FFAVENIA

小説 · text · 2026-09-07

百三の断片

しゅう1
百三の断片のカバー

一 これ、逆さまだ 二 食堂の窓側から二番目、右手が壁になる席に座らせると、しばらく椀の縁を親指でなぞっていた。滑り止めのついた白い樹脂の椀で、底に「たきざわ」と油性ペンで書いてある。書いたのは六月四日の午後、事務室のカウンターで職員から借りたペンで、乾く前に指が触れたらしく、「ざ」の濁点が右へ流れている。椀を持ち上げ、口へ運ばずに、そのまま三十秒ほど持っていた。手首は震えていないが、テーブルに戻すときだけ、汁が縁を越えて盆に落ちた。盆の縁には前の食事の跡が乾いてこびりついていて、そこを拭くのは食器を下げたあとの順番になっているらしかった。 それからスプーンを取り、柄の太いほうではなく、先のほうを握った。右手の人差し指は爪の先が平たい。若いころに機械で潰したと母から聞いたことがあるが、母はその機械の名前を言わなかったし、こちらも聞かなかった。指の腹は硬く、指紋が浅い。スプーンはその指の腹の上で四回まわり、五回目で膳に落ちた。音でチョウさんが振り向き、こちらを見ないまま新しいスプーンを持ってきて、右の手のひらに載せた。また先のほうを握った。チョウさんは配膳のあいだじゅう、名前を呼んでから皿を置くという順序を崩さず、父の前でもそうしていたが、父が返事をしたのは三回のうち一回で、返事をしなかった二回はどちらも皿のほうを見ていた。 汁の具は豆腐と、細く切った油揚げだった。豆腐は三つのうち二つ食べ、油揚げには手をつけず、ごはんは半分残した。食堂には十一人いて、職員は二人だった。テレビは音を消したまま国会の中継を映していて、そちらを見ている人はいない。壁に貼った献立表の、きょうの日付のところに赤い丸がついている。隣の席の女性は父より頭ひとつ小さく、耳が遠いらしく、膳をのぞきこまれても顔を上げない。十二時四十分に下膳が始まると、下げられていく膳を目で追い、追いおわってからテーブルの木目を手のひらで撫でた。右から左へ二度撫で、それから手を裏返して、自分の手のひらを見ていた。見ているあいだ、口が動いていた。声は出ていない。下膳の台車が通るときだけ床が鳴り、その音に合わせて何人かが同じ方向を向いてから、また元の向きに戻っていった。連絡帳の前日の欄には、水分の量と、排便の有無と、機嫌の三段階のうちのどれかに丸が書いてあり、丸は入所してからきょうまで一度も真ん中から動いていない。 一時に出た。自転車は裏の駐輪場に置いてある。前の籠に入れたままの洗濯物の袋が、日に当たって温かくなっていた。職員の自転車が四台並んでいて、そのうち二台は籠に保育園の名前が入った袋を積んでいる。信号を二つ渡ったところのコンビニで、連絡帳に挟むボールペンを買った。百三十円だった。 三 2022年5月17日。板橋の病院の脳神経内科で、予約は午前十時、呼ばれたのは十時四十四分だった。体重は58.2キロ。身長は測らず、前回の164センチがそのまま書き写された。血圧は136の82で、測った看護師は何も言わなかった。ドネペジル3ミリを一日一回、朝食後に、四週間分もらった。待合の椅子は三列あって、二列目の端に並んで座った。呼び出しの表示が変わるたびに父が立ち上がろうとして、四回目でこちらの番号になった。診察は九分で終わり、次の予約は六月十四日、診察券の裏に鉛筆で書いてもらった。会計は3,180円だった。院内処方ではないので通りを渡って薬局へ行き、そこで十三分待った。窓口の女性が薬の説明を父に向かってしたので、父は三度うなずいた。帰りにコンビニで缶コーヒーを二本買い、一本は開けないまま鞄に残った。 四 インテルが足りない。そんなに空けたら読めないよ。 五 十歳の夏、母に持たされた包みを工場まで届けたことがある。国道沿いの、二階が事務所になっている建物で、入ると印刷機の音が腹に来た。においは油と、それから金物の、口の中に味の残るにおいだった。父は奥の、天井まで棚のある一角にいて、左手に浅い木の箱を持ち、右手だけを動かしていた。棚には小さな字がぎっしり並んでいて、それを見もせずに拾っていく。目は棚ではなく、目の高さに挟んだ原稿の紙のほうへ向いている。手だけが棚を往復する。名前を呼んだが返事はなく、三度目に呼んだとき、拾う手を止めずに、そこに置いとけ、とだけ言った。 置く場所がなかったので、包みを抱えたまま立っていた。 近くにいた腹の出た人が笑って、椅子を指した。椅子には新聞紙が敷いてあって、座るとズボンの尻に黒いものがついた。父の背中はシャツが汗で貼りついていて、肩のところだけ色が変わっている。扇風機は回っていたが、首が振らないように紐で縛ってあった。壁の時計はガラスが割れたまま動いていて、割れた側の数字が読めなかった。 待っているあいだに、機械のほうから男が来て、父に紙を渡そうとした。父は受け取らずに顎で台の端を指し、男は紙をそこへ置いて戻っていった。紙は風で少し動き、通りかかった別の人が鉛の塊で押さえた。 左手の箱は、拾った字が増えるにつれて持ち方が変わっていって、はじめは指を伸ばして下から支えていたのが、そのうち腕ごと腰骨に当てるようになった。棚の前を行き来する足の運びには順番があるらしく、同じ列を二度通らないまま端から端まで進み、また最初の列へ戻ってくるのを、椅子から見ていた。床には細かい金物の屑が落ちていて、踏むと靴の裏で鳴り、鳴るたびに近くにいる人が足元を見て、それから何もなかったように手を動かしはじめた。父は一度も座らなかった。 十五分ほどして、父が箱を持って別の台へ行き、拾った字を細長い道具に並べ替えはじめた。並べるときは、字と字のあいだに薄い金物や、鉛の平たい塊をはさむ。はさむたびに指の腹で押して、押してから、端をそろえるために台を軽く叩いた。叩く音は印刷機の音の合間にだけ聞こえた。口が動いていて、たぶん字を読んでいたのだと思うが、聞こえたわけではないので、そう思っただけかもしれない。 工場の外側にコンクリートの箱のような便所があって、帰りにそこで昼に食べたものを吐いた。水道で口をすすいで戻ると、父はもう別の棚の前にいた。包みは台の上に置かれたままだった。いつ食べたのか、食べたのかどうかも知らない。 出る前に洗い場で手を洗わされた。緑色の粉の石鹸で、いくら洗っても爪のふちの黒いものは落ちなかった。父の爪も黒かった。家の風呂上がりにも黒かったことを、そのとき初めて同じものとして見た。 帰りはバスに乗った。工場のにおいが服につくから窓側に座って窓を開けなさいと母に言われていたが、その日は窓が固くて開かなかった。 六 おい、そっち持ってて。 七 とめ。とめが要る。そこを空けたままにしとくと、あとで全部ずれるんだよ。とめを、な、先に入れといてくれ。 八 仕事は文庫の新装版の初校で、ゲラは三百二十四ページあった。明らかな誤りは赤で入れ、疑わしいところは鉛筆で欄外に出す。原文ママかと鉛筆で書いておくと、編集者がそれに答えて戻ってくる。答えが来ないこともある。来ないまま責了になったものが、去年だけで二冊ある。 十二ページ目の年譜に昭和四十一年とあるところが、本文では昭和四十七年になっていた。どちらが正しいかはこちらでは決められないので、両方に細い線を引き、余白に二つの年が食い違っている旨だけを書いた。書きながら、著者が生きていれば聞けるのにと考えたが、著者は生きていない。 八十九ページの「そして」を一つ、赤でトルと入れた。翌日、消しゴムで消して、同じところにイキと書いた。消しゴムのかすを机の端から手のひらで払うと、下に敷いた新聞に落ちた。新聞は四月のもので、敷いたときからそのままになっている。 机には赤のボールペンを二本と鉛筆を三本、字の細かいところ用のルーペを一つ置いてある。ルーペは十一年前に買ったもので、縁のゴムが溶けてきて、持つと指が黒くなる。夜の一時をすぎると行が上下に泳ぐので、そこで切り上げて寝ることにしている。朝に読み返すと、泳いでいたあたりで二つか三つ見落としている。見落としの多くは送り仮名と、同じ行に同じ字が二度出るところだった。 編集者からの電話は昼にかかってくる。今回の担当は入って二年目で、締切の前日に、部数が変わったので奥付の版を見てほしいと言ってきた。見るべきなのは版ではなく刷りのほうだったが、電話ではそれを言わずに、切ってから欄外に鉛筆で出した。 校正は書き手の癖を覚える仕事で、三十ページも読めばその人がどこで読点を打つかが見えてきて、見えてくると癖から外れたところが目に留まり、外れたところはたいてい誤植になっている。ただし癖のほうが間違っていることもあるので、その場合は直さずに残し、残すと決めた箇所には決めた日付を鉛筆で小さく書き入れておく。今年に入って椅子の座面が沈んできたので座布団を二枚重ねたが、それでも二時間に一度は立って台所で湯を沸かすことになり、沸かしたまま飲まない日がある。腰は去年の冬から同じところが痛む。 単価は一ページ百八十円で、三年前は二百十円だった。この一冊で五万八千三百二十円になる。実働は九日から十日で、間に病院が入ると十二日になる。国民健康保険の督促は二月から来ていて、窓口で分納の相談をしたら、次からは電話でいいですと言われた。電話は三度かけて三度とも話し中だった。四度目にかけたときには、担当が席を外していた。 金曜の集荷は五時までで、四時五十分に袋の口を閉じた。閉じてから、奥付を確認していないことに気づいて、いったん開けた。 九 ここ、字が寝てる。 十 八月の夜、実家の六畳で、父が畳のへりのあたりを見ていた。テレビはついていたが音は絞ってある。この年の八月は扇風機を出すのが遅れて、押し入れの奥から出したときには羽根に埃が層になっていて、濡らした布で拭いても網の内側までは届かなかった。見ている先には、たたんだ座布団が三枚積んであるだけだった。しばらくして、そこに子どもがいると言った。四月に医者から、見えていると言うものを否定しないでくださいと言われている。同じことを紙にも書いてもらって、冷蔵庫の横に貼ってある。だから、何人いるのかと聞いた。二人だと言った。男の子か女の子かと聞くと、そこまでは分からないと言い、分からないのに二人であることのほうは動かなかった。 麦茶を二つ、コップに入れて座布団の前に置いた。それを見て、多いと言った。数が合っていないという意味に取れたが、二人なら二つで合っている。もう一度聞くと、こんどは三人になっていた。三つ目のコップを出すと、いいよ、と言って自分の湯呑みを座布団のほうへ押した。 座布団は動かさなかった。動かしたら子どもがどうなるのかを聞いていないし、聞けば否定したことになる気がして、積んだままにしておいた。父は座布団のほうへ体ごと向き、膝に手を置いて座っている。その姿勢のまま、低い声で、そこは危ないから下がりなさいというようなことを言った。何が危ないのかは、こちらからは見えなかった。畳の上には切った爪と、薬の空きシートが落ちていた。ものを見ているときの父の目は、こちらと同じ速さで動くのに焦点だけがどこにも合っていないように見えるが、その見え方をどう書けばいいのかは分からない。見えているものを否定しない代わりに、こちらから足すこともしないほうがいいのかどうかは医者に聞いていなくて、次の診察のときに聞こうと思ったまま忘れた。 蚊取り線香の灰が皿からはみ出していたので、新しいものに替えた。 十一時をすぎると子どもの話をしなくなり、テレビの音を上げてくれと言った。上げると天気予報をやっていて、翌日の最高気温は三十四度だと言っていた。その夜は泊まり、襖を開けたまま隣で寝て、夜中に二度、起きる音を聞いた。二度とも便所で、二度目は流す音がしなかった。夜中の便所の音は、戸を閉める音があって、長い間があって、それから戸を開ける音になる。朝、麦茶のコップは三つとも減っていなかった。減っていないことを確かめてから流しに運んで、洗った。 十一 2023年2月19日。午前五時二十分、玄関の鍵が内側から開いているのに気づいた。五時二十五分から家のまわりを二周し、五時五十分に駅前、六時十分に交番へ行った。七時四分に電話が鳴った。見つかったのは1.8キロ先で、昔の勤め先の跡地は、いまはコインパーキングになっている。最大料金1,200円と書いた看板の下に立っていた。上はパジャマ、下は作業ズボンだった。靴は左右ちがっていた。金は持っておらず、外の気温は氷点下1度だった。見つけたのは駐車場の精算機を見にきた業者の人で、父はその人に、ここは何時から開くのかと聞いたらしい。その言葉は業者の人から警察に渡り、警察からこちらに渡ったので、二回写された言葉として聞いたことになる。こちらは交番へ行くまでのあいだに二度電話を入れていて、二度目に自分の声が大きくなっていたことを、その日の夜になってから思い出した。交番では紙に住所と父の生年月日と、着ていたものを書かされ、写真はあるかと聞かれた。財布に入れていたのは母の葬式のときのもので、五年前になる。書いている途中で電話が鳴った。家に着くと、湯を出しても飲まず、先に便所へ行った。上着の袖に、駐車場の白い線の粉がついていた。 十二 だからね、あれを、あの、箱をね、下に置いてから行かないと、途中で落とすんだよ。落とすとまた拾うんだ。拾うのは俺じゃないんだけど、いや俺か、俺だな。俺が拾うんだ。それでね、あの人が、名前が出てこないな、背の高い、いや低いか、その人が来て、もう出るからって言うんだよ。出るって何が出るんだって聞いたら、出るったら出るんだって。そういう言い方するんだよあの人は。だから待ってた。待ってたけど誰も来ない。誰も来ないから、こっちで並べといた。並べたら、逆だって言われた。逆って言われてもな、こっちは言われた通りにやってるんだから。それとね、番号が、番号の順に入れてあるだろ。あれは俺が作ったんじゃないんだ。作った人はもういない。いないっていうか、辞めたのか。辞めたんだよな。辞めたって聞いてないな。まあいいや。よくないけど、いいことにしとかないと進まないから。進まないと、みんな帰れないだろ。おまえも帰れないよ。帰りは何時だ。何時って、聞いてるんだよ。飯は。飯はまだか。さっき食べたって言うんだろ。食べてないよ。食べてないけど腹は減ってない。減ってないけど時間だろ。時間なら食べないと。母さんが片付けちゃうから。 十三 その紙、こっちが上だ。 十四 「昨日の夜は二時ごろに一度起きられて、廊下の突き当たりまで行かれました。そこで止まって、自分で戻ってこられたので、転倒はなしです。あ、それでですね、ズボンのポケットにスプーンが入ってました。食堂のです。前も一回ありましたね。怒らないであげてくださいね、あれ、しまってるつもりなんですよ。滝沢さんはきちんとされる方だから、出しっぱなしがだめなんだと思います。うちの祖父もやってました。うちのはフォークでしたけど。それから、きのう体操の時間に、滝沢さん、後ろの席の方に折り紙を教えてました。教えるっていうか、勝手に折って渡してました。鶴じゃないんです、四角いの。名前がわからなくて聞いたら、これは箱だって。箱は箱ですけどね。お薬は変わってません。先生が来られるのが来週の火曜なので、そのときにまた見てもらいます。あの、それと、来月から夜勤の入りが変わって、わたしが夕方いない日が増えるんです。すみません、下の子の保育園の迎えが六時までで、車も今月車検で、それでちょっと。あ、体重ですか。体重は今月まだ測ってないです。測ったら連絡帳のほうに書いときますね」 話しながら、岩渕さんは洗濯物の袋の口を三度たたみ、四度目に開き直して中を見た。 十五 おかあさんは、まだ寝てるのか。 十六 なあ、九ポの、九ポのやつ、あれどこやった。ルビじゃないよ。ルビはもっと小さいの。九ポ。あんたが持っていったんじゃないの。持っていってないなら、誰かが持っていったんだ。いや、いいんだ。無いなら無いでやるから。無いところは空けとけばいいんだ。空けといて、あとで入れる。あとって、いつだよ。それとな、二本線のやつ。二本線が引いてあったら直すんだよ。直すのはあんただ。俺は拾うだけ。拾うだけだけど、間違えたら俺が言われる。 十七 電話は九時四十分にかかってきて、十四分話した。 「もしもし。ごめん、いま大丈夫。うん。こっちはね、暑いのなんの、九月でこれだからね。お父さんどう。ごはんは食べてるの。食べてるならいいけど。あのね、来月には行くから。ほんとに。うん。今月はね、下の子の試合が続いてて、ちょっと動けなくて。うちの人の親のほうもね、いま病院で、そっちも順番待ちみたいになってて。え、お金。お金っていくらかかってるの。え、そんなに。うーん。うちもね、いまちょっとあれで。あ、そうだ、こないだ電話したらお父さん、わたしのこと分かってたよ。分かってた。由香でしょって言った。ね。だから大丈夫だよ。わたしね、去年から週三でパートに出てて、それが朝の五時からなのよ。だからなかなか動けなくて。飛行機もいま高くてね、片道で四万とかするのよ。安いのは朝いちばんのしかなくて、そうすると前の日から空港のそばに泊まらなきゃいけなくて。お母さんの三回忌のときは行けたでしょ。あのときお父さん、まだ普通だったよね。普通だったよ。ね。あんた痩せたんじゃないの。ちゃんと食べてる。前に送った黒糖、食べた。食べてないでしょ。うん。来月には行くから。写真送って。部屋の。うん。じゃあね」 切れたあと、通話時間の表示が十四分二十秒のまま少し残って、消えた。 十八 手え洗ったか。 十九 これは書き写せない。 二十 あんた、手が速いな。うちに来ないか。うちってのは工場だよ。給料は安い。安いけど飯は出た。出たかな。出なかったかもしれないな。まあ出るってことにしとこう。名前は。チョウさん。それは名字か。名字なら二字だな。二字はいい。組みやすいんだ。長いのは困る。長いのはね、はみ出すんだよ。はみ出したら、こっちが痩せるしかない。痩せると、あいだが空くだろ。空いたところに何か入れとかないと、動くんだ。動くと読めない。だから入れる。何を入れるかは決まってるんだよ。決まってるんだけど、いまは無いんだ。 二十一 2024年6月4日。午前十時に入所した。持ち物として、肌着五枚、ズボン三本、上着二枚、靴下六足、湯呑み一つ、電気シェーバー、めがね、写真を一枚持たせた。すべてに名前を書くように言われ、事務室で油性ペンを借りた。名前は職員が書きますと言われたが、自分で書いた。書いているあいだ、父は隣の椅子で契約書のほうを見ていて、途中で一枚めくった。めくった紙を戻して、また同じところをめくった。持ち物の一覧は複写式で、下の紙が薄い青だった。契約書は二通で、署名と押印をして、控えは黄色いほうを持ち帰る。月額は十四万二千円で、これに医療費とおむつ代が別につく。部屋は二階の、階段から三つ目になった。窓から見えるのは隣家の屋根と電線が四本だった。入所の前の週に部屋の寸法を測りに行って、備え付けのベッドと箪笥のほかに置けるのは幅四十センチまでの椅子が一つだけだと分かった。持っていく写真は三日迷って、母だけが写っているものではなく、玄関の前に二人で立っているものにした。額はガラスが割れると危ないので外し、裏に撮った年を書いて、両面テープで壁の低いところに貼った。荷物を置いてから一緒に食堂まで行き、十一時二十分に帰った。帰りぎわに父は何も言わなかった。書類の控えは、玄関の靴箱の上に置いたままになっている。姉に電話したのは六月六日の夜。 二十二 そこの子、さっきから立ったままだが、椅子はないのか。ないならこれを持っていけ。おれは立ってるほうが楽だから。 二十三 八月に入ってから、父の目は台所の入口の、幅木から二十センチばかり上のあたりで止まるようになった。手を振っても動かない。見えていないと言わないでほしい、と診察のときに医師から言われている。見えているものを見えていないと言われた人は、自分の目を疑うのではなく、言った相手のほうを疑うようになる、という説明だった。だからいると答える。何人いるのかと聞かれたときだけ、返事が遅れた。父は指を二本立てて、二人だと言い、そのあとで、いや、もう一人は隠れている、と言い直した。 父は膝の上で親指の腹をこすり合わせる。左の親指の付け根に、爪の形をした古い傷がある。 父はその子に手を触れない。 通院は月に一度で、待合の椅子は四列、番号が呼ばれるまでに平均して五十分ほどかかる。見えないものが見えることがありますか、という問診票の欄に丸をつけたのは四月の初診の日で、そのときは、いる、とだけ父が答え、横から人数を足したのはこちらだった。医師は父のほうを向いて、それは見えるでしょうね、と言う。看護師が体重計の前で父の背中を支え、数字を読み上げてから、靴を履いたままですね、と言って測り直した。薬局では番号札の十二番を渡され、待つあいだ、父は棚のサプリメントの箱を一つずつ手前に引き出して並べ直した。並べ直された棚は、元に戻すまでのあいだ、前より整っていた。 出るのはたいてい四時から六時のあいだで、日の長い時期はもう少し遅い。エアコンは二十八度に設定してあるが、それより下げると寒いと言って自分で切ってしまい、切ったあとで窓を開ける。開ければ隣家の室外機の音が入ってくる。 ノートは無印のB5、鉛筆は三菱のF。父の言葉はそのまま写す。写しながら、聞こえたとおりに書くことと、意味の通るように書くことが同じ作業ではないのを、一行ごとに確かめることになった。助詞を一つ足せば、父が言っていない文ができあがる。足さずに書くと、あとで読み返した自分にも意味が取れない。取れないまま置いておく。仕事のほうでは、意味の取れない文には鉛筆で疑問を出して著者に返す。ここには返す先がない。 ノートは三冊目に入った。日付は書くが曜日は書かない。書き写したものと、こちらが見たものは、行の頭を一字ぶん変えて区別している。区別しても、あとで読み返すと、どちらだったのか分からなくなる行がある。 その日の分は十一行だった。 夕食のとき、父は茶碗をもう一つ出して、自分の右側に置いた。箸は添えなかった。翌朝、中身のないその茶碗を、触れないまま流しに下げた。台所の蛍光灯は片方が切れていて、換えると翌週にはもう片方が切れる。冷蔵庫の扉に貼った予定表には、通院、燃えるごみ、水道の検針、と自分の字だけが並んでいる。幅木の上の壁紙には何もついていない。指の背で二度ほど撫でて、それだけ確かめて手を下ろした。 二十四 金は、おまえが持ってていい。おれはもう使うところがないから。使うところがないというのは、行くところがないということだ。 二十五 二〇二二年五月十七日 午後二時十分 体温三六・二 血圧一三八の八二 体重五八・二キロ ドネペジル三ミリ 夜間の起き上がり四回 うち二回は台所 蛇口を開けたままの時間およそ九分 同月の通院一回 処方は二十八日分 薬局まで徒歩六分 入浴の拒否二回 同月の外出は通院を含めて三回 二十六 九歳の夏に一度だけ、父の職場へ入った。三階まで階段で、踊り場には紙を巻いた芯が横に積んであって、その先から油と鉛と汗の混ざった匂いになる。窓は開いていたが風は入らず、天井の近くで扇風機が首を振っていた。文選の棚は、背の高さより上まであった。活字は五十音では並んでいない。よく使う字が手の届くところに、めったに使わない字が上と下にあって、父はその配置を、家の間取りを歩くように動いた。 左手にステッキを持って、右手で拾う。字は読んでいない。棚のどこに何があるかを手が覚えていて、目は次に取る位置を先に見ている。一分でおよそ三十本、と父は言った。数えたのではなく、そう言われていた、という言い方だった。 文選箱は腰のあたりに提げてあって、拾った字はそこへ落としていく。落ちるたびに音がする。溜まるほど音が低くなるのが、離れて立っていても分かった。 鉛の匂いは、冬より夏が強い。 棚の前に立つ父は、体が動かないのに手だけが動いている。肩から先の、肘から先の、その先だけが早い。そこに立つな、影になる、と言われて一歩下がると、今度は台車の通り道だった。工場の床には黒い線が引いてあって、線の内側は歩いてよく、外側は歩いてはいけないことになっている。線は途中で消えていた。消えた先はどちらの扱いだったのか、聞かないまま出た。 名前を拾ってやると言われて、滝沢の四文字は早かった。慧の字だけがどこにもなくて、父は別の島の棚まで行き、途中で誰かに何か言われて立ち止まり、戻ってくるまでに扇風機が四往復した。 拾った活字を組んだものを手のひらに載せられた。思ったより重い。字は左右が逆で、鏡に映さないと読めない。父はそれを指で押さえ、ここが天、ここが地、と言って、活字の腹にある溝を触らせた。この溝の向きだけで、暗がりでも上下が分かるという話だった。 それから、字ではないものを箱から出して見せられた。行と行のあいだに挟む薄い板をインテル、字と字のあいだ、行末の余りを埋める背の低いやつを込め物と呼ぶ。込め物は文字より低く作ってあるので、刷っても紙に出ない。出ないものを正しく入れないと、出るものが動く、と言われた。九歳がその説明で何を理解したかは怪しい。板の冷たさと、指に残った黒だけは書ける。 便所は階段の裏にあって、そこだけ床が濡れていた。母は事務所に弁当を置いて、五分もいずに帰った。帰りぎわ、事務の女の人に頭を下げていた。そのやり取りを父は見ていない。弁当は机に置かれたままで、昼になっても手をつけなかった。工員が三人いて、そのうちの一人はこちらを見て何か言い、あとの二人は顔を上げなかった。三十分で階段を降りた。降りるとき、手すりが黒く光っていた。バスに乗ってから、手のひらの匂いが石鹸で二度洗っても落ちないのが分かった。 二十七 ゲラはまだ出ないのか。出たらおれが見る。おれが見ないと、後ろの二行が入れ替わる。 二十八 チョウさんは昭三さんに毎日おなじことを聞かれる、と岩渕さんが言った。ミャンマーは寒いのか、という質問で、チョウさんは、暑いです、いまは四十度あります、と答える。すると父が、そりゃ大変だ、おれは暑いのは平気だが寒いのは駄目でね、と返す。この一往復が三か月続いている。 チョウさんは笑いながら、昭三さん、四十度は暑いですよ、と言った。父は、うちの二階も暑かった、と言った。チョウさんは、はい、二階は暑いです、と答えた。二階の話がどこから来たのかは誰にも分からないまま、その日の昼食の配膳が終わった。 父は職員の前では背筋を伸ばす。 職員には丁寧に喋る。ありがとうございます、すみませんね、と語尾まで言う。こちらには、おい、と言う。岩渕さんのことは名前で呼ばず、先生と呼ぶ。何度訂正されても翌日には先生に戻る。 給料の話も何度かしているらしい。ここはいくらもらえるんだ、と父が聞き、岩渕さんが実際の額に近い数字を言うと、父は、安いな、うちに来い、と言った。うちがどこを指しているのかは誰も聞き返さない。岩渕さんは、じゃあ来月から伺います、と答えたという。 体操の時間には、指導の職員より先に次の動きへ入ってしまうことがあって、その日は片手を上げたまま全員が父のほうを見た。父は下ろさない。チョウさんが、昭三さんが正解です、と言って自分も片手を上げ、それで十人ぶんの手が上がった。 歌のレクリエーションでは、父だけが違う歌をうたう。全員が里の秋をうたっているあいだ、父は知らない歌の三行目あたりを、途中から入って途中で抜ける。それで職員が笑い、隣の席の男性が父を睨む。睨まれても父は気づかない。岩渕さんによれば、この配置は先月からで、席を離すかどうかは検討中とのことだった。 チョウさんは父の言い間違いを小さな手帳に書き留めている。日本語の勉強のためだと言い、書いたものを見せてくれた。ひらがなの点の位置が几帳面で、こちらの字より読みやすい。父はそれを覗いて、あんた、字が上手いな、と言った。チョウさんは、昭三さんの言葉です、と答えた。 チョウさんは漢字の練習帳を父に見せることがある。父はそれを受け取ると裏返してから見る。裏から見れば字は透けて、左右が逆になる。逆になったほうを見て、うん、これでいい、と言う。チョウさんが、こっちが表です、と言って戻すと、父はまた裏返す。 その日は五回、裏返した。 チョウさんは日本語学校の学費を二期分残していて、月末には家に送る。送金の手数料が上がった話を、廊下で岩渕さんとしていた。父はその横で、廊下の手すりを端から端まで撫でて歩いた。 二十九 とめが足りない。とめを入れないと明日には動く。おまえ、とめ持ってるか。持ってるならそこへ入れてくれ。いや、そこじゃない。もっと下だ。下から順に詰めていって、最後にとめ。とめが要るんだ、どうしても、そこに。 三十 文庫の初校が七日で四万八千円、再校は別に一万二千円。手を入れる場所は決まっていて、赤で直すのは明らかな誤りだけ、判断のいるものは鉛筆で疑問を出す。著者がそれを見て、直すなら残し、直さないならイキと書いて戻してくる。 ゲラは宅配便で届く。二百八十ページの束が二つ、平たい箱に入っていて、開けると紙の匂いがする。机の左に未読、右に済み、真ん中に赤ペンと鉛筆と定規を並べる。一日に四十ページ進めば七日で終わる計算で、実際には三日目までが遅く、後半で取り返す。 その日の三百二十八ページに、一九六九年とあった。前後の記述から一九九六年でなければ計算が合わない。鉛筆でその四桁を囲み、余白に、一九九六年カ、と書いた。二校のゲラが戻ってきたとき、囲みの横にはイキとだけ書かれていて、本文はそのままだった。もう一度は出さない。出せるが、出さない。二度同じ疑問を出した校正者は、次から呼ばれなくなる。 トルとトルツメの使い分けを、一度だけ新人に説明したことがある。字を取るだけか、取ったぶんを詰めるか。取ったあとを空けたままにしておくこともあって、空けておくと、そこに何かが入る前提の顔になる。組んだ人間が意図して空けたのか、抜けたのかは、ゲラの上では見分けがつかない。 朝は八時に机につき、十一時に一度立つ。目が続くのはせいぜい三時間で、そのあとは同じ行を二度読んでも同じところで止まる。止まったら風呂の残り湯で顔を洗う。夕方の二時間がいちばん拾える。深夜は拾えない。拾えないのに直せる気がしてくるので、深夜はゲラを開かない。 その本で拾った誤りは全部で四十一箇所あって、うち三十九はルビと約物と、章扉のノンブルの重複だった。人が驚くような間違いはめったにない。ほとんどは同じ形の字の入れ違いと、一字ぶんの空きの不統一で、読者の目に触れないまま本になる。 初校で見落としたものは、二校では見えない。 赤は少ないほうがいい。 受けるのは月に二冊までと決めている。それ以上受けると次の月に迷惑をかける。断るときは、日程が合いません、とだけ書いて送る。理由は書かない。書かないほうが次が来る。 前に同じ本を見た校正者の名前は知らない。知っているのは筆跡だけで、疑問の出し方が細かく、傍点の位置まで拾う人だった。会うことはない。 請求書は毎月十日ごろに届き、封筒の窓から自分の名前が見える。宛名は滝沢慧様で、父の名前は中の明細にしか出てこない。月末に施設へ十三万八千円を振り込む。内訳は家賃と食費と光熱費と、おむつ代が別に一万二千円ほど乗る。年金では足りないぶんが四万強で、ATMの時間外手数料が二百二十円かかるので平日の三時前に行く。三時前に行けない週は、その二百二十円を払う。確定申告の書類は毎年二月に机の右側へ積み上がり、腰が痛むのは決まってその時期になる。椅子は替えていない。 三十一 これ、味がない。塩は棚の、上から二段目の右だ。おふくろが動かしてなければ。 三十二 今日はもう帰れ。暗くなる前に。バスは五時二十分のがあるから、それに乗れ。 三十三 二〇二三年二月十九日 午前五時四十分 不在に気づく 午前七時二分 発見 直線で一・八キロ 勤めていた印刷所の跡地 現在はコインパーキング 二十分二百円 当日最大九百円 外気温一度 靴下のまま 上着なし 交番から徒歩七分 書類は二枚 同日の夕食は全量摂取 その夜の起き上がり二回 翌週にセンサーマット一枚を借りる 月額千六百五十円 三十四 だから、あれを上から順に、いや逆からだ、逆から取らないと下のが崩れる。おまえは見てないから知らんだろうが、崩れたら拾い直しで一日、二日、いや、あの人がまた来て、来て、それで、その人が言うには、こっちの落ち度で、落ち度ということはないんだが、まあ言われれば、そうだな、頭は下げる、下げるだけなら、いくらでも、いくらでも下げるが、下げたって元には戻らないんだから、戻らないものは、順番に、また拾うしかない、拾うのはいいんだ、拾うのは、 三十五 これは書き写せない。 三十六 おふくろは、まだ寝てるのか。起こさないでいい。あれは朝が弱いから。 三十七 面会は三時から四時まで。玄関で体温を測り、面会簿に氏名と続柄と時刻を書く。続柄の欄には毎回、長男、と書いている。アルコールを二回押して、スリッパに履き替える。父の部屋は東向きで、窓の外は職員用の駐車場になっていて、白い軽自動車がいつも同じ場所に停まっている。壁のカレンダーは施設が配ったもので、月が替わっていない週がある。棚の上には母の写真が一枚あって、入所のときに持たせた。父はその写真について何も言わない。テレビのリモコンは音量のボタンだけ塗装が剥げている。 スリッパは端の二十四番を取る。 写真は母のほうを窓に向けて置いてある。 持ち込める私物は棚一つぶんと決まっていて、入所のときに三分の一に減らした。減らしたぶんは板橋の部屋の押し入れにそのまま置いてある。父はそのうちのどれ一つ、返してくれと言ったことがない。 ベッドの脇に洗濯物の袋が下がっていて、肌着にも靴下にも油性ペンで名前が書いてある。名前を書くのは家族の仕事で、入所のときに三十六枚書いた。襟の内側の、洗っても落ちにくい場所を選ぶよう言われた。書いているうちに、滝沢昭三の三の字が、いつのまにか自分の癖のある三になっていた。 その日は靴の左右が逆になっていた。履かせ直そうとすると足を引いたので、そのままにした。歩くとき、右のつま先が少し外を向く。 爪切りは家族が持ってきてくださいと言われている。切るのも家族の仕事で、職員はやらない決まりになっている。父の手を膝の上に置かせて、左の親指から順に切る。爪は硬くて厚く、切ると乾いた音を立てて飛ぶので、飛んだぶんは床に落ちてから拾う。爪の間には黒いものが残っていて、湯につけて洗っても、そこだけ落ちない。 おやつはゼリーで、とろみ剤の缶がテーブルの端に置いてある。スプーンは柄が太い。半分ほど食べて、残りは岩渕さんが下げた。岩渕さんは、昨日は夕方に廊下を三往復されました、と言った。三往復のあと、自分の部屋の前を通り過ぎて、非常口の前で立ち止まっていたという話だった。鍵は掛かっている。掛かっていることを父が確かめたのかどうかは、見ていた職員にも分からないという。 テレビでは相撲をやっていて、父は四番のあいだ画面を見ていた。取り組みが終わるたび、両手を膝の上で組み直す。 袋の中身は肌着が三枚、靴下が四足、タオルが二枚で、数えてから持ち帰る。次に来るときには同じ数を返す。 岩渕さんは夜勤明けにそのまま保育園へ回る日があるらしく、玄関で車の鍵を握ったまま、来月の受診はどちらが付き添われますか、と聞いてきた。車検が重なって、その週だけは施設の車が出せないという話だった。日にちを二つ挙げられて、後のほうを選んだ。 帰りぎわ、握手をするように手を出された。握ると、握り返す力は思ったよりある。手のひらは乾いていて、指の腹だけが硬い。 面会簿の退出時刻を書き忘れて、玄関から戻った。 三十八 ここは、どこの支社だ。 三十九 二〇二三年十一月二日 午前十時 体重五四・一キロ 身長は測れず 握力 右一四・二 左一一・八 義歯の調整二回目 睡眠導入剤の中止から十六日 同月の通所八回 欠席二回 食事は主食六割 副食八割 水分一日九百ミリリットル 四十 会社が畳まれたのは一九九六年で、こちらは十四だった。機械を運び出す日、父は休みを取らずに出ていって、夕方に紙袋を提げて帰ってきた。袋には工具と作業着と、活字が一本入っていた。 何の字だったかは覚えていない。数字だったような気もするし、記憶の中の一本は、思い出すたびに違う字をしている。母のタエが、これ、なに、と聞いて、父は、余ったやつだ、とだけ答えた。座卓の上に置かれ、そのあと湯呑みの横に移り、いつのまにか見なくなった。母が捨てたのか、まだどこかの引き出しにあるのかは、聞いていない。母は二〇一八年に死んだ。そのあと家のものを半分ほど処分している。台所の抽斗の奥には、合わない鍵と、ボタンと、使い切ったライターが残っていて、活字はなかった。抽斗は三つとも開けた。 会社の人間から電話が来たのは、その年の暮れに一度だけで、取り次いだあと、父は十分ほど台所で受話器を持って、はあ、はあ、とだけ言っていた。 その年、母は封筒貼りの内職をしていた。千枚で八百円だったか、九百円だったか。糊の匂いが茶の間に残り、母の指の腹には乾いた膜が張って、風呂のあとだけ白くふやけた。手が塞がっているのでテレビの音を大きくしていて、話しかけても二度目までは届かなかった。夜に間に合わないぶんを百枚だけ手伝ったことがある。折り目のつけ方が甘いと、母は何も言わずにその百枚をやり直した。父は半年ほど何もしないでいて、それから警備の仕事に就いた。ビルの夜勤で、明けの朝に帰ってくると、制服から知らない建物の匂いがした。勤務は隔日で、明けの日は昼まで寝ている。制服のクリーニング代は自分持ちで、月に二千円ほど引かれていたらしい。夜勤に持っていくのは母の弁当ではなく、コンビニのおにぎりが二つ。同じ棚の、同じ二つだった。六十五まで続けた。 文選のことは家で一度も話さなかった。話さないというより、話す相手がいなかった。母は活字を見たことがなく、こちらは職場を三十分しか見ていない。父が二十七年やった仕事について、家の中の誰も、正確なところを知らないまま終わった。廃業の通知は一枚の紙で来て、退職金の額を母が電卓に打ち直していた。打ち直しても額は変わらない。 電卓の音だけは覚えている。 高校の願書を出す前の晩に、父が書き損じの用紙を見て、字がゆるい、と言った。何をどう直せばいいのかは言わなかった。書き直した二枚目も、たぶん、ゆるかった。父はそれ以上見なかったし、こちらもそれ以上見せなかった。 家を出たのは十八のときで、荷物は段ボールが四つ。父は駅まで来ず、母が自転車で先に行って、改札の外で待っていた。その四年のあいだの写真は一枚もない。 四十一 あれは、どこへやった。あの、こんな大きさの、字の。 四十二 おまえは字が読めるんだろう。読めるなら読んでみろ。そこの、上の、そう、その行だ。違う、その下。おれは目が、目じゃない、手が覚えてるだけだから、手を出せば、ほら、こうやって、順に、逆から、逆から入れていって、それで、その、あれを、あれを先にやっておかないと、あとで動く。動いたら分からんだろう、おまえには。おれにも分からん。だから先に、先に入れておくものが、ここに、ここのところに一つ、 四十三 腹の減らないうちに食っておいたほうがいいんだよ、減ってから食うと味が分からなくなるから、俺は現場でずっとそうしてきた 四十四 四月の第三日曜の夜、二十二分。台所で鍋を洗いながら受けたので、姉の声は水の音にときどき消えた。那覇はもう三十度を超えた、という話から下の子の推薦入試の面接の話になり、面接の日が職場の棚卸しと重なっていて、その棚卸しを今年も去年と同じ人数でやることになっている、と続いた。人数の話がいちばん長く、四人でやっていたものを三人でやるようになった経緯を、部署の名前を順に挙げながら説明した。相槌を打つ場所がだんだん分からなくなって、同じ皿の裏を二度洗った。父の名前が出たのは終わりのほうで、薬が変わったかどうかを聞かれたので、変わっていないと答えた。煙草はまだ吸っているのか、とも聞かれた。二十二年前にやめている。そう言うと、そうだったっけ、と返ってきて、そのあとで「来月には行く」と言った。航空券という語は出なかった。写真を送ってほしい、とも言われた。顔がまっすぐ写っているものが手元にない、と答えたら、それでいいよ、と返ってきて、それきり写真の話は終わった。自分のことをまだ分かるのか、とは聞かれない。切る間際に、仏壇の花は誰が替えているのかと聞かれ、位牌は施設ではなく板橋のこの部屋にあると説明した。同じ説明を前にもしている。前にしたときも、ああそうか、と同じ言い方で受けた。沖縄とのあいだに時差はない。それでも夜の九時を過ぎてかけると出ないことがあって、こちらからかけたのはこの一年で二回だった。来なくていい、とは言っていない。来てくれ、とも言っていない。手が濡れていたので、通話を切ってから携帯の画面を袖で拭いた。拭いても指の跡が残る。鍋はそのまま朝まで水に浸けておいた。 四十五 そこの窓を閉めといてくれ、ゲラが飛ぶから 四十六 食堂の窓際で、割り箸の袋を裂いていた。端から細く、幅のそろった短冊にして、テーブルの木目に沿って並べていく。左から順ではない。真ん中に一本置き、その左に一本、右に二本、また左へ戻る。並べ終わるとしばらく見てから、いちばん端の一本を抜き、抜いた場所へ別の一本を入れる。入れたほうが短い。抜いたほうは手の中に残したままで、膝の上には落とさない。左の親指は第一関節から内側へ曲がったままで、その爪だけが厚く、白く濁っている。裂くときに音が出ない。紙を引きちぎるのではなく、繊維の目に沿って押し開くようにするので、途中で斜めに逸れることがなく、幅は最後の一本まで揃っている。目は手の上にない。手より少し先の、これから置くことになる場所のあたりを見ている。食堂には九人いて、テレビは点いているが誰も見ていない。音量は十二だった。二十分で三十一本になった。袋が尽きると隣の席の分へ手を伸ばしたので、岩渕さんが使っていない袋を五枚まとめて置き、そのまま次のテーブルの布巾を替えにいった。礼は言わない。裂く速さも変わらない。斜め向かいの席の人が、うるさいねえ、と二度言った。音は出ていない。三十一本を端から順に集めて掌に握り、握ったまま立ち上がって、廊下の突き当たりまで行って戻ってきた。突き当たりには洗面台と、洗濯物の乾燥機と、施錠された非常口がある。戻ったときには右手が空になっていた。どこへ置いてきたのかは聞いていない。乾燥機の裏も見ていない。翌週も同じ席にいて、そのときは袋を裂かずに、二つに折って重ねていた。重ねたものを高さの順に並べ替えて、並べ替え終わると崩した。 四十七 二〇二三年二月十九日、午前六時四十分に不在に気づき、午前九時十二分に発見、直線距離一・八キロ、経路は不明、上着なし、所持金なし、靴は右足だけ、気温三・一度、発見場所は勤めていた会社の跡地で、いまは時間貸しの駐車場、車室十四台、埋まっていたのは二台、警察官二名、こちらの到着は九時四十分、帰りは徒歩で二十四分、その日の夕食は午後六時十分、摂取量は八割 四十八 水にも味があるんだよ、あんたには飲み分けられないだろう、工場の水と家の水は違ったから 四十九 夏休みに二度、工場へ連れていかれた。母が入院した週に昼のあいだ置く場所がなく、朝の五時半に起こされて自転車の荷台に乗せられ、四十分かかった。中は外より暑い。天井の近くで扇風機が回っていたが、風は棚の上のほうだけを動かしていた。鉛と機械油とインキが混ざると甘い匂いになる。奥の便所の前だけは別の匂いで、そこを通るときに息を止める癖がついた。人は十四、五人いて、そのうち棚の前に立っているのは四人だった。機械の音は途切れないので、話すときは相手の耳の近くまで顔を寄せる。四人は誰も顔を上げないまま何か言い合っていた。文選箱を持たされて、重い、と言ったら、空だ、と言われた。棚は胸の高さから頭の上まであって、区画は五十音順ではなく、よく使う字が手の届くところに、使わない字が端と上のほうにあった。「ん」は思っていたよりずっと近くにあった。父は棚を見ないで拾う。右手が出て戻るあいだに左手のステッキの上へ一本ずつ並んでいき、並んだ字は逆さまで裏返しなので、こちら側からは読めない。読めないまま増えていく。何と書いてあるのかと聞いたら、これは読むもんじゃない、と言われた。退屈になって、端の区画の字を三本、順番を入れ替えて戻した。見ていないと思っていた。触るな、とは言われなかった。戻せなくなるから触るなと言われて、戻せなくなるという言葉の意味が分からないまま手を引っ込めた。父は入れ替えたところへ行って、三本を元に戻すのに十秒もかからなかった。それから別の一本を落とした。棚の下へ転がって、腹ばいになっても指が届かず、父が来て、細い指を隙間に入れて取り出し、戻す前に袖で拭いた。指の腹が灰色になっていた。昼は購買のコッペパンで、父は椅子に座らず、機械の脇に立ったまま食べて七分で終わった。こちらが食べ終わるまで隣にいたが、その七分から帰りまで、ほとんど何も言わない。隣の棚の人が飴をくれた。包み紙は赤かった。壁の時計を何度も見た。針の下に赤い紙が貼ってあって、そこに書いてある字だけは読めた。二度目の日は雨で、自転車ではなく電車で行き、帰りに乗り換えの駅で父が新聞を買った。帰りぎわ、父が棚から三本拾って掌に載せた。名前の三文字だった。家に着くまで握っていたので汗で掌が黒くなり、洗面所で二度洗った。その三本がいまどこにあるのかは分からない。帰りの荷台では二度眠って、二度とも肩を掴まれて起こされた。掴む力は強い。眠ったまま落ちたら困るのは父のほうで、困るという言い方もしなかった。母が入院した理由は聞かされていない。姉は行っていない。中学の部活があったからで、あとになって、あんただけずるい、と言われた覚えがあるが、言ったのが姉だったかどうかは確かでない。 五十 インテルが足りないんだよ、そんなものは足りるわけがない、みんな持っていくから、持っていって返さない、返さないままで辞めていく、辞めるときに机の中を見ないんだよ誰も、あんた見たか、見てないだろう、俺は見たよ、見たら出てきたよ、束になって出てきた、でも誰のとも分からないから、分からないものは戻せないんだ、戻せないものは箱に入れて、箱は下に置いた、下に置いたら誰も開けない、開けないから減らない、減らないでずっとあったよ、最後まであった、最後にあれをどうしたかは俺は知らないんだ、俺はもう出てたから、出たあとのことは知らないよ、聞いてないんだから 五十一 とめ、と言う。二音だけで、あいだに何も入らない。言うときはたいてい両手が動いていて、右の親指と人差し指で何かを摘まむ形をつくり、左の掌の上へ置く動作を繰り返している。置く場所は毎回ちがう。出るのは夕方が多い。記録を数えると、五時から七時のあいだが二十二回、午前は四回だった。数えているのは、二〇二三年の五月の診察で、繰り返す語があると言ったときに、内容よりも回数と場面を見てくださいと医師に言われたからで、そのとおりにしている。書く欄は時刻と回数の二つだけにしてある。意味を書く欄は作っていない。印刷の用語に込め物というものがある。行と行、字と字のあいだへ詰める金属で、字よりも低くつくってあるから紙には当たらず、刷り上がりには出てこない。詰め方が足りないと、組んだ版が動く。父のいた工場でこれをこめ、と縮めて呼ぶ習慣があったかどうかは分からない。こめもの、こめ、とめ。カ行がタ行に置きかわる例は仕事でも見る。手書き原稿の読み違いではなく、話し言葉のほうで先に起きることがある。ただし確かめる方法がない。何のことかと聞くと、聞いた語をそのまま返してくる。とめは、と聞けば、とめだよ、と言う。岩渕さんも聞いていて、記録には残していない。チョウさんはしばらく、前にいた入居者の名前だと思っていたという。トメさんという人が二年前まで二階にいた、と別の職員に聞いたそうで、その人は二階ではなく一階の奥にいて、いまは別の施設にいる。父がその人と話しているところは見ていない。書き写すときは、聞き取れたところだけを書き、聞き取れなかったところは角括弧で括って空けておく。推測で埋めない。埋めたことが一度ある。二〇二二年の十月で、そのページはあとで破って捨てた。破ったので、何を埋めたのかも残っていない。押し入れに、缶がひとつある。母が二〇一八年より前に片づけた場所で、蓋が錆びて開かない。中で金属が動く音はする。 五十二 ここに置いたら流れちまうから、上に置いといて 五十三 四月に受けた初校は三百二十ページ、一ページ三百八十円、七日で戻す約束だった。園芸の実用書で、著者は農協にいた人だという。用字が揺れている。「植え付け」と「植付け」が同じ見開きに出てくるので、片方に鉛筆で印をつけ、統一するかどうかを編集者に問い合わせた。牧田さんという人で、返事は三日後に来て、統一しないでください、著者のこだわりです、と一行だけ書いてあった。前後の挨拶はない。忙しい人で、忙しいことは非難にあたらない。それで印を消した。消しゴムをかけると紙が毛羽立つので、毛羽立った面には二度と鉛筆を入れられない。誤植は「意外」と「以外」が二か所あり、「以外に大きく育ちます」を直した。写真の説明文と本文で品種名の表記が三通りあったが、こちらは一覧にして添えるだけにした。重複していた一行にトルと入れたところが、著者の校正でイキと戻ってきた。理由は書かれていない。従う。机の右の端に携帯を置いておく。施設からかかってくるのは大抵七時前か二十時過ぎで、四月にはかかってこなかった。仕事は夜のほうが進む。二時を過ぎると外の道路の音が消えて、赤ペンの先が紙を擦る音だけになる。パイロットの〇・四を三本まとめて買ってある。三本目の途中で目が滲むようになり、去年から一・五の老眼鏡をかけている。椅子は事務用の中古で、背もたれの角度が変えられない。一時間に一度立って、流しの縁に手をついて腰を反らす。宅配便の集荷は十七時までなので、間に合わないぶんは二十四時間開いている営業所まで自転車で持っていく。片道十二分。出す前にページを数え直す。一度、二百四十一ページの丁が入れ替わったまま送って、戻ってきたのを数え直したのは向こうだった。三百二十ページを七日で割ると一日四十六ページになるが、実際には最初の二日で八十ページしか進まず、六日目と七日目に百ページずつやった。時給に直すと、口に出さないほうがいい数字になる。単価の話は五年していない。確定申告は毎年二月の下旬にまとめてやる。領収書は封筒に入れ、封筒は月ごとに輪ゴムで留めてある。去年は八月の封筒が見つからないまま出した。見つかったのは五月で、椅子の背もたれと壁の隙間に落ちていた。 五十四 そこの子は誰の子だ、さっきから台所に立ってるんだよ、こっちを見ないで立ってる、腹が減ってるんじゃないか、なんか食わしてやってくれ、いや違うか、あれは待ってるんだ、迎えが来るのを待ってるんだよ、ずっと立って待ってるんだから、こっちが声をかけたら悪いだろう、うちの子じゃないよ、うちのは二人とも大きいから、大きくなって出てったから、あの子は誰だか知らんが、寒くないのかね、あんな薄いのを着て、上に何か掛けてやったらいいんだよ、掛けるものがないなら俺のでいい、俺のを掛けとけよ、いいから、そんなに見るなよ、見ると立ってられなくなるだろう 五十五 チョウさんは箸が使えなかった、というのは本人の言い方で、去年の秋までは食事のときだけスプーンを持っていたらしい。父が食堂で、左だ、左が大事なんだ、と言い出したのが十一月で、以来ほとんど毎朝、チョウさんの左手を取って指の形を直している。文選は右で拾うが左が動かないと落ちる、という説明を、チョウさんは十回以上聞いている。父は自分の左の親指が曲がっていることには触れない。三月にチョウさんが職員の食事会で焼き鳥を箸で食べた、という話を岩渕さんが笑いながらした。当のチョウさんは、まだ二本目で落とした、と訂正した。夜勤明けにそのまま日本語学校へ行く日があって、週に二日だけ授業が午前にある。仕送りの話は本人が先にした。こちらは金額を聞いていない。チョウさんは父を社長と呼ぶ。呼ばれると父は、社長は上にいる、と答える。二階は職員の休憩室で、鍵がかかっている。ハイ、と言ってから、じゃあ専務ですね、とチョウさんが言い直した。父はそれには返事をしないで味噌汁の椀を持ち上げ、両手で持ったまましばらく下ろさなかった。岩渕さんが、熱いですよ、と言うと、熱いのは知ってる、と言った。同じ卓の男の人が笑って、笑ったせいでむせて、岩渕さんが背中に手を当てにいった。岩渕さんは腰にコルセットを巻いている。去年の暮れからで、入浴介助の日は二枚重ねると言っていた。父は背中を叩かれている人のほうを見ないで、椀を下ろし、こっちに向かって、あれは早いんだ、と言った。何が早いのかは説明しない。チョウさんの左手は、いまは箸の下の一本を支えるだけで、動かすのは右の二本だという。それを教えた父の右手を見ていると、箸を持つとき、人差し指と中指のほかはほとんど動いていない。 五十六 兄さん、こんなところまで来ることはないんだよ 五十七 十一日で戻ってきた。退院の日は介護タクシーで、迎車を含めて六千四百円、施設の玄関前で降りるところまで運転手が付き添った。持っていったのは、替えの肌着三枚と、爪切りと、耳かきと、とろみ剤の予備だった。肌着はずっとLを買っていたが、袖が余るのでMにした。右手の甲に点滴の跡が二か所あって、片方はまだ青く、押しても痛がらない。爪は十一日で伸びるというより厚くなっていて、普通の爪切りでは刃が入らないので、帰りに薬局でニッパーの形をしたものを買った。千三百二十円だった。翌日に切った。右手は五本とも三分で終わる。左の親指だけ爪が横に反っていて、刃を当てる角度が定まらない。角度を変えるあいだ、指の付け根を握って支える。骨の位置が皮のすぐ下にある。切っているあいだ、父は手を引かない。引かないが、力も抜けていない。爪の粉が膝に落ちるのでティッシュを広げて受け、終わってからそれを四つに畳んでポケットに入れた。耳かきは使わなかった。使うと危ないと申し送りに書いてあったのを、あとで岩渕さんに教わった。切り終えてから、窓の外で動いているクレーンを二人で見た。向かいの敷地に十階建てが建つらしく、基礎の穴がもう掘ってある。穴の底で、黄色い服の人が二人、動かずに立っていた。父が何か言ったが、そのとき廊下をワゴンが通っていて、頭のほうが聞こえなかった。もう一度言ってもらおうとしたら、言わなかった。昼食はきざみととろみで、三十五分かかった。むせたのは二回。二回とも汁物のときで、水分のほうが難しいという説明を入院中に三度受けている。飲み込んだあとで口を大きく開けて見せる。中には何も残っていない。見せろとは言っていない。入院中の面会は七回で、うち二回は五分で切り上げた。四人部屋の隣の人は、音を消したままテレビの画面をずっと見ていた。戻った日の夕食から、食器はすべて縁の立った浅いものに替わった。 五十八 六月十七日、午後、十五分ほど。この分は書き写せない。 五十九 兄さん、あれ、まだ返してもらってないよ、貸したのはこっちだよ、いや、あんたが持ってったんじゃない、持ってったのは別のやつだ、名前が出ないな、名前が出りゃあ分かるんだけど、出ないんだよ最近は、出ないだけで、無くなったわけじゃないんだ、そこにあるんだよ、あるのに出てこない、箱の底にへばりついてるみたいなもんで、揺すったら出るかというと出ないんだ、揺すると余計に嵌まるんだよ、だから放っとくの、放っといたら朝に出てくることがある、朝は駄目か、朝は人がいないな、あんたも年を取れば分かる 六十 二〇二四年九月十日、定期往診、血圧一一八の六二、脈六十四、体温三六・二度、体重四九・八キロ、抑肝散が朝に一包、ドネペジル五ミリグラム、六月以降の転倒が一回、夜間の起き出しは週に四、五回、むせ込みは週に二回か三回、爪切りは二週に一度、面会はこの月に三回、いずれも土曜、入所から九十八日 六十一 小学校の三年か四年で、国語の音読が毎日の宿題になった。判子を押す欄が連絡帳にあって、母は押すだけだった。父が聞いたのは夜勤明けの日だけで、台所の椅子に横向きに座り、湯呑みを両手で持ったまま、こちらを見ないで聞く。間違えると手を上げる。声は出さない。上げた手が下りるまで先へ進めないので、そこを読み直す。読み直しても同じところで手が上がったことが二度あって、二度目に、が、じゃない、は、だ、と言われた。教科書に印刷されていたのは、は、だった。読点で息を継げ、というのも言われた。継がずに読むと終わりが痩せる、という言い方をした。話の中身については何も言わない。何の話だったかは覚えていない。連絡帳の判子は母が押した。押す欄の枠から毎回はみ出していて、はみ出しても押し直さない。父は本を読まない。家にあったのは母の買った料理の本と通信販売の目録と新聞だけで、新聞は隅から隅まで読む。読みながら、ここ、間違ってる、と言って紙面を折ることが月に何度かあった。どこが間違っているのかは言わない。折り目のついた面をあとで開いて探したことがあるが、見つけられなかった。学校を出たのは高等小学校までで、それは母から聞いた。父から自分の学校の話を聞いたことはない。四年生の学芸会で音読の代表に選ばれたことも、父には言っていない。母が言った。父は、ふうん、と言って、それから間があいて、そりゃ学校が字を選んでるだけだ、と言った。意味は取れなかった。いまも取れていない。姉は音読を父に聞かせていない。夜勤明けの日に姉がどこにいたのかは思い出せない。父は母をタエと呼ばない。おい、で済ませるか、何も呼ばずに用件から入る。母が父を呼ぶときは、お父さん、だった。子どもが二人いる家ではそう呼ぶものだと思っていた。音読の宿題は二学期の途中でなくなった。なくなってからも、夜勤明けの朝に父が台所の椅子に横向きに座っていることは変わらず、湯呑みを両手で持つ持ち方も変わらない。聞くものがなくなっただけで、こちらが読まなくなった日のことは覚えていない。 六十二 そんなに詰めなくていい、あとで動かせなくなるから 六十三 それはそっちで持っといてくれ、こっちはもう手がふさがってるから、あとで取りにいくよ、まだあるだろ、まだあるうちは慌てなくていいんだよ、慌てるとろくなことにならないんだから、な、あんたもそう思うだろ、思うだろって聞いてるんだよ 六十四 そこ、そのままにしといてくれ、まだ半分しか拾ってないんだ、動かすと崩れる、崩れたらまた最初から拾い直しで、拾うのはあんたじゃなくて俺なんだから 六十五 面会の受付をしたのは十四時四十分で、額に体温計を当てて三十六度四分と用紙に書き入れ、それから玄関の消毒液を三度押した。押す回数を誰かに決められたわけではない。ホールはテレビが点いていて音が出ておらず、画面の下に出る字幕だけが動いている。奥から二番目、窓を背にした席にいる。テーブルの上には底に7と書かれた共用の湯呑みと、とろみのついた麦茶が半分ほど残っている。近づいても顔は上がらない。右手はテーブルの縁を撫でていて、親指の腹が同じ十センチばかりを何度も往復するので、その部分だけ塗装の艶が消えて、木の地の色が透けている。左手は膝の上に、掌を上に向けたまま置かれている。掌の中央に、押した跡のような窪みがひとつある。名前を呼ぶと、呼んだ二拍あとで首がこちらへ回る。回りきる前に目のほうが先に来る。 湯呑みを持つときは両手を使う。片手で持ち上げようとして、持ち上げる途中で止めて、それからもう片方の手を添える。添えてから口をつけるまでに七秒かかった。飲んだあとで口の端を手の甲で拭う。手の甲の皮膚が薄いので、拭ったところが白く残り、その白さが元の色に戻るまでにしばらくかかる。 腕時計はしていない。 二〇二四年の入所のときに預かって、いまは板橋の部屋の、机の引き出しの二段目に入れてある。セイコーの、金属のバンドのものだ。バンドの駒は三つ抜いてある。抜いたのは施設に入る前の年で、駅前の時計屋で八百円だった。三つ抜いてもまた回るようになったのは、それから半年ほど経ってからになる。四つ目を抜きに行くつもりで、行かなかった。 面会は一回十五分と紙に書いてある。紙は玄関の右手の壁に、透明の板の下に挟んで貼ってあり、板の四隅を留めている画鋲のうち左下の一本だけが色違いの黄色だ。十五分というのは受付をした時刻からなのか、席に着いた時刻からなのかは書かれていない。岩渕さんに一度聞いて、そのときは、だいたいで大丈夫ですよ、と言われた。だいたいで大丈夫という言い方をされると、こちらが時計を見ることになる。十五分を過ぎても誰も来ない。来ないので、こちらが立つまで終わらない。十四時四十分に受付をして、席を立ったのは十五時二分だった。 隣の席の男の人は、ずっと自分の手を見ている。手を見ているのではなく、手の向こうの床を見ているのかもしれない。テレビの字幕は国会の中継のもので、答弁の言い直しのところで一度だけ字幕が止まり、止まったまま画面が切り替わった。 岩渕さんが台車を押して通りかかり、テーブルの上の麦茶を指して、まだ半分ですね、と言った。麦茶ではなく、湯呑みの底のあたりを見ていた。窓の外では駐車場の白い線を引き直す業者が二人しゃがんでいて、片方が缶を振る音が、窓を閉めているのに聞こえた。 帰りの廊下で、非常口の緑の灯りが二つ切れていた。 六十六 それは兄さんの字だろう。俺の字はもっと寝てる 六十七 箱がないんだよ、俺の箱が、名前なんか書いてないけど手を入れりゃ分かる、角のとこが減っててね、そこだけ黒くなってるやつ、あれをね、誰かが持ってったんだ、持ってったってのは言い方が悪いか、貸したのかもしれない、貸したんなら返ってくるはずだろう、返ってこないってことはやっぱり持ってったんだよ、まあいいんだ別に、もう組む仕事なんかどこにもないんだから、ないんだけど、あの箱だけは手が覚えてるからね、手が覚えてるものはよそのを渡されても駄目なんだ、持った瞬間に重さが違うって分かる、分かっちまうともう入らないんだよ、手が 六十八 二〇二五年二月十三日、体重46.3キロ、血圧118の72、脈68、体温三十六度二分、朝食の摂取量十割、昼八割、夕五割、水分七百五十ミリリットル、ドネペジル塩酸塩5ミリを朝、抑肝散2.5グラムを朝夕、夜間の立ち上がり四回、うち二回は職員が付き添い、転倒なし、排便一回、入浴は火曜と金曜、爪切りは左手の親指だけ職員が切って、あとは自分で切ったと連絡帳に書いてある。 六十九 子どもが来てるよ。そこの、椅子の後ろに二人いる。ひとりは水を欲しがってるけど俺は動けないから、あんた汲んでやってくれ。見えないならいいよ、いいんだ、そのうち勝手に帰るから 七十 一九九二年の八月に、二度だけ父の工場へ行った。二度だと思っているが、三度かもしれない。学童の預け先がない日だったという話をずっとしてきたけれども、あの年の夏に学童が閉まっていた理由のほうは思い出せないので、理由は後から自分でこしらえた可能性がある。電車を二つ乗り継いで、それから十五分ほど歩いた。川を渡ったことは覚えていて、川の名前は覚えていない。 引き戸を開けるとすぐ、油と、油ではない金属の匂いがした。金属に匂いがあるとそのとき初めて知った。天井が高くて、扇風機が三台あって、三台とも首を振らないように紐で縛ってあった。壁の一面が棚で、棚は細かく仕切られていて、仕切りのひとつひとつに同じ形の小さな塊が詰まっている。父はその前に立ち、左手に浅い箱を持って、右手だけを動かしていた。棚を見ないで拾う瞬間が何度かあった。原稿は譜面台に似た斜めの台に載っていて、そちらもあまり見ていない。目は、手の少し先の何もないところに置かれていた。拾った塊を箱の中に横向きに寝かせていく。ひとつ置くごとに親指の腹で押して、列の端を揃える。列がある長さになると、細長い金属の板をひとつ挟む。板は何種類も厚みがあって、腰に下げた布の袋から出していた。袋の口は油で黒く、縁が丸くなっていた。 座っていろと言われたのは一斗缶の上で、座布団が一枚載せてあった。事務の女の人が冷えた瓶のサイダーをくれて、栓を抜いてくれた。栓抜きは机の引き出しの、輪ゴムの束の下にあった。便所は建物の外の、階段の下だった。行きたいと言うのに時間がかかり、言ってからも、父が箱を置くまで待った。置いてから、こっちを見ないで顎で外を指した。棚の下のほうに、薄い金属の板を入れた木の枡があって、指を突っ込んで掻き回した。厚みの違うものが混ざって、父が来て、混ざったのを黙って選り分けた。声は出さなかった。人差し指と親指で摘んでは、目の高さまで上げず、指先の感触だけで枡の別の仕切りへ落としていく。落ちるときに小さな音がして、その音が厚みごとに違うのが分かった。音の違いが分かってきたのは選り分けが終わりかけたころで、そのころにはもう混ざったものが残り少なく、確かめようがなかった。選り分けるのに十分ぐらいかかり、それを見ているあいだが長かった。あとで、これは怒られたのだと思うようにしたが、そのときは何をされているのか分からず、ただ暑かった。 サイダーの瓶は温くなっていた。 壁の高いところに時計があって、二時間そこにいた。 帰りに父が自動販売機で缶コーヒーを一本買って、半分だけ飲んで残りをくれた。甘くて、ぬるかった。駅までの道で一度だけ、うちのは大きい会社じゃないんだ、と言った。何と比べているのかは聞かなかった。 七十一 風呂は昨日入ったよ。昨日入ったんだから今日はいらない。昨日ってのは今日じゃないぞ、そこは間違えないでくれ 七十二 いま抱えているのは介護保険の実用書の初校で、四百二十四ページある。単価はページあたり二百三十円で、渡された日から数えて締め切りまで九日だ。消えるボールペンは使わない。トンボの朱を細いのを二本立てておいて、ルーペは机の左手に置き、覗くのは数字と固有名詞のときだけと決めている。 本文の四十七ページに要介護二の支給限度額が二〇二三年四月の額で書いてあり、巻末の一覧表のほうは二〇二二年四月の額のままになっている。どちらが正しいかはこちらでは決めない。決めるのは書いた人の仕事で、こちらは鉛筆で疑問を出す。表と不一致、御確認下さい。それだけを欄外に書いて、丸で囲んで、線を引いて余白へ引き出す。引き出し線が本文の行にかからないように、行間の白いところを縫って引く。この線を引くのが一日に百回近くあり、右の中指の第一関節の外側だけ皮が硬い。 この本には索引がない。 前に一度トルと入れた「等」の字が、著者の手でイキに戻って返ってきたことがある。戻ってきたゲラのその一字の上に、著者の字で、イキ、と書いてある。鉛筆が薄くて、光の角度を変えないと読めなかった。消しゴムで消した跡がその下にあり、消す前に何を書いていたかは分からない。目が乾く。十五分に一回さす目薬は先発品ではなくて、一本四百八十円のほうだ。腰が痛むのは椅子のせいだと分かっていて、椅子は替えていない。夕方に印刷所から電話があり、責了の日が一日繰り上がったと言われた。支払いは末締めの翌々月払いなので、この仕事の金が入るのは十一月の末になる。 断る理由を思いつかなかったので断らなかった。 校正者は文章を直さない。直すのは間違いだけで、間違いというのは、書いてあることと、別のところに書いてあることが合わないことをいう。合ってさえいれば、意味の通らない文でもそのまま通す。通したものが本になって、読んだ人が意味を取れなくても、それはこちらの落ち度ではないことになっている。誤植というのは、正しい形がどこかにあるという前提の上にしか成り立たない言葉だ。その前提が外れている原稿を渡されたことは、この仕事を始めてから一度もない。渡されたら、たぶん赤を入れずに返すことになる。 七十三 もしもし、いま平気。ごめんね、こっち風がすごくて、窓が鳴ってるから聞こえにくかったら言って。お父さん、変わりない。うん。この前送ったやつ届いた。ちんすこうじゃないほうの。あれ、施設って持ち込み駄目だったっけ。駄目なら言って、次から送らないから。あのね、来月には行く。ほんとに。上の子の面談が今月で終わるから、それが終わったらすぐ。飛行機ね、直前だと片道で四万近くするのよ。早く取れば二万切るんだけど、うちのシフト、ひと月前にならないと出ないから早く取れないの。ううん、そっちが出さなくていい。そういうことじゃなくて。お父さん、電話は分かる。分かるときと分からないときがある。前に代わってもらったとき、はいはい、ってずっと言ってた。誰だか分かってなかったと思う。あとね、通帳のこと、あれ全部そっちにやってもらってて、ほんとに。うん。分かってる。分かってるってば。あのね、うちのが四月から本島の南のほうに変わるかもしれなくて、そうなると下の子の学校がね。ううん、まだ決まってない。決まってないうちに言うことじゃないね。あ、お母さんの、あれ何年だっけ、七回忌。ううん、いい。あとで自分で調べる。じゃあまた電話する。来月ね。うん。 通話は十九分だった。 七十四 ここは飯が出るのはありがたいんだが、勘定を誰が払ってるのか誰も教えてくれない、俺が払ってるんなら、もうちょっと安いのでいいって言いたいんだよ、こないだ海老が出たんだ、海老は要らない 七十五 昼食のあと、テーブルに残った楊枝を十二本、横一列に並べていた。並べるときに、一本と一本のあいだにおしぼりの袋を折ったものを挟む。折り方は三つ折りで、そのつど幅を変えている。幅の広いものを入れると楊枝の間隔が開き、狭いものを入れると詰まる。詰まりすぎたところは、いちど端から全部抜いてやり直す。十二本を並べ終えるのに十四分かかった。 岩渕さんが後ろから見ていて、途中で声を出して笑い、すぐに口を押さえた。父は顔を上げなかった。 並べ終わってから、端から順に楊枝を数えた。数えてから、一本足りないと言った。楊枝は十二本ある。数え間違いではなくて、いちばん左の一本を、並べている途中で自分が袋の下に入れていた。それを見つけて、抜いて、列の右の端に置いた。左で足りなかったものを右に置いても、列は十二本のままだ。 テーブルの木目は横に走っている。 チョウさんがモップを持って通り、列をまたいだ。またぐときにモップの柄が当たって、右から三本目が半分ほどずれた。父はそれを直さなかった。直さないまま、また端から数えはじめた。二周目は数える速さが上がり、口が動かなくなって、指だけが動いた。指は楊枝に触れていない。触れずに、一本ごとに一度ずつ、テーブルの上の一センチほど上を叩いている。三周目の途中で手を下ろし、袋の折ったものを一枚だけ抜いて、ズボンの右のポケットに入れた。 列はそこで一本分だけ詰まった。 七十六 岩渕さんは字が多いんだよ。一行に入らない。入らないのは下に送る 七十七 あんた、どこの人だっけ。ミャンマー。ミャンマーってのは、あれだ、地図でいうと下のほうだ。違うか。まあ下のほうにしておこう。俺は行ったことがない。行ったことがないところの話をするもんじゃないな。 あんたは字がうまいよ。この前書いてくれたやつ、線がまっすぐだった。俺は日本人だけど字は下手だ。拾うのは上手かったんだけどね、拾うのと書くのは別なんだよ、まるきり別だ。読むのもね、逆から読むほうが早い時期があった。ここの飯の話はもうしたか。したなら、いいや。 それでね、あんたが持ってる、その体温計。それをこっちに向けないでくれ。向けられるとね、なんか、値段をつけられてるみたいで。 笑うところじゃないよ。 いや、笑っていいよ。 七十八 三月の二十日に父が言ったことは、書き写せない。聞き取れなかったという意味ではない。何度も聞き返して、三度目までは聞き取れていた。 七十九 工場がなくなったのは一九九六年の三月で、父は段ボールを二つ持って帰ってきた。ひとつには作業着と長靴が入っていた。もうひとつにはキャラメルの缶が四つ入っていて、缶の中は全部あの小さな塊だった。中学の二年で、玄関に置かれた箱を、母が片づける前に開けた。摘み上げると、見た目より重い。字の面は左右がひっくり返っていて、そのままでは読めない。読もうとして向きを何度も変えているうちに、押すものだと気がついた。母の鏡台の朱肉に押しつけて、チラシの裏に押すと、読める向きになって出た。押す力が強いと、字のまわりの余白まで一緒に写って四角い枠になる。力の加減が分かるまでに十五枚ほど無駄にした。 缶の蓋は爪を立てないと開かなかった。 自分の名前の字を探した。沢はいくつもあった。滝は、四つの缶を全部ひっくり返しても出てこなかった。 いま考えると、あの缶に入っていたのは棚ひとつ分の全部ではなく、父が自分で選んで持ち帰った分だけになる。何を基準に選んだのかは分からない。よく使う字ばかりでもないし、珍しい字ばかりでもなかった。選ぶのに時間をかけたのかどうかも分からない。工場を閉める日の、最後の何十分かのことになる。数を数えておけばよかったと思ったことはない。 母が缶を戸棚のいちばん上に上げた。上げる理由は言わなかったし、こちらも聞かなかった。踏み台を持ってきても届かない高さで、届く背丈になったころには、上げてあること自体を忘れていた。父はその缶を一度も開けなかったと思っていた。二〇一八年に家の中を片づけたとき、四つのうちひとつだけ、中身が半分ほどに減っていた。減ったぶんがどこへ行ったのかは、家中を出しても出てこなかった。残りは板橋の部屋の押し入れの、いちばん奥に入れてある。何がどれだけ減ったのかは数えていない。 八十 とめ、とめ、とめを持ってきてくれ、そこにあるだろう、薄いのでいい、薄いのを二枚、いや三枚だな、三枚入れないと動く、動いたら組んだ意味がないんだよ、締めてもね、締めるだけじゃ駄目なんだ、隙間があるのに締めると、締めたところから曲がる、とめ、とめ 言いながら両手の指を組み、組んだまま膝の上に置き、それから解いて、また組んだ。四度組んだ。四度とも右の親指が上になった。組んでいるあいだ、手はまったく動かない。解くときだけ、小指が先に離れる。 八十一 二〇二六年三月九日の夜に三十八度七分、翌十日に救急外来、誤嚥性肺炎、そのまま入院、絶食四日、末梢からの点滴と抗生剤、六日目から嚥下の訓練、全粥ときざみとろみ、三月二十日に施設へ戻り、入院は十一日、退院時の体重43.9キロ、水分にはとろみ剤を一杯につき二グラム、面会は週二回まで一回十五分と紙に書いて渡された。 八十二 あんたは兄さんに似てるよ。顔じゃない、座り方が。兄さんは膝をこうやって、開かないで座る人だった。手先は俺よりよかったんだ、ほんとうは工場に入るのは兄さんのほうだって話になってたんだよ、それがなんでああなったんだったかな。まあいいや。 それでね、あの、名前が出てこないんだけど、髪を後ろで結んでる人、あの人が俺のことを呼ぶんだよ。滝沢さん、滝沢さんって。滝沢は親父だよ、俺じゃない。俺は昭三だ。でも返事はするよ、呼ばれて返事をしないのは悪いから。返事をしてるうちに、だんだんそっちが本当みたいになってくる。名前ってのはそういうもんだな。俺だって、親父の名前を呼んだことは一度もないよ。呼ばなくても向こうは来たからね。 飯はね、悪くない。柔らかすぎるけどね。柔らかいのは噛まなくていいから楽なんだけど、楽をしてるとだんだん噛めなくなるだろう。噛めなくなったら次はどうすると思う。 いや、答えなくていいよ。 昔ね、うちのは飯のとき、俺の茶碗だけ先に置いたんだ。自分のは最後だった。順番が決まってて、俺が座る前に置いてあった。座ったときに湯気が立ってるかどうかで、どのくらい待たされたか分かるだろう。あれをね、ずっと見てた。見てたけど何も言わなかった。言うことじゃないと思ってたんだ。いま言ってるのは、あんたが誰にも言わないからだよ。あんたはずっと黙って聞いてるだろう。黙って聞いてる人には言えるんだ。楽なことじゃないぞ、聞かされるほうはな。 あの人はいつ帰ってくるの。買い物にしては長いよ。前にも同じことを聞いたか。じゃあいい。いいんだ。聞くたびにあんたが下を向くから。 話が飛ぶな。何の話をしてたっけ。 そうだ、箱だ。箱の話をしてたんだよ。あんた、見なかったか 八十三 爪を切った。切るのはこちらで、父は右手をテーブルの上に出したまま動かさない。貝印の、刃の合わせが緩くなったやつを使っている。親指から順に切ると、途中で手を引く。人差し指は引かない。中指で引く。何度やっても中指で引くので、中指は最後に回すことにした。 爪は硬いのに薄くて、切ると音が高い。切ったものを膝の上に広げたチラシに落とすと、落ちた場所が分かるくらいには大きい。指の腹は乾いていて、押すとしばらく凹んだままになる。手首の骨のあたりに、字の形をした古い傷がある。字ではない。爪の白い部分は、右手のほうが左手より短い。左手は自分で切っていて、自分で切るときは深いところまで切るからで、そのことを本人に確かめたことはない。途中で、切っているほうの手を父が握った。握って、そのままにしていた。切りにくいので、いちど手を抜いて、それからもう一度差し出したら、また握った。三度目からは、握られたまま左手だけで切った。爪切りを親指と人差し指だけで押すことになり、力が足りずに、切り口が二回に分かれた。分かれたところに角が立つので、あとで紙やすりの細かいほうをかける。 握る力は、こちらが指を動かすと少しだけ強くなる。動かさないでいると緩む。緩んだところで抜けばよかったが、抜かなかった。 手は温かい。 岩渕さんが通りかかって、爪切り、記録つけときますね、と言った。連絡帳のその日の欄には、家族対応、と書かれることになる。 八十四 ちょっと待ってな、いま手が空かないんだ、これを入れちまわないと、あんた先に 八十五 そこの、うらがえしのやつを、こっちへ寄せてくれ、いや、寄せるんじゃなくて詰めるんだ、詰めるってのは埋めることでな、空いてるとこへ入れて動かなくすることで、動かなくなってからこんど組む、組んだらもう直せないから、直したいときはばらすしかなくて、ばらすのは誰にでもできる、拾うほうが、あれだ、拾うほうが目でな、目で拾って手が先に行く、手が先に行かないやつは三年やってもだめで、三年、いや、五年か、五年やってもだめなのがいて、それでやめてったんだが、名前は出てこない、出てこないけど顔は、こう、ここに、ほくろがあってな、盆に来たことがある、子どもを連れて、その子がうちの水道のところで手を洗って、それで泣いた、冷たかったんだろう、井戸を引いてたから、井戸っていってもポンプでな、ポンプで上げてためたのを使う、ためたやつは朝がいちばん冷たくて、それを知らないで顔をつけたんだ、母親が謝って菓子を置いてったが、あの菓子はうまくなかった、白くて粉の吹いたやつで、ああいうのは暑いところに置いとくとしめる、しめると指につく、指につくのを、こう、舐めて取る子でな、それを見てたら親が慌てて、うちの子は舐める癖があってすいませんと言って、そのあとで、この子はもう一人いたんですけど、と言った、もう一人ってのは、上の子のことだろう、上の子は来てないのに、いる話をするから、こっちはどう返していいか分からなくて、茶を替えに立ったんだ、茶を替えて戻ったらもう二人とも玄関のところにいて、靴を履いてた、靴のかかとを踏んでな、踏んだまま帰るのを、注意しなかった、それで、なんの話だったか。 八十六 二〇二六年三月九日、午前四時十分、体温三十八度七分。四時四十分に救急要請、日本大学医学部附属板橋病院に搬送、誤嚥性肺炎、入院十一日。三月二十日午後二時十五分、みどり野に戻る。 四月八日、体重四三・九キロ。 食事は全粥、副菜きざみ、水分はすべてとろみ剤。ドネペジル三ミリグラム、抑肝散二・五グラムを朝夕。 面会は四月に三回、五月に二回、六月に四回で、滞在はいずれも三十分以内。 自宅から施設まで自転車で十四分、雨の日は三田線で二駅、そこから歩いて八分。 八十七 ここは風呂が下にあるからいいんだよ、上には水が来ないから、上の人は拭くだけになる、それでも、においは下より上のほうが強い、ああいうのは上に溜まるからな。 八十八 七月十一日、面会室の長机は木目のシートを貼ったもので、幅が百五十センチほど、真ん中の継ぎ目のところにシートの浮きがある。父は右手の親指と人差し指を近づけて、その浮きの手前でいったん止め、つまむ形をつくってから左手のほうへ運ぶ。左手は掌を上に向けて開いていて、運んできたものをそこへ置くと、右手だけが元の位置へ戻り、同じところをまたつまむ。速さは変わらない。十四まで数えて、数えるのをやめた。爪が伸びていて、左の親指だけ白いところが斜めに欠け、割れ目が肉のほうへ入りかけている。チョウさんが小さい鋏を持ってきて父の左手を取り、自分の膝の上に載せて、指を一本ずつ広げさせた。父は取られたほうの手を見なかった。鋏が鳴るたびに右手が一度止まり、少し置いてまた動きだす。切り終わったあと、チョウさんは濡らしたガーゼで指のあいだまで拭き、父の手を膝の上に戻した。父は掌を上に向けたまま、しばらくそのままにしていた。切った爪は白い紙の上に集めて、四つ折りにしてから捨てる。折るところまでを父が見ていた。捨てるところは見ていない。ゴミ箱の蓋が閉まる音のほうを、少し遅れて振り返った。 帰りぎわに右手を見たら、爪は伸びたままだった。左しか切っていない。次に行ったときに聞くつもりで、鞄の内ポケットの内側にボールペンで書いておいたが、次の面会では両方とも短くなっていて、聞く用がなくなった。書いた字はインクが薄くて、布の織り目に沿って途中で切れていた。 八十九 もう終わったのか、終わったなら、下を、下のほうを見といてくれ、落ちてることがあるから、落ちたやつを拾わないと、あとで足の裏に来るんだ。 九十 再校のゲラが二百四十ページ、一ページ三百二十円で七万六千八百円になる。締切は木曜の正午で、水曜の晩に窓を開け、扇風機を机の下へ向けて回す。上へ向けると紙が動く。二段組の小説で、著者は八十一歳、旧仮名ではないが旧字が混じったまま初校を通っていて、統一するかどうかは著者の意向待ちだから、こちらは鉛筆で疑問出しをするだけになる。「以外」と「意外」の取り違えが三箇所、二の字点が一箇所、リーダが三つ並んでいる行が一箇所。リーダは偶数で使うのが決まりなので、一つ取るか一つ足すか、どちらかを聞かなければならない。ダーシは長さの違うものが二種類まざっていて、これも聞く。 朱を入れるのは印刷所で、こちらは鉛筆に限られる。トルと書けば取る。トルツメと書けば取ったあとを詰め、トルアキと書けば取ったあとを空けたままにする。いったん指示を入れて、あとで元へ戻したくなったときは、消しゴムを使わずにその上へイキと書き、脇に点線を引く。消してしまうと、そこに何があったのかが分からなくなるからで、消さずに残しておけば、あとから誰かがたどれる。誰もたどらないまま刷られることのほうが多いが、それは残さない理由にならない。二十年やっていて、イキを書いた箇所について問い合わせが来たのは四度しかなく、そのうち三度は編集の側の勘違いで、残りの一度は組版のほうが点線を見落としていた。見落とされた行は初版のまま直っていない。増刷がかからなかったので、直す機会そのものが来ていない。 十一時を過ぎると行が浮いて見えはじめる。老眼鏡を外して裸眼で見ると、二段の柱がずれているのに気づくときがあって、そのずれは眼鏡越しには出てこない。ルーペは四倍のものを使っているが、ノンブルの位置を確かめるときにしか出さない。 七万六千八百円は九月十五日の入金になる。施設の利用料は月末の口座振替で、この二つの日付が毎月ひと月分ずれたままになっている。 九十一 そっちの人が来たら渡しといてくれ、渡すだけでいいから、中は見なくていい、見てもいいけど、見たらあんたが返事を書かなきゃならなくなる、それが面倒だと思って言ってるんだ。 九十二 岩渕さんが書類を二枚出してきて、次に熱が出たときに救急車を呼ぶかどうかをあらかじめ決めておく紙だと言った。三月の入院のあと、家族の意向を書き直してもらうことになっている。呼ぶ、呼ばない、そのときに相談する、の三つに丸をつける形式で、三つめに丸をつけた場合は、こちらが電話に出られなかったときの連絡順を下の欄に書くことになっている。 姉の携帯を二番目に書いた。 書きながら岩渕さんは、自分の車の車検が来週で代車が出ないと言われて困っていること、下の子が先月から熱を出しては早退してきて、保育園から連絡があるたびに誰かに替わってもらっていること、替わってもらった分だけ夜勤が増えていることを話した。書類の説明とまったく同じ調子だった。相槌を打つ場所が分からないまま、こちらは欄を埋めていた。 判は玄関の受付にあるシャチハタでいいと言われたが、鞄に自分のものが入っていたので出した。朱肉が乾いていて、滝沢の三文字が薄く出た。二度目を押すと重なってずれるので、そのままにした。 九十三 あんた、あれを見たか、夜に、そこの隅のところに三人いてな、二人は寝てるんだが一人だけ立ってる、立ってるほうが小さい、小さいのに立ってて、こっちを見てるわけでもなくて上を見てるんだ、上に何かあるのかと思って俺も見たけど、何もない、何もないのに見てるんだから、あれはたぶん待ってるんだろう、待ってるのは、こっちが何かしてやらないとずっといるから、朝まで電気をつけておいた、つけておいたら朝には二人になっていて、減ったのか、増えたのか、そこが分からないままになった、数えるときは端から順にやらないと、途中で戻るからな、戻ったところをもう一回数えると、多く出る、多く出たやつを直すのに、また端から数えて、それで夜が明けた。 九十四 工場は東十条の駅から歩いて七、八分のところにあり、階段を下りた半地下に文選の部屋があった。中学二年の夏に一度だけ行っている。行きたかったわけではなく、母が財布を届けろと言ったからで、届けたあとは父が上がるまで待たされた。部屋には扇風機が二台まわっていて、片方は首の固定が壊れて動かなかった。壁の三方に活字のケースが立っていたが、五十音の順ではない。よく使う字が真ん中の低いところに集まり、めったに出ない字は端の高いところにある。父はケースを見ないで手を出す。左手に文選箱を持ち、右手だけが動く。字を見つけてから手が動くのではなく、手が着いたところに字がある、という順番に見えた。活字は思っていたより小さく、そのくせ持つと重かった。高さは二十三ミリ四十五で、これは全国どこでも同じだと父が言った。同じでないと組めないからだと。触ってみろと言われて一本つまんだら指の腹が黒くなり、鉛と油と、それから酸っぱいような匂いが残って、水道で洗っても昼のあいだは取れなかった。何の字を渡されたのかは見なかった。父も言わなかった。手の中でひっくり返して面を上にすれば読めたはずだが、そのときはケースの高いところばかり見ていて、あんなに上の段の字をどうやって取るのかを考えていた。父は台に乗らない。爪先で立ってもいない。あとで分かったが、めったに出ない字は出ないので、取りに行く回数そのものが少ない。 ステッキという道具に、拾った字を裏返しのまま並べていく。裏返しで、しかも右から左へ並ぶので、読もうとしても読めない。父は読んでいなかったと思う。字面を追わずに、行の端が揃っているかどうかだけを見ていた。空きが出たところには込め物を入れ、行と行のあいだにはインテルを挟み、両手で押さえて動かなくなったのを確かめてから次へ行く。押さえるときだけ息を止めていた。 昼にラーメンを食べに出て、父はチャーシューを二枚とも私の丼へ移し、自分は麺だけ食べた。汁は残していた。工場へ戻ってからは壁ぎわのパイプ椅子に座り、五時まで何もしていない。持っていった文庫を昼前に読み終えてしまって、あとは動かない首の扇風機を見ていた。早く帰りたかった。帰り道のことは覚えていない。 その二年後に会社がなくなった。父は五十三で、それから六十八まで、別の会社で夜の警備をしていた。制服は貸与で、退職のときに返すことになっていて、返しに行った日の帰りに寿司を買ってきた。母がその日の夕方に、寿司は好きじゃないと初めて言った。 九十五 六月二十九日の午後、父が三十分ほど続けて話した。書き取った。これは写せない。ノートのそのページは、破らずにそのままにしてある。 九十六 姉から電話があったのは六月十四日の夜九時過ぎで、向こうは風の音がしていた。台風が近いのだと言った。まず、三月の入院をどうしてすぐ知らせなかったのかと言われた。入院した日の午前中にメールを送ってあるので、送信済みの日付と時刻を読み上げた。姉は、メールは見ていない、電話で言ってくれないと分からない、と言い、そのあとで、こっちも義母が二月から寝たきりでヘルパーが週に三回しか入らないこと、下の子が来年受験で夏期講習に二十四万かかること、夏の便は高くて九月に入れば下がることを続けて話した。話の順番は毎回ほとんど同じで、金額のところだけが年ごとに上がっていく。義母の話になると、姉の口調が急に速くなる。夜中に三回起こされる、紙おむつが月に一万八千円かかる、施設は那覇まで出ないと空きがない、そこまで行くと今度は自分が通えない。こちらが黙っていると、そっちは施設に入れてるからいいよね、と言い、そのあとで、いいよねって意味じゃないんだけど、と付け足した。 声だけでも聞かせてほしいと言われたので、去年の秋に一度、父の耳へ受話器を当てたときのことを話した。父は受話器を持たなかった。持たせると、それを机の上へ横に置き、両手で挟むようにして上から押さえていた。姉が何か言っているのは聞こえていたはずだが、押さえるのをやめなかった。それ以来やっていない。 十月の十七日、と姉が言った。土曜で、休みが取れた、今度こそ行く、三泊する、ホテルはもう見ている。前の四回とは違って、今度は日付が出た。 わかった、と答えた。 面会は一日一組三十分で、前もって電話がいることを伝えると、姉は、三十分しかないの、と聞いた。三十分だと答えた。風の音が強くなって、切るね、と言って切れた。通話は十九分だった。 九十七 岩渕さんは字が多い、四つもあるだろう、拾うと箱が重くなるんだよ、あんたは。チョウさんは一本で済むから、あれは早い。早いほうから先にやるのが順番てもんで、名前の長いのは、あとまわしだ。文句があるなら短くしてこい。 九十八 七月十八日、三十四度あって、自転車で行ったのが間違いだった。玄関で検温をして、名簿に時刻と氏名と続柄を書く。面会室のエアコンは効きすぎていて、父は長袖の上に薄いベストを着ていた。昼食の途中だった。全粥を大きめのスプーンで、チョウさんが一口ずつ運ぶ。飲み込んだのを喉の動きで確かめてから次を運ぶ。四口めでむせた。むせたあとに背中をさすらず、顎を軽く引かせて、そのまま二十秒ほど待たせている。落ち着いてからまた一口。二十分かけて、粥は半分ほど減った。麦茶にもとろみがついていて、白く濁って見える。父はコップを両手で持ち、口をつける前に一度、中を覗き込んだ。覗いてから飲んだ。飲んでから、また覗いた。隣の席の男の人は、粥をひと匙も取らずに、皿の縁を人差し指で回していて、それを止めさせようとする職員と、皿を挟んで長いあいだ向かい合っていた。父はそちらを見ない。テレビは高校野球の予選をやっていたが、音は消してある。字幕が出るたびに、父の顔がわずかに画面のほうへ動いて、字幕が消えると戻った。動くのは顔だけで、目がついていっているのかどうかは、この距離では分からない。 血圧を測るときに袖をまくると、カフの面ファスナーが余った。前は目盛りの真ん中あたりで留まっていたものが、今は端まで巻いても隙間ができる。チョウさんは巻き直さずに手で押さえたまま測って、上が百二、下が五十八と読み上げ、紙に書いた。 水羊羹を二つ持っていった。一個百九十円の、駅前のスーパーで売っているもので、朝から冷凍庫に入れて、保冷剤といっしょに鞄へ入れてきた。渡す前に岩渕さんへ見せたら、寒天は今のところ止めていると言われた。とろみのついていないものは全部止めている。父の前では出さずに、帰りに自転車の籠へ入れて持ち帰った。籠の中で溶けて、袋の内側に水がたまり、家に着いたころには角がなくなっていた。夜に自分で二つとも食べた。 父は昼食のあいだ、一度もこちらを見なかった。帰るときに立ち上がったら顔を上げ、膝から手を離して右手だけを少し上げた。上げたところで止まって、そのまま下ろした。 九十九 いま何時だ。夜か。夜ならいい、夜は誰も来ないから、こっちが起きてなくていい、起きてなくていいのがいちばん楽なんだ。 百 兄さん、あれを持ってったろう、返してもらってないんだよ、まだ。返してくれとは言わないけど、こっちが困ってるのは、無いと次に進めないからで、無いものは代わりが利かない、代わりを入れるとそこだけ出っ張るからな、出っ張ったところは、あとで動く、動いたところから崩れるんだ、だから兄さんは持ってったやつを、そのまま置いといてくれればいい、使わなくていいから、使わないで、そこへ置いといてくれ、俺が行くから、行けるうちに行くから、行ったら、あれだ、二人で数えりゃいい、数えて足りなけりゃ、こっちから出す、出すのは構わないんだ、返ってこなくても構わない、ただ、どこにあるかだけ、それだけ言っといてくれれば、こっちは動かないでいられる。 百一 チョウさんは日曜がいちばん忙しいと言った。品川の入管に出す書類の写真を撮り直さなければならず、前に撮ったものは背景に影が入っていて出せなかった。四百五十円の機械で撮り直したがそれも影が出て、結局、駅前の写真屋で千八百円で撮ったものが通った。去年の十二月に日本語の試験を受けて、二回目で通っている。読むのはできる、聞くのが難しい、と言う。とくに、みなさんが話す言葉と、教科書の言葉が、ぜんぜん、違います。ここへ来て最初の三か月は、お年寄りの言うことが半分も分からなかった。今は分かる。分かるけれど、意味が分かるのとは違う、とも言った。 父の言う言葉のいくつかを、チョウさんは覚えている。ステッキ、と父が言うのを、最初は杖のことだと思って持っていったことがあるという。杖はもう使っていない。持っていくと父はそれを受け取り、机の上へ横に置いて、指で二回叩いた。それから、いらない、とも、ありがとう、とも言わなかった。杖はそのまま部屋の隅に立てかけてあり、洗濯物を取りに行くたびに目に入る。転倒の危険があるので歩行は職員の付き添いに切り替わっていて、道具としてはもう要らないのだが、備品ではないから施設のほうでは捨てられない。持ち帰るかどうかを一度聞かれて、次に来るときに考えると答えたまま、三回来ている。 ノートに書いているのは日記ですか、と聞かれた。仕事で使う紙と同じものだと答えた。校正の説明はしなかった。チョウさんは、私は書かない、覚えているから、と言い、それから、覚えていると忘れます、書くほうがいいですね、と言い直した。言い直したあとで笑って、給湯室のほうへ行った。 ミャンマーの実家には母親と弟がいて、送金は月に一度、決まった額ではなく、そのとき出せる分を送る。今年に入って三回、送れなかった月がある。弟は今年で二十二になるが、写真は十七のときのものしか持っていないと言った。 百二 施設の持ち物にはすべて名前を書く決まりで、洗濯へ出すものは襟の内側かタグに書く。油性ペンで滝沢昭三と書き、書いた上からアイロンをかけると滲むので、乾かしてから畳む。 七月の頭に、実家から持ってきたままにしてあった段ボールを開けた。肌着が九枚出てきて、そのうち八枚には何も書いていない。一枚だけ、襟のタグの内側に赤いペンで書いたものがあり、字が滲んで縁が薄く広がっている。父の字ではない。タエ、と書いてある。母のものが混じっている。実家を引き払ったのが二〇一九年の春で、そのときに分けきれなかったものが、そのまま父の荷物のほうへ入ったのだと思う。 返す先がないので、畳んで段ボールへ戻した。 面会に行き、書いてきた八枚を岩渕さんに渡した。父は椅子に座って、袖口のところを右手でつまんでは離していた。 とめ、と言った。 とめ。 四年二か月のあいだに、この二音を書き取ったのは二十七回になる。前後に何も続かないことが多い。続くこともあるが、続いた分は毎回違っていて、共通しているのはこの二音だけになる。 百三 そこ、まだ空いてるだろ。座れよ。立ってられると、こっちの目が上を向く。

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