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小説 · text · 2026-09-17

一人足りない ― 二十九枚目の写真 ―

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一人足りない 二十九枚目の写真 第一章 捨てるもの 人が死んだ部屋には、その人間が最後まで捨てられなかったものが残る。 写真。手紙。着なくなった服。使い切れなかった調味料。 それから、どう考えても必要のないもの。 「これ、全部処分でいいんですよね」 三谷修司は玄関に立った男に確認した。 男は五十代半ばだった。黒いポロシャツに、安そうな腕時計。名刺には森川隆一とある。 「はい。全部で」 「写真も?」 「全部です」 「現金とか通帳出てきたら?」 「連絡してください」 「じゃあ、それ以外は?」 男は少しだけ考えた。 「捨ててください」 三谷は頷いた。 仕事としては楽な部類だった。孤独死。七十二歳。男、一人暮らし。死後三日で発見されたため、部屋もそれほど酷くない。 亡くなった男は森川宗一郎。市の外れの古い一軒家に三十年以上住んでいた。死因は心筋梗塞。事件性なし。 三谷にとって、それ以上の情報は必要なかった。 死人の人生を調べる仕事ではない。死人の人生をゴミ袋に入れる仕事だ。 「三谷さん」 若い作業員の野田が奥から顔を出した。 「これどうします?」 手には古いアルバム。 三谷は依頼人を見る。 「捨ててください」 森川は即答した。 アルバムを段ボールへ放り込んだとき、一枚の写真が床に落ちた。 道路。 ただの道路だった。 古びた二車線。ガードレール。電柱。遠くの小さな山。人は写っていない。 裏には日付。 一九九九年十月十二日。 アルバムを開く。 二〇〇〇年十月十二日。 二〇〇一年十月十二日。 同じ位置、ほぼ同じ構図。一年に一枚。 二十八枚。 最後は二〇二六年十月十二日。 三谷は眉を寄せた。 森川宗一郎が死んだのは十月十一日だった。 「これ、誰が撮ったんです?」 男は一瞬だけ止まった。 「知りません」 「今年のやつ、亡くなった次の日ですよ」 「叔父の趣味でしょう」 「死んだ次の日も?」 男は薄く笑った。 「三谷さんでしたっけ。そういうのも含めて、全部捨ててもらうために頼んでるんです」 三谷は写真を袋へ戻した。 確かにその通りだった。 その日の夜、処理場へ持っていく前のゴミ袋を助手席に積んだまま、三谷はコンビニの駐車場で缶コーヒーを飲んでいた。 写真ではなく、あの男の顔が引っかかっていた。 今年の写真があることに驚いたのではない。 自分が写真を見つけたことに驚いた。 そんな顔だった。 「知らんがな」 煙草を消し、エンジンをかけようとして、やめた。 袋からアルバムを取り出す。 二十八枚を順に見る。 毎年同じ道路。 ただ、一つだけ共通して写っているものがあった。 ガードレールの向こうの白い花束。 調べると、その場所では一九九八年十月十二日の夜、死亡事故が起きていた。 男一名。 三十四歳。 藤崎圭一。 翌朝、三谷は現場へ行った。 写真と同じ道路。花束は今もあった。 犬を連れた老人が通りかかった。 「ここ、昔事故あったんですよね」 「ああ」 「藤崎って人の」 老人の顔が変わった。 「……あんた警察か」 「遺品整理です」 「なんだそりゃ」 「森川宗一郎って人、知ってます?」 老人は犬のリードを短くした。 「その名前、この辺で出さない方がいい」 「なんでです?」 老人は歩き出した。 三谷が追う。 「藤崎って人と関係あるんですか」 老人が止まった。 「事故じゃないよ」 「え?」 「藤崎さんのことなら、事故じゃない」 それだけ言って去った。 その午後、依頼人から電話が来た。 『昨日のアルバム、返してもらえませんか』 昨日は全部捨てろと言った男が。 『中、見ました?』 三谷は道路脇の花束を見た。 「仕事なんで。いちいち見ませんよ」 その日の夕方、男にアルバムを返した。 ただ一枚だけ、最初の写真を抜いていた。 理由は自分でも分からなかった。 夜、裏側をもう一度見る。 日付の下に、かすれた文字があった。 一人足りない。 写真を裏返す。 誰も写っていない道路だった。 その夜のニュースで、歩行者の老人がひき逃げされ死亡したと流れた。 朝、犬を連れていた老人だった。 翌日、三谷は古い新聞記事を探した。 一九九八年十月十二日。 藤崎圭一死亡。 同じ日の午前、現金輸送車から十二億円が消失。 三か月後、警察は容疑者を発表していた。 藤崎圭一。 三谷は記事を何度も読み直した。 午前十時、藤崎が輸送車で営業所を出る。 十時四十七分、無人の輸送車が見つかる。 午後八時十四分、藤崎は自分の車を運転中に死亡。 金は見つからない。 共犯者なし。 三谷は小さく呟いた。 「逃げてない」 十二億を盗んだ男が、十時間後に自宅へ向かって普通に車を走らせていた。 おかしい。 その翌朝、事務所の郵便受けに封筒が入っていた。 中には今年の二十八枚目の写真。 裏に二行。 次はお前が撮れ。 二十九枚目で終わる。 三谷は、その時初めて、自分がもう仕事の外に出ていることを知った。 第二章 十二億円 三谷は事件の記事を紙に印刷した。 壁に貼るような趣味はない。机に並べただけだ。 野田が横から覗いた。 「何すか、それ」 「昔の事件」 「好きでしたっけ、未解決事件」 「嫌いだよ」 「じゃあ何で」 「辻褄が合わん」 野田は記事を一枚取った。 「十二億って、今でもすげえっすね」 「今でもじゃない。当時ならもっとだ」 事件を扱った全国紙の縮刷版には、藤崎が金を奪った動機について「借金苦の可能性」とあった。 だが別の記事では借金は百八十万円程度だった。 十二億円を奪う理由としては妙だった。 さらに翌年の記事には、藤崎名義で予約された海外航空券が発見されたとある。 三谷は航空会社の退職者を探した。 当時予約業務をしていた女は、電話口で少し考えてから言った。 『その頃はネット予約なんて一般的じゃないからね。電話だったと思う』 「本人確認は?」 『そんな厳密じゃないよ。名前と連絡先くらい』 「声が本人かどうかなんて」 『分かるわけない』 逃亡計画の証拠ですらなかった。 一方、藤崎は事故死する二時間前、営業所へ電話していた。 新聞記事の片隅に一行だけあった。 〈藤崎容疑者は同僚に「明日の勤務について確認したい」と連絡していた〉。 三谷はその文章に丸をつけた。 十二億を盗んだ夜に、翌日の勤務を確認する男。 それは大胆というより、知らなかったと考えた方が自然だった。 自分が犯罪者になっていることを。 第三章 宗一郎の帳簿 森川宗一郎の家は既に空だった。 家具も衣類も、三谷たちが運び出した。 鍵は管理会社へ返していたが、裏の小窓が閉まりきっていないことを三谷は覚えていた。 侵入すれば犯罪だ。 十分ほど車の中で迷い、結局入った。 「こういう仕事、向いてないな」 誰もいない台所で呟いた。 宗一郎は経理畑の人間だった。 古い本棚を外すと、壁に細い鉛筆書きが残っていた。 数字の列。 9.0 3.0 12.0 その横に、六つの頭文字。 F、M、K、A、S、そして空白。 一つだけ文字がない。 さらに床板の裏から銀行の古い封筒が出た。 中にはコピー一枚。 一九九八年十月九日付の社内伝票。 輸送予定額、九億円。 事件で消えたのは十二億円のはずだった。 「三億、どっから湧いた」 背後で音がした。 三谷が振り返る。 庭に男が立っていた。 依頼人の森川隆一。 「泥棒までやるんですね、遺品整理って」 「窓が開いてたんで」 「警察に言いましょうか」 「どうぞ」 三谷はコピーを見せた。 「九億って何です?」 男の顔から笑みが消えた。 「知らない」 「じゃあ、三億は?」 「知らない」 「本当に森川隆一さんですか」 男は何も言わなかった。 三谷は初めて、その名前を口にするときの男の微妙な遅れに気づいた。 自分の名前を呼ばれてから、反応するまで半拍遅い。 男は三谷の手から伝票を奪おうとはしなかった。 代わりに言った。 「写真を持ってるでしょう」 「何の話です?」 「一枚」 その言い方で確信した。 「あなた、何枚あるか知ってるんですね」 男は目を細めた。 「三谷さん。死人の部屋から物を持ち出す癖、やめた方がいいですよ」 「死人の名前使う癖もな」 男は少しだけ笑った。 「賢いつもりなら、なおさら降りた方がいい」 そのまま帰った。 第四章 九億と三億 宗一郎が勤めていた東央警備は二〇〇七年に同業大手へ吸収されていた。 当時の支店長・安西浩司は七年前に死亡。 輸送指示を出した管理部長・北見敬吾は現在、介護施設にいた。 八十四歳。 三谷が面会に行くと、北見は認知症が進んでいた。 十二億と言っても反応しない。 藤崎という名前にも反応しない。 だが「九億」と言った瞬間、老人の指が止まった。 「……三億は?」 三谷が聞いた。 北見の唇が震えた。 「返した」 「誰に?」 「返したんだ」 「誰の金です?」 老人は三谷の腕を掴んだ。 「金じゃない」 力は弱いのに、爪が食い込んだ。 「金じゃない。名前だ」 それ以上は会話にならなかった。 帰り道、三谷は理解できない言葉を何度も反芻した。 三億は金じゃない。名前。 その夜、野田から電話が来た。 『三谷さん、事務所荒らされてます』 引き出しだけが開けられ、現金は残っていた。 なくなったのは、宗一郎の家から持ち出した古いコピーだけ。 だが一九九九年の写真は三谷の財布に入っていた。 その裏。 一人足りない。 第五章 六人 三谷は昔の地方紙で、十二億円事件の関係者を拾い続けた。 藤崎圭一。 森川宗一郎。 北見敬吾。 支店長の安西浩司。 そして、県警捜査二課の若林孝之。 五人。 壁の頭文字と一致する。 F、M、K、A、Wならまだ分かる。だが壁はSだった。 新聞に出ない人物がいる。 三谷は当時の再開発計画へ行き着いた。 十二億円事件の前年、市西部で巨大物流団地の計画が持ち上がっていた。 土地買収をまとめた会社が、白峰開発。 代表は佐伯恒夫。 S。 佐伯は事件の五年後に交通事故死している。 これで六人かと思った。 だが写真の裏には「一人足りない」とある。 宗一郎が数えていたのは、さらに一人だった。 第六章 偽名 本物の森川隆一を調べるのは難しくなかった。 戸籍上、生きていた。 だが住民票は二十八年前から動いていない。 宗一郎の実弟の息子。事件当時二十六歳。 市内の自動車工場に勤めていた。 そして一九九八年十月十三日から無断欠勤。 そのまま失踪。 三谷は工場の元同僚を訪ねた。 老人は写真を見て首を振った。 「これ、隆一じゃないよ」 遺品整理を依頼した男の写真だった。 「じゃあ誰です?」 老人はしばらく見ていた。 「見たことあるな……昔、県庁とか議員のとこに出入りしてた……」 名前は出てこなかった。 三谷はその帰り、尾行に気づいた。 銀色のセダン。 三つ先の交差点までついてくる。 わざと細い道へ入り、コンビニへ停めた。 車は通り過ぎた。 運転していたのは、依頼人を名乗った男ではなかった。 三谷は初めて怖いと思った。 それでも帰らなかった。 怖いからやめるなら、とっくにやめている。 自分でも理由が分からない。 ただ、辻褄が合わないまま終わるのが嫌だった。 第七章 二十八枚 写真を一枚失った宗一郎のアルバムは偽の隆一が持っている。 だが三谷は作業中、野田が撮った現場写真を思い出した。 廃棄前の記録として、部屋全体をスマホで撮っていた。 拡大すると、開いたアルバムが数ページ写っていた。 年によって、道路の端に同じ男が立っている。 遠すぎて顔は分からない。 ただし服装が違う。 二〇〇二年。 二〇〇七年。 二〇一四年。 二〇二一年。 同じ体格。 事故現場へ毎年誰かが来ていた。 三谷は今年の二十八枚目を思い出す。 郵便受けに入れられた一枚。 そこには、事故現場から少し離れたカーブミラーの端に黒い車が写っていた。 ナンバーを拡大する。 ひき逃げで老人を殺した車と、車種も色も同じだった。 第八章 生きている男 本物の森川隆一は生きていた。 見つけたのは三谷ではなく、野田だった。 「昔の名前で釣りやってるブログがあるんすよ」 半分冗談で検索した結果、長野の山村に同姓同名の男がいた。 写真を見た元同僚が「これだ」と言った。 隆一は五十四歳になっていた。 山間の小さな修理工場で働いていた。 三谷を見ても驚かなかった。 「叔父さん、死んだんですね」 「知ってたんですか」 「新聞で」 「なんで戻らなかった」 隆一は古い軽自動車のボンネットを閉じた。 「戻ったら、また始まると思ったから」 「何が?」 「二十八年前の続きが」 隆一は藤崎の車を追っていた。 宗一郎から頼まれたという。 藤崎が会社の指示で現金を倉庫へ運ぶと知った宗一郎は、何かがおかしいと感じ、甥に見張らせた。 隆一は藤崎が倉庫を出た後、別の車が後を追うのを見た。 その車をさらに追った。 県道で藤崎の車が対向車線へ押し出された。 大型トラックと衝突。 「警察に言った?」 「行ったよ」 「じゃあ」 「聞いた刑事が、その日の夜に叔父さんの家へ来た」 若林孝之。 県警捜査二課。 「俺の証言を取った刑事が、なんで叔父さんの家知ってたと思う?」 隆一は翌朝、町を出た。 宗一郎とは二度と会わなかった。 ただ、毎年十月十二日だけ戻った。 事故現場へ。 「写真の男、あなたですか」 「ああ」 「なんで毎年?」 隆一は三谷を見た。 「俺を追ってきた奴が、いつか自分で確認しに来ると思ってた」 「誰を?」 「藤崎さんを殺した奴だよ」 「見つかった?」 「今年、初めて来た」 三谷の背中が冷えた。 「誰です?」 隆一は首を振った。 「顔は見てない。ただ、叔父さんが死んだ翌日だった」 二十八枚目を撮ったのは隆一だった。 「じゃあ、俺に送ったのも」 「違う」 隆一の表情が変わった。 「俺はあんたなんて知らなかった」 第九章 写真を送った男 二十八枚目を三谷へ送ったのは誰か。 宗一郎でもない。 隆一でもない。 偽の隆一なら、写真を回収したがっていたのに送る理由がない。 三谷は亡くなった犬連れの老人を調べた。 名前は大西繁。 一九九八年当時、白峰開発の運転手だった。 事故ではないと言った男。 大西の娘から遺品を見せてもらうと、古い名刺が出てきた。 〈衆議院議員 片瀬誠一郎 政策秘書 杉浦克己〉 裏に手書きで車のナンバー。 その番号は、二十八枚目のカーブミラーに写った黒い車の登録番号と一致した。 杉浦克己。 壁のSは佐伯ではなかった。 杉浦だった。 だが佐伯も事件にいた。 つまり本当に、一人足りなかった。 公式に知られた関係者の外に、さらにもう一人。 杉浦。 大西は今年、杉浦を見た。 だから殺された。 そして大西は死ぬ前に、宗一郎の死を知り、二十八枚目の写真を三谷へ送った可能性が高い。 なぜ三谷に? 宗一郎の家からアルバムを持ち出した人間を知っていたから。 遺品整理車の社名を見ていたのだ。 第十章 三億円の名前 北見が言った「三億は金じゃない。名前だ」の意味は、宗一郎の古いメモから判明した。 三億円は一つの金ではなかった。 複数の企業、政治団体、地元建設会社から集められた現金を、一度「輸送中の盗難金」に混ぜることで出所を消す計画だった。 その後、九億円だけを保険請求し、三億円は記録上存在しなかったことにする。 三億円の本当の価値は額ではない。 誰が金を出したかという「名前」を消すことだった。 土地買収。 政治献金。 行政への便宜。 白峰開発の再開発計画。 当時、片瀬誠一郎は建設族の若手議員だった。 政策秘書の杉浦が実務を仕切っていた。 藤崎は金を別車へ積み替えただけ。 犯罪だとは知らなかった。 だが事故の前、藤崎は宗一郎へ電話していた。 「十二億なんて聞いてない。九億じゃなかったのか」 藤崎は数字の違いに気づいてしまった。 それで死んだ。 第十一章 偽物 依頼人を名乗った男の正体も判明した。 杉浦克己だった。 事件当時三十一歳。 現在五十九歳。 政治家秘書を辞めた後、複数のコンサルタント会社を渡り歩き、現在は地元再開発会社の顧問。 顔写真はほとんど出回っていない。 三谷が宗一郎の家で会った男と同一人物だった。 なぜ自分で遺品整理を依頼したのか。 宗一郎が死ぬまで家には手を出せなかった。 死後、親族を装って合法的に中身を消そうとした。 ただ、彼は一つ勘違いしていた。 宗一郎が証拠を家に残していると思っていた。 本当の証拠は写真そのものではない。 写真に毎年写り込む、道路脇の広告看板だった。 二十八枚を年代順に並べると、広告主が少しずつ変わる。 白峰開発。 片瀬事務所。 杉浦が役員を務めたコンサル会社。 一見偶然の変化だが、宗一郎は裏面の日付横に小さな数字を書いていた。 広告主の法人登記番号の末尾。 写真は道の記録ではない。 企業の変遷を追う索引だった。 三谷はその事実を隆一へ伝えた。 隆一は長く黙った。 「叔父さんらしいな」 「会わなかったんですか、二十八年」 「俺が戻れば、叔父さんが危なくなると思った」 「宗一郎さんも同じこと思ってたんでしょうね」 二人とも相手を守るために、二十八年間会わなかった。 それだけが、三谷には妙に堪えた。 第十二章 取引 杉浦から連絡が来た。 「話をしましょう」 指定されたのは、再開発で建てられたホテルのラウンジだった。 二十八年前に問題の土地だった場所。 杉浦はコーヒーを頼んだ。 「三谷さん。あなたは何が欲しいんです?」 「別に」 「金なら払えます」 「いらない」 「正義?」 「それも別に」 杉浦は笑った。 「じゃあ、なぜ?」 三谷は少し考えた。 「説明がつかないからです」 杉浦は初めて理解できない顔をした。 「人が二人死んでる」 「もっと死んでますよ」 「何人?」 「数え方による」 杉浦は窓の外を見た。 「藤崎は余計なことに気づいた。大西は二十八年後に余計なことを見た。森川宗一郎は……運が良かった。自然に死ねた」 「自白してるんですか」 「何も言ってません」 「じゃあ、隆一さんは?」 杉浦の目が止まった。 三谷は賭けに出た。 「本物の森川隆一。生きてますよ」 ほんの一瞬。 杉浦の右手がカップから離れた。 それで十分だった。 第十三章 二十九枚目 杉浦が動くと確信した三谷は、隆一に頼んだ。 今年もう一度、事故現場へ立ってくれ。 「囮にする気か」 「嫌ならやめます」 「二十八年やってきた。今さらだろ」 十月十二日から三週間後。 雨の夜。 隆一はガードレールの前に立った。 三谷と野田は離れた林道に車を停めた。 警察には通報していない。 三谷は地元紙の記者・佐橋に全資料を渡していた。 自分たちに何かあれば公開する約束だけした。 午後九時十八分。 黒い車が来た。 杉浦が降りた。 「隆一」 二十八年ぶりに呼ばれた自分の名前に、隆一は笑った。 「まだ覚えてたか」 杉浦は答えなかった。 「叔父さん、死んだぞ」 「知ってる」 「大西さんも殺したな」 「事故だ」 「藤崎さんも?」 杉浦は道路を見た。 「藤崎は、自分でハンドルを切った」 「押しただろ」 「接触しただけだ」 「同じだ」 隆一の胸元には小型録音機があった。 だが杉浦も馬鹿ではなかった。 「録ってるんだろ」 隆一の顔が変わる。 杉浦が一歩近づいた。 そのとき、道路の反対側でフラッシュが光った。 三谷だった。 一枚。 杉浦と隆一。 二十八年間、同じ場所に一度も並ばなかった二人。 二十九枚目。 杉浦が三谷を見る。 「何してる」 三谷はカメラを下ろした。 「写真撮ってるだけです」 杉浦は逃げなかった。 むしろ笑った。 「それで終わると思ってる?」 「終わらないでしょうね」 「証拠にならない」 「知ってます」 三谷はスマホを見せた。 佐橋の記事が既に公開されていた。 〈二十八年前の十二億円事件、輸送額は九億円だった――内部伝票と元関係者証言〉 写真も、伝票も、企業登記の流れも全部出ていた。 杉浦の顔から初めて余裕が消えた。 第十四章 犯人 杉浦は逮捕された。 大西のひき逃げ事件だった。 防犯カメラと車両記録が残っていた。 二十八年前の藤崎殺害については、すぐには立件されなかった。 十二億円事件も再捜査になった。 片瀬元議員は病床から関与を否定。 東央警備の旧幹部は死亡。 県警内部の当時資料の一部は廃棄済み。 三億円の行方は完全には分からなかった。 世間は「二十八年ぶりの真相」と騒いだ。 三谷はテレビ出演を断った。 野田が言った。 「結局、杉浦が犯人だったんすね」 三谷は首を振った。 「何の?」 「何のって」 「藤崎を殺した犯人? 大西を轢いた犯人? 十二億を消した犯人?」 「全部じゃないんすか」 「違う」 杉浦は実行した。 だが三億を作ったのは複数の企業だった。 隠蔽したのは会社だった。 見逃した警察官がいた。 利益を受けた政治家がいた。 死人に罪を被せることを黙認した人間がいた。 一人の犯人で終わらせるには、人数が多すぎた。 第十五章 一人足りない 数か月後。 隆一が三谷の事務所へ来た。 小さな紙袋を持っていた。 中には宗一郎のアルバム。 警察から返却されたものだった。 「持っててくれないか」 「俺が?」 「俺、もう毎年行かないから」 三谷は最初の写真を戻した。 一九九九年十月十二日。 裏の「一人足りない」を隆一に見せる。 「これ、誰のことだったんでしょうね」 隆一はしばらく考えた。 「杉浦じゃないのか」 「俺もそう思ってました」 「違う?」 三谷は宗一郎の壁にあった六つの印を紙に書いた。 藤崎。 森川。 北見。 安西。 佐伯。 杉浦。 六人。 「これで揃うんです。でも宗一郎さんは、その時点で『一人足りない』って書いてる」 隆一は黙った。 三谷は新聞記事を一枚出した。 十二億円事件の三日後。 小さな記事。 〈東央警備社員の妻子、県外へ転居〉 藤崎の妻と、当時六歳の息子。 「藤崎さんの家族?」 「事件の関係者を数えるなら、ずっと抜けてた」 隆一が首を傾げる。 「でも子供だぞ」 「だからですよ」 宗一郎は犯人を数えていたのではない。 守らなければいけない人間を数えていた。 藤崎。 隆一。 自分。 事件に巻き込まれた者たち。 そして藤崎の息子。 「一人足りない」は、敵を探す言葉ではなかった。 逃がした家族が無事かどうか、宗一郎自身にしか分からない数え方だったのかもしれない。 隆一は長い間写真を見つめた。 「叔父さん、最後まで説明下手だったな」 三谷は笑った。 「経理ってそんなもんじゃないですか」 最終章 捨てないもの 春。 三谷は別の孤独死現場にいた。 八十一歳の女。 部屋には大量の物があった。 依頼人の娘が言う。 「全部捨ててください」 「写真も?」 「はい」 三谷は頷いた。 野田が押し入れから箱を出す。 「三谷さん、これ」 中には古い絵葉書が何百枚も入っていた。 「どうします?」 三谷は一枚取った。 裏に短い文章。 〈今年も桜が咲きました。あなたは見ていますか。〉 毎年、同じ相手に出したらしい。 切手は貼られていない。 一度も送られていない。 以前なら、そのまま袋に入れていた。 三谷は依頼人の娘を呼んだ。 「これだけ、一回見ます?」 娘は怪訝な顔をした。 「捨てていいって言いましたけど」 「分かってます」 「じゃあ」 三谷は絵葉書を箱へ戻した。 「捨てるのは、見てからでもできます」 娘は黙った。 しばらくして箱を受け取った。 作業が終わり、三谷は軽トラックへ乗った。 助手席には、宗一郎のアルバムが一冊だけ置いてある。 二十九枚目も加わっていた。 雨の道路。 ガードレール。 隆一。 杉浦。 そして画面の端に、カメラを構える三谷の影。 三谷は写真の裏に日付だけを書いた。 それ以上は何も書かなかった。 説明がつかないものを追いかけた結果、分かったことがある。 人の人生は、全部説明がつくほど単純ではない。 それでも、誰かが数えておかなければ消えるものがある。 三谷はアルバムを閉じた。 エンジンをかける。 信号が青になった。 今度は、まっすぐ帰った。

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