、封を切ってすぐ兄に電話をしている。今日は電話をしていない。 連絡帳には園田さんが、今日は塗り絵をしました、花の色をぜんぶ青で塗られました、とてもきれいでした、と書いていた。返事の欄には、ありがとうございます、とだけ書いた。母は店をやっていたころ、青は使わない色だと言っていたはずだが、何の話の流れでそう言ったのかまでは出てこない。 二月十五日(日) 母は九時まで寝ていた。昼前に隣の佐野さんが回覧板を持ってきて、そのまま玄関先で二十分の立ち話になった。佐野さんのご主人が暮れから腰で入院していて、リハビリの病院に移るのに紹介状が要るとか要らないとかいう話を、こちらが何か言うより先に全部話して、それから自分で切り上げて帰っていった。そのあいだ奥で母が「誰か来てはる」と言い続けていた。 木曜に城戸さんが足の爪を切ってくれたとき、母は自分の足ではなく城戸さんの手のほうをずっと見ていた。何か言うかと思って待っていたが、終わるまで一言も言わなかった。 夕方、流しの下にミケの皿がまだ入っているのを見つけて、捨てた。 二月十七日(火) 昨日の朝、靴を履かせるのに十五分かかった。左足を先に出す癖がついていて、右から履かせようとすると足を引っ込めるので、順番を変えたらそのまま履いた。高木さんは玄関の外でずっと待っていて、終わったころには私のほうが背中に汗をかいていた。 午後に辻さんが来て、ショートステイを月に一泊から始めましょうという話になった。空きがあるのは樟葉のほうの施設で、車で二十分だという。申し込みの用紙を置いていった。預けることをどう思われますかと聞かれたので、助かります、と答えた。答えてから、自分が本当にそう思っているのかどうかは分からないと思った。用紙はまだ書いていない。 奥歯が痛い。噛むと痛い。歯医者に電話をしたら二十四日の十時半しか空いていないと言われて、それで取った。 二月二十日(金) リハパン(L) 二袋 パッド 大 一袋 米 五キロ ポリデント 歯医者 二十四日 十時半 二月二十三日(月) 夜中に三回起きた。時間は十一時五十分、二時十分、四時。三回目のときに母が私の名前を呼んで、呼んだあとで「すみません」と言ったので、布団を直して電気を消した。起きたのは六時で、そのまま洗濯機を回した。 二月二十六日(木) 物忘れ外来へ行った。前に行ったのが十一月だから三か月ぶりになる。予約は十時半で、呼ばれたのは十一時五十分だった。待っているあいだに母は二回立ち上がって廊下まで出て行き、二回とも自動販売機の前で止まった。薬はメマリー二十ミリとリバスタッチ十八ミリと抑肝散で、前回から変わっていない。 先生がこちらの顔を見て、このままだとお母さんより先にあなたが倒れますよ、と言って、それから、これは冗談ですと言い足した。何と答えたのか覚えていない。診察室を出るときに母が先生のほうへ手を振っていた。 会計は四千三百二十円だった。帰りはタクシーで千八百円かかったが、バス停まで歩ける気がしなかった。乗ってから母が窓の外を見て、ここはどこと二度聞いた。二度とも枚方だと答えた。 二月二十八日(土) ショートステイの用紙を出した。三月十六日から一泊で申し込んだ。 洗濯機の脱水が途中で止まる。回すたびに止まって、そのたびに蓋を開けて中の洗い物を片側に寄せている。修理を呼ぶと 三月二日(月) 体温 三十六度六分 排便 あり 睡眠 四時間 デイ 行った 三月六日(金) 高木さんが連絡帳に、お母さんが職員の髪を触りたがる、嫌がる人もいるかもしれないが自分は構わない、というようなことを三行書いていた。すみません、とだけ返事を書いて、書いてからこれは謝ることではないような気もしたが、消さずにそのまま鞄に入れた。 母は店に立っていたころ、客の髪に触る前に必ず一度手のひらを合わせて温めていたので、冬でも指先が冷たかったことはない。開店前の三十分は誰も入れずに、鏡を拭いてから道具を並べていた。そのことを人に話したことは一度もないから、ここに書いても誰にも伝わらない。 三月十六日(月) ショートステイの日で、九時半に迎えが来た。荷物は着替え三日ぶんと薬と、名前を書いたタオルを六枚で、全部に油性ペンで中溝千代と書いた。書いているうちに自分の字が母の字に似てきていることに気がついたが、母の字はもう十年近く見ていないので、似ているという判断のほうが当てにならない。 母は車に乗るとき、こちらを見なかった。 昼にうどんを茹でて半分残し、三時に横になって六時半まで寝た。夜は家の中の音がぜんぶ聞こえて、冷蔵庫と、時計と、上の階の人が歩く音が順番に耳につく。九時に風呂を沸かして、湯が溜まるまで台所の椅子に座っていた。溜まってから、入らずに栓を抜いた。テレビをつけたまま寝た。 三月十七日(火) 十一時に帰ってきた。施設の記録には夜間二回覚醒、主食五割、副食三割とあって、家にいるときより食べていない。 帰ってきてから母は台所と玄関を行ったり来たりして、途中で二回、たたきに下りようとしたので靴を戸棚にしまった。夕方まで一度も座らず、夜は九時に寝た。 先週、十一日から給湯器が点かなくて、業者が来るまでの二日は湯を沸かして蒸しタオルで体を拭いた。そのとき背中の皮膚に細かい皺が寄っているのと、腰の左に赤い痕があるのを見つけて、木曜に城戸さんに見てもらったらパッドの跡だと言われた。当てる位置を少し下げるようにと教わった。書きそびれていたので、ここに入れておく。 次を申し込むかどうかは、まだ決めていない。用紙はもらってある。 三月二十五日(水) デイから帰ったあと、母がテレビの前で立ち上がって、両手で何かを折る形に動かしていたので、何をしているのか聞いたら「これ、まだ乾いてへんから」と言った。それからしばらく同じ動きを続けて、こちらが手を出さないうちに自分で座った。 洗濯機は直った。基板の交換で一万四千三百円かかった。 三月三十日(月) 四月の予定 二日 城戸さん 先方の都合で来ない 六日 内科 十時 ショートステイ 五月にするかどうか 辻さんに 四月九日(木) 城戸さんが来た。体重が四十キロを切って、三十九キロ八百になった。 辻さんから電話があって、五月に空きが出ると言われたが、返事は保留にした。断ったのではなく、この電話のあとに自分が何を考えたのかを思い出せない。 四月二十日(月) デイの請求 一万九千四百二十円 電気 一万四千二百 ガス 六千八百 兄 四万 入金あり 四月三十日(木) 母がこちらを見て「すみませんねえ」と言った。それだけで、あとは夕方までテレビの前に座っていた。城戸さんが来て血圧を測っているあいだも同じ姿勢のままだった。 ゴミ袋 大 買う 五月七日(木) 城戸さんが来た。三十六度九分、血圧は上が百二十四で下が七十二、踵の外側が赤くなっているから体を横にする回数を増やしてほしいと言われて、エアマットの空気を一段抜いた。夜中に二回起きた。 五月十五日(金) 送り出してから横になって、目が覚めたら二時をまわっていて、洗濯機の中の物が濡れたままになっていた。もう一度まわした。 牛乳 食パン 大根 リハパン(L) 単三電池 五月二十六日(火) 三十七度二分、うどんを半分だけ。夜になってから「くしが、ない、くしが」と何度も言うので、台所の引き出しから青いのを出して持たせたら、しばらく手の中で動かしてから眠った。朝までそのまま握っていた。 六月一日(月) 八時四十分、高木さん。帰ってきてから熱が出て三十七度四分、連絡帳には水分を多めにと書いてある。飲まない。 六月二日(火) 二口しか食べない。夜は起きなかった。 六月三日(水) 眠れない。 七月十九日(日) 七月になっていた。六月二十六日の夜中に咳き込みだして、明け方に三十八度九分まで上がったので救急に電話をした。誤嚥性肺炎で、市民病院の四階の東の端の部屋に十七日いた。腕の静脈が細くて点滴が入りにくく、三日目からは足の甲から入れていた。夜のあいだに管を抜こうとするので、抑制帯の同意書に判を押した。八日目にとろみをつけたものが食べられるようになって、十四日目に退院の話が出た。 面会は一日一回三十分と決まっていて、一階の受付で名前と自分の体温を書いてから上がった。限度額適用認定証を先に出しておいたので、請求は七万八千四百円と食事の分だけで済んだ。売店のプリンを買って持って上がった日が三日あって、三日とも半分残した。同室の三人のうち二人は、いるあいだ一度も面会がなかった。こちらが椅子を引く音を立てると、カーテンの向こうで寝返りの音がした。看護師に、家で診ておられたんですかと聞かれて、はいとだけ答えたら、それきり何も聞かれなくなった。夕方の五時をまわると廊下の照明が半分落ちて、非常口の緑だけが遠くに見えるようになるので、その時間に帰るようにしていた。 その前に辻さんから電話があって、津田の施設に空きが出たと言われた。三年前に申し込んで、順番のことはもう数えていなかった。返事は三日以内にと言われて、二日目の夕方に電話をかけた。 七月十二日に退院して、その足で移った。契約は一階の相談室で一時間半かかった。身元引受人の欄に兄の名前と住所を書いて、判は郵送でもらうことにした。住民票を移すかどうかを聞かれて、そのままにしてもらった。部屋は四人部屋の廊下側で、窓は二つ向こうにある。ベッドの足のほうに名札が差してあって、中溝千代様と印字されていた。 持って行くものの一覧が紙で二枚あって、肌着もタオルも箸もコップも、全部に名前を書くことになっている。油性ペンで中溝千代と書いた。襟の内側に書いて、靴下は履き口の裏に書いた。数えたら九十四枚あった。三十枚を過ぎたあたりから字が崩れて、最後のほうは自分の書いた字に見えなかった。書店にいたころは注文票を一日に二百枚書いても崩れなかったのに、いまは十枚も続かない。名前を書きながら、この字を読むのは母ではなくて洗濯場の職員だということを何度か思った。 移った日、車椅子から動かずにいたのに、職員が名前を呼んだら返事をした。こちらは廊下で書類の続きを書いていた。相談員の人がいちばん最後に、御家族はどのくらいの頻度で来られますかと聞いたので、週に二回と答えた。答えてから、そんなに来られるとまだ思っていることに気がついた。ベッドの高さを合わせるところと、荷物を棚に入れるところまでは手を出させてもらえて、そこから先は職員が二人で入って、こちらは廊下に出された。廊下の窓から駐車場が見えて、送迎の車が二台、頭から入れてあった。四時前に出て、バスで津田まで出て、そこからは歩いた。歩いて二十五分かかる道を、その日は四十分かけて帰った。 家に戻ったら、ベッドと車椅子とポータブルトイレがそのまま置いてあった。福祉用具の人は二十四日に来る。 陽だまりから園田さんが電話をくれた。連絡帳を返しに来ますかと聞かれたので、こちらから取りに行くと答えた。取りに行っていない。 七月二十一日(火) 面会は二時から四時のあいだで一回三十分、二階の食堂の隅の席と決まっている。入口で手を消毒して、体温を書く紙に自分の熱も書く。自分は三十六度四分だった。壁に一日の予定が貼ってあって、起床六時半、朝食七時四十五分、入浴は月と木になっている。家では週に二度、風呂場の椅子に座らせて、髪を洗うのに三十分かかっていた。 名前を呼んだら顔を上げたけれど、そのあとはずっと窓のほうを見ていた。爪を切った。右はすぐ切れて、左は指が硬くて開かないので、一本ずつ伸ばしてから切った。 同じ卓に赤いカーディガンの人がいて、三十分のあいだ折り紙を折っては開いていた。職員は二人で十四人を見ている。 鶴にはならない。 七月二十四日(金) 福祉用具の人が二人で来て、ベッドと手すりを二十分で運び出した。畳に脚のへこみが四つ残っている。レンタル料は日割りで二千八百円が戻ってくるらしい。玄関の手すりだけは外さずに置いてもらった。 居宅の契約も終わりで、辻さんが夕方に書類を持ってきた。お茶を出したら立ったまま飲んで、十分で帰った。玄関で、二年よう続きましたねと言われた。二年ではない。パートを辞めたのが八月の末だから、一年と十一か月になる。 窓を開けて掃除をした。鏡台の引き出しを開けたら櫛が九本入っていて、そのうち三本は歯が欠けている。捨てなかった。押し入れの上の段からハサミの入った革のケースが出てきて、開けたら中身が三丁とも錆びていて、油紙が茶色くなっていた。店をたたんだのは二〇〇八年の春だから、十八年しまってあったことになる。研ぎに出せばまだ使えるのかどうかは分からないし、使う人もいない。 流しの下にミケの皿もまだある。 七月二十九日(水) 洗濯物を持ち帰った。施設の乾燥機は強いので、自分で洗いたい人は持ち帰ってよいことになっている。名前が二枚とも薄くなっていたので書き足した。看護師の記録では体重が三十八キロ台まで落ちていて、来月に一度、市民病院で診てもらうことになった。 母は「あんた、ここの人」と言った。そうやと答えた。そのあと「もう帰らな、店あけなあかん」と言って、車椅子の肘掛けを両手で押した。押さえずに三十秒ほど見ていた。 持ち帰った袋は思っていたより軽くて、肌着が四枚とタオルが三枚とパジャマの上だけが入っていた。家の洗濯機は八キロのを二年前に買ったばかりで、これだけのために回すのがもったいないから、自分の分と一緒にした。干す場所が余る。 帰りに津田の駅前で氷を買った。買ってから、家の冷凍庫に氷があることを思い出した。 八月三日(月) 七月分の請求が来た。八万六千二百円で、内訳は居住費が二万五千二百円、食費が四万千七百円、あとは介護費の一割と日用品費になる。母の年金は二か月で十四万二千円と少し。兄の四万は先月も入っている。足りない分は母の定期を崩している。引き落としは毎月五日で、通帳の残高は今のところ足りている。 国民健康保険の減免の書類を市役所でもらってきた。世帯の所得の欄が書けない。去年の分が要ると言われて確定申告の控えを探したが、仏間の箱にも茶の間の引き出しにも入っていなかった。 求人を見た。二年のあいだにパートの募集の書き方が変わっていて、応募はほとんどが専用のページからになっている。雇用保険はとっくに切れている。 明日、市役所の 八月八日(土) 桃を四切れ持って行って、三切れ食べた。分かったような顔をして「まあ、よう来はったな」と言った。誰やと思ってるかは聞かへんかった。 食堂のテレビで高校野球をやっていて、母は画面を見ずに音のほうを向いていた。隣の卓の人が三回、同じところで手を叩いた。 米五キロ ちくわ 塩 乾電池 線香 八月十三日(木) 兄が三時前に着いた。名古屋から車で、途中で二回休んだと言う。ざるそばの乾麺とビールを六本買ってきた。仏間に布団を敷いた。 健康診断でヘモグロビンA1cがひっかかって再検査になったと言った。夜にもう一度、数値まで同じことを言った。台所で麦茶を出しながら聞いていた。 家の中を見て「片づいたな」と言った。ベッドがあった場所には何も置いていない。 通帳を出して、七月の入院の分と施設の分を見せた。老眼鏡を出して一枚ずつ指でたどって、それから何も言わずに閉じた。母の印鑑と保険証をどこに置いてあるかだけ聞かれたので、仏間の茶筒だと答えた。 十時を過ぎてから、二本目のビールを飲みながら、名古屋の家の風呂の換気扇が去年から鳴っていて工事に十五万かかると言われた話をした。こちらは施設の食事の刻み方が三段階あることを言おうとして、途中でやめて、麦茶の氷を足した。それから会社の後輩が四十九で死んだ話になって、その人の名前をこちらは知らない。十一時前に仏間の電気が消えた。 八月十四日(金) 六時に起きて庭の草を抜いていた。八時までに袋が二つできた。こちらが起きたときには汗をかいて縁側に座っていて、蚊が多いなと言った。 八月十五日(土) 兄と施設へ行った。母の前で兄が大きい声で名前を呼んだ。母は顔を見て笑って、それから手を伸ばして兄の腕時計をさわった。三十分のあいだに、兄は五回同じことを聞いた。ごはん食べたか、寒ないか、ここの人は優しいか。 帰りぎわに職員の詰所の前で足を止めて、頭を下げた。廊下では、施設は思ったより綺麗やなと言った。名前の書いてある洗濯物の袋を見て、これ全部お前が書いたんかとも聞いた。 帰りの車の中で、四万は続けると言った。それから「お前も、そろそろ」と言いかけてやめた。信号が青になった。 四時すぎに出て行った。国道一号は混むから高速で帰ると言っていた。 八月十八日(火) 履歴書を三枚買った。証明写真機は八百円で、二回撮り直した。二枚目のほうが口が閉じている。 書店に二十二年いたことを書く欄はすぐ埋まったのに、二〇二四年八月からの欄で手が止まった。介護のためと書いた。それだけでは足りない気がして、家族の介護に専念のため、と書き直して、一枚無駄にした。 ハローワークの端末で職種を絞ったら、この年で通りそうなのは清掃と調理補助ばかりだった。窓口の人は親切で、混んでいて、二十分待って七分だった。 枚方市駅の近くの書店がパートを一名募集していた。週四日、九時半から十四時で、時給は千八十円だった。前の店を辞めたときが九百四十円だから、二年で百四十円上がったことになる。電話をしたら面接は二十一日の十時と言われた。 八月二十一日(金) 十時に行った。上は十年前のジャケットで、袖口が少し光っている。開店前の店に裏から入れてもらうと、紙とインクの匂いが前の店と同じだった。 店長は三十そこそこの人で、在庫端末とPOSを入れ替えたばかりだという話をされた。SNSの更新ができるかと聞かれて、できないと答えた。棚のことは何も聞かれなかった。いつでも入れるかと聞かれたので、火曜と金曜の午後は施設に行くと言った。二週間ほどで連絡しますと言われた。 面接の紙に前の職場の退職理由を書く欄があって、自己都合に丸をつけた。 終わってから客として一周した。児童書が半分に減って、文具と雑貨が増えている。文庫の棚は出版社別ではなく著者の五十音で並べてあって、二十二年やってきたやり方ではないけれど、探しに来る人にはこちらのほうが早いのかもしれない。平台の一番いい場所に置いてあるのが六月に出た本ばかりで、返品の期限が近いのだろうと思って裏を見たら、やはりスリップの色が変わっていた。文芸の棚の前にだけ客が三人いた。何も買わずに出た。 帰りに駅前のバス停のベンチに座って、バスを二本見送った。 八月二十六日(水) 書店から封筒が来た。宛名は印字で、料金別納の判が押してある。今回は見送らせていただきますと一枚だけ入っていて、履歴書は返ってこなかった。写真は残り二枚ある。 洗濯機を二回まわして、日が高いうちに乾いた。三十四度あったらしい。夕方に施設から電話があって、来週の受診に付き添えるかと聞かれたので、行けると答えた。 面接の日から、朝に目が覚めるのが早い。 八月三十一日(月) 九月の面会を火曜と金曜で入れた。八月分の請求は九万一千四百円で、おむつ代が上がっている。市民病院の受診は九月三日で、九時半に施設へ迎えに行くことになった。介護タクシーの往復が六千四百円、予約は前日までに電話をすること。 夕方に雨戸を閉めながら数えたら、家にいて誰とも口をきかない日が今月は十七日あった。数えるようなことでもない。米が切れた。 明日、施設に着替えを 九月一日(火) 面会は一回二十分と決まっている。玄関を入ってすぐ右の台で額に機械を当てて、名簿に日付と名前と続柄と入館の時刻を書く。氏名の欄が横四センチくらいしかないので、中溝美佐子と書くと最後の子の字が枠から出る。すぐ上の行に、十時二十分に入って十時四十分に出た人の名前があって、ボールペンの跡が紙の裏まで通っていた。 エレベーターで三階に上がる。廊下のつきあたりが食堂で、昼のあとの時間はそこに十人くらいが車椅子のまま寄せてある。手前から二つ目が母だった。職員の若い女の人が耳の近くで「中溝さん、娘さんが来はりましたよ」と言うと、母はこちらを二秒か三秒見て、それから窓のほうへ顔を戻した。窓の外には駐車場が見えて、白い軽自動車が三台とまっていた。 持っていった靴下に名前を入れないといけないので、事務所で油性ペンを借りて、足の裏の内側にナカミゾと書いた。布にペン先が沈んで一枚目はナカミソのように見えるようになってしまい、二枚目は力を抜いたのできれいに書けた。ゴムのところがきついかもしれないので、次に買うときはLにする。 洗濯物は週に二回、下の階の洗濯室でまとめてやってもらえることになっているが、ニットとタオルだけは家族が持って帰る決まりで、今日は肌着が四枚と、パジャマの上が一枚あった。上だけなのは下が施設のリースだからで、七月に契約したときにそう説明を受けたはずなのに、毎回どこかで数が合わなくなる。家に帰って玄関で袋を開けたら、知らない人の名前が書いてある靴下が片方だけ混ざっていた。次に持っていく。 母の左手はずっと膝の上で動いていて、親指と人差し指と中指が何かをつまむような形になったり開いたりしていた。右手のほうは握ったまま動かない。 「よそはん、まだ、来はらへんの」 と母が言った。誰のことか二回聞いたけれど、同じことをもう一度言うだけだった。 二十分たったので出た。エレベーターの前で職員の人が「先週よりよう食べてはります」と言って、記録の紙をこちらへ向けてくれた。昼は八割、水分は千二百ミリリットル、体温は三十六度八分と書いてあった。書いた人の字が細くて、8と6が似ていた。 一階の自販機で百三十円のお茶を買って、バス停まで歩くあいだに背中を汗が伝った。九月に入っても暑い。 七月の終わりから数えて、今日で十三回目になる。 九月七日(月) 施設費を振り込んだ。八万六千二百円。母の年金が六万四千円ほど入るので、足りない分は今のところ出せている。 郵便局のATMが二台とも止まっていて、駅前まで歩いた。 牛乳 食パン 大根 洗剤 電池(単三) 靴下(L) 九月十一日(金) 十時に着いたら入浴の日で、髪がまだ湿っていた。乾かしてもらえるのには順番があるらしく、母の番はまだ先だったので、持っていったタオルで自分で拭いた。うなじのところに湿疹のあとが二つ残っていて、去年の夏に城戸さんが塗ってくれていた薬の名前を思い出そうとしたが、最後まで出てこなかった。白い蓋の、細長いやつ。 母は私の手からタオルを取って、自分の膝の上で四つにたたんだ。たたみ方が昔のままで、先に角をそろえてから半分にする。それから、たたんだタオルを私のほうへ押し戻して、 「うしろ、もうちょっと、短こう、しますか」 と言った。切りますか、ではなくて、しますか、だった。 同じ食堂に、隣の席のおじいさんの息子さんらしい人が来ていて、タブレットの画面を見せながらずっと孫の話をしていた。おじいさんは一度も画面のほうを見なかった。息子さんはそれでも最後まで話して、帰るときに肩を二回たたいていた。 帰り際に母が私の袖をつかんだ。つかんだけれど、何か言うわけでもなくて、職員の人が「そろそろですよ」と言うと自分から離した。爪が伸びていたので、次に来るときは爪切りを持ってくる。 昼は七割、体温は三十六度五分と紙にあった。 バスを一本乗り過ごした。 夜に薬箱を全部ひっくり返して薬の名前を探したけれど、去年のうちに処分したらしくて残っていなかった。母の飲み薬も、七月に移すときに手元にあったぶんを全部持っていったので、うちにはもう一錠もない。空いた棚には私の胃薬と、絆創膏の箱と、電池の切れた体温計が二本置いてある。 九月十六日(水) 手すりの請求がまた来ている。明日、辻さんに 九月二十四日(木) ハローワークに行った。九時二十分に着いて、番号札は四十一番で、呼ばれたのは十時五分だった。担当の人は前と違う人だった。八月に受けた書店の面接のことを聞かれたので、不採用の葉書が来ましたと言ったら、その葉書も持ってくることになっていたらしくて、次からはお持ちくださいと言われた。書店の求人は今のところ市内に一件も出ていない。隣の市まで広げますかと聞かれたので、広げてくださいと言った。乗り換えを入れて片道五十分になる計算で、その五十分を毎日どうやって使うのかを座ったまま考えているうちに、担当の人はもう次の紙を印刷しに立っていた。二十二年やっていたことは履歴書の職歴の欄に書くと三行にしかならないし、客に本の場所を答えるのが人より速いことについては、書く欄そのものがない。倉庫の検品と、給食の調理補助と、ホテルの客室清掃の紙をもらった。清掃のところは六十五歳までと書いてあって、給食のほうは調理師の免許が要るのかどうか、紙を最後まで読んでも分からなかった。窓口で聞けばよかったのに、そのときにはもう次の番号が呼ばれていた。待っているあいだ、向かいに座っていた男の人がずっと膝を揺すっていて、そのたびに椅子の脚が床にあたる音がしていた。壁に貼ってある求人票は先月見たのと同じ紙が何枚もそのままで、上から画鋲で押さえた跡が四つも五つも重なっている。 帰りにいつものスーパーに寄ったら、レジの列の三つ前に高木さんがいた。私服だったのですぐには分からなくて、向こうが先に気づいて会釈した。かごの中にカップ麺が四つと、炭酸のペットボトルが入っていた。 「千代さん、お元気ですか」 と聞かれた。元気ですと答えた。それだけ答えて、あとは何も言わなかった。高木さんは、園田さんが六月で辞めたこと、送迎の車が新しくなって乗り降りのステップが低くなったこと、木曜の入浴が二人体制になったことを、レジが進むあいだに順番に話した。私の番になったので、そこで切れた。 サッカー台で袋に詰めているときに、後ろを通りながら「またいつでも遊びに来てください」と言って出ていった。振り返ったときにはもう自動ドアのところだった。 豚こま 玉ねぎ 卵 食パン ごみ袋(大) 単三は買い忘れ 夜、風呂の栓のゴムが切れかけているのに気づいた。前から気づいていた気もする。ホームセンターに行けば二百円台であるはずだが、サイズが何種類も出ているので、切れたやつを持っていかないと選べない。今日は湯を張るのをやめてシャワーだけにした。 九月三十日(水) 母の部屋の押し入れを開けた。上の段の右の奥に、美容室のときの道具が紙袋に入ったまま置いてあって、ハサミが二丁、レザーが一本、櫛が六本入っていた。ハサミは刃を閉じて新聞紙に包んであって、その包み方が几帳面で、テープをはがすのに時間がかかった。櫛のうち二本は歯が欠けている。黒いのが四本で、べっ甲みたいな色のが二本ある。持ち手のところに油の跡が黒く残っていて、洗剤をつけて拭いても取れなかった。 店をたたんだのが平成十四年だと前に聞いたことがあるから、二十四年前になる。それからずっとこの袋の中に入っていた。 捨てるつもりで出したのに、結局また同じ場所に戻した。ハサミだけは、刃物として出すときに新聞紙のままではいけないらしいので、市のごみの出し方の紙を探したが、どこにしまったのか見つからなかった。 紙袋を戻すときに、袋の底に髪が溜まっているのが見えた。白いのと黒いのが混ざっていて、客のものか母のものかは分からない。中を出さずに、そのまま押し入れへ入れた。 畳の上に埃が四角く残っていて、紙袋の形をしていた。 箪笥は一番下の段だけ開けた。古い保険証と、美容師の免許の証書が丸めて筒に入れて立ててあって、名前のところが旧姓のままだった。中溝になる前の名字を、私は書類でしか見たことがない。母の口からそれを聞いたことは一度もないし、こちらから聞いたこともない。 夕方に隣の奥さんが柿を四つ持ってきた。千代さんは元気にしてはるかと聞かれたので、七月から施設のほうに移りましたと言った。そらよかったねえ、と奥さんは言った。よかったねえと言われたのは初めてで、返事をするのに少し間があいた。 布団は先月出した。あとは箪笥が残っている。 十月六日(火) 面会。体温三十六度四分、昼は五割、水分八百五十。 先週から食事の形がきざみになった。飲み込みが遅くなってきているらしい。 薬が一つ増えた。名前を書き写すのを忘れた。 帰りに眼鏡屋の前で立ち止まったが、入らなかった。 よく寝た。 十月十三日(火) 夜に兄から電話があった。二十分ほど話した。 毎月の四万円のことで、母の年金と施設の請求の額を聞かれたので、年金が六万四千八百円で、施設が八万六千二百円だと言った。差額は二万一千四百円だから、四万は多いのではないかと兄は言った。多いと言われても、おむつと日用品と、被服費と、床屋代が別に要ると答えた。床屋代というのが引っかかったらしくて、そこで少し黙った。二か月に一度、施設に来てくれる人に切ってもらう、一回二千八百円かかると説明した。母がどの椅子に座らされて切られているのかは、こちらも見たことがない。 兄は電卓を叩きながら話していて、数字を言うたびに向こうで小さい音がしていた。去年の暮れに一度、施設に入れることになったら費用は折半でと言われたことがあって、そのときの折半が月に何万のつもりだったのかは、こちらも聞かないままになっている。 正月は行けるかどうか分からないと言った。会社の期が変わって、一月の頭が動かせないらしい。母のところには七月からまだ一度も行っていない。行きたくないのではなくて、行っても分からへんのやろ、と言った。分からへんよ、と答えた。そのあと兄が咳をして、そっちは風邪ひくなよ、と言って切れた。 四万は今月も入っていた。 爪切り やすり 洗濯ネット 栓のゴム 昼間の面会のことを書いていなかった。 食堂ではなくて、居室のベッドで寝ていた。廊下の名札の下に、ほかの人のところは家族の写真が貼ってあるのに、母のところだけ何もない。今度、何か持っていく。 起こさないほうがいいと言われたので、十分だけ椅子に座って出た。掛け布団から左手が出ていて、寝ているあいだも指は動いていた。 十月十九日(月) 爪切りとやすりを持っていった。名簿の三つ上の行に中溝と書いてあって、一瞬だけ手が止まったが、下の名前が違っていて、知らない人だった。 母は食堂の窓際に移してあった。日が当たると眠ってしまうので、午後は少し奥へ寄せるのだと職員の人が言っていた。膝の上のタオルが新しいのに替わっていた。 左手から切った。親指、人差し指、中指まで切ったところで、母が手を引いた。深く切りすぎたのかと思って聞いたが、返事はなくて、その手を自分の胸の高さまで上げた。人差し指と中指のあいだが少し開いて、親指が下から支える形になって、その形のまま手首が二回、内側へ返った。何もつまんでいない。角度だけが、ちゃんとあった。手首が返るあいだ肘はまったく動かないので、肩から先ではなくて手のところだけが働いているのが分かる。指の関節はどこも曲がりきらないのに、その形になるところだけは曲がる。 そのまま二十秒か三十秒くらい動いて、途中で止まって、膝に落ちた。落ちてからも指先だけがしばらく震えていたが、それは震えのほうで、さっきの動きとは別だった。 残りの薬指と小指を切った。やすりはかけないでおいた。切った爪が膝の上のタオルに落ちて、白い粒が七つか八つ、繊維に引っかかったまま乗っていたので、そのままタオルごと持ち上げて袋に入れた。 向かいの席の女の人がずっとこちらを見ていた。目が合うと、私にではなく母に向かって何か短く言って、母は返事をしなかった。二人はいつも同じ並びに座らされているらしい。 職員の人に、ああいう手の動きはよくあることなんですかと聞いた。ありますよ、みなさん昔やってはったことが出ますねえ、と言われた。畑をやっていた人は土を触る形になるらしい。 「かんにん」 と母が言った。何に対してなのかは分からない。私の顔は見ていなかった。 帰りに事務所で来月の請求の紙をもらった。十一月から日用品費が二百円上がる。 写真のことを聞いたら、居室の名札の下に貼ってもらってかまわないと言われた。アルバムは箪笥の下の段にあるはずだが、探すのに時間がかかりそうなので、台所の柱に貼ったままになっているのを一枚はがして持っていく。母の膝にミケが乗っている。いつ撮ったものかは分からない。裏に何も書いていない。 来週は水曜と土曜に行く。爪切りは置いてきた。名前を書いて、事務所の引き出しに入れてもらった。
小説 · text · 2026-09-07