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小説 · text · 2026-09-09

深夜のコンビニに、毎晩同じ客が来る

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深夜のコンビニに、毎晩同じ客が来るのカバー

第1話 二時十四分 深夜のコンビニには、時間が三種類ある。 客が来る時間と、来ない時間と、来るはずのない時間だ。 午前二時は、三つ目だ。国道沿いの店で、トラックが二台、駐車場で寝ている。店内は俺と、マリアさんと、揚げ物の油の音だけ。 「リョウ、牛乳、あと三本」 「補充します」 「違う。あと三本で、ミルクさんが来る」 マリアさんは、レジの横で、菓子パンの賞味期限を見ながら言った。 「ミルクさん?」 「毎晩来る。二時ちょっと過ぎ。牛乳、一本」 「知らないです」 「リョウ、先週まで昼だったから」 俺は夜勤に戻って三日目だった。二年、この店でバイトをしている。昼と夜を、店長の都合で行ったり来たりする。夜のほうが、人と話さなくて済むので、俺は夜が好きだ。 自動ドアが開いた。 二時十四分。 入ってきたのは、小柄な老人だった。灰色のジャンパー。白い髪を、きれいに横に分けている。 老人は、レジを見なかった。まっすぐ、奥の冷蔵ケースに行った。牛乳の棚。手を伸ばして、一本、取った。五百ミリリットルの、青いパックの、いちばん普通のやつ。 それから、レジに来た。 牛乳を置いた。 小銭を、置いた。 俺は、レジを打った。百二十九円。老人が置いた小銭は、百円玉が一枚と、十円玉が二枚と、五円玉が一枚と、一円玉が四枚だった。 ぴったりだった。 「レシート、いります?」 老人は、首を横に振った。牛乳を持って、自動ドアから出ていった。 言葉は、一つもなかった。 「ね」 と、マリアさんが言った。 「ミルクさん」 「毎晩、あれですか」 「毎晩。私、この店三年。三年、毎晩」 「土曜も、日曜も、台風も。一本だけ。おつり、なし」 マリアさんは、賞味期限のチェックに戻った。 俺は、レジの引き出しを見た。百円玉と、十円玉と、五円玉と、一円玉。ぴったり百二十九円。ぴったりを、毎晩。 「なんで牛乳なんですかね」 「知らない。聞いたことない。ミルクさん、しゃべらない」 「三年、一回も?」 「一回も」 マリアさんは、笑った。 「でも、いい人。わかる。顔で」 マリアさんは、人を顔で判断する。三年、この店の夜を見てきた人の判断だから、俺は、信じることにしている。俺は、人の顔を、あまり見ない。見ないで済むから、夜勤がいい。 夜のコンビニの客は、だいたい三種類だ。トラックの運転手と、仕事帰りの人と、眠れない人。二時十四分の客は、どれでもなかった。眠れない人は、雑誌の棚の前で、長く立つ。あの人は、雑誌を見なかった。牛乳の棚だけを見た。 二時二十分。 俺は、牛乳の棚を見に行った。青いパックが、あと二本。 あと二本で、二日ぶん。 俺は、それを、頭の中で数えた。数えるのは、得意だ。昼勤のとき、在庫を数えるのが、この店でいちばん速かった。人と話すのは、いちばん遅かった。 大学を、二年でやめた。理由は、人に説明できるものではなかった。説明できないので、しない。このバイトは、説明を求められない。棚の数を合わせれば、それで一日が終わる。 それで、二年、経った。 毎晩、二時十四分。 俺は、壁の時計を見た。二時二十一分。 次の夜も、二時十四分に来るのかどうか、俺は、数えることにした。 第2話 二分 二日目。二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。牛乳の棚。青いパック。レジ。小銭。ぴったり。無言。 「レシート、いります?」 首を横に振る。出ていく。 俺は、時計を見た。壁の時計。二時十二分。 あれ、と思った。 昨日は、二時十四分に入ってきた。今日も、二時十四分に入ってきた、と思った。でも壁の時計は、入ってきたとき、二時十二分だった。 「マリアさん、あの時計」 「壁の?」 「合ってます?」 マリアさんは、自分のスマホを見た。 「二分、遅れてる。ずっと」 「ずっと?」 「三年、ずっと。店長、直さない」 つまり、老人が入ってきたとき、本当の時刻は二時十四分で、壁の時計は二時十二分を指していたことになる。俺は、昨日、壁の時計を見なかった。自分の腕時計で、二時十四分を見た。 「あの人、時計、見て入ってきますよね」 「見る。自分の。腕の」 「二分遅れの壁じゃなくて」 「うん。ドアの前で、腕、見る。それから、入る」 「三年、ずっと、二時十四分ですか」 「前は、二時ごろ。二時五分とか、二時十分とか。半年前から、十四分、ぴったり」 「半年前から」 「うん。私、それ、気づいた。誰にも言わなかった」 俺は、それを、明日、確かめることにした。 「リョウ、変なとこ、気にする」 「変ですか」 「変。でも、私も、気にする。半年前から、あの人、時計、見て、入ってくる。それまでは、見なかった」 「なんで言わなかったんですか」 「言う人、いなかった」 マリアさんは、菓子パンを一つ、廃棄の箱に入れた。 朝六時。 朝勤が来る。 小春さん。二十歳、女子大生、朝勤の週四。俺と話すのは、引き継ぎの五分だけだ。 「おはようございます」 「おはよう。なんかあった?」 「揚げ物、四時に二回目やりました。牛乳、青いやつ、残り一本です」 「一本?」 「はい」 「え、発注、昨日、六本入れたよね」 「入ってました。売れました。五本」 「夜に、牛乳、五本?」 「四本は、トラックの人が。一本は、二時十四分の人が」 小春さんは、発注端末を持ったまま、俺を見た。 「二時十四分の人?」 「毎晩、二時十四分に来て、青い牛乳を一本、買っていく人です。小銭ぴったりで」 「……なにそれ」 「なにそれ、って感じです」 小春さんは、少し笑った。 「面白い人、いるんだね、夜」 「面白いかどうかは、まだ」 引き継ぎの五分は、それで終わった。俺は、更衣室で着替えて、自転車に乗った。 三日目。 二時十三分。 俺は、レジの内側から、自動ドアの外を見ていた。 灰色のジャンパーが、駐車場を横切ってきた。ドアの前で、止まった。左の手首を、右手で持ち上げた。腕時計を見た。 三秒くらい、そのまま。 それから、ドアが開いた。 俺の腕時計は、二時十四分だった。 壁の時計は、二時十二分だった。 老人は、壁の時計を見なかった。牛乳の棚に行った。青いパック。レジ。小銭。ぴったり。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 俺は、その顔を、初めてちゃんと見た。眉が白い。頬が、少し、こけている。目は、俺を見ていなかった。牛乳を見ていた。 出ていった。 「二時十四分に、自分の時計で来る」 と、俺はマリアさんに言った。 「うん」 「壁の時計は、関係ない」 「うん。リョウ、それ、数えてるの?」 「数えてます」 「なんで?」 「なんでですかね」 自分でも、わからなかった。数えられるものがあると、数えてしまう。それだけかもしれない。 朝、小春さんに、そのことを言った。 「二分遅れの時計を見ないで、自分の時計で、二時十四分に来るんです」 「几帳面なんだ」 「几帳面というか」 俺は、言葉を探した。 「二時十四分に、来ないといけない理由が、ある人だと思います」 小春さんは、発注端末を見て、それから、俺を見た。 「あの人、朝は来ないんだね」 第3話 傘 九月の終わりの夜、雨が降った。 国道の水しぶきが、店の窓に、ときどき届いた。トラックは三台、寝ていた。客は、零時から二時まで、一人だった。俺は、入口のマットを二回、替えた。雨の夜は、床が、すぐ黒くなる。 「リョウ、傘立て、見といて」 「はい」 「忘れ物の傘、三か月で、店のもの。それ、店長のルール。私、三本、もらった」 「三本も」 「雨の日、帰るとき、ないと困る。リョウも、もらっていい」 傘立てには、五本あった。黒が三本、透明が二本。どれも、持ち主は、たぶん、もう覚えていない。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパーは、黒くなっていた。濡れて。白い髪が、額に張りついていた。傘を、持っていなかった。 老人は、いつもどおり、牛乳の棚に行った。青いパック。レジ。 小銭を、置いた。 小銭も、濡れていた。 俺は、レジを打った。百二十九円。ぴったり。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 老人は、牛乳を持って、ドアのほうを向いた。 ドアの外は、雨だった。 「あの」 俺は、言った。自分でも、驚いた。 老人が、振り向いた。 「傘、あります。貸します」 レジの後ろの、忘れ物の傘立て。俺は、いちばんまともな、黒い傘を一本、抜いた。 老人は、傘を見た。それから、俺を見た。 初めて、俺を見た。 少しの間、何も起きなかった。 老人は、片手で牛乳を持ったまま、もう片方の手で、傘を受け取った。 頭を、少し、下げた。 出ていった。 「リョウ、しゃべった」 マリアさんが、揚げ物の油を見ながら、言った。 「傘、貸しただけです」 「ミルクさんに、しゃべった人、初めて見た」 「しゃべったっていうか」 「三年で、初めて」 マリアさんは、こっちを見ないで、うれしそうだった。 「返ってくるかな、傘」 「さあ」 「返ってくる。あの人、返す」 「なんでわかるんですか」 「顔で」 マリアさんは、それしか言わない。 朝、小春さんに、傘のことを言った。 「貸したの?」 「忘れ物の傘ですけど」 「篠崎くんが、自分から?」 「自分から、って言うと、大げさですけど」 「大げさじゃないよ」 小春さんは、発注端末を打ちながら言った。 「篠崎くん、昼のとき、お客さんに自分から話しかけたこと、一回もなかったよ」 「そうでしたっけ」 「そうだよ。私、数えてたもん」 「数えてたんですか」 「……数えてない」 小春さんは、端末を見たまま、耳が少し赤かった。俺は、それが何か、わからなかった。わからないまま、更衣室に行った。 次の夜。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。乾いていた。左手に、黒い傘。 老人は、牛乳の棚に行く前に、レジに来た。 傘を、カウンターに、置いた。 それから、牛乳の棚に行った。青いパック。レジ。小銭。ぴったり。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 老人は、出ていった。 傘が、カウンターに残った。 俺は、それを、持ち上げた。 傘の柄に、シールが貼ってあった。小さい、花の形の、ピンクのシール。子どもが貼るような。昨日、貸したときには、なかった。 俺は、それを、剥がさなかった。 剥がせなかった。 「マリアさん」 「うん」 「傘、返ってきました」 「言ったでしょ」 「シールが、貼ってあります」 マリアさんが、来て、傘の柄を見た。 しばらく、見ていた。 「女の人の、シールだね」 と、マリアさんは言った。 第4話 小銭袋 老人の小銭は、袋から出てくる。 それに気づいたのは、傘を返してもらった次の週だった。 二時十四分。牛乳。レジ。 老人は、ジャンパーの内ポケットから、小さい袋を出した。布の袋。巾着みたいな。口を、指でゆるめて、中から小銭を、一枚ずつ、つまんで出す。 百円玉。十円玉、二枚。五円玉。一円玉、四枚。 ぴったり。 袋の口を、閉じる。内ポケットに、戻す。 俺は、その袋を、見ていた。 紺色の布。口のところに、白い糸で、刺繍がしてあった。 平仮名で、一文字。 ふ。 「レシート、いります?」 首を横に振る。出ていく。 「あの袋、見ました?」 「袋?」 「小銭、袋から出してますよね」 「ああ、うん。いつも」 「ふ、って書いてあります。刺繍で」 「ふ?」 「平仮名の、ふ」 マリアさんは、少し考えた。 「藤井さん、かな」 「名前、知ってるんですか」 「知らない。でも、ふ、なら、藤井とか、藤田とか、福田とか」 「ふじい」 俺は、その名前を、なんとなく、口の中で言った。名前がつくと、老人は、老人でなくなる。まだ、藤井さんかどうかは、わからないが。 名前を、口の中で言ったあと、俺は、少し、後ろめたくなった。老人は、名前を言っていない。 俺は、袋の中身を、数えることにした。 数えるといっても、開けて数えるわけにはいかない。老人が、袋の口をゆるめて、小銭をつまむ、その三秒くらいのあいだに、見えるだけを見る。 それを、四晩、やった。 紺色の袋の中は、小銭で、半分くらいだった。百円玉が多い。十円玉、五円玉、一円玉が、それぞれ、ある。 百二十九円ぴったりを作るには、百円玉一枚、十円玉二枚、五円玉一枚、一円玉四枚が要る。一回分で、八枚。 袋の中の小銭は、ぴったりを作る組み合わせで、入っているように見えた。百円玉と、十円玉と、五円玉と、一円玉の比率が、一対二対一対四に、近い。 誰かが、この袋に、百二十九円ぴったりを、何回分も、入れた。 老人は、それを、毎晩、一回分ずつ、出している。 俺は、それを、マリアさんに、言わなかった。言うと、マリアさんは、顔で、何かをわかってしまう。わかってしまったら、俺は、数えるのを、やめなくてはいけない気がした。 俺は、四晩見た小銭の減り方から、残りを計算した。 だいたい、二十四回分。 あと、二十四日。 「あと二十四日、って、何が」 小春さんが、朝、訊いた。 「小銭袋の中身です。二時十四分の人の」 「数えたの?」 「見えるぶんだけ」 「見えるぶんだけで、数えられる?」 「昼のとき、在庫、数えてたので。棚を見れば、だいたい」 小春さんは、発注端末を置いた。 「篠崎くん、それ、すごいことだよ」 「そうですか」 「そうだよ。でも」 小春さんは、少し、言葉を選んだ。 「あと二十四日で、袋が空になったら、どうなるの」 「わからないです」 「来なくなる?」 「……」 「その人、袋が空になっても、牛乳、買いに来られるように、私、発注、続けるね」 俺は、小春さんを見た。 「なんでですか」 「なんでって」 小春さんは、端末を、持ち直した。 「篠崎くんが、数えてるから」 引き継ぎの五分が、終わった。 俺は、自転車に乗った。 あと二十四日。 俺は、それを、日付に直した。十月の、終わりだった。 第5話 どうも マリアさんは、毎晩、三時に電話をかける。 休憩室から、フィリピンの、お母さんに。三時は、向こうでは、午前二時だ。 「お母さん、起きてるんですか」 「起きてる。私が、かけるから、起きて待ってる」 「毎晩?」 「毎晩。三年。この店に入ってから、ずっと」 マリアさんは、揚げ物の油を替えながら、言った。 「お母さん、八十一。耳、遠い。だから、私、大きい声で言う。元気? 食べた? 寝る? それだけ。三分」 「三分」 「三分でいい。お母さん、私の声、聞いたら、寝る。聞かないと、寝ない」 俺は、それを、黙って聞いていた。 「一回、かけなかった。二年前。私、熱で、寝てた。次の日、妹から電話。お母さん、一晩、寝なかった。玄関で、座ってた。電話、待って」 「……」 「だから、それから、休みの日も、かける。熱でも、かける。三分だけ」 マリアさんは、それを、笑って言った。笑って言うことにしている、という笑い方だった。 「だから、私、ミルクさん、わかる」 「何がですか」 「毎晩、同じ時間に、同じことする人。誰かのために、してる。たぶん」 マリアさんは、油の温度を見た。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。牛乳の棚。青いパック。レジ。 紺色の袋。ふ。 百円玉。十円玉、二枚。五円玉。一円玉、四枚。 ぴったり。 「レシート、いります?」 老人は、首を横に振った。 それから、言った。 「どうも」 小さい声だった。 乾いた、低い声。 俺は、レジの前で、止まった。 「……どうも」 と、俺も言った。 老人は、牛乳を持って、出ていった。 「今」 と、マリアさんが、休憩室のドアから顔を出した。 「しゃべった?」 「どうも、って」 「ミルクさんが?」 「はい」 マリアさんは、休憩室から出てきて、レジまで来て、俺の顔を見た。 「三年で、初めて」 「傘のときは、頭、下げただけでしたもんね」 「うん。声は、初めて」 マリアさんは、笑った。それから、時計を見た。三時。 「電話、してくる」 休憩室に戻っていった。ドアの向こうで、大きい声で、フィリピンの言葉が聞こえた。元気? 食べた? 寝る? たぶん、そう言っている。 俺は、レジに立ったまま、どうも、という声を、頭の中で、もう一回、聞いた。 初めて、だ。 傘を貸したのが、俺だったから、というだけの理由だと思う。ほかに、理由はない。 でも、俺は、その声を、数えた。一回目。 朝六時。 小春さんが来た。 「なんかあった?」 「二時十四分の人が、しゃべりました」 「え」 「どうも、って」 「それだけ?」 「それだけです」 小春さんは、発注端末を持ったまま、少し、黙った。 「篠崎くん、それ、うれしそうに言うね」 「うれしそうですか」 「うん。昼のときは、そういう顔、しなかった」 俺は、自分の顔を、触った。わからなかった。 小春さんは、端末の画面を、俺に向けた。 「これ、青い牛乳の発注。私が、毎日、入れてる。六本」 「はい」 「あの人の一本、私が発注してるんだよ」 「……そうですね」 「だから、あの人が、どうも、って言ったのは、篠崎くんにだけど、半分は、私」 小春さんは、真顔で言った。 「半分は、言いすぎた。三分の一」 小春さんは、端末を、たたんだ。 第6話 廃番 本部からの通達は、A4の紙一枚だった。 休憩室の壁に、店長が画鋲で貼った。「取扱商品変更のお知らせ」。十月三十一日をもって、いくつかの商品が、取扱終了になる。リストに、二十品目くらい。 その中に、あった。 牛乳。五百ミリリットル。青いパック。 「店長」 「ん」 「これ、青い牛乳、終わるんですか」 「本部が決めたことだから」 店長は、シフト表を書きながら、こっちを見なかった。大場店長、三十八歳。本部の人が来ると、声が一段、高くなる。 「代わりの牛乳は」 「新しいのが入る。緑のパック。同じ五百」 「同じですか」 「メーカーが違う。味は、まあ、牛乳だから」 俺は、通達の紙を、もう一回、読んだ。十月三十一日。 小銭袋の残りを、日付に直すと、十月の終わりだった。 同じ日だ。 「店長、一つ、聞いていいですか」 「なに」 「青い牛乳を、毎晩、一本買う人がいます。二時十四分に。三年間、毎晩」 「ああ、マリアが言ってたな。ミルクさん」 「その人、青い牛乳しか買いません。緑の牛乳になったら、たぶん」 「たぶん、なに」 「わからないです。でも、青いのじゃないと、意味がない気がします」 店長は、シフト表から、顔を上げた。 「篠崎、それ、俺に言われても」 「はい」 「本部が決めたことなんだよ。一店舗で、一人の客のために、廃番の商品を残せって、言えるわけないだろ」 「言えないですか」 「言えない」 店長は、シフト表に戻った。 俺は、休憩室を出た。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。牛乳の棚。青いパック。 レジ。紺色の袋。ふ。百円玉。十円玉、二枚。五円玉。一円玉、四枚。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 「どうも」 二回目。 「どうも」 老人は、牛乳を持って、出ていった。 俺は、その背中に、言えなかった。 この牛乳、十月で、なくなります。 言えなかった。言ったら、どうなるのか、わからなかった。老人が、何も言わずに、牛乳の棚の前で立ち止まって、それから、帰る。そういう絵しか、浮かばなかった。 「マリアさん」 「うん」 「青い牛乳、十月で終わりだそうです」 「聞いた。店長が言ってた」 「ミルクさんに、言いました?」 「言えない」 マリアさんは、揚げ物の油を見ていた。 「私、三年、言えないこと、たくさんある。ミルクさんに」 「たとえば」 「今日、寒いね、とか。傘、ある?、とか。牛乳、体にいいね、とか」 「そういうの、言えないんですか」 「言えない。あの人、しゃべらないから、私も、しゃべらない。それで、ずっと」 マリアさんは、少し、笑った。 「リョウが、傘、貸したとき、私、うれしかった。私が、三年、できなかったこと」 「傘を貸すのは、誰でも」 「誰でも、じゃない。私、できなかった」 朝六時。 小春さんに、廃番の話をした。 「青いの、なくなるの?」 「十月三十一日で」 「え、じゃあ、あの人」 「わからないです」 小春さんは、発注端末で、青い牛乳の項目を出した。 「発注、十月いっぱいは、できるみたい。それ以降は、項目が消える」 「消える」 「本部のシステムだから、私にはどうにも」 小春さんは、端末を見ていた。 「店長は、なんて?」 「一店舗で、一人の客のために、廃番の商品を残せとは言えない、って」 「言えないよね、普通は」 「普通は」 小春さんは、端末から、顔を上げた。 「篠崎くんは、言ったんだ。店長に」 「言いました」 「昼のときは、店長に、一回も、言い返さなかったのに」 「そうでしたっけ」 「そうだよ」 小春さんは、また、数えてた、と言いそうになって、やめた顔をした。 俺は、更衣室に行った。 十月三十一日。 あと、二十三日。 小銭袋の残りと、青い牛乳の残りが、同じ日に、なくなる。 どっちも、俺には、どうにもできないことだった。 第7話 表札 あとをつけるのは、悪いことだと思う。 思いながら、俺は、自転車を押して、老人の十メートル後ろを歩いていた。 二時十四分に来て、二時十七分に出ていく。三時になると、マリアさんは休憩に入る。俺は、三時から三時半まで、休憩だ。店の外に出ていい。三十分。 二時十七分。 俺は、マリアさんに「休憩、先にもらいます」と言って、店を出た。 老人は、国道を渡らなかった。店の裏の、住宅街の道を、まっすぐ、歩いていった。牛乳を、片手に持って。 速くも、遅くもない歩き方だった。街灯が、三本に一本、切れていた。俺は、自転車のライトを、消していた。消していることが、あとをつけている、ということだった。 十分、歩いた。店から、歩いて十分だった。 老人は、古い一軒家の前で、止まった。二階建て。門はない。玄関の横に、小さい庭。庭に、物干し竿が一本。 老人は、鍵を開けて、中に入った。 玄関の明かりが、ついた。 それから、一階の、奥の部屋の明かりが、ついた。 窓のカーテンは閉まっていたが、カーテンの色が、明かりで変わった。白から、薄い黄色に。 その黄色の中に、もう一つ、光があった。 小さい、オレンジ色の光。揺れている。 蝋燭か、線香の光だった。 俺は、道の向こう側に立って、その光を見ていた。 仏壇だと、思った。 牛乳を、仏壇に。 三分くらいで、奥の部屋の明かりが消えた。玄関の明かりも消えた。オレンジの光だけが、しばらく、カーテンの向こうで揺れていて、それも、消えた。 俺は、自転車を押して、家の前を、通った。 通るだけのつもりだった。 玄関の横に、表札があった。 木の表札。彫った字に、黒い墨。 藤井。 その下に、小さく、二つ。 重雄。文江。 俺は、その前で、少し、止まった。 止まってから、歩いた。 三時二十八分に、店に戻った。 「リョウ、遅い」 「すみません」 「どこ行ってたの」 「散歩です」 マリアさんは、俺の顔を見た。 「ミルクさんの家?」 俺は、答えなかった。 マリアさんは、揚げ物のトングを持ったまま、うなずいた。 「悪いことした顔」 「悪いことだと思います」 「うん。でも、わかった?」 「藤井さんでした。表札が」 「ふ」 「ふ、でした」 マリアさんは、うなずいた。 「もう一つ、名前、あった?」 俺は、マリアさんを見た。 「なんで、わかるんですか」 マリアさんは、答えないで、うなずいた。 「文江さん、って書いてありました。重雄と、文江」 「ふみえ」 マリアさんは、その名前を、口の中で、言った。 「袋の、ふ」 「たぶん」 「ふじい、じゃなくて、ふみえ」 「たぶん」 マリアさんは、それ以上、何も言わなかった。俺も言わなかった。三時半。マリアさんは、休憩室に行って、フィリピンに電話をかけた。元気? 食べた? 寝る? 朝六時。 小春さんに、表札のことを、言うかどうか、迷った。 言った。 「あとをつけたの?」 「つけました」 「篠崎くんが?」 「悪いことだと思います」 「悪いことだよ」 小春さんは、端末を置いた。 「で、藤井さんだったんだ」 「藤井重雄さんと、藤井文江さん」 「文江さん」 「仏壇の光が、ありました。奥の部屋に」 小春さんは、しばらく、黙った。 「牛乳、供えてるんだ」 「たぶん」 「毎晩、二時十四分に買って」 「たぶん」 小春さんは、発注端末を、持ち直した。 「篠崎くん」 「はい」 「悪いことだけど、知ってよかった、と思う。私は」 「なんでですか」 「知らないで発注するのと、知って発注するのは、違うから」 小春さんは、青い牛乳の項目を、六本、入れた。 第8話 本部 本部の電話番号は、休憩室の壁に貼ってある。 俺は、それを、スマホに打った。打ってから、五分、かけなかった。 昼の二時だった。夜勤明けで、寝ないで、自分の部屋にいた。 かけた。 「はい、商品部です」 「あの、店舗の者ですが」 「店番号をお願いします」 店番号を言った。名前を言った。夜勤のアルバイトです、と言った。 「青いパックの牛乳、五百ミリリットルの、十月末で廃番になるやつについて、お願いがあります」 「はい」 「一店舗だけ、続けてもらえないでしょうか。うちの店だけ。一日一本でいいんです」 電話の向こうで、キーボードの音がした。 「申し訳ありませんが、メーカー側の生産終了に伴う廃番ですので、店舗単位での継続は」 「一日一本で、いいんです。一人の客が、三年間、毎晩、その牛乳を買っています」 「お客様のご事情は、承知しました。ただ、メーカーの生産が終了しますので、こちらでも手配ができません」 「生産が終了」 「はい。全国で、終了です」 俺は、それ以上、言えなかった。 「他に、ご質問は」 「ないです。ありがとうございました」 切った。 メーカーが、作らなくなる。 本部が悪いのでも、店長が悪いのでもなかった。青い牛乳が、この世からなくなる。 俺は、ベッドに、座った。 それから、寝た。 二時十四分。 いつもの三十秒。 「どうも」 「どうも」 出ていった。 「マリアさん」 「うん」 「本部に、電話しました。昼に」 マリアさんは、揚げ物の油の温度計を見ていた。 「なんて?」 「メーカーが、作らなくなるそうです。全国で」 「全国」 「だから、本部でも、どうにもできない、って」 マリアさんは、温度計を置いた。 「無駄でしたけど」 「無駄じゃない」 マリアさんは、揚げ物の棚を、開けた。 「一箱だけ、取り寄せは?」 「一箱?」 「メーカー、まだ、十月まで作ってる。十月のうちに、一箱、多く取る。青いの。一箱、何本?」 「二十本、だったと思います」 「二十本。賞味期限、二週間。十月の終わりに一箱取れば、十一月の半ばまで、ある」 俺は、マリアさんを見た。 「その先は?」 「その先は、その先」 マリアさんは、揚げ物を、並べた。 「二週間、伸ばせる。二週間、考える時間、できる」 「発注は、小春さんが」 「小春ちゃんに、言って。一箱、多く。店長に、言わないで」 「言わないで、いいんですか」 「言ったら、だめって言う。言わないで、取る。怒られたら、私が怒られる」 マリアさんは、それを、当たり前のように言った。 朝六時。 小春さんに、言った。全部。本部の電話も、メーカーの生産終了も、マリアさんの一箱も。 小春さんは、端末を、握った。 「一箱、多く、か」 「店長には、言わないで、って」 「言わないで、取れるかな」 「たぶん」 「たぶんでも、やってみる」 小春さんは、端末に、数字を打とうとして、止めた。 「篠崎くん」 「はい」 「本部に、電話したんだ。昼に。寝ないで」 「寝ないで」 小春さんは、端末を見た。 「私も、なんか、したい」 「一箱、取ってください」 「それは、する。それとは別に」 小春さんが、何を言おうとしているのか、俺には、わからなかった。 引き継ぎの五分が、終わりかけたとき、店長が、来た。朝勤に、店長が来る日だった。 「おう、篠崎、まだいたのか」 「今、帰ります」 「あのさ」 店長は、休憩室のドアの前で、言った。 「青い牛乳の件。本部に、俺が頼んでみる」 俺は、店長を見た。 「一店舗じゃ無理だって、言ったの、俺だけどさ。まあ、一回、頼むだけ頼んでみる」 店長は、そう言って、休憩室に入った。 小春さんが、俺を見た。 「篠崎くんが、言ったから」 「俺が言ったから、じゃないです」 「じゃあ、誰が」 俺は、答えられなかった。 答えられないまま、自転車に乗った。 十月三十一日まで、あと、二十一日。 第9話 文江 十月の、半ばの夜だった。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。牛乳の棚。青いパック。 レジ。紺色の袋。ふ。 百円玉。十円玉、二枚。五円玉。一円玉、四枚。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 「どうも」 「どうも」 老人は、牛乳を持って、ドアのほうを向いた。 それから、向き直った。 俺を、見た。 「あんた」 と、老人は言った。 「はい」 「傘の」 「はい」 「うちまで、来たろう」 俺は、レジの前で、動けなかった。 「先週」 「……はい」 「道の向こうに、立ってた。自転車と」 「すみません」 老人は、怒っていなかった。怒っている顔を、俺は、この人でまだ見たことがなかったが、たぶん、これは、怒っていない顔だった。 「表札、見たか」 「見ました」 「藤井だ」 「はい」 「文江は、女房だ」 老人は、牛乳を、カウンターに、置いた。置いて、両手を、空けた。 「毎晩、二時に、牛乳って言った」 「……」 「三年、認知症だった。夜中に、起きて、牛乳、って言う。飲まない。言うだけだ。それで、また寝る。最後の一年は、毎晩、二時だった」 俺は、黙っていた。 「俺のことも、わからなかった。牛乳だけは、言った」 「……はい」 「だから、買っといた。冷蔵庫に。毎晩、二時に、牛乳、って言ったら、あるように」 老人は、レジの上の、青いパックを、見た。 「これが、冷蔵庫に入ってた。いつも」 「……はい」 「半年前に、死んだ」 老人は、それを、牛乳を見たまま言った。 「二時十四分に」 俺は、その数字を、聞いた。 二時十四分。 「二時に、牛乳、って言って、それから、十四分後だ。病院じゃない。うちだ。俺が、牛乳を取りに行って、戻ったら、もう、言わなかった」 老人は、牛乳を、持ち上げた。 「前は、二時ごろに買ってた。あいつが言う前に、あるように。半年前から、二時十四分に、買う。それだけだ」 老人は、ドアのほうを向いた。 「あんたが、傘、貸したから、言った」 出ていった。 俺は、レジの前に、立っていた。 マリアさんは、揚げ物の棚の前で、立っていた。トングを持ったまま、動いていなかった。 「リョウ」 「はい」 「今の、聞いた」 「はい」 「私、三年、知らなかった」 「はい」 「二時十四分」 マリアさんは、トングを、置いた。 「私、三時に、電話する。お母さんに。お母さん、死んだら、私、三時に、何する?」 俺は、答えられなかった。 「たぶん、電話する。誰も出ないのに」 マリアさんは、休憩室に、入っていった。三時には、まだ、二十分あった。 俺は、牛乳の棚を、見に行った。 青いパックが、四本。 俺は、一本、取った。それを、レジに持っていって、自分で、金を払った。百二十九円。ぴったりは、作れなかった。百三十円を出して、一円のおつりをもらった。 牛乳を、休憩室の冷蔵庫に、入れた。 理由は、自分でも、わからなかった。 一本、余分に、ここにあるほうが、いい気がした。 朝六時。 小春さんが来た。 「なんかあった?」 俺は、言おうとして、言えなかった。 「篠崎くん?」 「二時十四分の人が」 「うん」 「話しました。全部」 「全部って」 「文江さんのことを」 小春さんは、発注端末を、持ったまま、俺を見た。俺の顔を、しばらく、見た。 「今じゃなくていい」 と、小春さんは言った。 「明日でも、いい。話せるときに」 「……はい」 「発注、入れとくね。青いの、六本。それと、一箱」 「一箱、通りました?」 「通った。店長、知らない」 小春さんは、端末を、たたんだ。 「帰って、寝て」 俺は、自転車に乗った。 国道は、朝の光で、白かった。 二時十四分。十四分後。牛乳を取りに行って、戻ったら、もう言わなかった。 俺は、自転車を、途中で降りた。 押して、歩いた。 理由は、わかっていた。 第10話 残り十四回 自転車を押して、家まで歩いた。 四十分かかった。乗れば、十五分の道だ。 途中で、コンビニがあった。うちの店ではない、別のチェーンの。俺は、その前で、少し、止まった。牛乳の棚が、窓から見えた。青いパックは、なかった。それだけ確かめて、また、歩いた。 昼、寝られなかった。 夕方、小春さんに、LINEをした。小春さんとLINEをするのは、シフトの連絡以外で、初めてだった。 【今日、少し早く、店に行きます。話せますか】 【六時に、店の裏で】 朝勤の小春さんは、二時に上がる。六時に、わざわざ、来る、ということだった。 店の裏。 小春さんは、私服だった。制服じゃない小春さんを、俺は、初めて見た。 「早いね」 「早いです」 「で、文江さん」 俺は、話した。二時に、牛乳、と言ったこと。一年。認知症。冷蔵庫に、青いパックがいつもあったこと。半年前。二時十四分。牛乳を取りに行って、戻ったら、もう言わなかったこと。 小春さんは、途中で、一回も、口を挟まなかった。 話し終わって、少し、二人とも、黙った。 「じゃあ」 と、小春さんが言った。 「私たちにできることは、牛乳を切らさないことだね」 「……はい」 「それだけだけど、それは、できる」 「できます」 「一箱、通ったから。十月の終わりに、二十本、来る。十一月の半ばまで」 「はい」 「その先も、考える。私、考えるの、得意じゃないけど」 「俺も、得意じゃないです」 「じゃあ、二人で考えれば、一人分くらいには、なる」 小春さんは、それを、笑わないで言った。 「あと、一つ」 小春さんは、店の裏の、ビールケースに、座った。 「篠崎くん、袋、数えてたよね。あと二十四日、って」 「数えてました」 「今、あと、何日?」 俺は、計算した。あの日から、十日、経っている。 「十四日です。十四回分」 「十四回」 「袋が空になったら、どうなるか、わからないって、俺、言いました」 「言った」 「今は、少し、わかります」 「うん」 「文江さんが、入れた小銭だと思います。袋に。牛乳を買うための、ぴったりを、何十回分も」 「自分で、飲まないのに?」 「飲まないのに」 「認知症、なのに?」 「たぶん、認知症になる前に、入れたんだと思います。自分が、いつか、二時に牛乳、って言うようになることを、知らないで。ただ、旦那さんが、牛乳を買いに行くときに、小銭で困らないように」 小春さんは、ビールケースの上で、膝を抱えた。 「……ふ、の刺繍」 「たぶん、自分で刺したんだと思います」 「なんで、ふ、なの。文江の、ふ?」 「わからないです。ふ、だけです」 小春さんは、しばらく、黙っていた。 「篠崎くん、それ、聞いたの? 藤井さんに」 「聞いてないです。袋のことは、一言も」 「じゃあ、篠崎くんの、想像」 「想像です」 「でも、たぶん、当たってる」 「なんでですか」 「篠崎くん、数えるの、得意だから」 小春さんは、立ち上がった。 「明日、あと十三回。私も、数える」 二時十四分。 いつもの三十秒の、途中で、老人の手が止まった。 袋の口をゆるめて、中を、見た。いつもより、少し、長く。 それから、いつもの八枚。 「どうも」 「どうも」 老人は、袋の口を、閉じた。閉じるとき、袋が、薄かった。 俺は、それを、見ていた。 残り、十四回分。 俺の数えたのと、老人の見たのと、たぶん、同じ数字だった。 第11話 来ない夜 一箱は、十月二十八日に、来た。 青いパック、二十本。段ボールの箱に、行儀よく。小春さんが、発注端末で、こっそり、一箱多く入れたやつだ。 「店長、気づいてないよ」 朝、小春さんが言った。 「気づいたら、私が怒られる」 「マリアさんが、私が怒られる、って言ってました」 「じゃあ、二人で怒られる」 「三人で」 「篠崎くんは、発注してないでしょ」 「本部に、電話しました」 「それは、怒られないやつ」 小春さんは、段ボールを、バックヤードの冷蔵庫の、いちばん奥に、入れた。 「十一月の半ばまで。その先は、店長の本部への電話しだい」 「店長、まだ、電話してないですよね」 「してないと思う。でも、するって言ったから、たぶん、する」 小春さんは、そう言い切った。俺は、半分だけ、信じることにした。 十月二十九日。 二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。牛乳の棚。青いパック。 レジ。紺色の袋。ふ。 百円玉。十円玉、二枚。五円玉。一円玉、四枚。 「レシート、いります?」 首を横に振る。 「どうも」 「どうも」 残り、一回分。 俺は、それを数えた。老人も、袋の口を閉じるとき、たぶん、数えた。明日で、袋は空になる。 十月三十日。 二時十四分。 自動ドアが、開かなかった。 俺は、レジの内側から、駐車場を見ていた。トラックが二台、寝ている。国道の向こうの信号が、黄色の点滅に変わっている。 二時十五分。 二時十六分。 灰色のジャンパーは、来なかった。 二時二十分。 俺は、牛乳の棚を見に行った。青いパックが、五本。一本、減っていない。 「マリアさん」 「うん」 「来ないです」 マリアさんは、揚げ物の棚から、顔を上げた。時計を見た。壁の、二分遅れの時計。 「二時十八分。本当は、二十」 「はい」 「来ない」 「はい」 「三年で、初めて」 マリアさんは、トングを、置いた。 「台風の日も、来た。雪の日も。ずっと」 「はい」 「今日、何もない。雨もない」 「はい」 マリアさんは、休憩室のほうを見た。それから、俺を見た。 「リョウ、行く?」 「どこに」 「ミルクさんの家」 俺は、腕時計を見た。二時二十二分。 「休憩、三時からです」 「今、行く。私、店、いる。三十分、いない、大丈夫」 「店長に、言わないと」 「店長、寝てる。言っても、寝てる」 マリアさんは、揚げ物の棚を、閉めた。 「行って。牛乳、持って」 「牛乳?」 「一本。青いの。ミルクさん、今日、買ってない」 俺は、休憩室の冷蔵庫を開けた。奥に、青いパックが一本。十月の半ばに、理由もわからずに買って、期限が近づくたびに新しいのに替えていた一本だ。 理由は、今、わかった。 自転車で、住宅街を走った。 三本に一本、街灯が切れている道。十分の道を、四分で走った。 古い一軒家。門はない。玄関の横に、小さい庭。物干し竿。 玄関の明かりは、消えていた。 奥の部屋の、カーテンは、白いままだった。オレンジの光も、なかった。 俺は、自転車を降りた。 牛乳を、片手に持って、玄関の前に、立った。 表札。藤井。重雄。文江。 インターホンを、押すかどうか、俺は、迷った。 夜中の二時半に、押すものではない。 でも、来なかった。初めて。 押した。 中で、音が、鳴った。 しばらく、何も起きなかった。 俺は、もう一回、押そうとして、やめた。 玄関の向こうで、何かが、動く音がした。 鍵が、開いた。 第12話 代わりに ドアが、少しだけ、開いた。 灰色のジャンパーではなかった。灰色の、寝間着だった。 老人は、ドアの隙間から、俺を見た。顔が、赤かった。目が、腫れていた。 「……傘の」 「はい」 「なんだ、こんな時間に」 「来なかったので」 老人は、ドアの縁を、握っていた。握っていないと、立っていられない、という握り方だった。 「熱が、ある」 「病院は」 「行かん。寝てりゃ、下がる」 老人は、俺の手を見た。青いパック。 「……それ」 「牛乳です。今日、買ってなかったので」 老人は、牛乳を見て、それから、俺を見た。 「二時十四分は、過ぎた」 「過ぎました」 「じゃあ、意味がない」 「……」 「二時十四分に、買うんだ。買って、供える。それが、意味だ」 老人は、ドアを閉めようとした。 「藤井さん」 俺は、初めて、名前で呼んだ。 老人の手が、止まった。 「今日は、二時十四分に、俺が、店にいました」 「……」 「藤井さんの代わりに、二時十四分に、俺が、牛乳の棚の前にいました。それで、二時十四分に、一本、取りました」 嘘だった。取ったのは、二時二十二分だった。 でも、俺は、そう言った。 「だから、今日の一本は、二時十四分の一本です。俺が、代わりに」 老人は、ドアの隙間から、俺の顔を、長く見た。 それから、ドアを、少し、広く開けた。 「……入れ。寒い」 玄関の中は、線香の匂いがした。 老人は、廊下の壁に手をついて、奥の部屋まで、歩いた。俺は、靴を脱いで、あとをついていった。 奥の部屋。 畳。仏壇。 仏壇の前に、写真があった。白髪の女の人が、笑っている。眼鏡。口が、少し、開いている。笑っているというより、何か言おうとしている顔だった。 仏壇の前の、小さい台に、青いパックが一本、置いてあった。昨日の一本だ。 「毎朝、俺が飲む」 と、老人は言った。 「供えて、朝、飲む。それで、また、夜に買う」 「はい」 「今日は、飲んでない。熱で、起きられなかった。だから、昨日のが、そこにある」 老人は、畳に、座った。座るというより、崩れた。 俺は、牛乳を、持ったまま、立っていた。 「そこに」 老人が、台を、指した。 「昨日のを、どかして、今日のを」 俺は、昨日のパックを、取った。冷たくなかった。一日、ここにあった。 今日のパックを、置いた。 老人は、それを見て、手を、合わせた。 短かった。二秒くらい。 「……よし」 と、老人は言った。 「病院、行かないんですか」 「行かん」 「熱、あるのに」 「一日、寝る。それで、下がる」 「明日は」 「明日は、行く」 老人は、畳に、横になった。寝間着のまま、座布団を枕にして。 「二時十四分に、行く」 「……はい」 「あんた、店、戻れ。店、空けてるだろう」 「マリアさんがいます」 「マリアって、誰だ」 「揚げ物の人です」 「ああ」 老人は、目を閉じた。 「あの人、三年、俺に、何も言わなかった」 「言えなかったそうです」 「……そうか」 老人は、それきり、何も言わなかった。寝たのだと思う。 俺は、昨日の牛乳を、台所の流しに、置いた。それから、玄関を出た。鍵は、かけられなかった。ドアを、静かに、閉めた。 店に戻ったのは、三時十分だった。 「リョウ」 「熱でした。寝てます」 「病院は?」 「行かないそうです」 「牛乳は?」 「仏壇に、置いてきました」 マリアさんは、休憩室のドアを、半分開けて、立っていた。三時。電話の時間だ。 「行って。お母さん、待ってます」 「うん」 マリアさんは、休憩室に入って、それから、顔だけ、出した。 「リョウ。明日、来る?」 「明日は、行く、って言ってました。二時十四分に」 マリアさんは、うなずいて、ドアを閉めた。 ドアの向こうで、大きい声が、聞こえた。 元気? 食べた? 寝る? 俺は、レジに戻った。 残り、一回分。 第13話 時計 十月三十一日。 青い牛乳の、最後の日。 俺は、店に入って、最初に、壁の時計を、直した。 脚立を持ってきて、時計を外して、裏のつまみで、二分、進めた。 三年、誰も直さなかった時計。 「なんで直したの」 マリアさんが、下から、言った。 「今日だけ、合わせておきたくて」 「今日だけ?」 「今日だけです」 マリアさんは、それ以上、聞かなかった。 二時十四分。 壁の時計も、二時十四分。 自動ドアが開いた。 灰色のジャンパー。顔色は、戻っていた。 老人は、ドアの前で、腕時計を見て、それから、入ってきて、壁の時計を、見た。 初めて、見た。 少し、止まった。 それから、牛乳の棚に行った。青いパック。最後の日の、青いパック。 レジ。 紺色の袋。ふ。 老人は、袋の口を、ゆるめた。 中から、小銭を、つまんだ。 百円玉。 十円玉。 十円玉。 五円玉。 一円玉。一円玉。一円玉。 老人の指が、袋の中で、止まった。 一円玉が、三枚しか、なかった。 「……足りない」 と、老人は言った。 小さい声だった。 百二十八円。 俺は、その小銭を、見た。それから、老人の顔を、見た。老人は、袋の中を、見ていた。空の袋を。 「今日は」 俺は、言った。 「店の、おごりです」 老人が、俺を見た。 「最後の日なので。青いの」 「……最後?」 「この牛乳、今日で、廃番です。明日から、緑のパックになります」 老人は、レジの上の、青いパックを、見た。 「……知らなかった」 「言えませんでした。すみません」 老人は、しばらく、青いパックを、見ていた。 「文江が、飲んでたのは、これだ」 「はい」 「これじゃないと」 「はい」 「これじゃないと、だめなんだ」 老人は、袋を、握った。 俺は、レジの引き出しから、一円玉を、一枚、出した。自分の財布から、ではなく、レジから。それを、老人の百二十八円の横に、置いた。 「百二十九円です」 レジを打った。 「レシート、いります?」 老人は、首を横に振らなかった。 「……くれ」 初めて、レシートを、渡した。 老人は、それを、袋に入れた。空の袋に、レシートを一枚。 「どうも」 「どうも」 老人は、牛乳を持って、ドアのほうを向いた。 それから、振り返った。 「明日から、来ない」 俺は、レジの前で、止まった。 「袋も、空だ。牛乳も、なくなる。袋は、三つあった。これが、最後の一つだ。文江が用意したぶんは、今日で、終わりだ」 「藤井さん」 「三年、ありがとう。あんたは、一か月半だが」 老人は、頭を、下げた。傘のときより、深く。 出ていった。 バックヤードの二十本のことは、言わなかった。 マリアさんは、揚げ物の棚の前で、動かなかった。 「リョウ」 「はい」 「明日から、来ない、って」 「はい」 「袋、空」 「空でした」 「牛乳、今日で終わり」 「終わりです」 マリアさんは、揚げ物の棚を、閉めた。 「バックヤードに、一箱、ある」 「あります。二十本」 「あれ、誰が飲む?」 俺は、答えられなかった。 誰が飲むために、取ったのか。二時十四分に来る人が、来ないなら、あの二十本は、誰も飲まない。 朝六時。 小春さんが来た。 「なんかあった?」 俺は、時計を、指した。 「時計、合わせました」 「え、それ、三年、誰も」 「今日だけ、合わせたかったので」 「今日だけ?」 「二時十四分に、壁の時計が、二時十四分を指してるのを、あの人に、一回、見せたかったんです」 小春さんは、時計を見た。 「見せられた?」 「見てました。初めて」 「よかった」 「でも、明日から、来ないそうです」 小春さんは、発注端末を、持ったまま、俺を見た。 「袋、空になった?」 「空になりました。一円、足りなかった」 「一円」 「レジから、出しました。おごりって言ったのに、レジから」 「篠崎くんらしい」 小春さんは、笑わないで言った。 「一箱、どうしよう」 「……」 「じゃあ、考えよう。二人で。一人分くらいには、なる」 引き継ぎの五分は、その日、十分になった。 第14話 六時十四分 十一月一日。 二時十四分。 自動ドアは、開かなかった。 牛乳の棚には、緑のパックが、六本、並んでいた。青いパックは、一本もなかった。バックヤードの冷蔵庫の奥に、二十本、段ボールに入ったまま。 二時二十分。 二時三十分。 来なかった。 「来ないね」 「来ないです」 「来ない、って言ったから、来ない。ミルクさん、嘘、言わない」 マリアさんは、揚げ物を、並べた。並べる数が、いつもより、少なかった。トラックが、今日は一台しかいなかった。 三時。 マリアさんは、休憩室に行かなかった。 「電話は」 「今日は、いい」 「お母さん、待ってます」 「待ってる。でも、今日は、リョウと、話す。お母さんには、明日、二回、言う」 マリアさんは、レジの横の、椅子に座った。俺は、レジの内側に立ったまま。 「じゃあ、二十本、届ける?」 「毎晩?」 「毎晩は、無理。リョウ、店、ある」 「休憩の三十分で」 「三十分で、往復二十分。できる。でも、毎晩は、無理。雨も降る」 「マリアさんは、三年、毎晩、電話してます」 「電話と、自転車は、違う」 マリアさんは、笑った。 「それに」 「はい」 「届けるの、あの人、喜ばない。たぶん」 「あの人、言ってました。二時十四分に、買うのが、意味だって。届けてもらうのは、意味じゃない、って」 「ほら」 そのとおりだった。 五時四十分。 自動ドアが開いた。 小春さんだった。私服。朝勤は、六時からだ。 「早いね」 「早いです」 「寝られなくて」 小春さんは、レジの横の、マリアさんの隣に立った。 「二十本、どうするか、考えてきた」 「はい」 「二時十四分に来られないなら、時間を変える」 「時間?」 「二時十四分は、文江さんが、いなくなった時間でしょ。夜中に、一人で、買いに来る時間」 「はい」 「じゃあ、朝は」 小春さんは、時計を見た。五時四十二分。合っている時計。 「六時十四分」 マリアさんが、小春さんを見た。 「朝勤、六時から。イートイン、六時から使える。六時十四分に来てもらって、イートインで、牛乳、飲んでもらう。一人じゃなくて」 「一人じゃなくて」 「篠崎くんが、六時に上がる。私が、六時に入る。十四分なら、二人とも、いる」 小春さんは、俺を見た。 「十四分は、同じ」 マリアさんが、言った。 「小春ちゃん、それ、いい」 「私、考えるの、得意じゃないんですけど」 「得意」 マリアさんは、立ち上がった。 「私、六時、帰る。でも、六時十四分、いる。帰る前に、いる」 「マリアさんは、電話が」 「電話、三時。六時十四分、空いてる」 三人で、レジの前に、立っていた。五時四十五分。 六時。 小春さんが、制服に着替えて、出てきた。俺は、着替えなかった。 「篠崎くん、帰らないの?」 「手紙、書きます」 「手紙?」 「藤井さんに。ポストに入れてきます」 俺は、レシートの裏に、書いた。レシートは、青い牛乳の、最後の一枚の、控えだった。 書いた。 藤井さんへ 朝、来てください。六時十四分に。イートインで、一緒に飲みます。青いのが、二十本あります。十一月十一日まで。 篠崎 小春さんが、横から、見た。 「短いね」 「長く、書けないので」 「いいと思う」 俺は、自転車で、住宅街を走った。街灯は、もう、消えていた。朝だった。 古い一軒家。門はない。玄関の横に、小さい庭。 ポストに、レシートを、入れた。 玄関の奥で、音は、しなかった。 俺は、自転車に乗って、帰った。 明日の六時十四分に、来るかどうかは、わからなかった。 わからないことを、俺は、三人で、待つことにした。 第15話 モーニングさん 十一月二日。 二時十四分。 自動ドアは、開かなかった。 俺は、それを、数えなかった。 数える時間が、変わったからだ。 六時。 小春さんが、制服で、出てきた。 マリアさんは、帰る支度をして、レジの横に、立っていた。鞄を持って。 俺は、着替えなかった。 「来るかな」 「……」 「わからないね」 三人で、自動ドアを、見ていた。 駐車場に、トラックが一台。朝の光が、白い。国道を、通勤の車が、通り始めていた。 六時十分。 六時十二分。 「来ないかも」 と、小春さんが言った。 「来ない、って言ってたから」 と、マリアさんが言った。 「ミルクさん、嘘、言わない」 六時十三分。 俺は、時計を、見た。合っている時計。 六時十四分。 自動ドアが、開いた。 灰色のジャンパー。 老人は、ドアの前で、腕時計を見なかった。壁の時計を見た。それから、俺を見た。小春さんを見た。マリアさんを見た。 「……三人か」 「三人です」 老人は、牛乳の棚に、行かなかった。 レジに、まっすぐ、来た。 「青いの」 「はい」 俺は、バックヤードから、青いパックを、二本、持ってきた。 二本。 「二本?」 「一本は、藤井さんの。一本は、俺の」 老人は、俺を見た。 「あんたのか」 「一緒に飲むって、手紙に書きました」 「……書いてあった」 老人は、紺色の袋を、出した。ふ。 袋の口を、ゆるめた。 中には、小銭は、なかった。レシートが一枚、入っていた。 老人は、その袋を、カウンターに、置いた。 「これ、空だ」 「はい」 「空だから、今日は、自分の財布で払う」 老人は、ジャンパーのポケットから、黒い財布を出した。千円札を、一枚、出した。 「二本ぶん」 「一本は、俺のなので」 「二本ぶんだ」 俺は、レジを打った。二百五十八円。おつりを、七百四十二円、渡した。 初めての、おつりだった。 「レシート、いります?」 「くれ」 渡した。 老人は、それを、袋に入れた。二枚目。 イートインの席に、三人で、座った。老人と、俺と、小春さん。 マリアさんは、鞄を持って、立っていた。 「私、帰る。六時二十分の電車。三時、二回言った。昨日のぶんと、今日のぶん」 「マリアさん」 「うん」 「あんたには、まだ、言ってなかった」 と、老人が言った。 「ありがとう」 マリアさんは、鞄を、握った。 「ミルクさん」 「ああ」 「もう、ミルクさん、じゃない」 「なんだ」 「モーニングさん」 マリアさんは、それを、笑って言った。 「朝、来るから。モーニングさん」 老人は、少し、口を開けた。それから、閉じた。 「……好きにしろ」 マリアさんは、自動ドアから、出ていった。出る前に、休憩室のほうを、一回、見た。 老人は、青いパックの口を、開けた。 飲んだ。 俺も、開けた。飲んだ。 小春さんは、緑のパックを、一本、自分で買って、開けた。 「私は、緑で」 「なんでですか」 「青いのは、二十本しかないから。二人で、十日ぶん」 「十日」 「十日、朝、来てもらえたら、その先は、緑でいいか、聞いてみる」 老人は、牛乳を、飲みながら、聞いていた。 「傘」 と、老人は言った。 「はい」 「シール、貼ってあったろう」 「花の。ピンクの」 「文江だ。孫がくれたシールを、なんにでも貼る。傘にも、財布にも、俺の眼鏡にも」 老人は、眼鏡を外して、つるの内側を見せた。小さい、花の形の、ピンクのシール。 「剥がさない」 「はい」 「聞かなくていい」 と、老人は言った。 「緑でいい。十日、飲んだら」 「……はい」 「文江は、青いのを飲んだ。俺は、緑でいい。朝は、俺が飲むんだ」 老人は、青いパックを、飲み干した。 それから、イートインの窓の外を、見た。国道。朝の光。トラックが、一台、出ていくところだった。 「二時十四分は、もう、いい」 と、老人は言った。 「文江が、いなくなった時間だ。俺が、そこに、毎晩、行っていた。もう、いい」 「はい」 「六時十四分は、何の時間だ」 俺は、少し、考えた。 「藤井さんが、来る時間です」 「それだけか」 「それだけです」 老人は、空のパックを、たたんだ。 「それでいい」 どうも、は、二十四回だった。数えていた。今日から、数え直す。 六時三十分。 俺は、更衣室で、着替えた。自転車に乗った。 国道は、白かった。 俺は、数えた。 青いパックは、あと十八本。 六時十四分は、明日も、来る。 二時十四分に、客は来ない。 六時十四分に、来る。

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