FFAVENIA

小説 · text · 2026-09-07

死神は推しの解散ライブに間に合わない

しゅう1
死神は推しの解散ライブに間に合わないのカバー

第一話 死ぬなら物販のあとで 人は死ぬと、頭の上に整理番号が出る。 ぼんやり光る白い数字。死神にしか見えない。番号が一番になった人の前へ行き、名前を呼び、あの世行きの改札を通す。それが私たちの仕事だ。 なのに、その夜の一番は、ステージの上で歌っていた。 「うそでしょ」 私は客席の最後列で名簿を見直した。 回収対象――天音レイ、二十二歳。死亡予定時刻、二十一時四十七分。死因、照明機材落下による事故。 現在時刻、二十一時ちょうど。 残り四十七分。 そして天音レイは、私の推しだった。 今日で解散する三人組アイドル〈透明標本〉のセンター。歌は少し下手。ダンスは三人で一番うまい。笑うと左の犬歯だけ見える。高校一年の冬、私が人間をやめる直前から、ずっと好きだった。 「新人、現場で私情を挟むなよ」 イヤホンから教育係の声がした。 「挟んでません」 「ペンライトを両手に持って?」 私は右手の青と左手の白を背中に隠した。死神の正装は黒いスーツだが、応援グッズを持つなという規則はない。 最後の曲が終わった。銀色の紙吹雪が降る。レイは肩で息をしながら、マイクを両手で包んだ。 『七年間、本当にありがとうございました』 会場の二千人が泣いた。 私は泣かなかった。泣くと死神の輪郭が薄くなる。薄くなると壁を抜け、床を抜け、たまに地下鉄のホームまで落ちる。研修で二度やった。 レイが深く頭を下げる。その上で整理番号の「1」が揺れた。 予定通りなら、アンコールの途中で事故が起こる。 私は舞台袖へ抜けた。警備員もスタッフも、死神を見ない。見えるのは死ぬ直前の人だけだ。 だから、花道から戻ってきたレイと目が合った瞬間、彼女は笑うのをやめた。 「あなた、さっき最後列にいたよね」 「見えるんですか」 「黒いスーツでペンライト二本。目立つよ」 見える。つまり名簿は正しい。 私は胸ポケットから銀色の切符を出した。 「天音レイさん。二十一時四十七分にお迎えに来ました」 彼女は切符と私の顔を交互に見た。 「あと何分?」 「四十三分です」 「じゃ、ちょっと手伝って」 死ぬと言われた人間は、泣く、怒る、信じない、命乞いをする。この四つのどれかだと研修で習った。 天音レイは、廊下の突き当たりを指した。 「客席に、赤い帽子の女の子がいるの。あの子を外へ連れ出したい」 教科書にない反応だった。 第二話 推しは死神を使い走りにする 赤い帽子の女の子は、前から七列目にいた。 年齢は十二、三歳。泣きながらアンコールを待つ人々の中で、その子だけが膝の上の封筒を見ていた。頭上には「264」。今日ではないが、遠くもない番号だ。 「あの子、妹?」 「知らない子」 レイは舞台袖から客席をのぞいた。 「ファンレターが毎月来た。学校でうまくいかない、消えたいって。返事は出せなかった。でも今日、最後の手紙を渡すって書いてあった」 「それだけで?」 「最後って言葉、アイドルは聞き逃しちゃだめなんだよ」 スタッフが「あと三分!」と叫んだ。会場ではアンコールの手拍子が波になっている。 「ライブを止めれば事故は防げます」 「止めない。二人が七年かけてここまで来た。私のせいで最後を奪えない」 「じゃあ、女の子を警備員に」 「あなたが連れてきて」 「死神は生きている人に触れません」 「でもペンライトは持てる」 痛いところを突く。 死神は生者に触れない。ただし、強い未練が染みた物には触れられる。七年間振り続けられたペンライトも、毎晩抱えて眠ったぬいぐるみも、宛名を書いて破った手紙も。 レイは首から細い銀のチェーンを外した。小さな笛がついている。 「これ、小学生のころから持ってる。吹ける?」 受け取れた。十分な未練がある。 「何の笛ですか」 「防災用。私が吹いたら、スタッフは避難誘導を始める約束」 「そんな嘘――」 「死神が嘘を気にする?」 彼女は左の犬歯を見せた。 ずるい。その笑い方に、私は何度も救われてきた。 私は客席へ走った。人の体をすり抜け、七列目まで一気に進む。赤い帽子の前で笛を吹いた。 音は出なかった。 肺がないのを忘れていた。 「新人、何やってる」 イヤホンの教育係が笑っている。 「助言してください!」 「規則違反になる」 「笑った罰です」 少し間があった。 「未練は息じゃない。思い出せ。一番、帰りたくないと思った夜を」 私は笛を握った。 高校一年の冬。病室。窓の外の雪。イヤホンから流れていた、デビューしたばかりの〈透明標本〉。明日の手術が怖くて眠れなかった私に、レイは画面の向こうで「まだ帰らないで」と歌った。 私は生きたかった。 その気持ちを、息の代わりに笛へ吹き込んだ。 甲高い音が会場を裂いた。 照明がつき、スタッフが動く。ざわめく観客の中で、赤い帽子の女の子が顔を上げた。 私は彼女の封筒を指さし、それから舞台袖を指した。見えるはずはない。それでも女の子は、誰かに呼ばれたように立ち上がった。 第三話 アンコールは一曲ぶん 女の子の名前は、結衣といった。 「レイちゃん、本物?」 舞台袖へ来た彼女は、手紙を背中に隠した。 「たぶんね。証明する時間はないけど」 レイは膝をつき、結衣と同じ高さになった。 「手紙、くれる?」 「読んだら嫌いになる」 「ファンの子を嫌いになるほど暇じゃないよ。今日、解散だから」 結衣は笑いそうになって、泣いた。 封筒には強い未練が染みていた。私にも触れられる。中身を読まなくても、黒い影が文字の間で動いているのが見えた。それは死そのものではなく、誰にも届かなかった言葉が固まったものだ。 「私、レイちゃんみたいになれない」 「ならなくていい」 「学校にも行けない。お母さんにも迷惑で」 「私、数学ずっと赤点だったよ」 「そういうことじゃない」 「同じだよ。できないことを数えると、誰でも人生の赤点になる」 レイは結衣の手を取った。生きている手と、まだ生きている手。 「今日できたこと、ひとつ言って」 「……ここに来た」 「最高。私は今日、ちゃんと解散する。それでおあいこ」 ステージから残り二人の声がした。 『レイー! いつまで着替えてるの!』 「ほら、怒られた」 レイは立ち上がった。私にだけ聞こえる声で尋ねる。 「あと何分?」 「十九分」 「一曲ぶん余るね」 「余りません。事故はアンコール中です」 「じゃあ、事故のほうを遅らせて」 「宅配便じゃないんですよ」 「死神って融通きかないなあ」 彼女はステージへ戻った。 歓声が爆発した。三人が手をつなぐ。イントロが始まる。 私は頭上を見た。巨大な照明装置。その留め具に、細い亀裂が走っている。落下地点はレイの立ち位置だった。 死を防ぐことはできない。名簿に載った予定を変えれば、代わりに別の誰かが一番になる。死神は救命士ではない。世界の帳尻を合わせる駅員だ。 それでも私は、落ちてくる照明の下へ立った。 「新人」 教育係の声が低くなる。 「何をする気だ」 「回収対象のすぐそばで待機します」 「嘘が下手だな」 「推しに似たんです」 曲がサビへ入った。レイが客席へ手を伸ばす。結衣が赤い帽子を振る。 亀裂が最後まで走った。 金属が悲鳴を上げた。 私は両手のペンライトを交差させ、落ちてくる照明を受け止めた。 重い。 物理的にではない。二千人分の「終わらないで」が染みた照明は、山より重かった。 足元が沈む。輪郭がほどける。床を抜けかけた。 「持たないぞ!」 「あと一曲!」 「お前が消える!」 「死神が死んだら、どこへ行くんですかね!」 「研修からやり直しだ!」 それは嫌だ。 私は叫び、照明を横へ押した。ステージ脇に落ち、火花が散る。音楽が止まった。観客の悲鳴。メンバー二人がレイを抱きしめる。 レイだけが、床に膝をついた私を見ていた。 頭上の数字が変わる。 「1」から、「――」へ。 名簿から彼女の名前が消えた。 最終話 整理番号のない朝 「代わりは誰」 レイが尋ねた。 私は客席を見回した。数字が繰り上がっている。二番だった老人が一番になっていた。けれど、その数字は明滅するだけで確定しない。 「どうして」 「事故で亡くなるはずの人が助かっても、必ず誰かが代わるわけじゃない」 教育係が、いつの間にか隣に立っていた。白髪の男で、くたびれた駅員帽をかぶっている。 「名簿は未来じゃない。今のままなら、という予報だ」 「研修では帳尻を合わせるって」 「新人が無茶をしないための嘘だ」 「最低」 「死神だからな」 会場では避難誘導が始まっていた。誰も死ななかった。結衣は母親らしい女性に抱きしめられている。 レイは私の前にしゃがんだ。 「助けてくれたの?」 「勘違いしないでください。回収作業の効率化です」 「ペンライト、折れてるよ」 両手を見る。青も白も、真ん中から曲がっていた。 レイは首にかけていたタオルを外し、私の手に巻いた。触れないはずなのに、その布には七年分の未練が染みていて、確かに温かかった。 「名前は?」 死神になってから、初めて聞かれた。 「ミツキ」 「漢字は?」 「もう忘れました」 「じゃあ、今度までに決めといて」 「今度?」 「次のライブ」 「解散したでしょ」 レイは左の犬歯を見せた。 「再結成って、解散した人にしかできないんだよ」 その言葉は、ずいぶん長いあいだ私の中に残った。 翌朝、私は始末書を四十七枚書かされた。ペンライト二本の破損、現場への私物持ち込み、回収対象への情報開示、物理法則への過度な干渉。 最後の欄は、処分希望。 私は「人間界での再研修」と書いた。 窓の外が明るくなる。始発電車が、あの世とこの世の境目を走っていく。 机の端に、差出人不明の封筒が置かれていた。中には新品の青いペンライトと、ライブの関係者席チケット。 裏には黒いペンで一行。 〈死ぬほど暇なら来て。今度は間に合ってね〉 頭上に数字のない朝、私は初めて、自分の次の予定を手帳に書いた。 ――天音レイ再始動ライブ。絶対に遅刻しない。 完

この投稿を通報