FFAVENIA

小説 · text · 2026-09-07

聞き書き

しゅう1
聞き書きのカバー

二〇二六年六月十四日 三保田サキ方 六十二分 上がってけれ。そこの座布団は湿気ってるすけ、こっちの青いのを敷いてけれ。うちは日が入らねえのよ、裏がすぐ山で、六月に入ってからずっと雨戸を閉めてらったすけ、畳がしけてる。臭うべ。臭ってるはずだ、おらは鼻が利かねぐなってるから自分では分がらねども、来る人がみんな玄関で同じ顔をするすけ、それで分がる。前に来た保健所の人も、そこで一回止まった。あれは臭いで止まったんだ。 車で来たのが。バスだと下のバス停から四十分も歩がねばねえし、そのバスも今は一日に三本しか来ねえのよ、昔は六本あったども。 その機械、もう回ってるのが。 そんだら、はあ、もったいねえな。電池だべ、電池は高いのよ、おらのラジオも単三を四つ食って、それが一月もたねえ。あんた、大学の子だべ、仙台の。四時間かけて来たのが。四時間かけて、こんたな谷の奥まで来て、ばあさんの昔話を聞いて、それが学校の勉強になるのが。民俗学。はあ、聞いたことはあるども、それが何をする学問なんだか、おらにはさっぱりだ。まあ、あんたの学校のことだすけ、おらは知らね。 何も面白い話はねえ。 ほんとうにねえのよ。八十八年生きて、人に聞かせるようなことは何ひとつねえ。生まれてから死ぬまで、この谷から一歩も出ねがった人間の話を聞いて、あんた、どうする。ああ、いや、一回は出た。酒田さ行った、それは後で話すすけ。まんず、お茶飲め、ぬるいべども。ポットが古いのよ、朝入れたのが昼になっても熱ぐならねえ。買い替えろって和子が言うども、あの子は埼玉にいて、電話でだけ物を言う。買い替えろって言う人は金は出さねえもんだ。 耳は聞こえてる。 そこは書いといてけれ。この年になると、誰でも彼でも大きい声で喋るのよ。デイサービスの若い衆も、口を大ぎぐ開けて、みほださーん、って、ああいう喋り方をする。おらは耳は何ともねえ、目のほうが悪いのよ。新聞は一面の大きい字だけ見て、あとは畳んで火つけに使う。 名前は出さねでけれ。書ぐなら三保田でなくて、なんとかさん、でいい。前に一回、新聞の人が来たことがあってな、それは十年か十五年前だ、限界集落だなんだって書きに来て、写真も撮って帰った。何ヶ月かして、和子が埼玉から電話をよこして、母ちゃん新聞さ出てるよって。おらは見でねえ。見でねえども、家の前で撮った写真だって言うすけ、そんだら雪囲いの半分崩れたのが一緒に写ってらべし、それを見た人は、この家の年寄りは一人で難儀してるって、そういう顔で読むべ。ああいうのは嫌だ。難儀してるのは本当だども、人に難儀してると思われるのと、自分で難儀してるのとは、まるっきり別のことだ。だすけ、あんたも、書ぐなら気ぃつけてけれ。あんたが悪いって言ってるんでねえのよ、書ぐ人はみんな最初は親切だすけな、親切なうちに言っておぐだけだ。 今年は雨が少ねえ。 六月に入ってから、降ったのは四日か五日だ。梅雨に入ったと新聞さ出でだども、あれは仙台のほうの話だべ。こっちは降らねえ。降らねえと山が白ぐなるのよ。埃でな。葉っぱの上に埃がのって、遠くから見ると山ぜんたいが粉ふいたみたいに見える。あれを見れば、ああ今年は降ってねえなと分がる。雨のあとはな、色が違うのよ。裏の杉が黒ぐなる。ほんとに黒だ、緑でねえ、黒だ。おらの目でもそれは分がる。去年は反対で、七月にどしゃぶりが四日続いて、下の道が一回流れた。役場から土嚢を積みに来て、若い人が四人来たども、そのうち二人はこの集落の者でねえ。もう若い人はいねえのよ、ここには。 水はな、いまは水道が来てるすけ蛇口をひねれば出るども、おらが嫁に来たころは沢から引いてらったのよ、竹を割って樋にして、それを何十本もつないで山の上から下ろしてきて、雨の降らねえ年は上の家から順に細ぐなって、いちばん下のうちには昼まで一滴も来ねえって、そんたなことで大人が本気で喧嘩してらった。おらはその喧嘩を、井戸端で洗いもんしながら聞いてらった。水の喧嘩ってのは、なんぼ喧嘩しても、雨が降れば終わるのよ。降らねば終わらねえ。だすけみんな空ばり見てらったんだ。今は誰も空を見ねえ、テレビが言うすけな。テレビが、明日は降りますって言えば、はあ、そんだかって、それで終わりだ。 畑はやめた。 三年前だ。いや、四年前か。四年前の秋に、大根を抜いてて、そのまま畝の間さ座り込んで立てねぐなって、一時間ばり座ってた。あそこは誰も通らねえのよ。日が傾いてきて、これは這って帰るしかねえかと思ってるとこへ、下の家の人が軽トラで上がってきて見つけてくれた。それで正が来た。母ちゃんもう畑はやめれって、それだけ言いに来た。あの子は秋田市にいて、車で二時間かかる。二時間かけて来て、やめれと言って、その日のうちに帰った。おらは、はいはいと言った。言うだけは言ったのよ。次の年もこっそり作った。ネギだけな。ネギは楽だすけ、植えといて土を寄せるだけだ。そしたらそれも見つかって、こんどは草刈り機を軽に積んで来て、裏の畑を根こそぎ刈っていった。畑ってのは一年刈らねば、もう畑でねぐなる。今は葛だ。葛と、竹が入ってきてて、竹が入ったらしまいだ。あの畑でな、いっとう多いときは大根を二百本も作って、抜いて洗って、藁で二本ずつ編んで軒下さ吊るして、しなびたころに樽さ三つ漬けて、それを誠治と二人で一冬かかって食った。今は袋さ入ったのを買って、それが半分残って冷蔵庫で黄色ぐなる。 そんだすけ、今は野菜は買ってる。買ってるって言っても、店は下まで下りねばねえすけ、週に二回のデイサービスの帰りに、車を出してもらって、寄ってもらう。あれは本当は寄っちゃいけねえことになってるらしい。運転手さんが黙って寄ってくれる。だすけ、あんまり大きい声では言わねえでけれ。あんた、それも書ぐのが。書ぐな。それは書ぐな。 向かいの家のばあさんは、まだ畑をやってると言ってる。 やってるように見せてるだけだ。あれは息子が土曜に来て耕して、苗も息子が買ってきて、水だけばあさんがやってる。それで、うちのトマトはうまいって、袋さ入れて配って歩ぐ。おらは何も言わね。もらうときは、ありがとうございますって言ってもらって、うまいうまいって食う。んだども、あれはあの人の作ったもんでねえ。まあ、そんたなことはどうでもいい。もらうもんはもらう。 足がな。 膝が悪いのよ、両方だ。医者は年だすけって言うども、年だすけって言われても、こっちは八十八年これでやってきて、四年前までは自転車も乗ってらったのよ。それが、今は流しの前に三十分立ってると腰から下が痺れる。だすけ、洗いもんは椅子に座ってやる。あの椅子だ、台所の、白いの。あれは正が持ってきた。あの子は物を持ってくるのは早い。持ってきて、置いて、帰る。手すりも付けた、玄関と、便所と、風呂に。三つ付けて、業者さ払ったのが十何万かかったって、あとで和子が電話で言ってらった。おらは頼んでねえ。頼んでねえども、付いたもんは使う。 デイサービスは週に二回だ。火曜と、金曜。朝の九時前に迎えの車が来て、風呂さ入れてもらって、昼を食って、体操みたいなことをやらされて、三時ごろ帰される。風呂はいい、うちの風呂は跨ぐのが高くて、一人だと難儀するすけ、あそこで入れてもらうのは、はあ、ありがたい。んだども、あの体操ってのはな、若い先生が前さ立って、手を上げてくださーい、大きく息を吸ってくださーい、って、幼稚園の子さ言うみたいに言うのよ。おらの隣に座ってるのが矢島から来てる人で、その人が、体操のあいだじゅう、うちの息子は東京で会社をやってるって話を、毎回、同じ順番で喋る。会社の名前まで毎回同じだ。おらは、はあ、たいしたもんだね、って毎回言ってやる。言ってやると、その人は嬉しそうにする。そのうち忘れるんだべ、おらのことも、息子のことも。忘れねえうちに言わせておげばいい。 酒田さ行ったのは、十四のときだ。 紡績の工場よ。国民学校を出て、その春だ。うちは百姓で、田は少しあったども、食うだけで精一杯だ。おらの上に姉が二人いて、二人とも先に出てた。だすけ、次はおらの番だと、はあ、そういうもんだと思ってた。んだども、おらは行ぎたぐて行ったのよ。誰にも言われねえ、町さ行ぎたがったのよ。町さ行げば電気が夜中まで点いてて、映画館があって、女の子がみんな同じ服着て並んで歩ぐんだって、そういうことを姉が手紙さ書いてよこす。それを見でな、おらも行ぐって、自分で言ったんだ。ここにいたら、一生この谷で、雪掻いて、田さ入って、それで終わりだべ。おらは嫌だった。迎えのトラックの荷台さ乗って、峠を越えるとき、うしろは見ねがった。振り返らねがったのよ。荷台には同じ年ごろのが六人か七人乗ってて、みんな風呂敷包み一つで、そのうちの一人が峠でずっと泣いてらったのを覚えてる。おらは泣かねがった、泣いてる子を見て、なんで泣ぐんだべって、そう思ってらったのよ。あれは十四だ。十四で、よぐ振り返らねがったもんだと、いま考えると思う。 工場の話は長ぐなるすけ、また今度でいいべ。 夫は、いい人だった。 誠治って名前だ。三保田誠治。おらが十九で戻ってきて、その年のうちに一緒になった。あの人は隣の集落から来て、この家さ入った。婿よ。無口な人でな、一日喋らねえ日もあった。んだども、いい人だった。二〇〇七年に死んだ。もう二十年近ぐなるのが、早いもんだ。 子どもは三人。 正と、和子と、下にもう一人いた。まあ、その話はいい。 そんでな、さっきの畑のことだども、あんた、葛って知ってるが。葉っぱがこんたに大きくて、蔓が一日に何十センチも伸びるのよ。あれが畑さ入ると、もう鍬が立たねえ。根が太ぐなって、大根みたいになる。昔はな、あれを掘って、叩いて、水にうるかして、粉にして、葛湯にして飲んだ。風邪ひいたときにな。今は誰も掘らね、掘る人がいねぐなったすけ、山も畑もみんな葛に食われてる。この谷は、そのうち全部葛になるべ。おらは見ねで済むども。 家は、昔はなんぼもあったのよ、ここも。 まあ、その話は今度でいい。今日はもう喋りすぎた、喉が渇いた。あんたもお茶飲め、冷めてるべ。冷めたのでも飲め、入れ直すと立たねばねえすけ。 だすけ、最初に言ったべ、何も面白い話はねえって。天気と、畑と、膝の話しか出てこねがったべ。それを四時間かけて聞きに来て、あんた、帰って何を書ぐ。まあ、いい。あんたが来て損したと思うんなら、それはあんたの損だ。おらは損してねえ。人が来れば茶を出すし、茶を出せば自分も飲む。一人だと飲まねえのよ、面倒くさくて。 また来るのが。 二週間後。二十八日だべ。その日は雨かもしれねえな。道が悪いすけ、下から歩ぐな、車で上がってこい。橋を渡って一つ目の分かれ道は左だ。右さ行ぐと墓場で行き止まりになる。轍のとこは徐行しろ、腹をこするすけ。 その機械、まだ回ってるのが。 だすけ、電池がもったいねえって言ってるべ。 二〇二六年六月二十八日 三保田サキ方 七十八分 上がってけれ。そこ濡れでるすけ、乾いでる方さ足置いで。座布団はその厚い方な、薄いのはおらが尻に敷いでるやつで、客に出すもんでねぇんだ。 朝から降ったり止んだりで、下の道、水出てねがったか。あそこは側溝が詰まれば必ず出るとこで、役場さ何遍も言ったども、順番だから待ってくれって、それ言われでるうちに三年経った。順番ってのは、こっちが死ぬまでの順番だべ。 この前は畑の話ばっかりして悪がったな。もうやめだって言ってるのに、口開けば畑の話しか出てこねんだ。 前の晩な、何聞かれるんだべと思って寝られねがったんだ。年寄りってのは寝られねば天井ばっかり見でで、そんで昼に寝るすけ、デイの人にまた寝でるって笑われる。笑われでもいいども、あそこの人らはおらより十も下で、それでもう昨日食ったもんが出てこねぐなってるすけ、おらは黙ってるんだ。おらは耳は聞こえるし、昨日食ったもんもちゃんと言える。朝はパンで、バナナが半分ついで、あとは牛乳の小さいやつだ。 その赤いのが点いでれば録れでるんだべ。この前もおんなじこと聞いだな、おら。 麦茶にした。熱いのは暑いすけな。湯呑みはそっちの青い方使ってけれ。 集落のことって、何言えばいいんだか。 十九戸あった。 おらが嫁に来たときで十九戸で、今は六戸だ。六戸って言っても、人が住んでるのが六戸ってだけで、家はもっとなんぼでも立ってる。誰も住まねぐても家は立ってるすけな。 川上から数えるべか。一番上のは去年の雪で潰れて、今は屋根だけ地べたに載ってるようなもんで、その下が空き家で、そのまた下も空き家で、そこは仏壇だけ息子が来て持ってった。仏壇だけ持ってって、鍋も茶碗も置いだまんまだ。その二軒下に婆様が一人でいで、九十二になる。おらより四つ上なのに、あの人はまだ自分で味噌つけでるんだから大したもんだ。んで、うちがあって、向かいがあって、向かいは夫婦だども、夫婦って言っても七十七と七十四だべ。そこから橋のとこまでに二軒あって、一番下の家は冬になれば息子のとこさ行って留守になるすけ、冬は五戸で回すことになる。五戸で道の雪をどうするって、毎年寄り合いするんだ。寄り合いって言っても集まれるのが四人で、四人で寄って、去年とおんなじことを決めで、饅頭食って終わる。表札はどこの家も出したまんまだすけ、上から下まで歩けば、名前だけは十九軒ぶん残ってるように見えるんだ。郵便の人だけが、そこはもういねぇって知ってる。 数えるたんびに違うんだ、おら。誰か死ねば数え直さねばねすけな。 去年は一年で二人死んだ。 一番若いのが六十いぐつで、それが若い方だっていうんだから笑うべ。 大平って書いて、おおだいらって読ませるんだ。平らなとこなんて一つも無ぇとこにな、大きい平らって名前つけで、昔の人も見栄っ張りだ。 なんで減ったかって、そったらもの、仕事が無ぇがらだ。それだけだ、ほかに何もね。 田んぼは山の上の方まで段々になってあって、一枚が畳三枚くらいの田んぼもあった。あんなもの機械が入らねすけ、今は木が生えでる。杉植えた家もあるども、その杉も今は銭にならねって、みんな言ってる。 うちの正も、高校出たらそのまま秋田さ出た。盆には来るども、来ね年もあって、来ねぐてもいいんだ。こっちも動けねぐて、あっちも忙しくて、それで電話だけ来る。電話を掛けでくるのは正の嫁の方で、正は最後にちょっと代わって、元気か、と、じゃあな、と、それだけ言って切るんだ。四十いぐつになっても二言だ。 空き家はな、鍵かかってねぇのもあって、猫が入って子産んで、そのまんまになってる。去年、下の空き家の屋根から雪がどっと落ちで、隣の物置を潰したんだ。持ち主は東京にいで、電話しても、そのうち行きますって、それだけで来ね。壊すのに百五十万かかるって言われだんだと。百五十万出して更地にしたって、こったらとこ誰も買わねすけ、だから誰も壊さねで、みんなそのまま立ってるんだ。潰れた家ってのは、遠くから見れば土の色になる。屋根が落ちで、草が上さ乗って、二年もすれば、そこに家があったって分からねぐなる。 バスは日に二本で、朝の七時と昼の一時だすけ、それで病院さ行けって言われでも行けねべ。デイの車は迎えに来るからありがたいども、八時二十分に来るのに七時には起きて待ってで、待ってる時間の方が長い。 生協の車は火曜だ。頼んでおけば持ってくるすけ、豆腐と卵と、うるかす豆な、そのくらい頼む。米は正が毎年送ってくる。要らねって言ってるのに送ってくるんだ。 学校か。学校のことも聞ぐのが。 学校は下の、川のとこさあった分校で、歩いて四十分、雪の日は一時間半かかった。上の学年の子らが先を歩いて道踏んでくれで、小さいのが後からついでったんだども、踏んでくれるったって腰まで埋まるとこもあって、そういう日は途中の家さ上がり込んで、ストーブで足乾かしてもらってから行くんだ。したら学校さ着いだころは昼になってで、昼に着いでちょっと習って、また帰る。何しに行ったんだか分からね日もあった。それでも休むって考えは無ぇんだ、休めばそのぶん家の仕事さ回されるすけな。 わらぐつだ。ゴム長履いでる子は二人しかいねぐて、一人は下の店の子で、もう一人は役場さ勤めでる家の子で、おらはあの二人の足ばっかり見でだ。 弁当は冷や飯に味噌で、梅干し入ってる子もいだ。ストーブの上さ弁当箱を積み上げでな、下のは焦げて、上のは冷たいまんまだすけ、途中で積み替える係がいで、おらもよぐやった。焦げたのは焦げたので旨いんだ。石炭を運ぶ当番もあって、二人がかりでバケツ提げで、廊下が寒くて、指が言うこときかねぐなる。しもやけで指が二回りも太くなって、それが痒くて、机の下で握ったり開いたりしてらった。今でも飯が焦げた匂いがすれば、あの部屋の、油みたいな匂いを思い出す。匂いってのは、なんぼ経っても消えねもんだな。 先生は一人で、一年から六年までおんなじ部屋さ入れで、黒板を半分に区切って使ってらった。上の学年に算術やらせでる間に、下の学年さ字を書かせで、よぐあれで教えられたもんだと思う。運動会は下の本校まで歩いて行ぐんだ。行くだけで疲れて、着いたころには走る気も無ぇ。それでも旗持たされで、並ばされで、写真も撮られだ。あの写真がどこさ行ったんだか。 教科書に墨を塗った。何だか分からねで、言われた通りに塗った。おらは二年だすけ、そのぐらいしか覚えでね。 この指の節、まだ曲がってるべ。 帰りは川さ下りで足洗った。夏はな。誰も見でねぇすけ、みんな裾からげで、そのまま濡れて帰る。 同級生は七人いで、今生きでるのは二人だ。一人は施設さ入って、こっちの顔も分からねぐなったすけ、だから一人だ。 その先のことは、また今度でいいべ。今日は集落の話だべ。 熊な。 熊は出ねがった。 おらの若いころは、いっぺんも見だごとねぇんだ。毎日、山さ入ったんだぞ。ぜんまい、こごみ、たけのこ、秋は木の実、そったらもの取りに毎日入って、鈴なんて誰も付けねがった。付けるっていう考えが無ぇもの。それで一度も出ねがった。いっぺんもだ。 今はテレビでやってるべ。役場の放送も鳴るし、今年はもう四回鳴った。学校の裏に出たとか言うども、学校なんてもう無ぇのにな、みんな学校の裏って言う。無ぐなった物の名前で、みんな場所を言うんだ。店の前、駐在の角、学校の裏、どれも無ぇ。無ぇのに、それでちゃんと通じるんだから可笑しいべ。 山が変わったんだべな。人が入らねぐなったすけだって正はそう言うども、おらは分からね。分からねども、昔は出ねがった。それだけは確かだ。 電話もな、変なのが掛かってくるようになった。屋根を点検しますって、役場の方から来ましたって言うんだ。役場の方角から来たってことだべって、おらは言ってやった。したら黙って、黙ってもまだ切らねで喋ってで、しつこいもんだ。ああいうのは一人で住んでる家をどっかで調べで、それで掛けでくるんだって、和子が言ってらった。和子は埼玉だ。埼玉から電話でそう言うだけだ。 そんでな、さっきの熊だども、うちも犬がいだ。繋いでねぇ犬で、勝手に山さ入って勝手に帰ってきたども、あれでも熊さは一度も会わねがった。だから出ねがったんだ、おらの若いころは、いっぺんもだ。 うちの人が死んだのは平成の十九年だ。十九戸で、平成十九年で、何だか十九ばっかりだな。 葬式に来ねがった家がある。向かいでねぐて、その上の家だ。道が一本しか無ぇ集落の、歩いて二分の家で、それで来ねがったんだ。香典も来ねぐて、あとで嫁の方が持ってきたのが三千円だ。三千円だぞ。おらは何も言わねがったし、今も言わね。言わねども、覚えでる。仏さんは忘れでも、おらは忘れねんだ。 まあ、そこの家のことはいい。悪い人らでねぇんだ。あすこも婆様の面倒みでで、それどこでねがったんだべ。 草刈りは年に二回あって、道の草を刈るんだども、今は刈れる人がいね。業者さ頼めば一回で十万近くかかって、それを六戸で割ればいくらになる。それで去年から一回にしたすけ、今は草が伸びで、車のミラーさ当たる。郵便の人が、通るのが怖いって言ってらった。 神社の当番も順番だ。順番って言っても六軒だすけ、六年に一遍でなくて、毎年誰かが二役やることになる。おらはもう外してもらったども、外してもらって気楽になったかっていうと、そうでもねぇもんだ。 十九戸あったんだ。祭りのときはこの道さ人が並んだし、子どもだけで三十人はいだ。今、子どもは一人もいね。一人もだ。 上の婆様に、大学の子が二週間ごとに来るって言ったら、何しゃべるんだって聞かれで困った。何しゃべってるんだべな、おらは。昔のことしか無ぇんだ。昔のことなんて、どこの家にもあるもんだべ。それを大学まで行った子が録って歩いで、それで何になるんだが、おらには分からね。分からねども、来るなとは言わね。 雨、上がったんでねが。 蕗、煮でおくすけ、次に来るとき持ってげ。ここの蕗は太くて、味は下の蕗より濃いんだ。冷蔵庫さ入れどげば十日はもつ。 次はいつだ。二週間後か。その日はデイでねぇはずだども、こっちも年寄りだすけ、前の日に電話けれ。番号は、そこの電話の下さ貼ってある。 二〇二六年七月十二日 三保田サキ方 五十四分 降ってきたべ。傘は、そごの縁側さ置いといたらいい、畳の上さ置ぐと跡が残るすけ。 よぐ降る。 前に来たとぎも、そごさ置いだ。おらは覚えでる。 麦茶なら冷蔵庫さ入ってるはずだがら、自分で出して飲んでけれ、おらは立づのに難儀するようになったがら、そういうのは自分でやってもらったほうが、まんず早いんだ。 悪いのは足だげで、膝と、あどは腰が少し痛むぐらいのもんだ。耳は聞こえでるすけ、そんげ大ぎな声を出さねでもいい、大ぎな声を出されっと、かえって言葉が割れで分がらねぐなる。 座布団はそのままでいい、硬いほうが客用で、へたったこっちのを、おらが敷いでるんだ。 バスで来たのが。この間、車で来た人がいでな、下の橋のどごで曲がり損なって、危うぐ田んぼさ落ぢるどごだった、あそこは地元の者でも夜は間違えるがら、無理もねぇ話だ。そのテープみでぇなのは、もう回ってるのが。回ってるなら、回ってるって最初に言ってくれればいいんだ、おらは構わねんだがら。 この間の菓子折りは、まだ開げでねぇ。甘いものは、もう歯に障るがら、そういうのは今度から持ってこねでいい、気ぃ遣われるほうが、こっちは疲れるんだ。 二週間も空ぐと、こっちは前に何を喋ったんだが、きれいに忘れでる。そっちのテープのほうが、よっぽど覚えでるんだべ。 今日は、家のごどを聞ぎに来たんだべ。 三人だ。 男が二人と、女が一人で、それだげだ。 上が正だ。秋田市さいる。 市役所でねぐて、そのすぐそばの、なんとかいう会社だ。名前が出でこねぇ。看板は何回も見でるども、こういうのは、いざ人に言おうとすると出でこねぇもんだ。四十年からあそこさ勤めで、定年も過ぎだのに、まだ週に何日か頼まれで出でるらしいども、金の話は一切しね。 小学校のとぎ、算数がいちばんだった。担任の先生がわざわざこの家さ上がってきてな、この子は上の学校さやったほうがいいって、そう言ったんだ。父ちゃんは黙って聞いでで、返事もしねで、茶ばり飲んでらった。それで高校さやった。本荘まで汽車で、冬は真っ暗なうぢに起ぎで、おらが弁当こしらえで、そごの坂を自転車で下りでいった、雪の日は乗れねぇがら押して下りだ。 おらは四時には起ぎでだ。竈さ火を入れで、飯炊いで、卵焼ぎと漬物だげの弁当で、それでも間に合わねぇ日は、握り飯だげ持たせでやった。 汽車賃だげは、父ちゃんが黙って出した。おらが何も言わねぇうぢに、もう決まってだみでぇだった。 正は、あんまり喋る子でねがった。学校のごとも、友達のごとも、聞かねば言わね。そういうどごは父ちゃんに似だ。 そういうごとを、正はもう覚えでねぇ。おらが言っても、そんげごとあったがなあ、って言うだげで、あれは覚えでるごとと覚えでねぇごとが、はっきりしすぎでる。 今は月に一回か二回来るども、仕事は辞めだはずなのに、来ればすぐ帰る。玄関で立ったまんま喋って、上がらねで帰る日もある。この間は、自分も腰が悪ぐなったって言ってらった。 来るだげ、ましだ。 来るたんびに同じごとを言う。母ちゃん、そろそろ考えでけれって、施設のごとだ、秋田さ来いって。 写真の入った紙みでぇなのを置いでいぐども、建物ばり立派に写ってで、金のごとが書いである行だげ、字が小せぇ。おらは行がね。この家は父ちゃんが建でだ家で、屋根は二回替えでる、一回目は父ちゃんが生ぎでるうぢにトタンにして、二回目は十年ばり前で、そのとぎは正も金を出した。んだがら、あれもそう強くは言えねぇんだ。 嫁は悪ぐね。悪ぐはねぇんだども、台所さ立づと、鍋の置ぎ場所を変えでいぐ、使いやすいようにって、そう言ってな。んだども、次にあの人が来るまでの間、おらは自分の鍋を探して暮らすごとになる。 悪気はねぇ。悪気がねぇのが、いちばん厄介だ。 耳は聞こえでる。それだげは、まだいい。 女のほうが和子で、埼玉さいる。 嫁ぎ先は、まあ、悪ぐねぇどごだ。向こうの家は商売やっでで、和子もそっちを手伝ってるって聞いでるども、何屋だが、おらもはっきりは知らね、前に一遍聞いだんだども、忘れだ。 和子は、こっちの人とは一緒にならねがった。それだげのごとだ。 そういう子だ。 埼玉のどごだが、おらは知らねし、行ったごともね。一度、来いって言われで、正が連れでいぐって話にまでなったんだども、その年に父ちゃんが具合悪ぐなって、それきりになって、そのあどは誰も言い出さねぐなった。電話はよぐよごす。和子は、そういうどごはまめだ。用なんぞ無ぇんだ、無ぇのにかけでくる、それでいい。天気の話と、テレビでやってだ話と、それで切れる。 最後に必ず、一人で大丈夫なのって聞ぐ。大丈夫でねぐても、大丈夫だって言うより、ほかに言いようがねぇべ。埼玉から出でこられるわげでねぇんだがら、聞かれだって困る。 盆には帰らねぐなった。暑いんだと、埼玉のほうが暑いって、そう言うども、こっちだって、今年みでぇな年は暑いんだ。父ちゃんの葬式のとぎは三日いで、そのあどはだんだん短ぐなった。送ってくるのは、洗剤だの、菓子だの、そういうものばりで、洗剤なんぼあっても、この家はおら一人だ。押し入れの下の段さ、まだ手ぇつけでねぇのが積んである。 名前は、三人とも父ちゃんがつけだ。おらは口を出さねがった。父ちゃんのごとは、この間喋ったべ。 下が昭二だ。 昭二は死んだ。 二十一だ。 事故だ。 …… 大学の子は、昭二のごとを、どっかで先に聞いできたんだべ。誰に聞いだ。この集落の者だら、言うのは二人か三人しかいねぇはずだ。 そったらごど、聞いでどうする。 事故だ。それだげだ。 大学の子は、そういうのを書ぐのが仕事だが。 この話は、もういい。 麦茶、ぬるぐなってねぇが。氷は冷凍庫さ入ってるがら、自分で入れでけれ。 畑はやめだ。 もう、やらね。 三年、いや、四年になるが。膝だ。しゃがめねぐなったら、畑は終わりだ。 今は草ばりで、夏になっと腰の高さまで伸びるがら、年に二回、シルバーの人に来てもらって刈ってもらってる、一回で一万なんぼだ。自分の畑の草を、金払って刈ってもらってるんだ。 鍬は、まだ玄関の脇さ立ででる。使わねぇども、しまうどごがねぇがら、そのまんまにしてある。 田んぼは、父ちゃんが死んだ年に人さ渡した。畑だげ残ったのは、あそこは石が多ぐて、誰も欲しがらねがったがらだ。 んだども、ネギとみょうがだげは勝手に出る。植えでもいねぇのに、毎年おんなじどごから、おんなじぐらいの数だげ出でくるんだがら、あれは不思議なもんだ。 大根も、よぐ作った。ここらの土は石が多いすけ、まっすぐには伸びねで、二股になったり、途中で横さ曲がったりする。売り物にはならねども、味は変わらね。石は、掘るたんびに出でくる。出でくるたんびに畑の隅さ運んで積んだ。何十年も積んだのが、今は人の背丈より高ぐなって、その上さ草が生えでる。あれだげは、おらがやった仕事だって、はっきり分がる。 大根はな、あの子が── いや、大根の話だ。 JAさ出すのは形のいいのだげで、曲がったのは全部この家で食った。おらは大根なら、なんぼでも食えだ。うるかした米さ刻んで入れで炊いだり、味噌汁さ入れだり、あどは秋に土さ埋めどいで、冬のあいだ少しずつ掘って食った。苗は本荘の店で買ってきた。おらは免許なんぞ無ぇすけ、誰かの車さ乗せでもらってな、そのたんびに菓子の一つも持ってがねばならねぐて、そういうのが、だんだん面倒になってきたんだ。 猿が来る。畑やめでからのほうが、よぐ来るようになった。人が動いでねぇどごは、あいつら、ちゃんと分がるんだべ。 もう追わね。 去年、正が来て、あの畑は誰かに貸せって言った。荒らしとぐのは近所に悪いって。 貸すもなにも、ここらに畑やる人が、なんぼいると思ってるんだ。六戸だ、今は。十九あったのが六戸で、そのうち三軒は、おらより年寄りだ。 仏壇の花は、その畑の脇に勝手に咲いでるのを、切ってきて挿してる。買った花は、なんだが違う。長持ぢはするども、違うんだ。水は毎朝替えでる。夏場は一日置ぐと臭ぐなるがら、そればりは、足が痛ぐても起ぎでやる。 火曜と金曜は、車が来る。朝の九時前だ。 行ぎだぐはねぇ。 運転する人が若ぐてな、そごの細い道で毎回一回切り返す。んだども、そのうぢ覚えるべ。 うちがいちばん奥だがら、行ぎも帰りもおらが最後で、玄関で三十分も待だせられる日がある。待ってる間に、庭の草を見でるより、ほかにするごとがねぇ。 風呂さ入れでもらって、飯食って、体操だのやらされで、三時ごろに帰される。 手ぇ叩いだり、風船を打ったり、あれは嫌だ。子供でねぇんだがら。 飯は味が薄ぐて、病院みでぇな味がするども、残さねようにしてる。残すと職員さんが心配して、あどで正のどごさ電話がいぐすけ、面倒なんだ。向がいに座ってる人が耳が遠ぐてな、職員さんがその人に大ぎな声で喋る。そうすっと、部屋じゅうが怒られでるみでぇになる。 おらは耳は聞こえでる。何回も言うども、おらは聞こえでるんだ。 春まで来でだ人が、来なぐなった。どうしたのがって聞いでも、職員さんは、ちょっとお休みですって言うだげだ。そういうのは、こっちも、それ以上は聞がねごとにしてる。 まあ、風呂だげはいい。この家の風呂は湯船のふちが高ぐて、またぐのに難儀するがら、あれだげは助かってる。 そういえば、電話なんぞ、そうそう来るもんでねぇ。みんな忙しいんだべ。 きゅうり、持ってげ。下の家の人がなんぼでも寄こすがら、おら一人では食い切れねんだ。 そごの新聞紙で包んで、袋なら流しの下さある。 次はいつ来る。 一人でいると、日にちが分がらねぐなるがら、来る日はカレンダーさ丸をつけどぐ。デイの日は青で、そのほかは赤で書ぐごとにしてる。 来るときは、前の日にでも電話をよごせばいい。和子だって、たまにはよごすんだがら。番号は、この間、そこの紙さ書いで渡したべ。 バスは四時二十分だ。ここから停留所まで、大学の子の足でも十分はかかるし、降ってるすけ、もっとかかるべ。あれを逃すと、次は暗ぐなってからで、本荘まで歩ぐわげにもいがねぇんだがら。 濡れるぞ。 傘、忘れんなよ。縁側だ。 二〇二六年七月二十六日 三保田サキ方 九十一分 今日は暑いすな、朝から風が入ってこねぇ。そこの扇風機、首が振らねぐなったから、自分で向ぎ変えでけれ。去年一遍ばらして油さしたどぎは三日ばり素直に回ってらんだども、それっきりまた言うこと聞かねぐなった。 まんず座れ、麦茶あるすけ。 沸かしたやつだから安心して飲め。うちの水を生で飲むと当だる人がいるってデイの兄ちゃんが言うもんだから、面倒でも沸かすことにしてる。おらは八十八年この水で生ぎでるども、言われだ通りにしとぐほうが後で揉めねぐていい。悪い人でねぇんだ、あの兄ちゃんは。ただ、なんでも紙さ書ぐ。おらが茶碗一杯飲んだのまで書いで、それをどごさ持って行ってるんだが、こっちは聞いだこともねぇ。 酒田の話を聞ぎでぇんだべ。 そったら顔しなくてもわがるすな。この前も途中まで喋って、それから畑の話になって、しまいまで畑の話だったもの。 十四だ。昭和二十七年の四月で、三月の生まれだから、十四になってすぐ出はった。 おらは行きたくねがった。 父ちゃんが決めたんだ。おらには何も聞かせねぇで、晩に飯食ってるどぎに、酒田さやるすけ支度しろって、それだけだ。理由も言わねぇし、いつまでとも言わねぇ。父ちゃんはそういう人で、決めてから言う人だ。母ちゃんは黙って汁をつぎ足してで、おらが箸を置いだら、置ぐな、食え、行ぐ前に食っとげって、その晩に母ちゃんが言ったのはそれだけだった。あとで考えれば、母ちゃんも先に聞かされでねがったんだべな。あの晩、母ちゃんは自分の飯さ手をつけねがったもの。汁だけ二へんも三べんもよそって、こっちの茶碗ばり見でだ。 うちは百姓で、田は一町も無ぇ。あとは山の畑と炭焼ぎだ。 口減らしだって思われるども、うちはそこまで詰まってねがったと思う。思うだけの話だ。子どもだったすけ、家の銭のことなんてわがるわけがねぇもの。ただ、その年の春に父ちゃんが山の木を売ったっていう話は、ずっと後で近所のおばさんが喋ってるのを聞いだ。 出はった朝のことはよぐ覚えでる。 三時だが四時だが、まだ真っ暗なうぢに起こされで、母ちゃんが握り飯を二つ持たせた。梅干しが一つずつ入ってで、竹の皮で包んであった。行李は父ちゃんの古いやつを縄で縛って、その縄を母ちゃんが一遍ほどいでから二度結び直した。下駄でねぐてゴム引きの靴を履かされだども、踵のとこが薄ぐなってで、日陰さ雪の残ってるとこを歩いだら中まで濡れだ。父ちゃんは見送りに来ねがった。山さ行ぐって前の晩に言ってで、朝にはもういねがったんだ。本荘の駅までは母ちゃんが送ってきた。今のバスの通ってる道でねぇ、川さ沿って下る古い道を歩いで、二へん休んだ。切符は父ちゃんが買ってあって、母ちゃんが帯の間から出して、皺を伸ばしてから渡した。汽車が来るまで並んで立ってらったども、母ちゃんは何も言わねぇで、おらの襟のとこを二へん直しただけだ。乗ってしまえば、あとはもう手も振らねぇで、こっちが窓から見でるうぢに背中を向けて歩き出した。汽車は窓を閉めれば暑ぐて、開ければ煤が目さ入って、しまいには煤のほうが楽になった。 酒田まで二時間ちょっとだったが、三時間だったが。 工場の門のとこで名前と歳を言わされで、それから番号をもらう。おらは百二十七番だ。よそから来た子も地元の子もみんな番号で呼ばれで、三保田って苗字で呼ばれだのは最初の月に一遍か二へんだ。 髪は切られだ、耳のとこまでだ。 虱が出るからって、寮母が鋏でぶつぶつ切る。泣いだ子もいたども、おらは泣がねがった。あそこで泣いても誰も何もしてくれねぇというのは、二日か三日いれば嫌でもわがる。 寮は一部屋に八人で、畳の部屋の押し入れさ行李を入れで、布団は自分の分を自分で敷ぐ。煎餅みでぇに薄ぐて、冬は二枚重ねで、それでも足の先が朝まで冷てぇまんまだ。窓が北向ぎだったすけ、夏は蒸すし、冬は硝子さ内側から氷が張った。同じ部屋には由利の子が二人と象潟の子がいで、遠くは新庄から来た子もいだ。 仕事は三交代だ。 朝番、中番、夜番と一週間で入れ替わって、朝番の週は四時半に起ぎる。夜番の週は昼に寝るんだども、明るいうぢは寝られるもんでねぇから、手拭いを顔さ乗せで寝る。半年もすれば寝られるようになるすけ、人間は慣れるもんだ。慣れるども、体のほうは慣れでねぇ。おらが今こうやって足を悪ぐしてるのもあのころ立ちっぱなしだったせいだって正は言うども、正はあの工場を見でもいねぇのに、そういうことだけは一人前に言う。 糸は切れる、切れたら継ぐ、それだけの仕事だ。 そんでも、早ぐ継げる者といつまでも継げねぇ者がいるもんで、おらは早がった。手が利ぐって主任に言われだのは、あれは嬉しがったな。うちさいたどぎは何やっても遅ぇ遅ぇって言われでばりいたすけ、人に褒められだのはあれが初めでだ。指はな、糸で切れる。細い糸ほどよぐ切れで、気がつかねぇでいるうぢに糸のほうが赤ぐなって、それでわがる。冬は手の甲がひび割れで、風呂さ入ればそこが染みで、そんでも次の朝にはまた同じ手で糸を持つんだ。ほれ、この人差し指の、ここに白い線があるべ。これは機械でねぇ、酒田さ着いだ晩に行李の縄がどうしてもほどげねぐて、台所の包丁を借りできて切ったどぎのやつだ。母ちゃんがあんまり固ぐ結んだもんだから、しまいには縄でねぐて自分の指を切った。綿埃はどごさでも入る。鼻の中も、耳の中も、飯の中も、寝でる間の口の中もだ。 トシっていう子がいだ。要領が悪ぐて、いつも泣いでだ。泣げば誰かが代わりにやってくれると思ってらんだ。おらは一遍もやってやらねがった。今になれば少しぐらいやってやればよがったと思うども、あのころは自分の分で手一杯で、人の糸まで見でる余裕は無ぇ。 機械の音はな、喋っても伝わらねぇべ。 隣に立ってる子の声が聞ごえねぇんだ。んだから口の形で喋るようになって、飯のことだの寮母の悪口だの、口だけ動かして通じる。おらは今でも人の口を見ながら話を聞ぐ癖があるすけ、よぐ耳が遠いと思われるども、耳は聞ごえでる。今でも聞ごえでるんだ。デイでも後ろの席の人が何言ってるかまで聞ごえるども、聞ごえねぇふりしてるほうが波風が立たねぇ。 飯の話だな。 麦の飯で、米は入ってるども白ぐはねぇ。汁は芋がらで、たくあんが二切れと決まってで、三切れ取れば次の子の分が無ぐなる。鰯が出るのは月に二度あったが無かったが、そのへんは覚えでねぇ。正月に餅が出たのは覚えでる。三つ食って、隣の子が食えねぇって言ったのをもらって四つだ。 腹が減ってで、夜に水を飲んで寝た。 水を飲むと腹の鳴るのが止まるども、あれは止まってるんでねぇ、誤魔化してるだけだ。そのうぢまた鳴る。そうすると、うちの母ちゃんが朝に米をうるかしてる音を布団の中で思い出して、それでよけい腹が減る。今でも米をうるかす音は好ぎでねぇ。 その機械、まだ回ってるが。 給料は、なんぼだったかな。 三千円は無ぇ、二千八百なんぼだ。いや、それは三年目だが四年目だが、後のほうの話だ。最初の年はもっと少ねぐて、千八百とか、そのくらいだったと思う。そこから寮の分と飯の分を引かれで、手元さ来るのが千二百円だが千三百円だが、そこはもうはっきりしねぇ。歳取ると、あったことは覚えでるども、なんぼだったかは先に抜げる。 千円は家さ送った。判子押して、袋さ入れで、寮母に出す。 残った銭で石鹸と足袋とちり紙を買えば、それでほとんど無ぐなる。一遍だけ甘納豆を買ったことがあって、四人で分けだから一人五つか六つだ。あれを口の中で溶がして、なんぼでも長ぐ持たせようとしたのを覚えでる。 写真も撮った。酒田の写真館で、同じ部屋の四人で並んで撮った。着物は写真館のを借りで、順番に着回した。あれは家さ送ったすけ、今もどっかにあるはずだ。仏壇の下の引ぎ出しだが、押し入れの箱だが。探せば出るども、今日は探さねぇ。 みっちゃんっていう子が、逃げだ。 象潟の子で、十五で、おらより一つ上だった。夜番の週の晩に、便所の窓から出だ。あそこの便所の窓は下のほうが外れるってみんな知ってで、それを誰も直させねがった。 一遍目は駅で捕まった。始発まで三時間も四時間も待ってらんだから、そりゃ捕まる。汽車の時間を知らねぇまま出はったんだ、あの子は。連れ戻されで、寮母に髪を掴まれで、三日ばり部屋から出してもらえねがった。飯は運ばれできたども、みっちゃんは手をつけねがったすけ、おらが食えって言ったら、うるせぇって言われだ。それは、まあ、正しい。あのどぎおらが言った言葉は、うるせぇって言われで当たり前のやつだ。 二遍目は雪の降ってる晩だった。 行李も布団もそのまんま置いでった。誰も追わねがった。追ったのかもしれねぇども、おらは知らねぇ。次の週にはもう新しい子が来て、みっちゃんの寝でだとこに寝でだ、それだけのことだ。 寮母は大館の人で、菊池さんという人だった。悪い人でねぇんだ、あの人も雇われでるだけだもの。 そうそう、みっちゃんの行李の中さ櫛が入ってらんだ。黄楊の櫛で、歯が二本欠けでる。それをおらが取った。取ったって言うと聞ごえが悪いども、置いでおけば捨てられるだけだったすけ。今も持ってる、どっかにはある。 トシは、その後どうしたんだが。あの泣いでだ子だ。あの子のことは何一つ覚えでねぇのに、みっちゃんのことは櫛の歯の欠けだとこまで覚えでる。おがしなもんだ。 正が盆に来るって言ってたども、まだ電話が来ねぇ。嫁さんの実家が仙台だすけ、あっちさ先に行ぐんだべ。それはいい。和子は電話だけよごす。埼玉から出はってこられるわけがねぇもの。年寄りの長話をあの子は嫌がって、用が済んだらすぐ切る。それも、まあ、いい。 足は雨の降る前の日が一番悪い。医者は歳だって言う。そりゃ歳だべ。 みっちゃんの話に戻るども、あとで一遍だけ、酒田の駅で見たっていう子がいだ。新潟の織屋さ入ったとか、東京さ行ったとか、死んだとか、そういう話がいくつも回ってきた。人が一人いねぐなると、その人の話だけがなんぼでも増える。おらは本当のところを知らねぇ。何も知らねぇのに、あのどぎ止めればよがったって、そればりは今でも覚えでる。 酒田は五年いだ。十九で戻ってきて、その年のうぢに嫁に行った。 いや、その話は今日はいい。今日は工場の話を聞ぎに来たんだべ。 だから、そこだけは間違えねぇでけれ。行ったのは、おらが行ぎでぇって言ったからでねぇ。父ちゃんが決めたんだ。おらは一言も言ってねぇ。 大学の子は、それを紙さ書ぐんだべ。書ぐなら、そう書げ。 そんでな、そこの茄子、持って行げ。四本あるども二本でいい。二本は明日おらが焼いで食う。焼いで生姜で食うのが一番うめぇんだども、冷蔵庫さ入れておぐと味が落ちるすけ、今日のうぢに焼げ。 二〇二六年八月九日 三保田サキ方 六十七分 暑いな。 その窓は開けてもぬるいのしか入ってこねぇすけ、そこの扇風機をまわしてけれ、首は振らねぇように止めてな、こっちさまっすぐ当ててくれればそれでいい。麦茶は冷蔵庫の下の段さ入ってるから自分で出して飲んでけれ、おらが立つと台所まで行って戻ってくるあいだに話が終わってしまうすけな。 昨日はデイの日で、火曜と金曜、迎えの車が九時半に来て、風呂さ入れてもらって、あとは椅子に座ったまま手を上げたり下ろしたりする体操をやらされる。ばあさんが十四、五人並んで同じ格好をしてるのを横目で見てるとおかしくてしょうがねぇども、あれをやったからって足が良くなるわけでもねぇ。それでも行けば人と喋るすけ、行ぐ。ここさ一人でいると、朝から晩まで誰とも口をきかねぇで終わる日があるんだ。テレビは喋るけども、あれはこっちの話を聞かねぇもの。 耳は聞こえてる。 そこは書いといてけれ。年寄りだからって耳が遠いと決めてかかって、正の嫁なんぞは玄関から怒鳴るみたいに喋るすけ、あれが一等いやだ。足は悪い、膝の水を町の病院で三回抜いてもらったども、抜いてもまた溜まるすけ、しまいには先生も無理に抜かねぐなった。んだから畑はやめた。三年前までは大根とねぎくらいは作ってたんだども、しゃがむのが駄目になってな、しゃがめても今度は立てねぇ。 盆の花はもう頼んである。 仏壇の花な。町の花屋に電話しておけば十二日に持ってきてくれる。三千二百円だ。前は畑のわきに切り花を植えてて、それを切って上げてたんだけども、腰をやってからやめた。誠治の写真の前に萎びたのを上げるくらいなら、金を出して買ったほうがましだべ。正が来る年は、あの子が途中の花屋でまた買ってくるすけ二つ分になって、仏壇の前がぎゅうぎゅうになる。秋田から車で一時間半だ。和子は埼玉だすけ盆には来ねぇ。電話は来る。声だけな。 誠治か。 酒飲みだった。 んだ、まんず酒だ。朝は飲まねぇ、そこだけは偉かった。日が暮れて、風呂から上がって、茶碗さ一杯目を注いだら、あとは寝るまで放さねぇんだ。一升瓶が二日でなくなる。坂下の酒屋がリヤカーに積んで運んできて、その場では金は出さねぇで、盆と暮れにまとめて払う。払いに行ぐのはおらだ。あの人は自分で払いに行ったことは一度もねぇ。酒屋のばあさんが茶の間さ上がれ上がれって言いながら帳面を出してきてな、そこさ判子を押すのがおらの役目で、押してるあいだ、ばあさんはこっちの顔を見ねぇで天気の話ばっかりしてくれる。あれは有難かった。酒屋までは坂を下って十五分、帰りはその坂を上るすけ二十五分かかる。帳面の下のほうの数を指でなぞって数えるのは、最初の年でやめた。盆に払って、暮れにはまた同じくらい溜まってるのを見て、それでも次の年もおらは同じ坂を下りて行ぐんだ。金額は家では言わねぇことにしてた。言えば喧嘩になるすけ、言わねぇ。その代わり、米は自分とこで穫ってたすけ、なんぼ酒に持ってがれても食うぶんだけはあった。それがなかったら、おらはどうしてたか分からねぇ。 物は投げた。人は殴らねがったよ、一度も、指一本上げねがった。ただ、茶碗でも灰皿でも、その辺にあるものをぽーんと投げるんだ。狙って投げるんでねぇ、手を振り回した先に物があるだけだすけ、たいてい何にも当たらねぇで障子さ穴が開く。冬になると毎年破れる。ひと冬に三回張り替えた年がある。糊を煮て、紙を寸法に切って、寒い廊下さ正座して張るんだ。そうやってる横で、うちの人は寝てるわけだ。いびきかいて。翌る朝は何も覚えてねぇ顔をして、味噌汁のおかわりを寄越せって茶碗を突き出す。おらも何も言わねぇ。破れてたところに白い紙が一枚新しくなってるのは目に入ってるはずだども、あの人は死ぬまで一度もそれについて口をきいたことがねぇ。礼を言われたかったわけでもねぇ。ただ、見てはいたはずだと思ってる。 障子は、今はもうねぇ。 平成の……何年だったか、アルミのサッシに入れ替えた。大工の慶さんに頼んで、二間分で二十八万だったか、三十万近くだったか、そのくらいだ。あのころは正がまだ独りだったすけ、半分出してくれた。楽になった。楽になったけども、家の音が変わった。障子ってのは、隣の部屋のことが分かるんだ。誰が起きた、誰が寝返りを打った、咳をしたのが父ちゃんだか子供だか、紙一枚越しにみんな分かる。サッシにしてからは、隣に人がいるんだかいねぇんだか分からねぇ。まあ、今は隣に誰もいねぇすけ、どっちでも同じことだ。 冬は出稼ぎに行った。十一月の末に発って、二月の終わりか三月の頭に帰ってくる。東京の工事現場だ。羽後本荘の駅まで迎えに行ぐと、痩せて、垢染みた風呂敷包みを一つ提げて、いちばん後ろの車両から降りてくる。帽子をかぶってるすけ、こっちが先に見つけたことは一遍もねぇ。封筒はな、思ってるほど厚くねぇんだ。あっちでも飲んでたんだべ。それは言わねがった。言っても金は戻ってこねぇもの。家さ帰る道々、飯場の飯がまずいだの、親方が湯沢の人間で訛りがきついだの、そういう話ばっかり喋る。何をこしらえて減らしてきたのかは喋らねぇ。おらもそっちは聞かねぇ。ただ、子供らへの土産だけは毎年ちゃんと買ってきた。昭二にはグローブだ。あれは高かったはずだ。二月に帰ってくれば、じきに田の支度が始まるすけ、休むひまはねぇ。三月の末までむこうにいた年は水を見に行ぐのが遅れて、隣の兄さんに頭を下げて手伝ってもらったこともある。 春から秋は山だ。営林署の下請けで杉を伐る組さ入ってた。 山さ入るのに熊は怖くねがったかって、そう、そこな。 熊はな、爺様が撃った。おらが子供のころだ。学校さ上がるか上がらねがったかのころでな、裏の沢の、栗の木の立ってるとこさ下りてきて、朝のうちに爺様が鉄砲を担いで山さ上がって、昼前には撃って戻ってきた。撃ったぞって家の前で怒鳴った、あの声は覚えてる。村の衆が七、八人がかりで担いで下ろしてきて、うちの前の庭で捌いたんだ。血が雪の上さ広がって、湯気が立って、犬が寄ってきて棒で追い払われた。あの日は村じゅうの子供が庭さ集まってきて、大人が寄るな寄るなって追い返すのに、追い返された端から柿の木の陰さ戻ってくるんだ。皮を剥ぐとな、思ってたよりずっと小せぇんだ。毛が付いてるあいだは牛みたいに見えるのに、剥いだら痩せた人みたいになる。あれを見てから、おらは晩に飯が食えねがった。肉は一軒に一切れずつ配る。うちは撃った家だすけ多めに残した。肉は硬くて、味噌をなんぼ入れても獣くせぇのが残るすけ、子供らはあんまり食わねぇで、大人ばっかりが有難がって食ってた。熊の胆はな、干して軒下さ吊るしておくんだ。腹をこわした人が貰いに来る。苦えぞ、あれは。おらも舐めさせられたことがある。舌の付け根のとこがしばらく痺れて、水を飲んでも取れねぇで、飯の味が二日ばかり分からねがった。あのころの熊は毎年のように下りてきたもんだ。 爺様の鉄砲は蔵の梁さ縄で吊るしてあって、触るなと言われてたども、誰も見てねぇときに一遍だけ台尻を指でなぞったことがある。冷たかった。 爺様は威張ってた。撃った撃ったって、死ぬまで人に言ってた。人が来るたんびに同じ話を頭から始めるすけ、しまいには婆様が茶を出したまま座敷から出ていぐんだ。 誠治が死んだのは平成十九年だ。桜の前だ。いや、後だったかな。町の病院さ二週間ばかり入って、あっけながった。それまで医者なんぞ一遍も行がねぇで通した人が、行ったと思ったらそれだ。病室の窓から国道が見えて、バスが通るたんびにガラスがかたかた鳴るのが気になってな、看護婦さんに閉まりが悪いんでねぇかって二遍も言った。今ごろになって思い出すのはそういうことばっかりだ。最後に何か言ったかって、水だ。水って、それだけだ。看護婦さんがガーゼを湿らせて唇さ当ててくれてな、おらはそのとき廊下の自動販売機でお茶を買ってた。小銭がなくて千円札を入れたら詰まって、二回押し込んで、それでも出てこねぇすけ、誰か呼びに行ぐか迷ってた。戻ったら息をしてねがった。買いに行がねばよかった。まあ、そう思うのはこっちの都合で、あの人のほうはもう分からねがったべ。分からねがったことにしてる。 もう十九年になる。 葬式には百二十人来た。この集落で百二十人だぞ。今そんなに集まる家はねぇ。向かいの与三郎さんとこも去年から空き家で、盆に息子が窓を開けに来るだけだ。上の家のばあさんは香典を三千円しか包まねがった。うちは向こうの旦那のときに一万包んでるのにな。そういうのは忘れねぇもんだ。年寄りは忘れる忘れるって言われるども、忘れるのは新しいことばっかりで、古いことは残る。残らねぐていいことほど残るんだ。そのばあさんも一昨年に死んで、おらは香典を五千円にした。 酒はな、三日で一升だった。 まあ、そのくらいのもんだ。飲んで暴れる人ではねがった。物は投げたけども、あれは酔ってるときだけだ。仕事は休まねがったよ、雨でも山さ行った。おらが盲腸で町の病院さ入ったときは、粥を炊いて持ってきた。焦がして持ってきたども、炊いたことは炊いた。鍋の底の黒いのを匙でこそげ落としてから病室さ入ってきてな、こそげ落としたつもりでいるんだべども、匂いってのは落ちねぇもの。あれは笑った。看護婦さんも笑ってた。今にして思えば、あの人が台所さ立ったのはあれが最初で最後だ。 大学の子は酒は飲むんだが。ほどほどにしておけ。 十二日までに仏壇を拭かねばな。ぶつぶつの浮いた古い位牌でな、拭くと布が黒くなる。誠治のと、その上に父ちゃんのと、爺様のと、婆様のが並んでる。うちは位牌の多いほうだ。花が来たら水を毎日替えねばならねぇんだども、あれが一等おっくうでな、しまいには二日に一遍になって、盆の終わりには茎が濁ってる。 そういえば、坂下の酒屋はもうねぇ。息子が継がねぐて、十年、いや、もっと前に閉めた。今は誰も家まで運んでこねぇすけ、正が来たときに車で町のスーパーさ寄ってもらって、ビールを一箱だけ買っておく。飲まねぇ。誰か来たときに出すぶんだ。 そろそろ、あれだ。玄関のとこに袋があるすけ、きゅうりを持ってけ。曲がったやつだども味は変わらねぇ。もらいものでな、うちでは食いきれねぇんだ。 それ、まだ回ってるんだが。 おら、こういうのは初めてだすけ、変なこと言ったら消してけれ。消せるんだべ、これ。次はいつ来る。九月は稲刈りで人がいねぐなるすけ、来るんだったら朝のうちがいい。午後は寝てるすけ。 二〇二六年八月三十日 三保田サキ方 四十八分 今日はな、あんまり喋れねえど思う。 朝がら頭が重くてな、横になってても重いし、起ぎでも重いんだ。ゆうべ二時ごろに一遍起ぎで、便所さ行って、そのあど寝だんだか寝ねがったんだか、自分でも分がらねくてな。ラジオを小せぐ点けっぱなしにしとぐもんだから、夜中に知らね人の声がしてで、その声で目が覚めだような気もするし、その声があったがら朝まで横になってられだような気もするんだ。年寄りってのは、寝でるつもりで起ぎでで、起ぎでるつもりで寝でるもんだ。それを人さ言うと、ちゃんと寝でますよって言われる。寝でるならこんたに頭は重ぐならねべ。 火曜にデイサービスさ行ったっけ、血圧の上が百七十だとか言われでな。看護婦さんが二遍測ったんだ。一遍目が高ぐて、腕の布をいっぺん外して、しばらく座らせで、それでもういっぺん巻いで測って、それでも高ぐて、そんで紙さ何だか書いで、これを娘さんに渡してくださいねって。おら、娘は埼玉だって言ったんだ。ほしたら黙って、その紙を袋さ入れでくれだ。悪い人でねんだよ。悪い人でねんだけども、こっちの言うことは端から聞ぐつもりが無えんだな。あそこの若い人はみんな親切だ。親切なだけだ。それでも風呂さ入れでもらうときは、背中まで洗ってけるんだから、文句言ったら罰当だるべ。 デイサービスはな、火曜と金曜の週二回だ。朝の八時半に車が来て、玄関の前でクラクション鳴らして待ってる人と、わざわざ降りできて戸を叩いでくれる人と、運転手が二通りいてな、叩ぐ方の人が来る日だば、おらは十分早ぐ支度して座って待ってる。行ってしまえば風呂さ入れでもらって、飯食って、あど何だが手ぇ上げだり下げだりする体操みたいのをやらされで、そんで昼過ぎに帰って来るだけだ。歌う人がいるんだ、窓際の椅子さ座って、朝がら晩まで、同じ歌の同じとこばっかり歌ってる。上手でねんだよ。上手でねんだけども、あの人が歌わねぐなった日は、みんな黙って壁の方見で座ってるだけになるんだべなと思ってな。 電話しようと思ったんだ。今日は勘弁してけれって。 したども、番号を書いだ紙が、どごさやったか分がらねぐてな。台所の、電話の下の引き出しさ挟んどいだはずなんだ。ゆうべがら二遍探したどもな、引き出しの中には輪ゴムと、電池と、去年の農協のカレンダーと、それがら誰が寄越したんだか分がらね年賀状ばっかり出できて、肝心の紙は出でこね。まんず、来てもらってがら帰ってけれってのも、なんぼなんでも悪いと思ってな。それに大学の子は遠ぐがら来るんだべ。あのバス、朝の一本しか無えんだから、あれ乗り逃したら昼まで来ねんだ。 あの番号な、書いだのは和子だ。埼玉さ帰る前の日に、いろんな番号をまとめで書いでいったんだ。ちっちゃぐ書ぐ癖があってな、六と八が同じに見える。おら前に一遍、掛け間違えで知らね家の人に出られで、謝って切ったことがある。あれ以来、掛げるの億劫でな。 暑いな。 扇風機、そっちさ向げでいいがら。首の振るやつは、こないだ壊れでな。正が盆に来たとき、直すって言って、裏の蓋を開げで、ねじを新聞紙の上さきれいに並べで、それでそのまんまだ。あの新聞紙、いまだに廊下さ広げでる。大学の子さ見せるようなもんでねんだけども、片づけるとねじが分がらねぐなるべ。 正は十四日に来て、その日のうぢに帰った。仏壇さ線香上げで、冷蔵庫開げで、何も入ってねえなって言って、そんでスーパーさ行って、麦茶とパンと、あど何だっけ、ハムだったが、買ってきてくれだ。あの子は昔がら、こっちさ聞かねで買うんだ。おらパンは歯さ悪いって、なんぼ言っても忘れる。帰り際に、母ちゃんそろそろ一人は無理でねがって、秋田さ来る気は無えがって、玄関で靴履ぎながら言った。おら、まだ大丈夫だって言った。ほんとは階段は手すり掴まねば上がれねし、風呂も跨ぐのが怖えんだけども、そういうことは息子さは言わねもんだ。言えば、次に来るとき紙持って来るがら。車出す前に、屋根の樋が去年の雪で曲がってるのを下がら見上げで、これも今度なって言って、その今度がいつだが言わねまんま、坂を降りで行った。嫁さんは来ねがった。忙しいんだべ。忙しいってことにしとげばいいんだ。 仏壇の水はな、朝と晩に替えでる。線香は日によってで、手ぇ合わせで長ぐ喋る日もあるし、水だけ替えで、そのまんま台所さ戻る日もある。位牌は二つ並んでるんだ。 何の話だっけ。 そう、そこがな、今日は続かねんだ。喋ってるうぢに、何のために喋ってだか分がらねぐなる。いつもはこんたことねんだよ。耳は聞ごえでるんだ。耳は昔がら悪ぐね。口の方が回らねだけだ。 それ、回ってるんだべ。ちゃんと入ってるが。前に役場の人が来たときも似だような機械持ってだ。集落の写真撮りに来た人だ。あんとき、うちの前に立たされで、笑ってくださいって言われで、そったなこと言われだら笑えるもんでねべ。あの写真、あとで一枚くれるって言って、まだ来ね。何年前だが。五年か、もっとが。役場の人ってのは、来るときは三人で来て、二度目は来ねんだ。 下の家の婆さん、おらより二つ下なんだ。二つ下なのに、こないだデイサービスで隣さ座って、何言ってもぽかんとしてでな。三遍同じこと言った。三遍言って通じねぐて、こっちが疲れで黙った。ほしたら職員さんが、サキさんも大ぎい声出してあげでくださいねって。おらは耳は聞ごえでるんだ。悪ぐねのはこっちだべ。聞ごえでる者の方が疲れるんだ。あの人は楽だべな、分がらねば腹も立たねし、腹立たねば夜も眠れるんだから。 帰りの車で、あの人はおらの手ぇ握ったんだ。何にも喋らねで、ずっと握ってで、家の前で職員さんが降ろすときに、やっと離した。通じでねって、こっちが勝手に決めでるだけかもしれねな。 こういうことは書がねでけれ。 したども、嘘は言ってね。 書がねでけれって言ったども、その機械の方さは入ってるんだべ。消せるんだが、そういうの。まあ、消さねでもいい。おらが言ったことだ。 うちの前の道な、舗装したのは昭和の、いつだったべ。東京のオリンピックのあどだ。それまでは砂利でな、雨降ると道が川みたいになって、子供だば長靴が土さ吸われで、片っぽ脱げだまんま、裸足で片足だけ跳ねで帰ったもんだ。舗装さなってがら、車がなんぼでも入って来るようになった。牛積んだのだの、材木だの、生協の車だの、選挙のときの名前ばっかり言う車だの。学校さ行ぐのは、この道を下さ降りで、橋渡って、それがら川沿いに一里ばりだ。冬は上級生が先さ歩いで、その足跡さ足入れで歩ぐんだ。橋の上は風が抜けるがら、あそこだけは誰も口きかねで、みんな早足になった。便利になったって、みんな言ったんだ。便利になって、それでみんな出で行った。あの頃は大平さ十九戸あった。今は六戸だ。六戸で、そのうぢ三軒は一人暮らしだ。 郵便屋さんだけは、今も毎日来る。来ても、入ってるのは電気の紙と、薬屋のちらしと、それぐらいのもんだ。それでも、車の音が坂の下がら上がって来ると、時計見ねでも今が何時だが分がるんだ。昔は電報ってのがあって、あれが来ると家中の者が土間さ集まったもんだけども、今は急いで知らせねばならねようなことは起ぎねし、起ぎでも電話で済むんだべ。 雪の来る前に、除雪の判子もらいさ回らねばね。これは前にも言ったが。 車ってのは、おら、好ぎでねんだ。正が乗せでけるって言っても、めったに乗らね。あの子は運転が荒えのでねぐて、丁寧すぎるのがかえって怖え。交差点で二遍も三遍も右見で左見で、それでも出ねんだ。誠治も免許は持ってねがった。この家で車動かしたのは、子供らだけだ。 昭二はトラックだ。 橋のとこの。 あんた、それ、止めねでいいがら。そのままにしとげ。何も出はしね。 前の人だば、こういうとき手ぇ止めで、こっちの顔をじっと見だもんだ。あんたは書いでる。書いでるのが、こっちは楽だ。 そんで、紙な。血圧の紙。あれ、正さ送ればいいんだべか。あんたなら分がるべ。和子は埼玉だし、電話も月に一遍だ。月に一遍と言っても、こっちがら掛けでるんだ。掛けで、忙しいってのを聞いで、体さ気ぃつけでって言われで、切る。あの子は昔がら、電話の切り方が早えんだ。 薬はな、朝に三つ、晩に二つだ。袋さ日にちが刷ってあって、その通りに切って飲むだけだから、こればっかりは間違えね。血圧のは白い小せえので、あれを七年だか八年だか飲んでで、それで上が百七十だば、効いでねのでねがって、こないだ先生さ言ったんだ。ほしたら、飲んでるがら百七十で済んでるんですよって。そう言われだら、こっちは黙るしか無えべ。 ゆんべ探したのは電話番号の紙だ。血圧の紙の方は袋さ入ってる。二つあるんだ。二つあるのに、今、頭の中で一枚になってな。さっきがら同じこと言ってるべ、おら。 あんた、去年も来たっけが。 そうが、今年の六月だったが。あんとき、おら畑の話ばっかりしたべ。大根がどうの、豆がどうの、雨が来ねがったの、二時間も三時間もな。畑はとうにやめでるのに、畑の話しかしねがった。人ってのは、無ぐなったもんの話だば、なんぼでも喋れるんだ。今あるもんの話は、つまらねぐて口さ出ね。今あるのは、この座布団と、テレビと、そっちの薬の袋だ。それを喋ったって、卒業の書き物にはならねべ。 あんた、あの日は帰りのバスまで一時間あるって、そごで正座して待ってだったな。足くずせって二遍言ったんだ。二遍言っても、はいはいって言うだけで、くずさねがった。おらの言うことが聞ごえでねんだべなと思ったども、おらは耳は聞ごえでるがら、そういうもんでねって、あとで気がついだ。 さっき何か言ったべ、おら。あれはもういい。 そんでな、豆な。 ゆうべがら水さうるかしてあるんだ。台所の、流しの脇の青いボウルだ。あれ、今日煮ねば駄目になる。この暑さだば、一日置いだだけで泡吹いで、酸っぱぐなって、そうなったら捨でるしか無え。豆を捨でるってのは、おらの年代の者にはなかなかできねことでな。もう食う者もいねのに、毎年うるかすんだ。煮で、半分は冷凍して、それも食わねで、次の年に捨でる。分かっててやってるんだから、始末が悪い。 立づど目が回るがら、あんた、そごの棚の、上の段の、右の方さ鍋あるべ。 ちがう、その隣だ。 二〇二六年九月二十七日 三保田サキ方 七十三分 そごの窓、閉めてけれ。朝のうちはまだいいども、この時間になると山から風が下りてくるはんで、あんたも足元から冷えてくるべ。 今年は栗が悪い。 実の入りがまんず悪い。九月の頭に落ちたのを拾って、一晩うるかしておいたんだども、割ってみれば半分は虫だ。虫の食ったやつは水さ浮いでくるもんだから、浮いだのを掬って捨てて、沈んだのだけ茹でるんだ。ほんでも今年は浮ぐのばっかりで、鍋さ入れる分が残らねがった。去年は四升は拾ったな。四升か五升か、まあそれぐらいは拾って、デイに持ってって配って、それでもまだ台所の隅さ残ってたもの。今年は自分の食う分もねえ。茹でたやつを半分に切って、匙で中身を掬って食うんだけども、それだって指に力がねえと包丁が入っていかねえ。渋皮を剥いて甘く煮るのは、もう何年も前からやってねえ。拾うのだって一苦労で、腰を折って一つ拾っては起き上がって、また折るのを繰り返すもんだから、笊が半分になるころには日が傾いてる。裏の栗は爺様の代から立ってる木だはんで、もう寿命だべって上の家の人は言うども、木の寿命なんてもの、誰にわがるもんでねえ。おらより先に倒れるか、後に倒れるかだ。 足はいつもと同じだ。膝は雨の降る前の日に痛むはんで、天気予報より当たるってデイの先生に言ったら、笑ってらった。 デイは火曜と金曜だ。八時四十分に車が来るはんで、七時には起きて、顔洗って、髪梳かして、薬を朝の分だけ小皿さ出して、それで玄関さ座って待ってる。待ってる時間の方がよっぽど長い。長いども、遅れて乗り込むのはどうしても嫌なんだ。前に一回、その日はどうしても腰が上がらなくて、運転手さんに玄関まで上がってきてもらったことがあった。あれは嫌だった。手を借りるのが嫌だっつうよりも、車さ先に乗ってる人らが窓からこっちを見てるのがな。向こうは何も思ってねえ。思ってねえのは分かってるども、それとこれとは別の話だ。あそこでは風呂さ入れてもらって、昼を食って、午後は体操と歌になる。歌は歌わねえ。歌わねえで座ってると先生が寄ってきて口を動かしてみせるども、おらは口の形だけ合わせて声は出さねえ。同じ卓さ座ってた人が、去年の暮れから来なぐなった。誰も何も言わねえし、こっちからも聞かねえ。ああいうことは聞かねえもんだ。 祭りは二十九日だ。 紙が回ってきた。公民館の。ワープロで打ったやつで、去年と同じ紙だ。日にちのとこだけ書き替えてある。ほんでも六戸だべ。六戸で祭りも何もあったもんでねえ。昔はな、大平は十九戸あった。十九戸あって、そのうち舞える家が四軒か五軒あって、笛が二人と太鼓が一人、あとは全部見物だ。宮の前さ筵を敷いて、そごさ座って見る。幟は二本立てて、縄を下の石さ結わえるんだけども、風の強い年は昼までに倒れる。子供は前の方さ寄っていって、獅子の口が近くまで来ると泣ぐ。泣ぐんだけども、次の年もまた前さ座るんだ。あれは何なんだべな。獅子頭はな、あれは古いもんだ。塗りが剥げて鼻のとこが白ぐなってて、それを毎年、祭りの前になると上の家の爺様が漆で直してた。直すったって素人の手だはんで、年々色が濃ぐなって、しまいには真っ黒になった。舞うのは獅子だけでねえ。最初に鳥の舞が出て、それから若い衆の舞が二つ三つあって、獅子はいちばん終いだ。面はな、桐の箱さ入れて、下さ藁を敷いて、宮でねぐて当番の家の仏間さ置ぐことになってた。祭りの前の晩は当番の家が宿になって、そごで飯を食わせる。餅もついた。おらの家が宿になった年は、朝の三時から起きて、鍋を三つ火にかけて、大根とにんじんと油揚げをな、前の日の晩からうるかしておいたやつを煮る。人が十五人も入れば、この家だってあの頃は狭ぐなった。座敷と茶の間の襖を外して、板を渡して、その上さ皿を並べる。皿は足りねえから隣から借りるんだ。借りると誰の家の皿だか分がらなぐなるはんで、裏さ墨で小さく印をつけておく。神主さんは下の宮から来る。来るったって、朝のうちに祝詞を上げたらそのまま次の集落さ回ってしまうはんで、獅子は見ねえで帰る年の方が多かった。賽銭は箱でねぐて、三方の上さ直に置ぐんだ。終わってから公民館で直会をやって、男らは日の暮れるまで飲んでる。女は片づけだ。片づけが終わるころには、外はもう何も見えねぐなってる。 役場の人が三年ぐらい前に来たことがあった。文化財がどうのって、獅子頭の写真を何枚も撮ってな。撮って、それっきりだ。 防災無線が毎日鳴る。熊が出たっつって。朝と夕方の二回鳴って、山さ入るなって言う。今年は多いんだと。下の集落の畑さ出て、柿の木さ登って、その柿の木のとこをテレビでもやってた。あんたも来る道で気をつけれ。車から降りたら、まず手を叩いて音を出すんだ。 ほんでも、おらの若いころは熊なんて出ねがった。いっぺんも出ねがったよ。山さは毎日入ってたんだ。柴刈りだの、きのこだの、春になればぜんまいだの。朝のうちに入って昼まで戻ってこねえで、それを何十年もやって、それでも熊なんてもんは一遍も見たことがねえ。今の熊はどごから来たんだべな。人がいなぐなったから下りてくるんだって、テレビの人はそう言うども、おらはあんまりそう思わねえ。昔だって人はいたんだ。山も同じ山だべ。木を伐らねぐなったのがいけねえって言う人もいる。それが本当だか嘘だか、おらには分からねえ。山さ入るなって毎日言われたって、入る用のある者がもうこの集落にはいねえんだから、あの無線は空に向かって鳴ってるようなもんだ。 きのこはまだ出てねえ。雨が足りねえもの。 出たって、もう採りに行けねえけどな。ここらでは、きのこの生える場所は人に教えねえもんだった。教えねえまま死ぬ人が多かった。おらの父ちゃんも、どごに何が出るか全部頭さ入ってて、それを誰にも言わねえで死んだ。おらが嫁に行く時にも教えねがった。今になれば、聞いておいたって何にもならねがったべ。行けねえんだから。 神楽な、うちの人は笛だった。 誠治は笛だ。上手いってわけでもねがったども、途中でやめる人でねがったはんで、始まったら終いまで吹いてる。祭りの日は朝から飲むんだ。宿さ寄って飲んで、宮さ行ってまた飲んで、それで吹くもんだから、後の方になると調子がだんだん下がってくる。下がっても誰も何も言わねえ。言ったってしょうがねえもの。おらは筵の端の方さ座って、鍋の番をしながら聞いてた。汁がな、冷めると誰も手をつけねえんだ。だから炭を足して、いつでも湯気が立つようにしておく。あの人の笛は、聞いてれば分かる。二番目の、休むとこで一回だけ息を継ぐんだ。他の人は継がねえで通す。継がねえ方がいいってもんでもねえべ。飲んだ次の日は朝から水ばっかり飲んで、こっちが何を言っても返事をしねえ。返事をしねえだけだ。物を投げたり怒鳴ったりする人でねがった。 太鼓の皮は、寒い日は締まって高い音が出る。雨だば緩んで、ぼこぼこ言うだけだ。二十九日は雨だべな。天気予報がそう言ってた。 獅子頭はな、今は公民館の押し入れさ入ってる。話したかな。まあいい。上の家の爺様が漆を塗り重ねて、真っ黒になったやつだ。今は誰も出さねえ。出したところで被る人がいねえもの。おらの膝ではもう宮の石段は上がれねえ。石段は三十九段ある。若い時分に何べんも上り下りしてるうちに数えたんだ。石段の下まで車で行けるようになったのは正が中学さ上がったころで、それまではみんな下の道さ自転車を置いて、そこから歩いて上がってた。上がれる人はみんな町さ出てしまった。 昭二も一回、獅子さ入ったことがあった。中学の時か、その次の年か。前じゃなくて後ろの方だ。後ろは布の中さ入って、腰を屈めてついていくだけだはんで、誰でもできることになってる。できるども、あの子は上手かった。前の子が止まるより先に止まるんだ。布の中は見えねえのに、どうして分かるんだべな。 まあ、そんな話だ。 宮の裏さ細い道があって、あそこは今は誰も歩かねえ。草が伸びて、熊が出るから通るなって役場が言うども、おらの若いころは熊なんて出ねがったんだ。あの道を通って学校さ通ったんだ、雪の日も、風の日も。今の人にそれを言っても信じねえ。信じねえでいい。 正は秋田さいる。盆に来て、屋根のとこを見て、業者に頼まねばだめだって言って帰った。三十万だか四十万だか、そのぐらいはかかるって言ってた。金が無いわけでねえ。無いわけでねえども、この家をあと何年もたせるつもりだかっつう話になるべ。それっきり何も言ってこねえ。和子は埼玉だはんで、電話ばっかりだ。電話は夜の八時ごろにかかってくる。八時はちょうど寝る前だはんで、都合はいい。灯油はな、来月から頼まねばならねえ。前は自分で持てたんだ。十八リットルのを両手で下げて、風呂場の裏まで運んで、それを冬中やってた。今は玄関の中まで入れてもらって、そこから先は動かせねえ。 そのテープ、まだ回ってるのが。回ってるんだば、余計なことばっかり喋ってしまってるな。あんた、大学出たら何になるんだって前に聞いたども、聞いたきり忘れてしまった。先生になるって言ったっけか。違ったか。おらは耳は聞こえてるんだ。目の方が悪ぐて、新聞は見出しだけ拾って、あとは読まねえ。ほんでも耳は遠ぐねえはんで、あんたの言ってることは初めから終いまで全部わがってる。わがってて、こうやって同じ話ばっかりするんだ。年寄りの話は同じとこさ戻るもんだって、あんたも大学で習ったべ。 下の家の嫁っこな、あれは祭りの日に一遍も出てこねがった。市の方から来た人だはんで、こういうのは面倒なんだべ。面倒なら面倒でいいんだ。おらは何も言わねえ。ただ、あの人が持ってきた煮しめは味が濃かった。あれは町の味だ。誰も残したりはしねがったども、次の年から誰も頼まねがった。頼まねえのも、言うのも、おんなじことだべ。 二十九日が雨だば、宮の掃除も何もねえ。掃除っつっても、今は草を刈るだけだ。刈るのは下の家の人がやる。おらは何もしねえ。何もしねえで、その日は家さいて、テレビ見て、それで終いだ。 柿は持ってけ。そごの段ボールの。渋くねえやつだから、皮剥いてそのまま食える。二つでいいのが。もっと持ってけって。重いって、あんた若いんだから。 それより次はいつだ。十月だべ。十月の十八日か、その辺か。手帳さ書いておくはんで、ちょっと待ってれ。眼鏡がな、さっきまでそごさあったんだ。 二〇二六年十月十八日 三保田サキ方 八十六分 ハルカちゃん、そこ寒くねが。 ストーブな、こないだ出したのよ、十日か十一日か、そのへんだ。灯油が去年より上がったって配達の畠山さんが言ってたけども、まんず、ここらは配達してもらわねばだめなんだから、上がったって下がったって同じことだ。おらは十八リットルの缶なんてもう持てねもの。持てるうちは軽トラで買いに行ったのよ、あれも十年も前の話になった。免許は返した。返さねば正がうるさくてな、電話のたんびに、まだ乗ってるが、まだ乗ってるが、って、それしか言うことがねみたいに言うのよ。 座布団は厚いほう使ってけれ。そっちの薄いのだと、じかに冷たいのが上がってくるから。 大根、抜いといたから帰りに持ってげ。 今年のは細い。夏が変だったすな、八月に雨降らねくて、そのあと降りすぎたもんだから、割れたのが半分だ。割れたのは漬けても水っぽくて食えたもんでねのよ。ハルカちゃん、下宿だば糠床なんてやってらんねべ、塩でいい。塩でこう、一晩うるかしといて、重石のせておげば三日で食えるようになる。重石は本でもいいのよ、辞書みたいな厚いのがあれば上等だ。うちの母ちゃんは臼の石を使ってたけども、あんなものを今どき台所さ置くわけにいかねべ。母ちゃんは漬物だけは他人に触らせね人で、樽の蓋の閉め方から、手を拭く布まで決まってて、おらが手伝おうとすると、おめの手は水っぽいって言うのよ。手が水っぽいってのがどういうことなんだが、八十八になっても、おらはまだ分からねでいる。 火曜と金曜だ、デイは。 おととい、風呂で番号呼ばれたのを聞き逃したって職員に言われて、おらは腹が立ったのよ、聞こえてらもの。耳は聞こえてる。あそこはな、こっちが年寄りだってだけで、口の動かし方から違うのよ、ゆっくり、大きぐ、赤ん坊さ言うみたいに顔まで近づけてくる。おらは足が悪いだけだ。番号は十二番だった、十二番の札を膝さのせて、風呂の順番が来るまでずっと両手で持ってたのよ、それを聞き逃したことにされたんだから、腹も立つべ。まあ、あの職員の子も朝から走り回ってて、こっちの膝の上まで見てる暇はねのよ。文句は言わねがった。言えば次から気を遣われるだけで、気を遣われるのは、呼ばれねよりも厄介だ。 こないだの祭りの話な、あれ、神楽の順番、おら間違えて言ったかもしれね。まあいい。 そこの、仏壇の右の写真な。 それが昭二だ。 中学のときのだ、あとのは無えのよ、あの年頃の男の子は写真なんて撮らせねもの。運動会で走ってるのを誰かが撮ってくれたのが一枚あったんだけども、どこさ行ったんだが、去年、仏壇の引き出しも簞笥の下の箱も一遍ぜんぶ畳さ出して見たども、出てこねがった。あの子は足が速かったのよ。大平からは本荘の学校さ通ってて、あるとき、バスの銭を使ってしまって、大森のあたりからずっと走って帰ってきたことがある。何に使ったんだが、それは聞かねがった。聞かねくてよかったんだが、あのとき聞いておけばよかったんだが、そういうのは今になっても分からねままだ。真ん中の子ってのは損だ。上の正には何でも先にやらせて、下の和子は女だってだけで手をかけられて、昭二はその間で、勝手に大きぐなったような顔をしてた。飯も早かった。犬さやるみたいに置いておげば、いつの間にか無くなってて、うまいともまずいとも言わね子だった。誠治さんとは口をきかねくてな、あの二人は同じ部屋にいると、どっちかが先に外さ出て行くのよ。仲が悪いんでねくて、話すことがねのよ、男親と男の子ってのは。 そんでな、ハルカちゃん。 こないだ、おら、あんたに、トラックだって言ったべ、橋のとこの。あれは本当だ。あそこの橋は今でこそ欄干が白くて幅も広いけども、あのころは木でな、車がすれ違えねくて、片っぽが手前で待っててやるようなとこだった。だから、みんなあそこで急ぐのよ。向こうが待ってるのが見えると、待たせるのが悪いような気になって、急ぐ。 本当はな。 あの朝、おらとあの子は言い合いしたんだ。 飯のときだ。味噌汁の実は、あの朝は大根の葉だった。細かく刻んだのを入れて、まだ火からおろさねうちに、あの子が、出はって行ぐって言い出したのよ。出はるってのは、その日の勤めのことでねくて、ここを出るってことだ。東京さ、と言った。仙台だったかもしれね、とにかく遠くさ行ぐと言って、それで、金を貸せと言ったのよ。貸せでねくて、くれ、だったな。三万だか五万だか、そのくらいのことを言った。おらは、そんな金はねって言った。ねぐはねがったのよ、本当は、誠治さんに黙って郵便局さ入れてたのが少しあったのよ。畑のものを本荘さ出して、それを少しずつ、通帳ごと味噌樽の下さ隠してた。何に使う当てもねくて、ただ持ってるのが心強かったのよ。あったけども、出さねがった。出さねで、おらは、行ぎたければ勝手に行げばいいべ、って言ったのよ。ここさ置いといたって何の役にも立たねんだから、って、そこまで言った。あの子は箸を置いて、上がり框に腰かけてゴム長を履いて、戸のとこで一遍だけこっち見て、そんで出はって行った。何も言わねで。 いや。行ってくる、とは言った。言ったな。言ったと思う。 昼前に、消防の人が来た。 おらはそのとき、まだ朝の鍋を洗ってた。朝に洗わねで、昼まで水につけたまま置いてたのよ、だらしがねべ、だらしがねども、そういう日はいくらでもあるもんだ。土間に人の立った気配がして、手を拭かねで振り向いたら、畠山さんの親父さんが帽子を脱いで両手で持って立ってた。あの人は何ひとつ上手に言えね人でな、橋のとこで、って、それだけを何遍も言うのよ、橋のとこで、橋のとこで、って。おらは、はあ、って言った。はあ、って、それだけだ。何を言われてるんだが自分でも分からねで、そのくせ手はまだ濡れたままで、それから前掛けで拭いた。順番が逆だべ。人ってのは、そういうときに、先に手を拭くようにはできてねのよ。おらは橋さは行かねがった。行ったのは誠治さんだ。おらはこの家に残って、鍋の残りを洗って、それから鍋を伏せて、伏せてから、また洗った。同じ鍋を二遍洗ったのよ。 二十一だ。あの子は。 まあ、事故だ。ぶつかってきたのはトラックのほうで、あの子は自転車だったんだから、事故だ。警察もそう言ったし、トラックの運転手も現場で泣いてたって聞いた。あの人はあとから一遍だけ来て、玄関に座って、上がってけって言っても上がらねで帰った。誰もおらのことなんか言わね。誠治さんも一遍も言わねがった。あの人は葬式の日からあの子の名前を口に出さねくなって、そのまま二〇〇七年に死んだ。三十年よ。三十年、いや、もっとだな、もっとだ。仏壇の水は毎朝あの人が替えてたのよ、雪の日でも替えてた。替えるけども、名前は言わね。ああいうやり方もあるのよ。あの人のやり方はあの人のやり方で、おらのやり方とはまるきり違ったけども、責める気にはならねがった。 葬式は寺でねくて、この家でやった。あのころはまだ十九軒あったから、女衆が七人も八人も台所さ入って、おらは座らせられて、何もさせてもらえねがった。何もさせてもらえねってのは、あれは、つらいもんだ。手が空いてると、朝のことばかり考えるのよ。位牌の字を書いてもらうとき、坊さんに、この子の名前はどう書くって聞かれて、おらは、昭和の昭に、二番目の二です、って言った。それを口に出したときだけ、涙が出た。葬式の間じゅう出ねがったのが、そこだけ出たのよ。何でだが分からね。 こういうこと、あんたの学校の紙さ書ぐのが。 書けばいいのよ、おらはもう構わね。おらが生きてるうちは大平では誰も読まねべ、読める人ももう六軒しか残ってねし、その六軒のうち三軒は目が悪い。 言い合いしたのは確かだ。それは覚えてる。何のことで言い合いしたかは、な。金だったか、靴だったか。靴は正のときだ、正が、高い運動靴でねばだめだって言ってきかねくて、おらが、そんなもの履いて速ぐ走れるようになるやつはいねって言って、正はそれから三日くらい口をきかねがった。混ざるのよ、ハルカちゃん。年取ると順番が混ざる、誰の話だったかが混ざる。混ざるけども、あの朝、おらが、行げばいいべ、って言ったのだけは覚えてる。あれだけは覚えてる。台所の流しのこっち側さ立って、鍋のほうを向いたまま言った。顔は見ねで言ったのよ。おかしなもんでな、言った言葉は覚えてるども、あの子の声はもう思い出せねのよ。頭の中で言わせようとすると、正の声になる。兄弟だから似てたんだが、おらが正のを持ってきてるんだが、それも分からね。 そのやつ、まだ回ってるが。 まあ、止めねでいい。 お茶がぬるくなったべ、継いでやるから、ちょっと待ってれ。立つのに時間がかかるのよ。膝でねくて腰なのよ、おらは。医者は骨が減ってるからだって言うども、骨が減ったら痛むんだば、この年の者はみんな痛くて歩けねはずだべ。 酒田さ行ってたころな、寮の窓から工場の屋根が見えて、その屋根の色を今でも覚えてる。何色って言えばいいのか、赤くもねし茶色でもねし、雨に濡れたときだけ黒くなるような色だった。屋根の色は覚えてるども、隣に寝てた子の名前が出てこねのよ。手は覚えてる。指の短い、爪を噛む子だった。 正が来たのは八月だ、盆に。一晩泊まって、次の日の昼には帰った。県の仕事してる、偉くはねども真面目だ。嫁は、まあ、こっちさ来ても台所さ立たね人だ。悪い人でねのよ、悪い人でねけども、おらの作ったものの味を一遍も聞いてこねのよ、一遍もだ。和子は埼玉で、電話だけはよこす、用があるときだけな。あの子は昔から自分で決めてしまってから電話してくるのよ。相談でねのよ、報告なのよ。 ハルカちゃん、あんた、ごはんはちゃんと食ってらが。顔が薄いもの。若いうちは何ともねども、あとになってから来るのよ、そういうのは。 今日は長ぐ喋ったすな。喋ればくたびれるもんだ、なんぼ年を取っても。耳は聞こえてるって、さっきも言ったべ、あれは本当だ。聞こえるようになったんでねくて、昔から聞こえてるのよ。聞こえてても、言わねでおくことのほうが多かったってだけだ。 帰りに大根な、細いけども。 袋は玄関の、下駄箱の上さ置いといた。二本でいいって顔してるども、三本持ってげ。若い人は食わねばだめだ。 二〇二六年十一月十五日 三保田サキ方 六十九分 ハルカちゃん、上のほうは白がったべ。 昨日の晩に降ったのよ。夜中に一遍便所さ起きたら、雨戸の隙間から入ってくる明かりの色が違ってて、ああ降ったなと、それで分かった。雪の降った晩は外が明るくなるのよ、暗くなるんでねくて、明るくなるのよ。積もったのは三センチか、そこらのもんだ。こんなのは昼までに消える。根雪になるのは十二月の十日過ぎで、早い年は十日、遅い年は正月近くまで来ねこともあって、去年は二十三日だった。あれは覚えてる、和子から電話の来た日だすけ。ハルカちゃん、車のタイヤは替えだが。替えでねんだったら、次からは下の空き地さ置いて歩いて上がってこい。あの坂は日が当たらねくて、いっとう先に凍るのよ。二年前に郵便の兄ちゃんが横向きに滑って、電柱の手前で止まった。止まったからよかったども、あそこから落ちれば沢まで行く。 手、冷たいべ。もっとストーブさ寄れ。 除雪の判子な、先週回った。回ったって、おらがこの足で一軒ずつ歩いて回れるわけがねべ、電話だ。六軒のうち二軒は誰も出ねくて、一軒は息子さんが出て、判子はあとで押しに行きますって言ったきり、まだ来ね。町の業者に頼むのに一冬でなんぼだと思う。十一万だ。それを頭割りにするんだども、冬に留守にする家は半分でいいって、毎年おんなじ人がおんなじことを言い張るのよ。おらは何も言わね。言わねども、その家の前だって除雪車は通るんだすけな。通らねば下の家が出られねんだから、通るのよ。まあ、いい。毎年おんなじことを言って、毎年おんなじように払って、それで済んでる。紙は役場からじかに来るんでねくて、下の家がまとめて受け取って、順ぐりに回すことになってるんだども、その順番も今は上から二番目のうちで止まってしまって、結局おらが電話でせっつく役だ。誰が決めたわけでもねのよ。ただ、ずっとおらがやってきたすけ、おらのままになってる。上の婆様は九十二になった。今年から味噌はつけねって言ってる。つけねんでねくて、つけられねぐなったのよ。んだども、そこは言わねでおくのが人付き合いってもんだ。 昔はこんなもんでねがった。玄関が開かねぐなって、二階の窓から出はった年がなんぼでもある。雪下ろしは一冬に三遍も四遍もやって、屋根さ上がって、木の板っこで四角く切って、それを崩さねように下さ落とす。落とした雪が家の周りで山になって、その山がまた屋根さ届くようになるすけ、こんどはその山を崩して道の下の川さ運ぶのよ。モッコで担ぐんだ。今みたいな機械はねえ。運んでも運んでも減らねくて、朝から日の暮れるまでかかって、それでもまた次の日には降ってるのよ。学校さ行くのも、上の学年の子が先に道を踏んで、その足跡さ小さいのが順ぐりに入って歩いた。腰まで埋まるとこもあって、そういう日は途中の家さ上がり込んで、ストーブで足乾かしてもらってから行ぐ。着いたころには昼だ。昼に着いて、ちょっと習って、また帰る。何しに行ったんだか分からね日もあった。それでも休むって考えは無えのよ。休めば、そのぶん家の仕事さ回されるすけな。 誠治は、いい人だった。 酒は飲んだけども、いい人だった。雪下ろしはあの人が全部やった。おらは八十八になるまで、この家の屋根さ一遍も上がったことがねのよ。朝の暗いうちに縄を腰さ巻いて、梯子かけて、上でどしんどしんとやる。下から見上げてると、雪の切れ端が日に光って落ちてくる。一遍、落ちた。屋根から落ちたのよ。下は雪だすけ首から下が埋まっただけで済んだども、腰を打って三日寝てた。おらはそのとき台所にいて、どすんと音がして、いつもの落ちる音と違うって、それだけは分かったのよ。走って出て、掘って、それから、何やってるって怒鳴られた。掘ってる者が怒鳴られるんだから、おかしなもんだべ。三日寝て、四日目には山さ行った。営林署の下請けの組だすけ、休めばそのぶん引かれるのよ。障子はよぐ破れたな。冬は乾くすけ破れるのよ、一冬に三回張り替えた年がある。糊を煮て、紙を寸法に切って、寒い廊下さ正座して張るんだ。子どもが小せがったすけな。 十一月の末に発つのよ、出稼ぎに。だすけ、ちょうど今ごろは仕度をしてらった。風呂敷と、その上から荷造り紐で縛った段ボールが一つ。行ってくるとも言わねで出る人だ。羽後本荘の駅まで見送りに行ったことは一遍もねえ。見送るもんでねって、あの人がでねくて、おらがそう思ってたのよ。二月の終わりに帰ってくると、痩せて、いちばん後ろの車両から降りてくる。帽子をかぶってるすけ、こっちが先に見つけたことは一遍もねがった。封筒はな、思ってるほど厚くねんだ。それは言わねがった。言っても銭は戻ってこねもの。その封筒を仏壇の引き出しさ入れて、除雪だの、肥料だの、子どもの学校のものだので、春までに順ぐりに出していくのよ。三月の末になると、たいてい底が見えてる。それでも、持って帰ってきたことは持って帰ってきたんだすけな。 まあ、いい人だった。 酒田さ出はったのは、こんな時期でねくて、春だ。四月の頭だ。四月だども、山の陰にはまだ雪が残ってて、履かされたゴム引きの靴の踵が薄ぐなってたもんだから、そこを歩いたら中まで濡れた。母ちゃんが本荘の駅まで送ってきて、途中で二回休んだ。汽車は煙が入ってきて、窓を閉めれば暑くて、開ければ煤が目さ入る。 おらは行ぎたくて行ったのよ。 姉が二人、先に出てらったのよ。その姉から手紙が来るのよ。町には電気が夜中まで点いてて、映画館があって、休みの日には女の子がみんな同じような服を着て並んで歩くって、そういうことばっかり書いてよこす。手紙ってのは、都合の悪いことは書かねもんだべ。そんなことは今なら分かるども、十三や十四で読んでれば、そこに書いてあることが町の全部だと思うのよ。おらはその手紙を、囲炉裏のとこで何遍も読んだ。読んで、また畳んで、母ちゃんに見つからねように行李の底さ入れておいた。それを読んでな、おらも行ぐって、自分の口で言ったんだ。ここにいたら、一生この谷で、雪掻いて、田さ入って、子ども産んで、それで終わりだべ。おらは嫌だった。迎えのトラックの荷台さ乗って、峠を越えるとき、うしろは見ねがったのよ。振り返らねがった。荷台には同じ年ごろのが六人か七人乗ってて、そのうちの一人がずっと泣いてらった。おらは泣かねがった。なんで泣ぐんだべって、そう思って見てらったのよ。 決めたのは父ちゃんだ。 晩の飯のときに、酒田さやるすけ支度しろって、それだけだ。理由は言わね人だ。決めてから言う人だ。母ちゃんは黙って汁をつぎ足してた。おらが箸を置いだら、置ぐな、食え、行ぐ前に食っとげって、母ちゃんが言ったのはそれだけだ。あとで考えれば、母ちゃんも先には聞かされでねがったんだべ。あの晩、自分の飯さ手をつけねがったもの。行李は父ちゃんの古いのを縄で縛って、その縄を母ちゃんが二度結び直した。一遍縛ったのをほどいて、また縛るのよ。ほどかねばならねほど緩かったわけでもねのに、ほどいて、結び直した。父ちゃんは見送りに来ねがった。山さ行ぐって、前の晩に言ってで、朝にはもういねがったのよ。 だすけ、おらは行ぎたくて行ったんだ。行ぎたくて行ったから、峠で振り返らねがったのよ。書ぐなら、そこはちゃんと書げ。 耳は聞こえてる。そこも、前に書いといてけれって言ったべ。 正から電話が来て、正月は来られねって。県の仕事してて、あの子は正月も出るのよ。出るったって、ほんとに出てるんだが、こっちには分からね。まあ、来ねならそれでいい。来れば来たで、床を延べて、飯をこしらえて、こっちが草臥れる。和子は埼玉から電話だけよこす。用があるときだけな。あの子は昔から、自分で決めてしまってから電話してくるのよ。相談でねくて、報告だ。今年は餅は搗かね。搗いても食う人がいねもの。買ってきたのが冷凍庫さまだ入ってる、去年のが。ハルカちゃん、餅は食うが。持ってげ。去年のだども、凍らせてあるすけ何ともね。 デイは火曜と金曜だ。冬になると迎えの車が遅れるのよ、道が悪いすけ、九時半のが十時過ぎになる。玄関で待ってる時間が長い。矢島から来てる人がいてな、その人が体操のあいだじゅう、うちの息子は東京で会社をやってるって話を毎回、同じ順番で喋る。会社の名前まで毎回同じだ。おらは、はあ、たいしたもんだねって毎回言ってやる。言ってやると嬉しそうにする。あの人は先月から車椅子で来るようになって、それでも話の順番だけは前とおんなじだ。会社を興したときの銭の苦労から始まって、社員がなんぼになったで終わる。そのうち忘れるんだべ、おらのことも、息子のことも。忘れねうちに言わせておげばいい。 雪の晩はな、静かだと思うべ。 静かでねのよ。屋根から落ちる音がするのよ。どすん、って、家がひとつ揺れるみたいな音がして、それが一晩に何遍もある。近いのも遠いのもあって、遠いのは空き家の屋根だ。人のいねえ家の雪が落ちる音を、こっちで聞いてる。どの家のだか、音で分かるのよ。向かいの与三郎さんとこのは乾いた音がして、上の潰れた家のはもう落ちる屋根が無えすけ音がしね。誠治がいたころはな、そのたんびに、あの人が寝返りを打って、いびきが一遍止まって、また始まるのよ。止まって、また始まる。今は、落ちる音のあとに何にも続かねのよ。それだけの違いだ。それだけの違いだども、あれには慣れねもんだな。八十八まで生ぎで、慣れねものがまだあるってのは、おかしなもんだ。 卒業の紙は、いつまでに出すんだ。一月だが。 そんだら、もう書き始めでるんだべ。書けるだけの話は喋ったと思う。喋りすぎたくらいだ。おんなじ話を何遍もしてるべ、おらは自分でも分かってる、年寄りの話は同じとこさ戻るもんだ。戻るども、戻るたんびに、少しずつ短くなってるはずだ。長い話は、そのうち誰も聞かねぐなるすけな。 次は十三日か。 雪だば無理して来るな。来るんだば、朝のうちに来い。午後になると道が凍るし、おらも三時には眠くなる。餅は玄関の袋さ入れておぐすけ、忘れねで持ってげ。忘れると次まで玄関に置きっぱなしになる。 二〇二六年十二月十三日 三保田サキ方 四十一分 よぐ上がってこれたな、あの坂を。 長靴だが。そんだら上がってけれ。玄関のとこは朝に一遍掃いたんだけども、もう積もってるべ。掃ぐったって、戸の開ぐ分だけよ、それより奥までは出はって行かね。初雪は十一月の二十七日だ。あれは積もらねで昼には消えて、そのあと十日ばり何ともねがったのよ、それが先週の水曜から本降りになった。今年は早いって畠山さんが言ってた。あの人は毎年おんなじことを言うのよ。早い早いって言って、そんで正月が明ければ、今年は少ねって言う。灯油は先週入れてもらった。玄関の中までは持ってきてくれるんだけども、そこから風呂場の裏までは、もう自分では動かせねくてな。頼めば運んでくれるのは分かってるのよ。分かってるども、頼むのが億劫なのよ。十八リットルってのは、持てるうちは重いとも何とも思わねがった重さだ。持てねくなってから、はじめて、あれは重いもんだったんだなと分がる。ストーブは一日じゅう点けっぱなしにはしね、朝の起きぬけと、夕方の暗くなってからと、そのくらいだ。昼のうちは炬燵さ足を入れて、上さ半纏を着てれば、それで何ともね。金が惜しいってわけでもねのよ、惜しくねと言えば嘘になるども、それよりも、一人で一日じゅう暖かくしてるってのが、どうもな、落ち着かねのよ。 雪囲いは正が十一月の三日に来て、半日でやって帰った。 座布団は二枚重ねて敷いてけれ。炬燵は点いてるども、この家は下から来るのよ。窓の下の板のとこな、指が入るのよ、指が。誠治さんが生きてるうちは、あの人が新聞紙を細く丸めて、そこさ詰めてらった。おらはそれを見て、みっともねって言ったのよ。みっともねって言った本人が、今は自分で丸めて詰めてる。 道はな、これから悪くなる一方だ。 年が明けて、一月の終わりから二月いっぱいは、下の道までは除雪が入るども、この坂は誰も上げてくれね。昔は、分かれ道のとこからここまで、誰かしらが軽トラで一遍踏んでいってくれたのよ。今は上がってくる車が無えんだから、踏み固まらねまま積むだけだ。四月にならねば、ここは車では上がってこれね。だから、まんず、無理して来ることねのよ。書ぐものはもう足りてるべ。あんた、いつまでに出すんだって前に言ってたな。一月の、十日だが、十五日だが。おらは日にちを覚えるのは昔から得意でねのよ。人の顔は覚えてる。日にちは、はあ、だめだ。十二回って言ったべ、最初のとき。十二回通いますって、玄関のとこで、そこの上がり框のとこに鞄を置いたまま立って言った。おらはそのとき、二回か三回で来なぐなるべなと思って聞いてた。思ってたことは言わねがった。言えば、意地でも来る人だと、あんたはそういう顔してるもの。十年か十五年前に新聞の人が来たときも、また来ますって言って帰って、それっきりだ。役場の人も、写真を一枚くれるって言って、それっきりだ。人が来なぐなるのに、こっちが腹を立てるようなことは一遍も無えのよ。来るときに来て、来なぐなるときに来なぐなる。それだけのことだべ。 その機械、回ってるが。 デイは変わらね。火曜と金曜だ。冬になると迎えの車が遅れるのよ、下の集落を回ってから上がってくるもんだから、八時四十分が九時過ぎになる日もある。玄関で待ってる時間が長ぐなるだけだ。風呂の順番の札はな、こないだから番号でねくて名前を呼ぶようになった。誰かが苦情を言ったんだべ。おらは番号のほうがよかったのよ。十二番の札を膝さのせて待ってるのは、あれはあれで、仕事してるみたいでよかったんだ。それに、あそこの若い衆は名前で呼ぶったって、サキさーん、って、下の名前を伸ばして呼ぶのよ。おらを下の名前で呼んだ人は、母ちゃんと、姉ちゃん二人と、酒田で一緒に寝起きした子らくらいのもんだ。誠治さんはおらのことを一遍も名前で呼ばねがった。用があるときは、おい、で済ませる人でな、それで五十年やってきたんだから、今さら名前で呼ばれると、こっちが誰のことだか分からねで座ってる。 下の家の婆さんは、十月の終わりに本荘の施設さ入った。 息子が来て、一日で荷物を積んで、そんで空になった。挨拶は無えがった。無えがったって、こっちも行かねがったんだから、おんなじことだ。あの人はおらより二つ下でな、デイの帰りの車でおらの手を握った人だ。それは前にも言ったな。握られたときは、うるさい人だと思ったのよ。今になって、あれはこっちが握り返してやればよかったんだなと思うども、思うのが遅えのよ、おらは昔から。これで大平は五戸だ。五戸のうち二軒は冬のあいだ町の子供のとこさ下りるから、雪が来れば三戸だ。三戸で、坂の上はうち一軒だ。 そんだから、あんたが来なぐなっても、おらは困らね。 仏壇の水は替えた。今朝も替えた。 位牌は二つ並んでる。誠治さんのと、昭二のと。線香は日によってな、長ぐ喋る日もあるし、水だけ替えて台所さ戻る日もある。あんたが来るようになってから、その、写真の話を何遍かしたべ。中学のときの、仏壇の右のやつだ。ほかには無えのよ。運動会で走ってるのが一枚あったはずだって、去年も探して、簞笥の下の箱も引き出しも畳の上さ出して見たども、出てこねがった。無えものは無えんだ。捨ててはいね。捨てるわけがねべ。無えだけだ。 そんでな、あの子は事故だ。 トラックだ。橋のとこの、あの木の橋のとこよ。あの子は自転車で、向こうはトラックで、ぶつかってきたのは向こうだ。警察もそう言った。運転手は現場で泣いてたって、あとから聞いた。あの人は一遍だけ家さ来て、玄関に座って、上がってけって言っても上がらねで帰った。あれっきりだ。あれっきり顔も見ねし、名前も知らね。知らねでよかったんだ。 朝はな、何ともね朝だった。 いつも通りだ。飯食って、あの子は出はって行った。行ってくるって言って出はって行った。何も無えのよ。何もねがった。おらは怒鳴るような親でねがったのよ、正のときも和子のときも、手を上げたことは一遍も無え。あの子とだって、言い合いなんてしたことね。あの年頃の男の子だば、ふつうは母親と喧嘩の一つもするもんだべ。あの子はしねがった。飯も、うまいともまずいとも言わねで、犬さやるみたいに置いておげば、いつの間にか無くなってる子だった。手のかからね子だ。手のかからね子のことは、あとになって何も思い出せねのよ。手のかかった子の話ばっかり残る。誠治さんとも口をきかねくてな、あの二人は同じ部屋にいると、どっちかが先に外さ出て行った。仲が悪いんでねのよ、話すことが無えだけだ。男親と男の子ってのは、どこの家でもそういうもんだべ。 葬式はこの家でやった。あのころはまだ十九軒あったから、女衆が七人も八人も台所さ入って、鍋を三つも四つも並べて、おらは座敷さ座らせられて、何ひとつさせてもらえねがった。何もさせてもらえねってのは、あれは弱るもんだ。手が空くと、いろんなことを考えるべ。だから、途中で立って、勝手口のとこで湯呑みを拭いてらったのよ。拭かねくてもいい湯呑みを、五つも六つも拭いた。それを見つけられて、また座らせられた。 昼前に消防の人が来た。 おらはそのとき、まだ朝の鍋を洗ってた。土間に人の立った気配がして、手を拭かねで振り向いたら、畠山さんの親父さんが帽子を脱いで両手で持って立ってた。橋のとこで、って、それだけを何遍も言うのよ。おらは、はあ、って言った。それから前掛けで手を拭いた。順番が逆だべ。人ってのは、そういうときに先に手を拭くようにはできてねのよ。おらは橋さは行かねがった。行ったのは誠治さんだ。おらはこの家に残って、鍋を洗って、伏せて、伏せてから、また洗った。同じ鍋を二遍洗った。そこだけは、五十年経っても、手が覚えてるのよ。 二十一だ。あの子は。 味噌汁の実が何だったかは覚えてね。 そういうもんだ。肝心なことは残らね。鍋のことは残ってて、実が何だったかは残らねのよ。まあ、大根の葉か、菜っ葉か、そのへんのもんだべ。あの時分に他に入れるものなんて無えもの。豆腐なんてのは、下の店まで買いに下りねばならねがったから、月に二遍か三遍だ。 あんた、この前は何の話をしたっけな。 そう、そこがね、おらは混ざらねのよ。年寄りは順番が混ざるって、みんなそう言うべ。うちの正なんかも、電話のたんびに、母ちゃんそれ前も聞いたって言うのよ。あれは腹が立つ。前も聞いたって言われたって、こっちは今しゃべってるんだから。おらは混ざらね。誰が何を言ったか、いつ言ったか、そういうのは頭さちゃんと入ってる。耳が聞こえてるからだ。耳が遠くなった人は、聞き間違えたものが頭さ入って、それが混ざるんだ。おらは聞こえてる。昔から聞こえてる。 正月は来ねがもしれね。 正は正月は忙しいのよ、県の仕事だと年末年始に当番があるんだと。去年は二日に来て、その日のうちに帰った。嫁は来ねがった。和子は埼玉だ。十二月に入ってから二遍電話が来た。二遍とも夜の八時ごろだ。あの子は用があるときだけ電話をよこす。こないだのは、正と相談したって話でな、本荘に部屋が空くとか空かねとか、そういう紙を送るって。送ってきたら見る。見るだけは見る。あの子らは、こっちが分からねうちに決まってしまうのが嫌なんだべなと思ってるようだども、おらが嫌なのはそこでねのよ。決まってしまってから、相談だって顔で電話してくるのが嫌なのよ。それを言ったって始まらねから、言わね。 みかんな、持ってげ。 そこの、廊下の段ボールのだ。和子が十二月に毎年よこすのよ。一箱よこして、おらが一人でなんぼ食えると思ってるんだが。デイさ持っていっても、あそこは食い物を持ち込んではだめなことになってるらしいのよ、それを職員の子が黙って配ってくれるときと、だめですって言われるときとあってな、どっちの日だが分からねから、このごろは持って行かね。 そんでな、写真な。 あの、運動会のやつでねくて、もう一枚、あるはずなんだ。あんたに見せてね気がする。中学の入学のときに、この家の前で撮ったのがあるはずなのよ。誠治さんが写真機を借りてきてな、あれはどこから借りたんだが、下の家だが、学校だが。三人並べて撮ったのよ。並べて撮ったんだから、正のも和子のもあるはずだべ。正のは仏壇の引き出しさ入ってたのよ、去年見たときは。だから昭二のもどこかにあるはずなんだ。 ハルカちゃん、そこの、簞笥の、上から二段目な。 いや、その下だ。硬いども、力入れて引っぱれ。左のほうが引っかかるのよ。

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